光バイト
@Ichisan13
第1話 光バイト
男は疲れていた。
ラッシュアワーをとうに過ぎた総武線の、錦糸町から浅草橋へ向かうわずかな区間ですら、その場に倒れこんでしまいそうな程佇まいに力が感じられない。或いはいっそ満員電車であれば他者に寄りかかれる分、月末の慌しさにさらされた身体には幾分かましかもしれない。
サトシ「今月も疲れたな…給料も上がらないし…というか社会保険料で天引きされすぎだろ…」
スマホが震え、ディスプレイに表示された名前にまた溜息が漏れる。『社長』。内容は読まずともわかる。どうせ「悪いねぇ」から始まる、週末の得意先の手伝い依頼だろう。悪いねぇ、とは言うものの、悪びれた様子がないのもまたたちが悪い。見た目が年齢以上に老人めいている事も相まって無下に出来ない。IT企業に就職したはずだったが、気が付けば営業とは名ばかりで、オフィス機器の御用聞きを通り越し、得意先での雑用が主たる業務になっている。
ふと昨晩の行動を思い返す。まだ十分青年と呼ばれる見た目ではあるが、ボケ防止に有効というニュースを目にしてからは、移動時間に1日、2日前の行動や食べたものを反芻する事が癖になっている。
サトシ「そういえば昨日オオナマケモノにお母さんを食べられた被害者の会の人からメールが来て募金もしたから節約しないと…将来不安だなぁ…」
幼い頃に祖母がよく口にしていた、自分に余裕がない時ほど誰かに優しくしなさい、という教えを思い出す。情けは人の為ならず、とは言うが、果たして巡り巡って自分に返ってくる日は来るのか、未だにわからない。
ふと見上げた車内のモニターでは、長髪ととても長い髭に顔を囲まれたコメンテーターが新しいサイバー犯罪について解説している。切れ目なく顔のまわりを覆う毛髪に、トリックアートで目にする様な、上下を逆さにしても顔に見える絵が想起される。
じゅんじゅん「あなたのサイバー防衛大臣!じゅんじゅんです!」
司会者「そんな省庁ないってばw」
司会者の小気味が良い合いの手も手伝って、番組はテンポ良く進行していく。近頃ネットを賑わせていた、オオアリクイに旦那が食べられた人妻を名乗る人物によるSNSでの詐欺の解説に、サイバー犯罪者というのは随分と突拍子もない話を思いつくものだなぁ、と思わず感心してしまう。振り返ってみるとサイバーと名前がつくものとは疎遠な生活を送ってきた。唯一縁があったのはサイバーパンクと呼ばれるジャンルのゲームとアニメだが、思えばサイバーパンクが何を意味するのかすらわからないままエンディングを迎えた。自分にも才能があればまた違った人生があったのだろうか。
家がいつもよりも遠い気がする。駅からとぼとぼと歩きながら、脳裏に浮かぶ不安が大騒ぎをはじめる前に気を散らそうとした刹那、スマホに通知が入る。
「バイト募集!スキマ時間で気軽に副業!不安にグッバイ!高額報酬!即日現金!1日5万円補償!」
ほしょう、の漢字が間違っている、きっとおっちょこちょいな担当者なのだろうな、となんだか和んだ気持ちになる。人間というのは不思議なもので、欠点があるものに惹かれ、応援したくなる時がある。発信元がどこであるかを確かめるよりも早く、指先は応募をタップしていた。よくある細かい利用規約の画面に遷移し、これまたよくある全て同意にチェックを入れて申し込みを終えた。こんなものをいちいち読む日本人などどれ程いるのだろうか。お金に不自由していない日本人とどちらが多いだろうか。ああ、つくづく暇は良くない。暇になると無用な考えばかりが浮かぶ。副業でバイトでもして忙しくなれば考える余裕すらなくなって楽になれる気がする。
スーツの上着を床に放り、シャワーへと向かう。全て後回しにして、とにかく頭からお湯を浴びて感情ごと流してしまいたい。そんな思いを踏みにじる様に、インターホンが鳴り響く。
「お荷物でーす!お受け取りをお願いしまーす!」
宅配便というのは不思議なもので、狙いすましたかの様に都合の一番悪いタイミングでやってくる。仕方なく開けると、筋骨隆々という言葉をもとにデザインしたのではないかという程にたくましい図体のダークスキンの男が立っていた。引っ越しでもあれば一人で冷蔵庫やソファーも運び出してくれそうな腕には、不相応な小包が抱えられている。受け取りのサインを済ませると、部屋に戻り開封に取り掛かるが、募金が重なり万年金欠の懐事情で通販を利用した覚えもないし、中身の見当がつかない。顔を出した包の主は、アイマスクにしては随分と分厚い。ITに疎い人間でもそれがVRゴーグルと呼ばれ、バーチャルの世界で動き回る近未来的な体験が出来る、という知識があるくらいにはいつの間にかメタバースは普及している。
いよいよもってその様なものが届く覚えがない。宛名は確かに自分ではあるが、何かしら間違っていなければ自分に届く荷物であるはずがない。特に説明書もないが、はじめて触れるテクノロジーの結晶への感動からか、何かに導かれる様にゴーグルを装着してみる。
目の前が激しく明滅する。少し前に目にした、画面の点滅が原因で全国的に体調不良に陥る人が大量発生したニュースを思い出す。しかしどうであろう、気分が悪くなるどころか、むしろ高揚感を覚えるほどだ。次第に、Gftdという文字が浮かび上がり、高速で点滅しはじめた。眺めるうちに踊り叫びたくなり、これがトランス状態というやつだろうか、などと考えるうちに光に吸い込まれる感覚に陥る。映画でよく見るタイムスリップの表現に近い。
光の中を抜けると、そこは壁も床もすべてが冷たそうな、つるつるとした質感を帯びたオフィスだった。サーバーの低い駆動音と、バーチャルながら新品のパソコンを開封した時のあの機械の匂いが鼻腔をくすぐった気がした。
サトシ「ここは…?」
いちさん「ようこそ、サトシくん。よく来たね」
柔らかな声に振り返ると、スーツ姿の男が立っていた。先ほどの配達員が外資系企業とやらで働いていたら、というお題で出てきそうな外見だった。パソコンを叩いているだけではこの様な筋肉はつくまい。男は、まるで獲物を品定めするようにサトシの全身を静かに観察している。
サトシ「あ、あなたは?ここは何ですか?」
いちさん「ここはサイバー防衛省。日本政府が秘密裏に立ち上げた、サイバー犯罪対策組織だよ。僕はここでアシスタントを務めている。いちさんと呼んでおくれ」
サトシ「サイバー…?いやいやいや、意味が…」
いちさん「闇バイトが連日ニュースになっているのは知っているね?もはや警察だけでは手に負えなくなっているのが現状。そこで日本政府は、選りすぐりのサイバーの精鋭を集めて対抗することにしたんだ。その名も光バイト!そして!サトシくんがまさしく我々のテストに合格して選ばれた精鋭の一人なんだ」
サトシ「ちょっと展開が急すぎてついていけてませんが…!まずテストなんて受けてませんよ!」
いちさん「最近急に知らない人からたくさんメールが届くようになっただろう?」
サトシ「そう言えば毎日知らない人からメールが…!それが何か...?え、ちょっと待って、というかテストに合格って事は…俺に隠れたサイバーの才能があったって事…?」
いちさん「逆だよ。君は唯一サイバー防衛省の適正テスト、その名も“フィッシング詐欺〇×クイズ”に全問不正解だったんだ。ちなみに、君とは真逆で全問正解した天才も一人だけいた」
サトシ「!!!」
いちさん「すなわち!サトシくんは、日本で一番サイバー能力が低く、日本で一番心が優しい青年だ!まさか誰も引っかかるわけないだろうと思っていた、はるか昔に絶滅した動物の被害者の会にまで募金してしまうなんて。君のような人間こそが、この腐りきった社会を根っこから変える『起爆剤』になると僕は信じているよ」
サトシ「…それ、喜んでいいんですか…?…あれ、という事はあの募金は偽物?それじゃあ僕のお金は…?」
騙し取られた数々の募金が脳裏をよぎる。総額にするとかなりのものだ。
じゅんじゅん「いいんじゃないかな、能力は伸ばせばいいんだから」
声のした方を見ると、いつの間にか現れた長髪の男がゆったりと近づいてきた。
サトシ「あれ、どこかで見た気が…?あと僕のお金は…?」
じゅんじゅん「あなたのサイバー防衛大臣!じゅんじゅんです!」
サトシ「あ!そうだ!朝のニュースで見た!僕のお金…」
いちさん「実はじゅんじゅんは本当にサイバー防衛省の大臣なんだ」
サトシ「お笑い芸人じゃなかったんだ…!」
じゅんじゅん「これからよろしくね、光バイト!」
サトシはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
目の前の二人の男。胡散臭いアシスタントと、テレビで見た変人。なけなしの善意だけではない、人生そのものが、巨大で、訳の分からない何かに飲み込まれようとしている気がした。
「光バイト…?」
光バイト @Ichisan13
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