黒い仔山羊たち
- ★★★ Excellent!!!
第二回山羊座賞を受賞した作品。
千織さんのお墨付きとなれば、ほぼ一般の文学賞の受賞と同等であろう。
一読して、闇が深いと思った。
少女Aは、自分の手引きのお蔭でクラスにとけこめたと信じている少女Bに対して、少し優越感を持っている。
少女Bは少女Aよりも成績がよい。
全教科そつなくこなしている。
その少女Bが、数学の定期テストで少女Aと同じ28点を取った。
少女Aは「ここに仲間を見つけた~」とばかりに少女Bに近寄り、赤点をとったことを打ち明ける。
しかし同じ点数の少女Bは期待したようには「わたしも!」と云わない。
「わ~ん、わたしも赤点だった~」
そう打ち明け合ってこそ、友情にとって最も大切な、隠し事のない心の分かち合いが出来るというのに。
探りを入れるAに対し、Bはまるで赤点なんて取っていないかのような素振りを貫く。
28点は勘違いだったのか?
しかしその後のBの態度をみても、Bはやはり、赤点をとったのに違いないのだ。
Aは憤る。Bは、わたしに嘘をついたのだ。
翌日、黒板にはBの赤点の答案用紙が貼りだされている。
Aは仰天する。
クラスメイトがざわつく中で、Bは静かにその答案用紙を回収して自分の席に戻る。
Aはわたしに謝ってよと内心で怒るが、Bは素知らぬ顔をしたまま席に座っている。
ざっとこのような話だ。
企画主の千織さんも指摘していたように、AとBのどちらに肩入れするかで読み方が変わるのだろう。
肩入れすることなく見るならば、わたしはBのことが心配になった。
平生、全教科そつなく点数を取っているというのが本当ならば、そんな生徒は、まず赤点を取らない。
たとえ苦手分野であっても、授業をきいて真面目に宿題をやっていれば、定期考査の基礎問題部分は解けているはずだ。
それが赤点にまで急落するというのは、Bに、深刻な何かが起っているとみる。
わかっているのは「28点」という点数はBにとって、Aのように明るく公開できるものではなかったということだ。
しかし翌日、Bは、自らその解答用紙を黒板に貼り付けておのれをクラス中の晒しものにする。
ここに深い闇をみる。
まるで自傷行為のようではないか。
友人であるAに対して隠し事をしたことへの、自罰行為なのか?
それとも赤点を親からひどく叱られしまい、捨て鉢になっているのか?
わたしはBがテストを黒板に貼ったのは、Aに対する単純なる回答と弁明だったとは思えない。
それもあるかもしれないが、もっと深い傷をBにみる。
理由は先に述べたように、そつなく点数を取る生徒は、たとえ一時的に大幅に下降したとしても、赤点にまで落ちることはないからだ。
AとBの関係は、「友だちがいない陰キャ」とAがBを下に見ている。だが、陰キャは必ずしも陽キャを上に見ているわけではない。
とくにAのような女子は、Bにとっては「苦手」である可能性が高い。
もしBがAに、「わたしも赤点だった。同じ28点だった」と打ち明けていたとしたらどうだろう。
きっとAは、「Bも赤点だったって! 同じ28点だって!」「Bも赤点なんだからわたしが赤点なのは当然だよね~!」と大声ではしゃいで触れ回るのではないだろうか。
それだけでなくことあるごとに、
「わたしたちって、あの時、同じ28点をとった赤点仲間だよね」
とダチ扱いしてくる気配が濃厚である。
AはAで、デリカシーのない、思い遣りや思慮の足りない、めんどくさい女子だ。そもそもテストの点数など、赤裸々に人に打ち明けるかどうかは個人によるのだ。繊細な問題であるのに、自分が突っ込んでいけば、当然のように相手からも期待した返答が戻ってくると信じて疑わないところが幼い。
Aはこのまま大人になっても、「仲間意識」を周囲に強いて、抜け駆け禁止・みんな一緒・「わたしの考える友情が真の友情それ以外は認めない」スタイルを貫き、『自称さばさば女』のように疎まれていくだろう。
しかし同類の人たちの中では、このままのキャラで楽しく生きていくことが出来そうだ。
どのみちAに対して、「なぜあなたはBに対して腹を立てたのか」を語らせたところで、正直でなかったBが悪いという思考以外はAからは出てこないだろう。
Aからすれば、「友達なんだから正直に打ち明けて欲しかった。だって私たち、友達でしょ?」で全て説明がつくのだから。
お題「テスト」から生まれたこの掌編。
「そういうことあったよね」と懐かしく想う人は大人になった人たちであり、「Aが悪い」「Bが悪い」と生々しい感想を抱く人は、思春期から良くも悪くも変わっていない人なのだろう。
短い話ながらも、それぞれの人間性がくっきりと浮かび上がっていて、実に見事な一篇だった。
さいごに。あらためて、山羊座賞おめでとうございます🎉