My lost memories
霜月校長
My lost memories
雑貨屋「サロメ」で働き出したのは、ゴールデンウィークが明けた頃だった。
受験を経て、花の女子高生になった私は、しかし枯れ葉のような日々を過ごしていた。
元々引っ込み思案で、小中でも友達は少なかった。そんな私は、第一印象を決定づける自己紹介で、盛大にやらかしてしまった。
「え、えと……か、かわせみっ、しろです……」
「カワセミ?なんだ鳥かよ」
げらげらと笑い出すクラスメイト。教壇に立つ私は、恥ずかしくて俯いてしまう。舌を噛んだせいで、名前が変なところで区切れてしまった。私、カワセミじゃなくて
そんなわけで、私の第一印象は「おっちょこちょいの恥ずかしがり屋」になった。まだ「おっちょこい」か「恥ずかしがり屋」のどちらかであればマシだった。前者は舐められがちだが、上手くいじってくれる人がいれば愛されキャラに昇格する。後者は接しづらいが、口数を減らして静かにしていれば、影のように周囲に溶け込める。
だけど、この二つが合わさると厄介だ。抜けている面を笑いにしようにも、シャイなのを気遣われていじられないし、ひっそりと置物に徹しようにも、ヘマをしでかして悪目立ちしてしまう。周りからすれば、私は完全に「どう接していいか分からない」腫物キャラなのだ。
こうして、友達作りに失敗して、部活にも入り損ねた私は、放課後になると、まっすぐ家に帰るしかなくなった。だけど、諸事情あってそれは嫌だったので、何か外で時間を潰す方法を考えた。その結果、バイトをしよう!と思い立ち……ちょっとした偶然で、サロメで働くことになったのだ。
「はぁ……やっぱり癒されるな、このお店……」
オーナー手作りのエプロンを付けて、今日も今日とてレジに立つ私は、店内の光景を前に、にんまりと口元を緩めた。服や時計、ネックレス等の装飾品、小物や観葉植物等のインテリア、はたまた仕入れ先不明のお菓子や飲み物まで……店内を埋め尽くす商品の全てが、もう、とにかく可愛くて仕方なかった。
私は物心ついた頃から、可愛いモノが大好きだった。同級生が鬼ごっこをする中、一人でお人形遊びや花摘みに夢中になっていた。週末には早起きしてプリキュアを観ていたし、ランドセルや学生鞄にはマスコットのキーホルダーが必須だった。
そんな私のバイト先として、この多種多様な「可愛い」が集まる雑貨屋サロメは、まさにうってつけの場所だった。
「外の世界が砂漠なら、ここはオアシスね…って、何言ってんだ私」
誰もいない店内で独りごちて、棚にある商品の位置を整える。中はこんなに素敵なのに、外観がこぢんまりして駅からも離れているサロメには、あまり客が来ない。店員は私とオーナーの二人で、そのオーナーも頻繁に店を空ける。正直、経営状態が心配だ。
でも、ちゃんと給料は出ているし、オーナーも癖は強いが良い人だ。何より可愛いモノに囲まれて働ける以上、現時点で辞めるつもりは全くない。
私はこのお店にあるもの、全てが大好きだ。家や学校での鬱屈とした気持ちも、ここにいる時だけは青空のように晴れやかに……
「……なれば、いいんだけどね」
棚に並んだぬいぐるみと目が合い、消え入りそうな声で呟く。動物をデフォルメしたぬいぐるみが、つぶらな瞳を向けてくる。その視線に責め立てられるような圧を感じて、私は静かに、目を逸らした。
「可愛い」の象徴である、ぬいぐるみ。だけど私にとって、ぬいぐるみは過去の悲しみを想起させる、苦い思い出の象徴でもあった。
「……そんな目で、見ないで」
感情のない視線を向けてくるクマのぬいぐるみを掴む。綿の柔らかな感触が、昔握ったあの人の手のひらを思い出させた。
胸の痛みに耐えきれず、ぬいぐるみを手放そうとした、その時。
「こんにちは。あなた、ここの店員さんよね?」
背後から涼し気な声がした。驚いて振り向くと、客らしき女性が立っていた。目深に被ったキャスケットの下から、じっとこちらを見つめている。私は慌てて笑顔を作って、質問に答える。
「は、はい。そうですが…」
「よかった。私、
「あ、そうですか……」
私は困惑を浮かべる。なんだこの人。背後にいたのにまるで気配を感じなかった。それに突然名乗ってくるし……しかも、どこか懐かしいというか、前に出会ったことがあるような郷愁を感じさせる。
「あの。もしかして、以前どこかで……」
目の前の彼女をつぶさに観察する。ふわっとしたキャスケットから流れる髪は長い。ぱっちりと開いた瞳に、整った顔。もこもこのニットと、短めのスカートから伸びる美脚が、可愛さと色気を混じり合わせていた。
正直、見とれるほどに綺麗な人だった。嫉妬なんて抱くのがおこがましいレベル。
「会ってなんかないわよ。それと、客を値踏みするような目で見ない」
美織さんが険を放ち、キャスケットのつばを押さえた。しまった、と私は頭を下げる。
「も、申し訳ありません!つい、見とれてしまって…」
「見とれる⁉ま、まあそれなら仕方な…じゃなくて!」
美織さんはコホンと咳払いをして、ビッ、と私の手元を指した。
「どうしてそんな泣きそうな顔で、クマさんを見つめてたの?」
美織さんに訊ねられ、ぬいぐるみを抱えたままだったことに気付く。心臓が濡れ雑巾のように引き絞られた。わずかな逡巡の後、私は口を開く。
「……昔、お気に入りだったぬいぐるみと、似ていて」
薄茶色の毛皮に、小さな耳。その可愛らしい姿は、幼い頃、いつも大事に抱きかかえていたぬいぐるみと、重なった。
「ぬいぐるみに、悲しい思い出があるのね」
何かを察したように、美織さんが言った。
「ええまあ、そんな感じです」
俯き加減で答える私に、美織さんはそれ以上追及しなかった。沈んだ気持ちを切り替えるように、私はぬいぐるみを棚に戻した。
「今日はお
やや一方的に告げて、美織さんが踵を返す。私はポカンとなるも、伝え忘れていたあることを思い出して、彼女の背中に向かって叫んだ。
「わ、わたし、美代です!河瀬美代。美しく代わる、って書きます」
ぴたっ、と美織さんの足が止まる。それから、彼女はゆっくりと振り向いて、はにかむように笑った。
「うん。じゃあ美代、またね」
ごく自然に下の名前を呼んで、美織さんはお店を後にした。私は呆気に取られて、しばらく突っ立ったままだった。
*
翌日。いつも通り学校を終え、サロメに出勤すると。
「ちょっと。この店、セキュリティ緩すぎない?」
入口の扉を開けて、真っ先に私を出迎えたのは、美織さんだった。
「わっ。もう来てたんですか」
「三十分くらい前にね。その時から、美代はおろか、他の店員が一人も見当たらないんだけど?」
キャスケットのつばの下から、鋭い眼光が放たれる。美織さんは昨日と同じ恰好だった。
「お待たせしてすみません。オーナーが外出中のようでして」
「なら施錠しなきゃダメでしょ。監視カメラもないし、この店には防犯って概念がないのかしら」
腰に手を当て、店内を見渡す美織さん。たしかにこの店の、というかオーナーの防犯意識は低い。私も働き始めた当初は戸惑った。でも実際、万引きを心配するほど客も来ないし、店の近くには交番がある。だから、あまり神経質にならなくても……
「ダメよ。女の子なんだから、ちゃんと自衛しないと」
めっ、と指を差され、「はあ」と苦い顔で頷く。な、なんで少し保護者面なんだ……
「あ、いま絶対『何この人お母さんみたい……』って思ったでしょ!」
美織さんの言葉に、一瞬、鼓動が止まる。それは彼女の指摘がニアピンだったせいではなく、私の個人的な傷を抉るものだったからだ。
「あはは……美織さん、鋭いですね」
「……?」
私の引き攣った笑みに、美織さんが眉をひそめる。不意に悲しみがこみ上げて、私は俯いてしまう。すると、美織さんが音もなく歩み寄って、そっと私の肩に手を置いた。
「もしかして……お母さんと、仲良くないの?」
気遣うような声に、堰き止めていた弱音が漏れる。
「……心配とかは、あまりされたことないかも、です」
私の両親は仲が悪い。お互いが家に居る時は何も話さず、どちらか一方が居る時は、居ない方への悪態をつく。そんな冷戦状態の余波なのか、私への愛情も希薄だ。二人はそれを、𠮟責や暴力ではなく、無干渉という手段でいつも示す。
「美代……」
美織さんの顔が曇る。するすると紐が解けるように、私の唇は言葉を継ぐ。
「昔はそんなこともなかったんですけど。ただ、ある出来事を境に、家の空気がガラリと変わって……」
そこで私は、棚の上にちょこんと座る、クマのぬいぐるみを見た。つぶらな黒目に、私と、私の手を引いて歩く、あの人の姿が映る。それは当然のように与えられ、当然のように奪われた、幸せな日々の欠片だった。
「美代!」
耳元で叫ばれ、ハッとなる。いつの間にか追憶に耽っていた。すぐに意識を戻して、肩に置かれた美織さんの手を優しく退けた。
「すみません。お客さんに、変な話しちゃって。……私、着替えてきますね」
殻に閉じこもるように、奥にある事務室に向かった。背中越しに、美織さんがやるせなく息を吐く音が聞こえた。
*
それからというもの、バイトがある日は、お店で美織さんと話すようになった。シフトを訊かれたので答えたら、美織さんがそれに合わせて訪ねてくるようになったのだ。友達もロクにいない私が、勤務一ヶ月目にして固定客ゲットである。
ただし、美織さんは売上には全く貢献してくれなかった。理由は単純。彼女は何も買わないからだ。「このネックレス可愛い~」だの「ねえねえ、このルームフレグランス、他の匂いないの?」だのと興味は示してくれるものの、購入を勧めると「いま金欠で!」の一点張り。正直、迷惑客もいいところだ。
でも、追い返す気にはならなかった。美織さん以外の客は相変わらず来ないし、それに何より、彼女と話すのは楽しかった。家にも学校にも居場所がなくて、寂しさを持て余していた私には、美織さんと過ごす賑やかな時間は、欠かせないものになっていた。
「そういえば、美織さん、前に私と同い年って言ってましたよね。学校とか、どうしてるんですか?」
変わったデザインの文房具を手に取って遊ぶ、美織さんに訊ねた。
「んー?まあちょっと、諸々の事情があって、ご無沙汰してるわね」
「またそうやってはぐらかす……」
私は溜息を吐く。美織さんはいつもこうだ。私のことは詳しく訊ねるのに、自分のことは抽象的にしか話さない。おかげで、彼女にまつわる情報が一向に増えない。
「はいはい。時が来たら、話してあげるから」
『行けたら行く』並みに信用できない台詞を吐いて、美織さんはキャスケットのつばを押さえた。美織さんは顔を隠す癖がある。それが、私の知っている数少ない特徴の一つだ。
「俺、雑貨とか興味ないって」
「ちがうちがう!目的は別だって!」
外から会話が聞こえたと思ったら、珍しく男性客が入って来た。見たところ大学生っぽい二人組だ。新鮮な来客に、いらっしゃいませー、と声がいつもより高くなる。
「ほら見ろよ。ここの店員さん、可愛くね?」
「アホかお前」
呆れる男性をよそに、もう片方の男性が迫り寄ってきた。何やら好色な気配に、私は笑顔を保ったまま警戒心を引き上げた。
「どうなさいました?何か、お探しの物でも…」
「はい!僕はずっと、あなたのような女性を探してました!どうか、結婚して下さい!」
売り物の造花を奪い取って、プロポーズのように私に差し向けてくる男性。迫真の口上とは対照的に、顔はニヤニヤと笑っていた。小馬鹿にされていることは分かったが、驚きすぎて何も言えない。
「え、ええと、その…」
「頼む!君に見捨てられたら、もう他に養ってくれる人がいな…ってギャアアアアア!」
突然、男性が絶叫した。事態が理解できず、目を丸める。男性は「いだい!いだい!」と叫んで、自分の背中に手を回していた。見ると、鋭利なコンパスの針が、シャツ越しに突き刺さっていた。
「今度は頸動脈を狙おうかしら?そうすれば、養うのは無理でも、供養くらいはしてあげられるけど?」
「み、美織さんっ!」
かちかちかち、とシャーペンをノックする彼女を全力で止める。どうやら彼女の仕業らしい。助けてくれたのは嬉しいが、流石にやりすぎだ。
「な、なんだよ急に……」
突き刺されたコンパスを抜いて、男性は不審げに眉を寄せた。私が咄嗟に謝ろうとすると、レジ奥の事務室から人が現れた。
「ちょっとぉ?揉め事なら外でしてくれるぅ?」
ウェーブがかった金髪に、塗りたくった口紅。サロメのエプロンを付けて、大きく膨らんだ胸を揺らして現れたのは。
「いったい何の騒ぎ……って男ぉ?あらまあ、しかも中々イカしてるじゃない……」
「ひいいっ⁉オ、オカマ……!」
サロメのオーナーにして女装が趣味の、
「オ、オーナー!いたんですか⁉」
驚き混じりに訊ねると、オーナーは彫りの深い顔に笑みを刻んだ。
「今さっき買い出しから帰って、裏口から入ったところよぉ。それよりみしろん、何があったのぉ?」
「突然、この人にナンパされて……」
「ふぅ~ん?みしろんに目をつけるなんて、良い趣味してるわねぇ。でも残念。彼女はウチの子だから、あんたには渡せないわぁ」
ばきっ、とオーナーが拳を鳴らす。ウィッグの髪が逆立って、パッドで盛った胸が揺れ動く。男性の顔から血の気が引いた。
「そ・の・か・わ・り、私だったら、遊んであげていいけどぉ?」
「け、けけっ、結構です!」
男性は飛び上がり、入口付近で事の成り行きを見守っていた連れの男性に駆け寄った。二人とも顔を戦慄に染めて、逃げるように店から出ていった。
「あ、ありがとうございます。助かりました……」
「いいわよ。みしろんシャイだから、ああいう男は苦手よね」
オーナーが励ますように言った。私は溜息を吐いて、それから思い出したように美織さんを見た。
「あの。この人が、オーナーの烏丸さん…」
「みしろん。私、まだ外に用事があるから、お店頼んだわね」
え、と振り向いた時には、オーナーは颯爽と手を振って場を離れていた。慌てて呼びかけるも、彼は事務室に消え、すぐに裏口の戸が閉まる音が聞こえた。
「なんていうか、独特すぎる人ね……」
「はい。多少は慣れましたけど、相変わらず振り回されます……」
美織さんと苦笑を交わす。私は事務室の扉を見やって、わずかに目を細めた。
「でも、ああ見えて、いつも私を気に掛けてくれるんです。そもそも、私がここで働き出したのだって……」
脳裏に、初めてサロメに訪れた時の情景が浮かぶ。あの時は、客として店に入った。そこで、私と同じ可愛いモノ好きのオーナーと意気投合した。その流れで、友達が出来ず、ぽっかり空いた放課後を埋めるため、バイトを探していることを相談したら。
「ちょうど良いわ。一人だと、お店を空けれなくて困ってたのよねぇ」
そう言って、向こうから私を雇ってくれたのだ。
「オーナーにも美織さんにも、気遣われてばかりで。ほんと、甲斐性のない自分が嫌になります」
「美代……」
沈痛な面持ちを向けられ、私はゆっくりと告白を始めた。
「実は私、お姉ちゃんがいたんです。美しい音と書いて、美音って名前の。歳は離れてたんですけど、優しくて、頼りがいのあるお姉ちゃんは……私の、憧れの人でした」
こくん、と美織さんが喉を鳴らす。私は話を続けた。
「でも、私が九歳の時、お姉ちゃんは交通事故で亡くなりました。その日は、姉妹でおつかいに出ていて」
クマのぬいぐるみを、小脇に抱えて。お姉ちゃんと二人、手を繋いで歩いた記憶が蘇る。
「だけど帰り道。私が、ぬいぐるみを落としてしまって。お姉ちゃんは、泣き叫ぶ私を家に帰して、一人でぬいぐるみを探しにいきました。事故は、その途中のことでした」
あの日、私は全てを失った。大好きな姉も。お気に入りのぬいぐるみも。そして、親からの愛情も。
「お姉ちゃんが亡くなってから、両親の仲はますます険悪になりました。お姉ちゃんの存在が、二人を繋ぎとめていたんです。……残った私に、代わりは務まりませんでした」
お姉ちゃんと違って、口下手でネガティブな私が、二人の仲をとりなすのは無理だった。
「……ごめんなさい。突然、こんな話しちゃって。ほんと、私ってダメダメですね」
悔しさを誤魔化すように、ちろっ、と舌を出す。すると、それまで沈黙を保っていた美織さんが、ゆっくりと首を振った。
「美代は偉いよ。過去の出来事や、自分の内面と、真摯に向き合ってる。他人を気遣うフリをして、自分の悩みから逃げる言い訳を作ったりせずに……私も、あなたみたいに生きたかった」
「え?な、なんですか急に」
突然べた褒めされ、瞬きを繰り返す。美織さんは、何かを決意するように頷いた。
「明日、このお店に、あるものを届けるわ。美代宛てだから、ちゃんと受け取ってね」
美織さんの手が、私の頭に置かれた。よしよし、と撫でられ、顔の温度が上がる。
「ちょっ、美織さん…」
「あはは。このくらい、許してよ」
美織さんが笑った。やがて、私の頭から手を離すと、「じゃあね」と名残惜しそうに呟き、店から出ていった。
*
翌日。学校帰りに出勤すると、店内の様子が変わっていることに気付いた。
それもそのはず。レジの上に、ぬいぐるみが置いてあったのだ。薄茶色の毛皮に、小さな耳。私はその、黒いつぶらな瞳と目が合った瞬間――手に持っていた鞄を落とした。
「なんで、このぬいぐるみが……?」
ひどく懐かしい、クマのぬいぐるみを抱き上げる。それは七年前、お姉ちゃんとのおつかい帰りに、私が落としたものに違いなかった。
『明日、このお店に、あるものを届けるわ。美代宛てだから、ちゃんと受け取ってね』
不意に、美織さんの言葉を思い出す。まさか彼女が?でも、どうして……
その時。クマのお尻から、一枚の紙がひらりと落ちた。手紙が付いていたらしい。私は、床に落ちたそれを拾い、綴られた文字に、目を凝らした。
『美代へ
ようやく、このぬいぐるみを渡すことができました。本当は、出会ってすぐに渡したかったのですが、このクマさんは、美代にとって悲しい思い出の象徴でもあったので、躊躇ってしまいました。
けれど美代は、私の想像以上に、立派に成長していました。だから、ぬいぐるみを渡しても大丈夫だと判断しました。美代は強い子です。私なんかより、ずっと。だからもっと、胸を張って生きて下さい。
あの日、美代にクマさんを届けられなかったことが、唯一の心残りでした。だけど、それも解消できたので、ようやくこの世を去れそうです。今日まで、かけがえのない時間をありがとう。
お母さんたちのことは、気にし過ぎないでね。もし辛くなったら、オーナーさんや、頼れる大人に相談してね。決して独りだと思わないで下さい。私も美代のこと、どこかで必ず、見守っているから。
追伸 今まで、隠しててごめんね。
あなたのことが大好きな、お姉ちゃんより』
「うそ……」
脳が、理解を放棄していた。ぼーっと遠くで耳鳴りがして、何も考えることができない。やがて、海の底で命が生まれるように、空っぽの頭に、美織さんの笑顔が浮かんだ。
その面差しが、記憶の中のお姉ちゃんと重なった時。瞳から、涙がこぼれた。
「――お姉ちゃんっ……!」
昨日までそこにあった、姉の温もりを求めるように。クマのぬいぐるみを抱き締めて、そのまま、果てるまで泣き続けた。
*
「お父さん、お母さん」
その晩。バイトを終え、家に帰った私は、いつもと同じ仏頂面の二人に話しかけた。
「このぬいぐるみ、憶えてる?」
クマさんを抱きかかえた途端、二人の目が見開かれる。その反応に、私の口角が自然に上がった。
「美織さんって人が、届けてくれたんだけどね……」
〈了〉
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