第2話 雨とこいこい

 4年ぶりに再会した藍之介君は、虚ろな目をしていました。幼くして最愛の家族を失った不条理に、うちひしがれている様子でした。


 70年余りを生きて、孫の為に気の利いた言葉一つ言えない自身の不甲斐なさが際立つばかりです。妻に先立たれて十年、娘夫婦とも折り合いが悪かった私は、常に何かのせいにしてきました。私が人望に恵まれないのは、そういう星回りなのだと。けれど違いました。他人のために何ができるかということを、私は考えるべきでした。それが巡り巡って自分に返って来ようとそうでなくても、そこに喜びを見出せる人間こそが、本当の意味で命を謳歌できるのだと、藍之介君を見て思ったのです。


 彼は礼儀正しく、控えめで物静かな少年でした。突然片田舎の独居老人と暮らすことになっても、我儘一つ言うことはありません。家事を甲斐甲斐しく手伝い、真面目に学校に通います。娘夫婦の教育の賜物なのでしょう。あるいは、彼自身の特性なのかもしれません。


 ただ、私はどうしても心配でした。幼少期というものは、親の愛情を享受し、時に気を引くためにくだらないいたずらをして、叱られながら成長していくべきだと思うのです。彼は7歳にして、私を含めた大人たちの顔色を伺っています。生きていくために。


 そんな風に思い悩んでいると、ある日彼は学校から帰って来るなり、玄関に座り込んで泣いてしまいました。戸惑いながらも小さな背中をさすり、少しした後どうしたのかと尋ねました。どうやら同級生たちから、執拗に嫌がらせを受けているとのことです。

「しばらくは家で休むことにしましょう。先生たちと、お話をすることにします」

そう言ってその日のうちに電話し、翌日担任の先生と教頭先生の3人で面談をすることにしました。


 私は基本的に温厚な人間です。ですが、激しい怒りを覚えると我を忘れることがあります。私がここで先生や同級生たちを糾弾しても、藍之介君の立場を悪くするだけです。それだけを心にとめて学校に向かいました。


 先生方にお会いすると、開口一番に謝罪をされました。次に再発防止に努めるので、穏便な解決に協力してくれないかという旨の提案をされました。


 私は怒りを通り越して呆れましたが、同時に先生方の疲れ切った佇まいに哀れみを覚えました。片田舎の教育現場の現状なんて、こんなものなのでしょう。教員不足というニュースを、よく報道で伺っております。

「先生方のお話は分かりました。子どもが過ちを犯すことは、仕方のないことです。ただし、藍之介君は深く傷ついていますので、しばらくお休みさせてください。その間に、指導体制を改善していただけますでしょうか」

手を強く握りながらそう言うと、先生は不安そうな表情のまま

「最大限、検討させていただきます」

とだけ言い放ちました。その日の話し合いは終わりました。



 藍之介君がクラスメートたちと馴染めないのは、精神的に大人びているからでしょうか?それとも田舎特有のよそ者を排斥する空気が、あの学校にもあるからでしょうか?理由が何であれ、理不尽にもほどがあります。


 ただ一つだけ思い当たる節があるとすれば、彼は時折周囲の人間に対し、心を閉ざし壁を作っているように見えます。その壁は自身を守るために、おそらく意図せずして築かれたものなのでしょう。本人に非があるとは微塵も思いませんが、この先長い人生を歩んでいく上で、その壁は彼自身の可能性を閉ざしてしまうように、私は感じました。


 藍之介君、君にはもっと子どもらしくいて欲しい。無邪気に笑って少しぐらい自分勝手でいて欲しい。そう思った私は、彼を色んな場所に連れて行ってみることにしました。


 こんな片田舎でできることなんて限られていますが、何も経験しないよりはいいはずです。世界には面白いことがたくさんあって、美しい光景が広がっているのです。社会が陰湿で息苦しいのであれば、心が壊れてしまう前に退避してしまえばいいのです。


 彼と夏を過ごすようになって、一ヶ月ほどが経ちました。二人で魚釣りをしたり、カブトムシを取りに行ったり、庭で朝顔を育ててみました。彼を少しでも元気づけるつもりが、いつの間にか童心に帰り、彼との日々を謳歌していました。


 藍之介君は、少しだけ子供らしく笑うようになりました。色んな遊びをしましたが、どうやら花札が一番気に入ったようです。雨が降ると私は少しがっかりしますが、彼は安らいだような笑みを浮かべ、縁側に私を招きます。これが、私が雨音を好きになったきっかけです。


 彼は私が作ったご飯を、いつも美味しそうに食べてくれます。定年まで40年ほど、料理人として働いてきましたが、久しぶりに自分が料理人で良かったと思えました。私の最大の後悔は、彼にそれらのレシピを残しておかなかったことです。



 私はこの生涯を理不尽なものだと思い込んでいました。最愛の妻を早くに亡くし、娘夫婦を災害に奪われ、孤独に最期を迎えると、そう思っていました。

 命とは悲劇の始まりだ。大切なものから手のひらから滑り落ちて、取るに足らないものすらも少しずつ失っていく。それが私だと。


 すい臓がんが見つかり、手の施しようがないと言われた時、まず藍之介君のことが頭によぎりました。緩和ケアを受けながら、一通りの手続きを済ませました。具体的には、相続のことや、施設のことなどですかね。私がいつ死んでもいいように。


 彼をまた孤独にしてしまうのは心苦しいですが、こればかりはどうしようもないことです。せめて、苦しみながらも生きていくために必要なものを、少しでも残しておきましょう。


 藍之介君、私は雨の日には君の傘になりたい。寒い日には火になりたいし、暑い日には風になりたい。年寄りの詭弁に聞こえるかもしれませんが、幼くして孤独な君の苦悩を、少しでも和らげたいのです。


 僅かばかりの資産と思い出、それと私なりの哲学。花札をしまった戸棚の中に入れ、その旨を手紙に書いて渡しました。


 手紙と言っても、そんなに長々としたものではありません。哲学といっても、年寄りの説教のようになっては、かえって格好がつかないでしょう。ただ彼に残した物の使い道と、この先の人生は、彼自身を謳歌するためにあるのだと。そう書き遺しました。


 死の間際病室で雨音を聞きながら、藍之介君と縁側で花札をした日々を思い出しました。きっとあの時間が、私の生涯で最も美しい時間だったのだと、そう確信しています。


 

 お盆になると、私はあの家の縁側に帰っていきます。そこでいつも寂しそうに、一人花札を並べる藍之介君を見るたびにこう思うのです。私は彼に何か遺せただろうか、生きていく理由なんて大層なものではないにしろ、生きる喜びや楽しさを教えられただろうかと。


 妻と娘夫婦に先立たれ、私自身「生の意味」を見失っていました。そんな私が彼にそれらを伝えるなんて、よく考えればおかしな話でした。ですが、失望を背負った小さな命を前に、そんな屁理屈は不要でした。


 藍之介君は、とても優しく、健やかに成長したように見えます。当時の物静かな雰囲気は残っていても、この家を発つ時は「生きていく者の目」をしているようです。私がそうあって欲しいから、そう見えているだけかもしれませんが。


 遠ざかっていく彼が乗る車を見守りながら、毎年私はこう呟いて、死者の国に帰ります。


「巡り会えたら、花札をしましょう」

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花札の香り 七川 / Nanakawa @Nanakawa-add9

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