第1話 僕は魔蚕とか言う準家畜化動物に転生したらしい

 おそらく車に撥ねられた僕は今、蚕になっている。そして自称ナビゲーターたる存在の声が脳内に響く。


 ──転生直後、視界は緑に染まっていた。草の一本一本が、ビルの柱みたいに太い。葉の裏に当たる光は刺すように鋭く、風が吹くたび世界全体が微かに揺れた。体は柔らかく、足の感覚はない。

 全身が糸の塊に包まれていて、自分の重心がどこにあるのか分からなかった。


「なにこれ……?」と、声を出そうとしても声帯がない。口はない。だから口にする代わりに、なんとなく頭の奥が弾けたような感覚がして——そして声がした。


『落ち着いてください。あなたは今、劣化幼魔蚕レッサーデモンシルクワームラーバです』


 その瞬間、すべてを理解した。いや、本当は理解したくなかった。平凡な高校生が、目を開けたら糸を吐く虫になっている世界など、受け入れられるはずがない。

 いくら糸を飛ばせるよう糸吐口の筋肉が発達していたとしても、劣化レッサーであり幼体ラーバである。


 つまりクソ雑魚なことには変わりない。


 糸の訓練は地獄のようだった。初めは唾のようにしか出なかった糸が、自分の体に絡まって身動きできなくなる。

 絡まった糸の束に慌ててもがくと、砂利の下からアリのように細く素早い魔物が寄ってきて、その顎でちょっと噛まれただけで痛みが走る。

 幸運にも致命傷にはならなかったが、あの時の恐怖は忘れられない。


『そのままでは死にます。もっと吐いてください』


「無茶言うなよ……!」


 脳内の声は、シンプルで淡々としている。情緒はない。フィドゥス——と名乗るその存在は、古い機械のような落ち着きで事務的に状況を報告するだけだ。


 だが、人間の慣れは恐ろしい。三日もすれば体の動かし方のコツが分かり、糸の出し方も少しだけ自由になった。

 ピュッと出しては止める。長く伸ばすときは粘りを、すぐ切りたいときは固まる前に引く。糸の性質を手探りで理解していく感覚は、マジックのトリックを磨いていた頃の延長線上にある。


 他の魔蚕たちは違った。彼らはひたすら吐いた糸で繭をつくり、成長のサイクルを辿る。それが彼らの生き方だ。動かない、待つ。受動の世界。


 でも僕は違う。糸はただの繭素材ではない。縄になるかもしれない。罠になるかもしれない。武器にも、仕掛けにも使えるだろう。

 元の世界で培った手先の感覚、トリックを分解する頭の回路がここでも働いた。


 ただ、一つ聞きたいことがある。


 現代人にとって本当に「なくてはならないもの」とは何だろう? 食か。時間か。金か。情報か。娯楽か。どれも答えとして成り立つだろう。

 だがこの世界は残酷だ。食は虫や草、腐りかけの肉。金の概念はなく、情報が流通する「価値」もない。娯楽なんて洒落たものは存在しない。

 生きるか死ぬかの選択が、娯楽を潰すのだ。


 良いことが一つだけあるとすれば、時間が膨大にあることだ。人間のように時間に縛られた生活ではない。食事さえ確保できれば、あとは好きに考えられる。

 だが、食を得るための労力は厳しい。だからこそ、ここで何かを極める余地もある。


 物々交換や会話で暮らす魔物たち。彼らは世界のルールに馴染んでいる。だが俺は違う。蚕という「糸製造機」扱いだけには甘んじたくない。

 唯一持つ能力、糸出しを鍛えて、この場を抜けるための手段にする。そう決めたのだ。


 ◇


 俺の唯一の会話相手はフィドゥスだ。舌も口もない俺にとって、脳内で語りかけてくる存在は救いでもあり鬱陶しくもある。初めにこの世界の説明をしてくれたのもフィドゥスだった。

 正式名称は魔蚕マサン。人間社会では「シルク製造機」として飼われると、淡々と言う。


 声は実体がない。音ではなく、脳に直接届く圧。中性的で抑揚に乏しく、だが確かな情報を提供する。未来の予測や、生理的なデータ、ここの危険度、落下する確率まで、吐き出す。


転生したての頃、ナビゲーターは「一年後、除虫剤で死ぬ」とあっさり言った。

半年たった今、予告はこう変わっている。「半年後、落下死」。

……おい、なんでだよ。寿命ガチャ更新するな。怖いんだけど。


 得たものは二つだけだ。フィドゥス、そして糸を吐く能力。以上。これでチートなどと言えるわけがない。


 転生前の僕は、ただの高校生だった。マジック同好会に所属し、目立たないタイプ。放課後はマジック本でちまちまと仕掛けを研究していた。

 だから転生したら何か派手なスキルが付くと思っていた俺の期待は、見事に裏切られた。


 初めの頃、糸は唾に近かった。吐くたびに体に絡みつき、動かなくなる。何度も歯がゆさで固まった。泣きたいと思ったが、泣くことすらできない。

 だが人間の適応力は侮れない。少しずつコツを覚え、糸の粘りや伸び、切れ方を手探りで把握していった。


『冷静になってください』


 フィドゥスの声は冷静で、まるで古い人工知能のようだった。


「ねえ、今日も訓練?」


『しないと死にます』


 生きたくはある。理由はまだ薄いが、死にたくはない。蚕で死んだ高校生など笑えない。


「わかった」


 訓練は単純だ。糸を吐き続ける。数を増やす。長さを保つ。初めは数センチ、今では一メートルに届く。少し希望が見えてきた。


『練習時間を考えれば妥当な成長具合です』


 気分を害する言い方をするなよ。


 俺には夢がある。いつかこの魔物だらけの景色を抜け、元の世界のような冒険ができる場所へ行くこと。冒険者が剣を掲げ、魔王が暗躍し、勇者や王が物語を動かす世界を、自分の目で見たい。


『蚕は家畜以下です』


 お前、毒舌すぎるだろ。


 ◇


 気持ちを切り替えて訓練に戻る。蚕の体は遅く、クネクネと進むため移動だけで時間を食う。枝葉の隙間を縫って進む毎に、体の一部が葉に擦れて小さな痛みが走る。


『日が暮れます』


 いや、無理だから。蚕体の移動速度の限界って知ってる?


『糸をぴゅって出して、蜘蛛人間みたいなことをしてください』


 ……いや、俺、某壁登りヒーローじゃないんですけど。なんで知ってるの。


『記憶を見ました』


 プライバシーって、どこに忘れてきたんだろう俺は。


『生物学的には、あなたは今“資源”です』


 ひでぇ言い方するなあ……

 生物学に資源もクソもあるのかな。


 俺はマジシャン志望。タネと仕掛けで世界をだますのが得意だった。ここでもそれを活かしてやる。ツッコミ待ちでも、ツッコミ人間でもない。クールに、計算して、勝つ。


 ピュッ——糸を飛ばして、枝に絡める。


 べちっ——思いきり木にぶつかる。


 痛い。これが移動訓練の現実だ。だが、一回一回がデータになる。糸の太さと弾性、風向き、着地角度——覚えることは多い。

 というか移動自体が訓練なのではないだろうか。


『やっと気づきましたか』


 バカにされてる気分になる。だが、そうやって小さな成功を積むのが俺のやり方だ。


(中略)


 ──それでも、諦める気はない。

 元の世界で抱いていた小さな夢は消えていない。

 糸一本で人の視界を欺き、世界を一瞬だけ自分のものにするあの感覚。それを、今度は世界そのものに対してやってやる。


 蚕の体なんか、いつか必ず脱ぎ捨ててやる。

 そして、残してきた大切な誰かを、見つけ出すんだ。

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