第4話 これが始まり



湯浴みが終わり、自室に戻ると側仕えのドーイがうやうやしく頭を下げた。

黒髪がさらりと流れ、面を上げると、静かだがどことなく不満そうな桃色の目がこちらを見据えた。

椅子に座り、彼が注いでくれた水を受け取る。


「お疲れでございます、レスト様」

「うん。……ありがとう」


少しのぼせたか、火照った身体にするりと水が落ちていって心地がいい。ハーブの香りがする。


「……で、なんだ?」

「……あそこまでされることはなかったんじゃないですか」


口調は丁寧なものの慇懃ではなくなったドーイは、年相応のふくれっ面で口をとがらせる。

言いたいことは分かるから、苦笑するしかない。


「まあ、あそこまで言わせておけば、誰も文句言えないだろ?行列を遮るだけじゃぬるい」

「ですが、度重なる神への、マイナイ様への侮辱は!」

「酔っ払って出てきてくれてよかった」


前から振る舞いが横暴だと宿場の方から報告が上がっていた神殿の関係者たちだ、村の外に放逐される大義名分を自分たちから揃えてくれてありがたいくらいだ。


「エメテーク様へはごめんなさい、とお祈りしてきたよ。きっと分かってくださる」


我が民の神は意外とノリがいいのではないかと前々から疑っている。

祝事役はご立派でございました、と流してくれるようだし、村長は……怒っていたが先に祝事役に言われてしまって口を閉ざすしかなかったようだ。レストから見ると村長は相変わらずである。


「それに、やつらには相応の罰は下るはずだ」


村の外に着の身着のままで放り出したのだ。

山には獣もいるし、この秋口では寒いはずだ。村の中に入ることは許さないが、近くで朝を待つのなら人里を知っている獣たちは近づいてこない、あとは焚き火を起こせる能力でもあれば生きてはいられるだろう。

本当に危ないのは、山を降りようとした場合だ。夜中の道中なんて……考えただけでもあーあ、という感想だ。


神や村を馬鹿にした連中には慈悲はない。


「食いちぎられた死体を片付けるなんて武衛衆にさせたくないな」

「……」


ドーイはちょっと怯えたように口を閉ざした。

どうやらふたつ年下の少年にはきつい冗談だったらしい。


「ほら、飴をやろう、機嫌直せ」


供え物で、下げられたものだ。

村の世話役の奥方たちが毎朝作ってくれる、麦芽を煮詰めて甘くなった柔らかい飴で、この村を離れる巡礼者や客に配るものだ。


「……ありがとうございます。ですが、こんなにしていただかなくても……」


ドーイは身分的には自分の側仕えだ、かしずく配下ということになるのだけれど、そういうのは外に見えるときだけでいいと思うレストだった。


「俺は、お前を弟のように思ってるんだけど……」

「レスト様……うれしいです」


ちょろい。

かわいいな、と思って、自分も飴を口に放り込む。

レストには弟はいないし、ドーイにも家族がいない。ちょうどじゃないか。

やはり疲れはあるのか、じわりと優しい飴の甘さが身に染みる。


「経典を読んだら寝るよ、持ってきてくれるか?」

「はい、ただいま」


別室に納められている経典を取りにいく背を見ながら、ふう、と軽く息をつく。

今日は小さなことだがイレギュラーが重なって、日の終わりの祈祷が長くなってしまった。

――禁足地にたまに人が入っているのは知っていたが、今まで荒らされたことはないし、あんな見分けがつかない土地だから無理もないと思っていた。急に対処しようとは思わないが、今日のところは神に見逃したことを報告して、許してほしいと謝った。


禁足地で出会ったのは面白い男だった。

傭兵か冒険者だろうけれど、それほど粗雑な人間に見えなかったし、何よりちゃんと会話ができた。善良な人間ならすぐに立ち去る分別はあるだろうけれど、詫びに手伝うと言われるとは。……明日の聖別されたきのこのポタージュは心して食べよう。


それとは真逆の神殿の連中だったが、それも結果は明日分かる。

村は立地上道の途中に建っている。メイドリーン王国側から登っても、村の中を通らなければ総本山側へは抜けられない。

生き残っていれば、免罪符を持たせて、通過だけはさせてやる。関所のような役割になっている。そういったことも含めて、神殿はあまり村にはいい顔をしないが――


「お持ちしました」

「ああ、じゃあ、お前も」

「……がんばります」


どうやら経典を読むことが苦手らしいドーイは、しぶしぶといった顔を隠さない。まあレストの前ではそういう顔は大丈夫だ。経典は見逃してやれないが。



(この宿だったのか)


仮面の下で目を細める。

数日に一度、各宿屋の祈祷を行う。

数が多いので数日に分けて宿を回り、安全と繁盛を願う。

そのうちのひとつ……よく神殿関係者が泊まるという宿に着いて、いつものようにエントランスで祈祷の聖句を唱える。その間に興味本位で集まってきた泊まった客らの中に、彼がいた。


あちらはレストに気づいていないだろう。レストも彼が村にいることは知っていたから、ああいたな、と思うだけだ。

ただ、その禁足地で出会った男、ラグヴィルは、じぃっと『マイナイ』を見つめている気がする。


(……バレたか?)


ひやりとしたが……彼のことだ、気づいても言いふらしはしないだろう。

なぜ、そこまで信用しているのか、自分でもわからないけれど。


落ち着かない心は隠して、いつものとおり祈祷は終わる。

宿の主人に見送られて、次の宿へ。

その次の宿に入るまで、背中に視線を感じていた。

じろじろ礼拝客に見られるのは慣れているから、名前まで知った人間にそんな視線を受けるとは思わず、少し驚いただけだ。


それきりのはずだった。

――まさか、5年もその視線を受け続けるとは、まだこのときは知ろうはずもない。


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【BL】神のおわす山村にて 鹿音二号 @2shikane2

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