「じっとしててね……ここ、痛い?」

「いいえ、まったく」

「ならよかった……けど、ちょっと傷んでるね。そろそろ新しいのに取り代えようか」

「必要ありません」

「えっえっ、代えようよ!?ポキッといったら絶対痛いよ!」


 魔女さまは私の右手を両手で包みこみ、「ね?」と眉尻を下げた。

 開け放たれた窓から、昼下がりの森の風がふっと吹き込む。魔女さまはベッドに腰かける私の正面に跪き、生真面目な手つきで私の体を検分していた。医者にかかるというのはきっとこんな気分なんだろうな、とどうでもいいことを思う。

 彼女いわく、私の指は古くなったせいで強度が下がり、脆くなっているのだそうだ。このままではそう遠くないうちに折れてしまうと言う。

 私たちホムンクルスには成長も老化もない。ただ、少しずつ身体が擦り切れ、ほつれ、いつかは壊れてしまうだけだ。長く持たせたところで、さして意味があるとは思えなかった。


 それに、今となっては貴重な「素材」をこんなことに消費している場合じゃないことくらい、魔女さまにも分かっているはずだ。

「今地下室に残っているのは、せいぜい三人分でしょう。私のことはいいので、早く新たな『私』を造ってください」

「何言ってるの……こういうのは、早いうちに手を打たないと。細かい傷が重なれば、いつかは身体の芯まで悪くなっちゃうよ。君、死んじゃうかもしれないんだよ?」

「それでも構いません」


 魔女さまは、というか私でさえも忘れてしまいがちだけれど、ホムンクルスは生き物ではないのだ。「死んじゃう」という表現は正確ではない。

「リ、リリィ……もしかして拗ねてる?」

「拗ねてません。なぜそう思うのですか」

「や……なんか最近、いつにもましてそっけないような気がして。あっ、別に責めてるわけじゃないよ。ただ何か、僕にしてほしいこととかやめてほしいこととかあったら、何でも言ってほしいな」

 気弱そうに見上げられると、自分がいじめっ子になったようで居心地が悪い。

 とはいえ別に、魔女さまに望むことなんて……と思いかけて、少し考え直す。

「教えてほしいことならあります」

「なっ、なに?」

「……リリアンが出て行った日から、ずっと思っていたのですが」


 リリアン。彼女の名前を出すと、魔女さまはほんの一瞬、ぽかんとした顔で私を見た。

それからすぐ、困ったように微笑んで、「ああ、あの子」と小さく呟いた。

 魔女さまにとって、彼女は無数の「リリィ」の一人でしかない。名前を忘れるのも仕方がないことだ。

 私は妙に乾いた唇を舐めて、息を吸った。が、なんとなく踏ん切りがつかずに、そのまま小さく吐き出す。

「はっ!……もしかしてリリィ、あの子が出て行ってさびしい?」

「そんなわけないでしょう。私はあなたが……わざと、あのような個体を造ったんじゃないかと」

 風が少し強くなった。聞こえるのは木々の葉が擦れる音だけだ。私はどうしても、魔女さまの顔を見ることができなかった。ずっと二人で暮らしてきて、こんな気まずさを覚えるのは初めてのことだった。少なくとも、私にとっては。


「ねえリリィ、どうしてそう思ったの」

 沈黙を破った魔女さまの声は、どこか固く冷めているような気がした。それが本当のことなのか、私の錯覚なのかは分からない。

「……私たちリリィはみな、魔女さまを愛するように造られています。だけどリリアンはそうじゃなかった」

「う、うん。どうしてかあの子、僕のことが嫌いだったみたい。きっとまた、僕が何か間違ってしまったんだよ。上手に造ってあげられなかったから……」

「本当にそうでしょうか。創造主を愛するなんて、私たちにとっては息をするのと同じくらい当たり前のことなのに」

 リリアン以前の私たちには、必ず何かが欠けていた。脳、内臓、四肢、皮膚……私はと言うと、心以外に何もない。顔も身体も魔女さまの借り物で、正しいリリィになるには足りないものばかりだ。

「魔女さまはリリアンを、わざとリリィにしなかったのではありませんか。あなたの魔法なら、あの子の心を変えるくらい簡単だったはずなのに」

 例えば、私の頭の中身を取り出して、リリアンに詰めることだってできたはずだ。成功したかは定かでないけれど、試す価値くらいはあったはずなのに。


 不意に魔女さまが立ち上がった。同時に、私の右手を握っていた白い両手がするりと解けて、私の首筋に触れる。

 見上げると、魔女さまはいつになく柔らかに笑って、両手にほんの少し力を込めた。

「魔女さま……」

「君はそんなこと考えなくていい」

 気道を押しつぶされるかと身構えたが、魔女さまの手は優しく肌の上を滑るだけだった。

「君もリリアンも、今まで造ってきたリリィたちみんな、僕の大好きなリリィなんだ。生まれてきてくれてよかったって、ずっと思ってるよ」

 喉仏のあたりを這っていた細い指が、右の耳たぶまで伸びていったかと思うと、ゆっくり鎖骨まで下りていく。ほくろを探しているんだと、ようやく気付いた。

 途端に馬鹿らしくなって、私はいつの間にか止めていた息を長く吐いた。一度安心してしまうと、なんだか恥ずかしいような妙な心地がじわじわとこみ上げて、ふっと顔を逸らす。新たな異変に気付いてしまったのはその時だった。

 彼女の背後で、白いカーテンが奇妙な形に膨らんでいる。


「魔女さま」

「うん?」

 私の視線にも、硬い声音にも気づかないのか、魔女さまは私を撫で続ける。

「あの、後ろ……」

 魔女さまは目を瞬いて、何を勘違いしたのか照れたように笑った。そろそろと指先を私のうなじに伸ばしてきたので、慌てて振り払う。

「あっ!ごごごごごめんね嫌だった!?ご、ごめん、ごめん……」

「そうじゃありません、魔女さま」

「ぼ、僕、昔からこうなんだ。リリィの気持ちを勝手に分かったつもりになって、でも本当は全然違くて、そのせいで……」

「後ろを見てください。侵入者です」

「え」


 魔女さまが振り向いたちょうどその時、カーテンの裏側から痩せた子供が一人、ひょこりと顔を覗かせた。私たちと目が合うと、彼は凍りついて、見る見るうちに青ざめていった。

「あ、あ、黒い魔女……黒い魔女が、二人も!」

 乾いた唇から漏れた言葉は酷く震えている。魔女さまのことを恐れているのだ。つい先ほどまでの私と同じように。


 魔女さまは困惑の表情で私を見た。それから少年に視線を戻し、

「き、君、僕のこと知ってる、の?」

「ベラ!ベラぁ!僕はもうダメだ、君だけでも逃げて!」

 少年に質問は届いていないようで、彼は息も絶え絶えに叫んだ。気の毒な魔女さまはダラダラと汗をかきながら、少年に歩み寄って肩をさすってやる。少年はますます怯えて、床に崩れ落ちた。


 どうしたものかと思案していた私の背中に、突然嫌な気配が押し寄せた。なんとも説明しがたい、暗い圧迫感。

 咄嗟に振り返ると、そこに立っていたのは赤い髪の少女だった。背丈は少年と同じくらいで、血色の良い頬はリンゴのようだ。彼女は口の前に人差し指を立てて、呆気に取られる私に静かな視線を送っていた。


 徐々に、少年の発作のような泣き声が弱まってくる。そのタイミングを見計らったように、少女はこほんと咳を一つして、口を開いた。

「勝手にお邪魔してごめんなさいね、黒い魔女。今日は、あなたにお願いがあるの」

「ひゃあ!?」

 少女はスカートの裾を持ち上げて、絵に描いたような可憐なお辞儀をした。一方魔女さまは、見たことがないほど情けない顔でじわじわと後ずさる。少年は変わらず震えながらも、目線は少女に釘付けだった。それからはっと思い出したように、

「ベラ!ここは危なすぎるよ、本物の幽霊屋敷だ!みんな、この魔女が殺したんだ!」

 少女は気づかわしげに少年を一瞥した。

「彼は少し動転しているみたい。霊感の強い子で、こういう呪われた場所に来るのは初めてなの」


「お嬢さんがた、魔女さまは多忙なのです。どなたか存じませんが、ご用件があるなら私が伺いましょう」

 私はそう言って少女の肩に手をやり、軽く制止した。が、彼女はそんなこと意に介さないようで、不思議そうに魔女さまに尋ねるだけだった。

「ねえ『黒い魔女』、このホムンクルスはなぜあなたと同じ顔をしているの?」

「え、えっと、その子は試作品で……」

「試作品?なんの?」

「あの、話せば長くなるんだけど、僕は……」

「別にどうでもいいわ。お願いさえ聞いてもらえれば。ね?」

 少女にそう言われ、少年は顔をさっと上げた。私と魔女さまを交互に見て、少し落ち着きを取り戻したらしい。

 ばつが悪そうに下唇を噛みつつも、自身の上着の懐から、遠慮がちな手つきで何かを取り出した。


「と、鳥?」

 魔女さまの間の抜けた呟きに、少女は小さく頷く。

「羽を痛めてしまったの。私には何もしてあげられないし、医者たちは今じゃ誰も彼も大忙しか、永遠に休業してるかのどっちかでしょ」

「……っお、お願いします、黒い魔女……さん。この子の怪我を治してくれませんか……?」

 少年はぎゅっと目を瞑り、頭を下げた。

 彼の手の中で大人しくしている小鳥を観察する。全身は茶色と灰色の中間のようなくすんだ色で覆われているが、顔から胸にかけては夕日の色に似たオレンジが差している。血が滲んで乾いたのかと思ったが、ただの模様らしい。

 赤毛の少女は上目遣いで魔女さまを見つめ、「お願い」と囁いた。透明な声がやけに重く響く。断ることは許さないと言いたいらしい。

 魔女さまはふらふらと、小鳥に手を伸ばした。羽に触れられても鳥は動じない。

「あ、あのね、元に戻してあげることはできると思う。けど、その」

「ほんとうですか!」

 魔女さまの声を遮って、少年が明るく叫ぶ。彼はさっきまでの態度が嘘のように目を輝かせ、期待に満ちた幼い顔で魔女さまを見上げた。

 魔女さまは観念したように目を伏せ、こくこくと頷いた。ちらりとこちらに視線を投げてきたので、私はあからさまに嫌な顔をして見せた。


 少女は「決まりね」と、少年から小鳥をそっと取り上げて、魔女さまに優しく押し付けた。

「う……それじゃ僕とリリィは下の階で処置をしてくるから、君はベラ……ちゃんと一緒に、ここで待ってて」

「はい!……ありがとうございます、黒い魔女さん。……あの、さっきは酷いこと言ってしまってごめんなさい」

「気にしなくていいよ……ね、リリィ、行こう」




 私と魔女さまは連れ添って廊下に出て、扉を閉めた。途端、魔女さまが早足で部屋から遠ざかっていく。私は慌てて追いかけた。

「そんなにビクビクすることないでしょう、なぜあんな相手の言うことを聞き入れてしまったのです」

「リ、リ、リリィ、あいつはヤバいよ!」

 魔女さまは速度を落とさず廊下を抜けると、転げ落ちそうな勢いで階段を下っていった。踊り場に差し掛かるったときにようやく立ち止まり、私にぐっと顔を寄せて囁く。

「あ、あいつは……あの女の子は『赤い魔女』。僕をこの屋敷に封印した奴だよ。超強くて超怖い魔女!」

「見たところ、普通の少女のようでしたが。それに、自分ではその小鳥を治せないとか言っていたような」

「嘘をついてるのかもしれないし、もしかしたら本当に弱って魔法が使えなくなったのかもしれない。けど、だとしても僕よりはずっと強いと思う……。機嫌を損ねるようなことをすれば、殺されるかも」


 採光用の大きなすりガラスを通して、青白く弱い光が室内に落ちている。まだ早い時間なのに、外はもう暗くなりはじめていた。

「そもそも、生き物の治療なんてできるんですか?」

「えっと……無理。ホムンクルスならともかく、血の通った動物の身体はすごく複雑で、とても僕には扱えないんだ」

「ですよね。どうするんです」

「だ、大丈夫!僕の魔法でなんとかするよ」

 訝しげに目を細めた私に、魔女さまは得意そうに口元を緩めて見せた。

「要は、この子を元に戻してあげればいいんだよ。難しく考えなくたって、いつものやり方で十分なはず」




 魔女さまがその部屋の扉を開くと、独特の臭気が襲い掛かってきた。カビに埃に薬、それに混じって、うっすら鉄くさい匂いが鼻の奥をズンと重くする。

 真っ先に目に飛び込むのは、迫るように並び立つ本棚と、中央に置かれたマットレスも布団もない簡素なベッド。いつ見てもちぐはぐな印象だ。

 ここは魔女さまの研究室。私たちリリィは、みなここで生まれた。


 魔女さまはベッドに小鳥を降ろした。これが命のない者ばかりを載せてきた手術台だとも知らず、小鳥は不思議そうにうろつきまわる。流石に落ち着きを失くしつつあるようだが、羽根の怪我のせいか飛び立とうとはしなかった。

 魔女さまが慎重に小鳥を押さえつけている間、私は近くにある棚の引き出しを開けて、必要な道具が入った木の箱と、鉄のお盆を取り出した。

 箱の蓋を開けて、中身を盆に並べる。ナイフのようなもの、錐状のもの、ハンマーのような形をしたもの、箸のようなもの。どれも銀色で、冷たい光を放っていた。

 私は盆を持って、魔女さまの隣に立った。魔女さまは盆の上をちらりと見て、錐のように尖ったものを指さした。それを手に取って渡す。いつも通りの流れで、魔法が始まった。

 小鳥は魔女さまの左手の中で暴れている。

 ここは幽霊屋敷なのだと、あの少年は言った。確かに、そうかもしれない。

 現に今、私の耳元ではリリィの幽霊たちが囁いている。馬鹿な魔女、ひどい魔女、こんなやり方であの男の子が喜ぶはずがないわ、と。

 心底煩わしいけれど、両手が塞がっているので耳を塞ぐこともできない。私は諦めてただ、魔女さまが小鳥を切り開いていくのを静かに見守ることにした。

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私と魔女さま 鳩鳩 @kaiki02

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