答え合わせ

焼おにぎり

28

 教壇の横に立つ先生の鮮やかな手捌きで、次々と定期テストの答案が返却されてゆく。

 自分の番がすぐそこに迫っていた。

 胃の底がずしりと重たい。数学Iは大の苦手科目だ。ひどい結果になることが目に見えていても、返却される前と後では、天と地ほどの差があった。

「次、田中たなか

 それでも否応なく順番が来て、容赦ない審判が下る。

 結果は二十八点。

 赤点である。


 とぼとぼと席に戻った私は、用紙を机の上に伏せて姿勢を正した。結果を気にしたところで仕方ない。何事もなかった顔をして、引き続き返却の様子を見守ることにする。

 すると、斜め前方、私の二列前の席に座る咲穂さきほが戻ってきた際に、ちらりと点数が見えてしまった。あ、と声を出しそうになる。

 二十八点。

 私と同じ。


 意外な発見だと思った。私とは違い、咲穂は全教科をそつなくこなしていると思っていたのだ。嬉しい誤算。思わぬ仲間が見つかった。


 授業時間が終わると、私は早速、自分の答案用紙を見せながら咲穂に声を掛けた。

「聞いてよ咲穂。私、赤点だったんだけど!」

 わざわざ「点数見ちゃった」とは言わないが、当然、咲穂は「実は私も」と切り出すものと思っていた。

 赤点を取れば、ただでさえ心細くなるものだ。仲間は多ければ多いほど良いに決まっている。

 けれども、私の想像したような空気にはならなかった。

「赤点? やばいね」

 咲穂は引きつった表情で言う。

 そのあと、取り繕うように「今回難しかったもんね。私もギリギリだった」と付け足した。


 当然ながら強烈な違和感があった。

 だが、私はすぐに自分の勘違いを疑った。単に見間違えたのかもしれない。「そっかー」と流せば済む話かもしれない。

 しかし思うように心が晴れなかった。

 仲間だと思って近づいたのに、裏切られたのかという疑念。それが真実だと仮定することで顔を出す、たかだか定期テストのために見栄を張るのかという軽蔑。分かっているのに、消えない。


「ちょっと、なっつー赤点なの?!」

 教室の後ろの方から、瑠奈るなたちがまとまって歩いてきた。いつもの賑やか三人組だ。

 私は一瞬ためらいつつ、「そう、赤点!」と、わざと答案用紙を見せびらかす。三人はワッと湧いた。

「おつ、特別課題がんばれー」

「なっつーマジ期待裏切らなくて最高」

 瑠奈がスマホを高く掲げた。自撮りモードのカメラで、その場にいる面々と私の答案が写るよう、位置を調整する。

「赤点記念、いえーい」

 そのフレームには、咲穂も消極的に入り込んでいた。出て行きそこねたのだろう。顔に迷いが出ている。

 陰キャだ。

「てか、みんなも点数教えてよ! 晒してんの私だけじゃん!」

 私は瑠奈たちに笑顔を向けつつ、咲穂にも聞こえるように大声で言った。

 瑠奈は、ためらわず「四十点!」と答案用紙を見せてくる。その横にいる小寄こよりたちも「三十八点」「六十二」と発表を始め、後ろにいた男子までもが、「俺、九十九!」と便乗してきた。

「まって、九十九?」

「おい、天才がいるぞ!」

 教室内が盛り上がる。

 そのざわめきに身を隠すように、咲穂がその場を後にした。私はそれを見逃さなかった。

 確信した。

 あれはやっぱり見間違いではない。咲穂は、私に嘘を吐いた。



 咲穂はクラスに友達がおらず、私が声をかけるまで、いつも一人で浮いているような子だった。話のきっかけは、咲穂のスマホカバーの柄が私の好きなキャラクターだったこと。

 咲穂は口下手で笑顔が少ないが、思っていたよりは会話ができた。それを裏付けるように、咲穂は私を仲介すれば、他の女子とも少しずつ話せるようになっていった。私はそれを、どこか誇らしく思っていた。

 だというのに、仇になったのだ。


「咲穂、数学教えてくれない?」

 私は放課後、あえて咲穂に絡みに行った。

 そそくさ帰り支度をしていた咲穂は、びくついた表情で私を見る。

「数学?」

「うん。咲穂って勉強得意じゃん。赤点のバカを助けると思って、ね。お願い」

「いや、私、得意じゃないよ」

 咲穂は鞄の持ち手を握りしめると、音を立てて立ち上がった。

「帰るの?」

「ごめん、今日は時間ない」

 そのまま、教室の引き戸を開けて逃げていく。私はその背中を目で追いながら、喉奥に鬱憤を溜め込んでいた。



 その翌朝、事件が起きた。

 咲穂の答案が黒板に貼り出されていたのだ。

 数学の──紛れもない、二十八点の答案だった。

 私が教室に入ると、すでに数人の生徒たちが集まって物議を醸している状況だった。

 私は、貼り出された答案の前から足を動かすことができずにいた。

 何かが飛び出しそうになるのを押さえつけている喉から、少しずつ、全身が石のように固まっていく心地がする。


 私ではない。

 これが私の仕業でないことは、この私が一番わかっている。

 ならば──だとしたら、いったい誰がこんなことをするというのだろう。


 そのとき、私の横をすり抜けて、小柄な人影が迷わず答案に近づいた。

 咲穂だった。

 咲穂は生徒たちの注目をその身に集めながらも、一切手を乱さなかった。落ち着き払った様子で淡々と答案を回収し、そのまま席に戻ってゆく。

 その間、誰もなにも言わなかった。

 途端、私の頭は煮えたぎった。一瞬で沸点に到達するほどの、激しく衝動的な感情だった。

 なにか言えよ。

 なんで黙ってるんだよ。

 簡単なことのはずなのに。ただ一言、素直に謝ってくれたら、私はそれだけで許せたのに。

 咲穂は頑なに一点を見つめたまま、私と目を合わせようとはしなかった。



(了)

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答え合わせ 焼おにぎり @baribori

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