掌の中
とつじ
掌の中 本編
掌にすっぽり収まる私を、彼奴はやけに大事そうに両手で包み込んでいた。
「かわいいなあ。お前、ちっちゃくなっても眉間に皺寄せてんのな」
と、得意げに笑う顔が真上にある。
私は寒さに弱いからだろうか、彼の掌の温もりが存外心地よく、つい抗弁を忘れてしまう。
「……くだらん。私を玩具扱いするな」
と言っても、奴は耳を貸さずに頬ずりしてくる。
「お前、こうしてたら俺だけのものだな。逃げられやしない」
彼の声には、母性とも執着とも言えぬ甘やかさが滲んでいる。
私は内心で――理性は反発しつつも、掌の中で抱え込まれる安堵に身を委ねてしまう。
彼の手の温もりと、奇妙なほど無垢な笑みのせいで。
奴の手はしばらくは子供のように無邪気に私を撫で、指先で髪を梳き、掌にすり寄せては「ほんとにかわいいなあ」と飽きずに繰り返していた。
その笑顔に、私は安堵とも羞恥ともつかぬ感情を覚えながら、ただ彼の体温に包まれていた。
だが――その目に、ふっと別の光が差す。
ほんの瞬きほどの間に、甘やかさから衝動へと切り替わる。
「……でもさ。お前、ちっちゃいと壊したくなるな」
次の瞬間、巨きな指が私の足をつまみ上げる。
ぞっとする力のこもり方に抗議の声を上げる暇もなく、関節が引き裂かれる感覚が走る。
骨ごと引き裂かれる痛みに、喉から声が漏れる。だが彼は止まらない。
「おお、外れた。簡単にちぎれるな……ほんと、お前って愛しい」
血をまじまじと眺め、笑う。
指先にこびりついた赤を舌で舐め取り、陶然と目を細める。
「……もっとだ。どこまで壊れるか見たい」
彼にとって私は愛玩と破壊の境界線にある存在にすぎない。
その事実が、理性を持つ私には何より残酷だった。
掌の上で、私はもう小さな肉塊のように転がっていた。
四肢は、先ほどの衝動に任せた彼の指先に一つずつもぎ取られ、掌の血溜まりに沈んでいる。
体が小さい分、痛みは刺すように全身を貫き、声が掠れて出ない。
「……っ、あ……やめ……」
ようやく絞り出した声は悲鳴というより嗚咽に近かった。
涙がぽろぽろと頬を伝い、掌の血と混ざって赤くにじむ。
「かわいいなあ、」
彼奴は、まるで虫かごの中の小動物でも覗くように私を見下ろし、血に濡れた指先で頬を撫でた。
私はもう理性を張りつける余裕もなく、ただ子供のように嗚咽を漏らし続ける。
「……やだ、やだ……お前……お前……」
その言葉は、怒りでも恨みでもなく、痛みと恐怖と、かすかな縋りつきの混ざった声だった。
奴はその声を聞きながら、ますます愉快そうに目を細める。
「もっと泣けよ。お前が泣くと、俺の中の何かが満たされる」
──その残酷さは、もはや悪意ですらなく、ただ無邪気な破壊衝動と愛玩欲が混じったものだった。
彼奴は、掌に残った私の小さな体を優しく包み込む。
だがその「優しさ」は、安堵を与えるものではなく、さらなる恐怖の前兆だった。
「よしよし……怖くないよ」
そう囁きながら、彼は血まみれの指で私の頬や髪を撫でる。
掌の中の体はひどく痛み、嗚咽が止まらない。
そして、視線を落とす。
私の四肢――腕も脚も、もぎ取られ、掌の脇に転がっている。
「……これも、お前の一部だな」
彼は血塗れの小さな手足をつかみ、ゆっくりと口元へ運ぶ。
その動作はまるで菓子を口に運ぶかのように自然で、残酷さが際立つ。
私は目を見開き、声にならない嗚咽を漏らすしかなかった。
しかし、奴は意に介さず、むしゃむしゃと噛み、血の味を楽しむかのように目を細めた。
「お前のこと、全部ほしいんだよ……」
笑みの奥に、愛玩と破壊の両方が交錯する。
その掌の中の私は、ただ震え、泣き、絶望に溺れるばかりだった。
その掌は、もはや優しくも慈しみ深くもない。
小さくなった私を包み込むその手のひらは、圧倒的な力で、まるで私を一瞬で消し去れる凶器に変わっていた。
「……ちっちゃくなったお前、どれくらい潰れるか試してみるか」
その声は、甘さと残酷さが混じり合い、背筋を凍らせる。
私は思わず身を縮め、嗚咽しながら首を振る。
だが、掌は迷いなく迫ってくる。指先の圧力が胸に、腹に、脆くなった体中にかかり、ぐしゃりと押しつぶされそうな恐怖が全身を貫く。
「いや……や、やめ……やめろ……!」
声は嗚咽に消え、理性は完全に崩壊していた。
眼前で微笑む彼奴の顔は、愛玩欲に満ちた獰猛な獣のそれ。
私の小さな体は、掌の圧力に耐えきれず、骨や肉の感触が歪むたびに、絶望が全身に広がる。
涙と血が混ざった視界の中で、ただ「潰されるかもしれない」という恐怖だけが確かに存在し、私はその絶望の渦に呑まれていった。
もう満足したのか、殊の外あっけなく外された指が、血でぬめる私の体をゆっくりと持ち上げる。
小さな体は抵抗も出来ず、ただ震えながら空中に晒される。
「……なあ、田村。お前、自分のこと食える?」
その声は、子供が無邪気に質問するような調子なのに、底なしの狂気が透けて見える。
私は恐怖で目を見開いたまま、何度も「いやだ、やめろ」と叫ぶが、声にならない。
容赦のない指先は、血で濡れた小さな腕を摘まみ、私の口元へ押し当てる。
血の匂い、鉄の味、掌の熱、圧迫感。
そのすべてが重なって、吐き気と眩暈が襲う。
それは間違いなく、ついさっきまで私の体の一部だったもの。
けれどいま、その「私」は私の外にあり、奴の玩具になっている。
「ほら、ちゃんとお前の一部、返してやるよ」
彼の声は、優しく子どもをあやすようでいて、底の方に不気味な歓喜が混じっている。
その指が、血の滴る手足を私の口元へ押し付けてくる。
鉄の匂いと皮膚の温もりが鼻腔を突き、口の中に押し込まれた瞬間、
――自分の体を噛んでいるのか、別の何かを噛んでいるのか、境界がわからなくなった。
味覚が、自分自身の輪郭を溶かしていく。
皮膚の感触、血の味、痛みと吐き気が一度に押し寄せ、頭の奥が真っ白になる。
「これは私だ」「いや、これはもう私じゃない」という声が交錯し、
自分の肉体と自分の意識とが剥がれ落ち、溶けていくような感覚に囚われる。
涙と血が混じった口元から、嗚咽が洩れる。
恐怖でも、嫌悪でも、屈辱でもなく、もはや何か名前のないものに飲み込まれていく。
彼奴はその顔を覗き込み、うっとりとしたように微笑んだ。
「……ほら、境目、なくなっていくな。いい顔だ」
その囁きが、最後の境界線すら奪っていくように響いた。
掌の中で崩れ落ちていく私の姿を、まるで愛らしい小動物を眺めるかのように見下ろしていた。
小さく震え、嗚咽を漏らし、血に濡れた体の輪郭を失いつつある私――そのすべてが、彼の目には悦楽の対象として映っている。
「……ああ、お前、ほんとに……いい顔してるな」
囁きには甘さも含まれるが、底には破壊衝動と愛玩欲が混ざり、全身をぞくりとさせる冷たさがあった。
指先で髪を撫で、頬を撫で、掌で転がすたびに、私の意識はさらに曖昧になり、存在感が削がれていく。
「……ほら、もっと溶けろ。全部、俺のものになるんだ」
そう言いながら、うっとりとした表情で私を見下ろす視線に、私は理性も意識も吸い取られるような感覚に陥った。
掌の中で、私はもうただの玩具でしかない。
血と涙にまみれ、輪郭を失った小さな存在として、完璧に支配されていた。
私は深い絶望に堕ち、意識を失った。
目を開けると、そこは士官学校の自室だった。
薄い朝の光、白いシーツ、隣でいつものように寝息を立てる彼奴の顔。
掌を見下ろすと、血はない。ただ、皮膚の奥にまだ鉄の味とぬめりの幻覚が残っている。
「……ふざけるな……」
喉の奥で嗚咽のような声が零れる。
彼奴が目を覚まし、寝ぼけた顔で笑った。
「おはよう。……悪い夢でも見たのか?」
無邪気な笑みの奥に、夢の中の狂気が一瞬だけ重なって見えた気がして、私は言葉を失った。
掌の中 とつじ @totuji
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