私はピエロ

佐渡 寛臣

私はピエロ

 だから私は一人でその場を立ち去った。

 どうしようもないことくらいはわかっていた。

 落ちた太陽は赤く染まって、錆びた鉄骨の白いレールを朱色に染めて、ノスタルジックなその光景は私の瞳に涙を浮かべさせた。

 ようやく流した私の涙。こぼれ落ちないようにそっと拭って、私はその場を立ち去った。




 始まりのその日、放課後の教室で、私たちは自分たちのクラスの出し物の準備をしていた。

 私は出店の看板を作る係だったのだけれど、いかんせん、不器用な私には絵を描いたり、看板を組み立てたりなんてこと、もちろん出来るわけでもなく、お手先器用さんたちの邪魔にならないように隅っこに座って、ぼんやりとその作業の様子を眺めることくらいしか出来なかった。


 目の前で筆がさっと横切る。綺麗に混ぜられた水色が薄っすらと看板にのり、鮮やかに発色する。

 彼女のその手さばきをを見て、私は一人ほぅ、と感心する。

 まるでそれは踊っているよう。不器用な私にはもはやそんな表現しか出来なくなる。絵の上で、手と筆が織り成す小さなダンス。そんなことを想像しながら、味気ないモノクロから、華やかな絵画に変わる看板の様子を眺めていた。


 この調子だったら、もう今日中には終わらせてしまいそうだった。

 嬉しさ半分、寂しさ半分と言う気持ちだった。役立たずで所在無い私にとっては、早く終わる事は喜ぶべきことだけれど、手放しでは喜べない自分がいた。

 だけどこのまま長続きされても困るには困る。


 だってまるで私、サボっているみたいじゃないか。みんなは忙しなく、分担して色を塗り分けているというのに、私はというと、線ははみ出す、色は間違える、水はこぼすわで、散々みんなに迷惑をかけた。


「とにかくそこでじっとしてて。それが一番助かるから」


 さすがにざっくりとそこまで言われれば、私も黙っているしかない。怒りはしない。だって私が悪いんだもん。

 それからしばらくして、看板の製作も終わり、途中から買い出しに出ていた男子が帰ってきて、ようやく私たちは一息ついた。


 もう、夕焼けは夜の帳に消えてしまいそうだった。

 もうすぐ始まる文化祭。全然参加してない人たちに比べれば、看板作りとはいえ、準備に携わると少しだけ楽しみになってくる。

 男子はあまりこういうのを楽しめないのか、面倒くさがってしまうみたいだ。

 みんなで、ジュースとお菓子を食べながら、そんな話で談笑する。高校も最後の文化祭だから、楽しまなくちゃ損なのにね、なんて笑っていた。

 私は、みんなにわからないように、ちらりと彼に視線を投げた。姿を見つけて、すぐに逸らす。


 目に焼きついた、彼の笑顔を思い浮かべて、わたしは高鳴る胸をそっと抑える。あぁ、笑っちゃってるよ。良い笑顔だよ。


 同じクラスになる前から、意識していた相手だった。晴れて同じクラスになっても私は話しかける勇気なんて全然なくって、だから看板係なんて出来もしない仕事を、彼がいるという理由だけで選んだ。あわよくば話しかけよう……いや、話しかけてくれるかなぁ、なんて夢見ながら。


 だけど看板も出来上がった今、この放課後のひと時はこれが最後なのだ。そう思うとやっぱり寂しい。

 ふと、視界の隅で彼が立ち上がった。コンビニの袋を片手に、座り込むみんなを避けて、私たちのグループのすぐそばに来た。

 手先の器用な彼女と、私の間にしゃがんで、彼は一言言った。


「お菓子、なんかいる?」


 何てこと無い、そんな言葉にすら私はたじろいでしまった。すぐ傍で、彼が話してる。答えないわけにはいかない。

 そんな一瞬の逡巡の中、別の女子がいとも簡単にちょーだいと、次々と言った。

 あぅあぅ、と私が内心おろおろとしていると、みんなに菓子を分け与えながら、ふっとこちらを見て、「おまえもいる?」と笑顔で言った。


 私の中で、ボンッと顔が熱くなった。熱気が外に出ちゃったんじゃないかって気がしたくらいだった。

 私はしどろもどろにこっくりとひとつ頷き、彼が手に持っていたガムを一枚もらった。


「あ、私にもガム頂戴」


 隣に座る、彼女が言った。はいよ、って彼は私に渡すと同じように、彼女にガムを手渡した。

 カムカムと、噛み締めるたびに甘い味が舌に広がった。

 本当はひとつでよかった。それ以上なんて今日は望むべきじゃないことくらいわかっていた。

 だけど、私は彼をその場に引き止めたくって、思わず口にしてしまった。


「もう一枚ちょうだい」


 私の、彼にした最後のわがままだった。




 半ばのその日は文化祭の終わり、またまた放課後の教室だった。差し込む夕焼けの中、私は、あの日から仲良くなった彼女と一緒に後片付けを終えたところだった。

 彼女はとても気持ちの良い子だった。明るい、というよりも暖かいと形容した方が似合うようなそんな子。私とはまるで正反対なんだろうな、と思うような子だ。

 恥ずかしい話だけど、こりゃ親友になれるな、とさえ思った。

 だからもう用事なんてない放課後の教室に彼女と二人で、ぺちゃくちゃと他人からしたらどうだっていい話を続けられてるんだろう。


 高校最後の文化祭の終わり、何だかセピア色に見える教室内が幻想的で、二人してその世界に酔っていたかったんだろう。

 これまた恥ずかしいことだけど、そんな思い出を残しておきたかったんだ。私たちは。

 多分他の教室にも私たちみたいな人たちがいるんだろうね、なんて笑いあって、そしてふいに会話が途切れた。

 静かな教室に、廊下から誰かが走る音が響く。ほんの一瞬の沈黙のあと、彼女が静かに、囁くように言った。


「――好きな人ができたんだ……」


 しんと静まり返る室内に、水を落とすみたいに彼女の声が響いた。

 それは、決して静寂を乱すものではなく、澄みわたった声だった。

 私は、たぶんこの時、この瞬間に全てを理解していたと思う。まだそれほど長くいたわけじゃない。だけどあの日からずっと一緒にいた彼女と同じ視線の先を見ていた私には、彼女の言う次の言葉がわかってしまった。

 そして、彼女は恥ずかしさを隠すみたいに小声で、彼の名前を口にした。

 締め付けられる胸元を呼吸を止めてやり過ごし、私は笑ってみせた。


「そうなんだ。へぇ、全然気付かなかったよ」


 ふぅん、って私は知らない振りしてわざとにやにやとして、彼女を肘でつついたりした。彼女のはにかみは、私に比べるとやっぱり可愛らしくって、私と彼女はそんなやりとりを続けた。




 私は自分の中からあふれる悲しみを作り笑顔で覆い隠した。

 そうする事しかできなかった。

 それはまるで、道化のピエロの衣装のよう。

 悲しみに歪む顔を化粧で隠して。

 満面の笑みを浮かべて。

 あの日から、ずっと同じ人を見続けた私たち。私は気付いてた。全部全部気付いてた。

 彼女が彼に惹かれていたことも。

 彼が、彼女を惹かれていたことも。




 終わりのその日、私は二人を誘って遊園地に来た。

 彼女の告白を聞いたあの日から、私は頑張って彼に近づいた。電話番号を交換して、仲良くなって。友達だって言ってもらえて。


 ときどき、三人でご飯を食べるようになった。

 ときどき、三人で遊びに行くようになった。

 だんだん、私たちの間の距離が無くなっていった。


 そして案の定、彼は私に恋の相談を持ちかけた。意地悪だけど、しょうがないよね。私は彼女の親友なんだし。

 だから、私は二人を改めて誘った。遊園地に行こうよって。

 もう季節は冬になっていた。冷たい風が頬を撫でる待ち合わせ場所。しきりに自分の姿を気にする彼女に、大丈夫だよ、可愛いよって声をかける私。自分は全然地味な服で固めて、彼が来るのを二人で待った。


 白い空は何だか低く見えて、冬の風は夏とは違って無機質な感じがして、何だかときどき怖くなる。

 時間通りに彼が来て、そして三人で遊園地に向かった。彼と彼女が私の隣で並んで歩く。彼の声が、彼女の声が冷たい風を吹き飛ばすくらい暖かく感じた。

 遊園地に入ってから、二人から離れようとした。だけど彼も彼女の私が少し遅れるだけで、立ち止まって待ってくれる。そんな優しさが私を辛く責め上げてるなんて気付きもしないで。


 そして私は二人から離れた。二人が、ベンチで休んでいる隙に、飲み物を買いに行く振りをして。


「私、帰るね」


 彼女にそう電話で告げる。彼女は困惑した様子で私に、どうして急に、って聞き返す。


 ――どうして急に? そんなの決まってるじゃないか。

 そう思いながら、私は頑張ってね、と言い残して電話の電源を切った。




 そして私は一人でその場を立ち去った。

 どうしようもないことくらいはわかっていた。

 落ちた太陽は赤く染まって、錆びた鉄骨の白いレールを朱色に染めて、ノスタルジックなその光景は私の瞳に涙を浮かべさせた。

 ようやく流した私の涙。笑顔の化粧で隠した涙。

 不器用なりに上手に消した、化粧ではないほんとの涙。

 これで二人は彼氏と彼女。

 どうしょうもないこと。わかっていたこと。

 私はただの友達に。

 変わっていく三人の関係の中、どうかそれだけは変わらないように。

 涙がこぼれ落ちないようにそっと拭って、私はその場を立ち去った。

 夜の帳が落ちる時、私はまた涙を消した。明くる朝にまた、今度は本当に笑えるように。

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