6-1 新しい日常
「ルルカ、玄関周りお願いします」
「りょ~かいっ!」
朝。
私が大きな欠伸をしながら階段を下りていると、ディースとルルカのやり取りが耳に届いた。
「あ、ノワエ様、おはよう」
階段を降り切ったところで、玄関の掃除を始めようとしていたルルカが声をかけてくる。
「おはよう。あんたは朝から元気ねぇ……」
「そりゃ、やることが山盛りあるからね! もうテンション上がりまくりだよ」
そう言いながら、ルルカはささっと私の身だしなみを整えてくれる。
「朝食はディースが準備してくれるから」
「わかったわ」
私は台所へ向かい、すでに食器の準備を始めていたディースに声をかける。
「おはよう、ディース」
「おはようございます、ノワエ様。すぐに朝食を準備いたしますので、少々お待ちください」
「よろしく~」
いつもの席に腰を下ろす。ほどなくして、ディースが湯気の立つスープと、香り豊かなパンを運んできた。
「お時間がお時間ですので、パンは冷めてしまっていますが……」
「かまわないわよ」
冷えてはいるものの、朝焼いたパンは柔らかさがまるで違う。まるで初めから切れ込みが入っていたかのように、力を入れずともすっと裂ける。
ディースが一人で切り盛りしていた頃も、工夫してさまざまな料理を作ってくれていた。けれど、さすがに朝食までにパンを焼くのは難しかった。
「ルルカはどう?」
「それはもう、実力は私よりもはるかに上です。先ほどお願いした玄関の掃除も、そろそろ終えて戻ってくるのではないでしょうか」
言い終わるのとほぼ同時に、ルルカが食堂へ入ってきた。
「ディース、終わったよ。庭の気になったところをさっと剪定してから、洗濯物と布団を干しておくね。ノワエ様、部屋に入るよ」
「はいはい。よろしく」
私の返事を最後まで待つこともなく、言うだけ言ってさっさと行ってしまう。
家事をしていて、こんなに生き生きしている魔族は珍しい。いや、初めて見た。
「嵐のように仕事をこなしていくわね」
「はい。私では手を出せなかったところも、すべてやってくれています。"五人分は働ける"と豪語していましたが、本当にその通りに働くとは思いませんでした」
「食費は三人分かかるけどね」
私もそれなりに食べる方だが、その私とディースの分を足しても、ルルカの量と同じか、もしくは若干少ない。
「それでも二人分は浮いていますし、何より一人分の賃金なのが助かっています。常時財政難の我が家には最高の人材です」
「能力を考えれば、一人分の賃金で働かせるのは忍びないけどね……」
「……本人が"お世話してもしきれないような環境をもらってるのに、お賃金まで多くしてもらったら贅沢しすぎだよ"なんて言っているのですから、いいのではないでしょうか?」
ルルカにとっては"お世話ができる環境"こそが何よりの報酬らしい。
そんな魔族は見たことも聞いたこともない。いや、今まさに一緒に暮らしてるんだけど。
「彼女が来てからまだ二週間ですが、私も自分の時間が取れるようになりました。まさにルルカ様様です」
「そうなの? とてもそうには見えないんだけど?」
「ノワエ様とは生活スタイルが違いますから、気づかれないかもしれませんね。早朝の鍛錬は前より長くなっていますし、夜のお風呂も少し長めに入っています。それに、私がやらなければならないことがかなり減ったので、気も楽ですよ」
「……やっぱり、いろいろと苦労を掛けていたのね」
「はい、それはもう。ニートする側はそうでもないでしょうが、お世話する側は大変なんですよ」
ディースはくすくすと笑い、肩をわずかに揺らした。いつもの余裕ある涼しい顔がほんの少し崩れ、柔らかな空気が漂う。その笑みには、長年の苦労を冗談めかして受け流す落ち着きがにじんでいる。
「ディースも笑うと、ちゃんと魔族に見えるわね」
「ノワエ様、私は一応天使です」
「そういえばそうだったわね。口が悪いから魔族と間違えるのよ」
「言い返したいのですが、それは天界にいた頃もよく言われました。"魔族みたいだ"って」
「それはそれで失礼ね。魔族だって、ディースほど口は悪くないわよ」
「そうですね。粗暴な感じはしますが……何だったら天使の方がよほど好戦的ですし」
天使にも知り合いが多いからわかるが、魔族よりも天使の方が好戦的だ。
魔界では好戦的な者は生き残れないから、勝手に淘汰されているだけかもしれない。
「それにしても、ルルカを連れて帰ったときのディースの顔と言ったら――ふふっ、傑作だったわ」
「……さすがの私でも、いきなり得体の知れない魔族を連れて帰ってこられたら驚きますよ」
いつものように玄関で待っていたディースは、私の隣にいたルルカを目にした瞬間、言葉を失ったまましばらく固まっていた。
「ディースっていつも涼しい顔をしているから、ああやって狙い通りに表情を崩せると嬉しいのよ」
「何に嬉しさを覚えているんですか……」
顔にはほとんど出ていないが、長年付き合っているからわかる。今、彼女はとても不満そうな顔をしている。
「ルルカの第一印象はどうだったの?」
「初めは刺客かと警戒していましたが、すぐに徒労だとわかりました。あの子はあまりに隙が多すぎます」
「そうね、刺客以前に魔族としてどうなの、ってレベルよね」
「はい。過去の話もしてくれましたが、なんというか、あまりに運が良すぎて本当の話なのか疑ってしまいます」
多少盛っているとは思うが、ルルカが嘘を吐くとは思えない。本人の言う通り、圧倒的なお世話スキルと運で今まで生き抜いてきたのだろう。
「ですが、ノワエ様の従者となった以上、ある程度は自衛できるようにしておかないといけません」
「そうよねぇ……」
姉さん以外の兄弟たちとは仲が悪いので、いつ本物の刺客が送り込まれてくるかわからない。
それに私の存在が世間に知れ渡ってしまえば、ややこしい輩が押し寄せてくるのは必定だ。
「ちょっとは鍛錬してみたの?」
「はい。ですが下級魔族ですし、どれだけ努力をしようとも、ノワエ様の敵になるような者には太刀打ちできないかと」
「やっぱりそうよねぇ……。私が専用の防御魔法を開発するまでは、行動を共にしてもらうしかないわね」
「はい。私の教育能力が足りず、お手数をおかけしてしまい申し訳ありません」
「ディースの教育で育たないのは本人のせいよ。……まぁ、種族の問題だからルルカに非はないわけだけど」
一番非があるのは、危ないとわかっていて採用した私だ。だからこそ、ルルカに最適な防御魔法を開発する義務がある。
「ご馳走様。今日も美味しかったわ」
「お粗末様です。今日はすべてルルカが作りましたので、ぜひ本人にお伝えください」
「ええ。じゃあ声をかけてから、鍛錬でもしてくるわ」
「行ってらっしゃいませ」
食堂を後にして外へ出ると、ルルカが私の布団を干し終えたところだった。
その横にはずらりと洗濯物が並び、夏の風に揺られて気持ちよさそうに踊っている。
「あら、もう全部終わらせたの?」
「うん。剪定もササッと済ませてあるよ。綺麗になったでしょ?」
「そう言われてみれば庭が綺麗になった……気がするわね」
ルルカが来てからはほぼ毎日やっているので、正直なところ違いはよくわからない。
「ノワエ様はお出かけ?」
「ちょっと鍛錬しようかと」
「ノワエ様、いつも鍛錬してるよねー。魔王族なんだから、何もしなくても強いんじゃないの?」
「種族と才能の壁はあるけど、結局は努力した量なのよ。魔王族だからといってだらけていたら、大した強さにはならないわ」
「お~。ノワエ様が言うと、なんか説得力ある」
軽くだが、ルルカには私の力を見せてある。実力差がありすぎて、いまいちピンと来ていない様子だったが、とにかく圧倒的に強いことだけは理解したらしい。
「あ、そうそう。先日の人間と魔族の件で、正式に協会から呼び出しがあったわ。ルルカも来てほしいってさ」
「ってことは、私も天界に行かないといけないのか……」
私だけでも十分なはずだが、事件と深く関わったルルカにも聴取を行いたいらしい。
「不安かしら?」
「そりゃ、どういうところか見当もつかないし、さすがのルルカちゃんも不安だよ」
「ま、私がいるから大丈夫よ。大船に乗ったつもりでいなさい」
「せんちょ~う、頼りにしてますぜ」
そう言いながら、ルルカが私の腕に抱き着いてきた。おどけた仕草に思わず笑みがこぼれ、お互い吹き出した。
「それじゃあ、行ってくるわ」
「うん。ディースには気合を入れてお昼ご飯を作るように言っとくから、ガッツリお腹を減らして来てね」
「わかったわ」
「気をつけてね~」
「はーい」
ルルカが来てから、館のことは滞りなく進むようになり、生活の質も見違えるほど良くなった。
(でも明日、姉さんが来るのか……)
ルルカが来てから、もう四回目のご来訪だ。本当に容赦なく遊びに来るようになった。
そのうえ、攻めまで激しくなった。この間はルルカに、私が肉眼では確認できないところまで見られ、しかもそのまま容赦なくやられた……。思い出すだけで体が熱くなる。
(って、体が熱くなってたら私も変態じゃないの)
正直、期待している自分がいる。まぁ、姉さんが相手なら嫌ではないが、とにかく健全でないことは確かだ。
雑念を振り払おうと頭を振るが、一度姉さんのことを考え出してしまうと、ずっと頭に残る。私も立派な中毒者だ。
こういう時は、きつめの鍛錬で強引に振り払うしかない。
私は足早に森の奥深くへと向かった……。
次の更新予定
魔王系少女 ぷりっつまん。 @pretzman
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