満ち欠け

沙華やや子

満ち欠け

 イヤリングにしたいような、キュートな三日月が浮かんでいる。今夜はなぜか月光で揺れてるみたいに見える。だから、よけいにアクセサリーのよう。


 未名波みなみはベランダで手を伸ばす。てのひらに光が当たりぬくもりを感じた。

「ハ~…」深いため息をつく。スキなんて言えない。あたしはお店で働き始めて半年のホステス。昼の部だ。

 片想いの彼、天流てるは『クラブ鈴音すずね』のボーイだ。未名波みなみの入店前からお店で働いている。店長は嘘か本当か、冗談交じりに職場恋愛禁止だなんて面接で言っていたし。

 少し遅いデビューなのかな? …水商売が初めての未名波みなみは現在32才だ。ほかの嬢にも人気があるイイ男の天流てるは、よく噂にのぼっているゆえ未名波みなみ天流てるが38才だと聞いた。もっと若く見えるけど…

 天流てるはとてもまじめで働きもの。店内清掃や、お客様が帰ったあとの片付けも非常に手際が良い。店長の右腕だ。


 クラブ鈴音のウェイティングルームは個室じゃないので、先輩の子達もいる。内気な未名波みなみにはけっこうストレス… 職場に限らず友達なんていない欲しいとも思っていない。けれど、みな新人の未名波みなみに興味津々で「お家近いの?」だとか「それどこの口紅? 良い色ね」「彼氏いんの?」などなど、ほっておいてほしいことを訊いてくる。お客様を待ってなきゃならない時間。他に逃げ場がないので、未名波みなみは適当に合わせ受け答えしている。…疲れる。たぶん向いていない。実はお客様にも相当疲れる。しかし、前職の事務の仕事を辞めて次の仕事を見つけるまで、ホステスで凌ぐと決めたのだ。


 そんな塩梅で、いつものように賑やかなウェイティングルームに天流てるが顔をのぞかせた。「弥生やよいさん、新規のお客様、行けますか?」「ええ、いいわよ」弥生さんはおしゃべりで明るくふっくらとした可愛い女性だ。ちょっとうるさい感じ。

 しばらくすると、そう、ものの五分もしない内にムスっとした顔で弥生さんがテーブルからお客様を残したままウェイティングルームへ帰ってきた。即座に「未名波みなみさん、お願いします」と天流てる。弥生さんはぶつくさ言った「なによあの客、『デブは要らねーよ』だってさ!」カンカンだ。やだな~と、未名波みなみは思ったが、嫌だという訳に行かない、仕事だ。お客様の席についた。お客様は上機嫌だ。少しほっとした。未名波みなみはお酒が飲めないのでオレンジジュースを天流てるにお願いした。

 嬢にあるまじき心の持ちようかも知れぬが、目の前のお客様の事よりもお客様のビールと自分のジュースを運んできてくれた天流てるのスマートさに目がハートになる未名波みなみ

 未名波みなみはお客様のグラスに瓶ビールを注ぎ乾杯をした。上機嫌だが、何か横柄な雰囲気のするお客様の仕事の愚痴を丁寧に聴いていた。

 次第にお客は未名波みなみの事を根掘り葉掘り訊き始めた。「入店してどれぐらい?」や「お酒は全く飲めないの?」なんて話は良かった。が、だんだん気分を害されるような質問が始まった。体のスリーサイズや、男性経験がどうだとか、挙げ句の果てには「この後ラブホへ行こうよ。何時に終わるの?」…さすがに耐え切れなくなってきた。そして、ボディタッチをしてきたのだ。おやじ、蛸みたいに口を伸ばしてチッスまでねだり始めた!

(やだ~! なにっ?! どうしよう!!)あたふたしている未名波みなみの所へサッと天流てるがやって来た。

「お客様、当店はそういったお店ではございませんので、女の子に触れる事はお辞めになって下さい」キッパリとそう言う。すると蛸おやじはいかり出し「うるさい! そんな覚悟ねー女は働かすなよ!」などと言い始めた。未名波みなみはなんだか自分自身が情けなくなってきた。ほかの先輩嬢であれば、上手にいなせたんじゃないか…あたしが会話が下手だから…一瞬の間にあれこれ考えていると、天流てるが言った「未名波みなみさん、下がって」「は、はい」未名波みなみはウェイティングルームのほうへベソをかきそうになりつつ向かう。その時天流てるをチラッと見ると、アニメのヒーローが怒った時のような凄まじいオーラが発せられていた。「天流てるさん、こ・こわぃ」とちょっと思った。客も天流てるの凄味にビビったのか、「あ、ああわかったよ、俺が悪かった。また来るよ」と言う。そうして会計を済ませ帰って行った。


 ウェイティングルームでは天流てるがやっぱりカッコいいと嬢の間でどよめきが起こっていた。未名波みなみは縮こまっていた。自分が悪いような気すらしてきてしまったのだ。あのタコスケのほうが悪いのに。


 夜の部の子達と交代だ。未名波みなみは上がりの時刻だ。ロッカールームで服を着替える前に、ウェイティングルームで使っていた自分のグラスを洗い場に持って行った。するとちょうど天流てるが灰皿を洗っていた。「あ…」「ああ、未名波みなみさん、お疲れ。大丈夫ですか?」「あ、あたし…あたしは大丈夫です、すみません天流てるさん…」天流てるは水道の水を止めてタオルで手を拭いた「ン?」「あの、あたしが旨くお客様に合わせられなくて…助けていただき、申し訳ないです」すると天流てるは言った「謝らないの。未名波みなみさん、何も悪くないんだから。悪いのはあのオヤジじゃん? お客様と言えどもマナーは守ってもらわなきゃ」

 優しい天流てるの言葉は力強く、未名波みなみはすごく嬉しくなった。「ありがとうございます!」未名波みなみが頭を下げると黒髪ロングヘアーもいっしょに垂れた。天流てるはニッコリし「どういたしまして!」と穏やかな声で言った。…さっきのあの、悪役を倒すヒーローみたいな仁王のようなオーラは見当たらない。


 今宵は先日よりもお月様がふっくらしている。クロワッサンみたい。あれ? あたしおなかすいてる? キャハ♪

 ン~…天流てるさん、月が綺麗ですね! …なんちゃって。

…愛を告げられないな~。恥ずかしいよ。でも、いつか。

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満ち欠け 沙華やや子 @shaka_yayako

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