私は天国に行けない

 首から下を喪ったあの時、私は焦りと絶望でいっぱいの中、どこかでやっと解放されるとも思っていた。

 この惨めで醜い生への執着を、ようやく捨てることができると。


 ずっと、私は自分が生き残ることしか考えてこなかった。

 百年前、強盗に刺されて瀕死の私は、様子を見ていた伯爵の手で吸血鬼にされた。お前に死後の救いはない。生きるしかないのだと告げられた時から。

 私は、いつだって自分が生きながらえることしか考えていない。真昼があの男に犯されているのも見逃した。保身のために、真昼に取り入った。


「気にしないで、ライラのためだもん。ライラは、ホントのヒーローなんだもん……ヒーローを守るためなら、何だってする」


 私を抱きしめながら、自分に言い聞かせるように囁くのを聞いて、私は安堵した。騙されてくれててよかった、と。

 私が正義だと勘違いしてくれて。

 真昼は、昔の私が正義感から悪人を狩っていたと信じ込んでいた。

 最初に私を飼っていた男が、殺し屋を求めていただけだ。

 居場所と血を提供してもらうために働いて、時に裏切られ、時にこちらから裏切り、私の暴力を欲する連中のところを渡り歩いてきただけだ。

 だから当然、時には無辜の市民にだって手をかけた。権力者や大犯罪者の死のように目立たないだけだ。

 吸血鬼の存在、私の性質と弱点が知れ渡り敵対組織が銀の武器を取り揃えると、私はあっさりと始末されることに決まった。

 寸前で逃げだし、下水に潜んでホームレスの血を啜る生活を送ったのも、もちろん私が自分の身が一番かわいいからだ。そんな暮らしの中で、新婚旅行中の朝海たちと出会った。

 二人とも、私の悪事をしかたなかったんだと言った。そうするしかなかったのだと。きっと私の外見が子供だからだろう。

 真昼に至っては知りもせず、一緒に育った、お姉さん、途中からは妹になった私を純粋無垢にヒーローと信じていた。

 いや、もしかしたら、どこかで知ったのかも知れない。自分はヒーローを守っている。二人でヒーローになる。そこに縋るしかなかったのかも知れない。

 たとえ汐を告発したところで、真昼の求める正当な罰は下らない。だから自力で罰するしかない。世界に正義がないなら自分の正義を実行していくだけと。

 

 あまりの惨めさに、時々圧し潰されそうになった。私は汚い。ただただ生きるためだけの生き物だ。真昼に犠牲を強いて、そして何を為すわけでもない。

 本当はあの時、死ぬべきだった。

 風波に襲われた日、銃弾を躱しただけでいい気になった私は聖銀の帷子に気づかず蹴って脚が消し飛び、唖然としているまま、ガスで放たれた刃に首を刈られた。

 けど、朝海は風波に嬲られながらも私を死ぬまで隠しきって、私は生き残ってしまった。私を守るためだけに、真昼は汐に犯され続けた。時には朝海の死んだ場所で。それを私は、ただただ我が身可愛さに見逃した。

 真昼が、私の母がつけていた香水をつけたがったのは、汐の匂いをごまかしたかったからなのも知っているのに。 

 私とライラだけの、ヒーローの匂いとあの子は笑っていた。笑顔の下にあるものを全て見てきたのに。

 汐を始末したら死のうと思っていた。真昼を私から解放してやろうと。

 でもきっと、たとえ全てが上手くいったとしても私は死を選ばないかった。わかっていた。死にたくないから。自分が一番可愛いから。

 だけど地獄で待ってると言って、真昼が何をしたのか察した時、私は心の底から願った。

 私は今すぐ地獄へ落ちていい。

 助けて。真昼を助けて。

 神様。


「ま ひ る に は わ す れ て と つ た え て」

「……嫌だよ」


 窓を塞がれた面会室。神野太陽は私の唇の動きが理解できたようで、すぐに苦い表情を浮かべた。

 彼は、代理でここへ来ている。収監されている真昼の代理で。

 あの時、窓から飛び降りた真昼を、探偵と刑事が救った。

 追いすがった探偵が真昼の腕を掴み、自身も肋骨にヒビが入りながら刑事と共に真昼を引っ張り上げたのだ。

 死なせてよと、電話の向こうで真昼が叫ぶ。


「やめてくれ。

 汚い真似をする奴らがいるなら、罪を暴いて後悔させてやる。天国にはほど遠いが、本当の地獄よりマシと言い張る余地はまだあるはずだ。

 キミも加賀美ライラも生きている。地獄に行くには早すぎる」


 彼はそう語った。私も真昼も、それから汐もパソコン内の画像を証拠に逮捕された。


 彼はああ言ったけれど、現実には汐はきっと後悔せず十年足らずで外へ出るだろうし、私は間もなく地獄へ行く。裁判で死刑を求刑されたし、神野太陽は諦めるなと散々言ってきたけど、争う気はないと伝えてある。


「再審請求とか……無理でも、時間稼ぎでも、今すぐ死ぬよりずっとマシじゃんか」

「い や」

「生きようよ。いつか出所した真昼にだって会えるよ」


 目の前の彼は本当に、私に生きていてほしいのだろう。別れたくない。この世界に少しでも長く居座ってほしいと。

 この痛切な願いは、彼が自身の過ちを悔いているからだろうか。


 かつて、人を殺していることを。


 それでも、私と彼はちがう。

 私と真昼は、彼と月生とはちがう。

 私達は、殺人のパートナーでしかいられない。自分の無価値と惨めさを、同類を殺し続けることで正当化するだけ。そんな醜悪な真似に、私は妹を巻き込んできた。

 だからせめてできることは、真昼から離れることだけ。ようやくその機会がやってきたのだ。彼のヘブンにいていいのは真昼だけだ。私はいなくなるべきだ。

 帰り際の彼に、もう来ないでと、それから頼み事をした。


「ま ひ る を」

「ま も っ て あ げ て」


 彼は泣き笑いのような顔をして答えた。


「当たり前じゃん」

「ヘブン探偵事務所にお任せを」


・・・


 裁判から程なくして、加賀美ライラの死刑執行のニュースが流れた。

 彼女を捕まえた二人の探偵はその日もいつもと変わらず人探しの依頼を請負い、ただ太陽の声は真上の部屋の大家曰く、わざとらしいほど明るかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吸血鬼に向いてる職業 ヰ坂暁 @sunlight

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画