スペイン 風巡る

@my4136

第1話 

「バレンシアに入りました。サービスエリアで、三十分の休憩です」

添乗員さんの声が、バスの前方から聞こえてきた。昼下がりのまったりとした空気に包まれていた車内が、ざわざわ動き始めた。


おとといバルセロナに到着。昨日、一月六日はクリスマス休暇最後の祝日で、市内の道路はガラガラ。おかげで、普段は車窓から見学するガウディ建築をバスを下車して、じっくり見学することが出来た。シャッターが降り、静まり返った市内で、サグラダ・ファミリアの周辺だけは、たくさんの観光客。ツアーに同行する決まりになっている現地ガイドさんによると、これですごく空いているらしい。

「ガウディのお墓が、教会内にあるんですよね、どこですか?」

「ん~、普段は案内しないけれど、空いているから、特別ね」

案内された所で、下を見ると、真っ白な空間に小さなお墓があった。そっと手を合わせる。宗教は違っていても、相手を思う気持ちがあれば、伝わると思うから・・・、ただ感謝。前回、この事を帰国してから知って、馬鹿だあ~と自分の不勉強さを嘆いた。


実は、スペインは二度目。卒業旅行で、友人と来ている、今回は一人参加。面白いことに、全く同じ日付に出国している。十数年ぶりに訪れたサグラダ・ファミリアは、驚きの変貌。前は工事現場のように資材が積まれ、屋根が有るような無いような状態なので、鳩がバタバタ飛んでいたのに。

赤、青、黄、緑、ステンドグラスから差し込む光が、高く伸びる真っ白の木が天井を支える教会の中を染める。前回、ぐるぐるぐるぐる螺旋階段を登った屋上は、楽々エレベーター、文明開化だ。前はバルセロナの街が見渡せたのに、塔やオブジェがかなり建てられていて、出来なくなっていた。完成したら、また来たいなと思った。いつになるのか、その時私はいくつなのか、神のみぞ知る。でも、完成しない事にも、意味があるのかも・・・。


今日は、郊外のガウディ作品を周り、昼食後、地中海に沿った道路をひたすら南下。クリスマス休暇開けなので、自動車の交通量が劇的に増加。夕食までには、アンダルシア地方のグラナダに到着予定。前回は、バルセロナとグラナダ間は飛行機、グラナダとマドリード間は夜行列車だったので、こうして車窓から都市間の景色を眺めるのは初めて。陽射しが強い、冬でこれっていうことは、夏はどうなるのかな。後で添乗員さんに聞いたら、四十度は当たり前で、日陰の取り合いになるらしい・・・・・。バスのカーテンを閉めても、織り目の間から、針のように差し込んで来る、痛い程。

「到着しました」


カラカラの冷たい乾いた風が、バスを降りた私の頬をかすめる。日差しが強いので、それほど寒さは感じない。サービスエリアの端まで歩くとさすがバレンシア地方、一直線に何十列も植えられたオレンジ畑が果てが見えない程、続いている。でも、生食用の収穫時期は過ぎているそうで、濃い緑色が残る木にオレンジ色はどこにも無かった。街路樹にオレンジが実っている町があったけれど、加工用なのでかなり酸っぱいらしい、落ちていた実を拾って食べたツアーの人が言っていたので、確か。こっちの品種の収穫期は、一月になってから。

売店に入るとツアーの人が、アイスのケースを覗き込んで、悩み中。

「どうしたんですか?」

「美味しそうなんだけれど、大きいのよね」

「う~ん、確かに」

チョココーティングされたバニラバーアイスは、手のひらサイズ。日本の物より一回り大きい。

「陽射しが強くて、バスの中が暑かったから、大丈夫かも。それに、ただ食べたい」

「そうね・・・」

美味しい、甘い、やっぱり大きかった。でも、バスに持ち込んじゃダメって、ドライバーさんが・・・。オレンジ畑を眺めながら、頑張って完食。


バスの中は、再びまったり。しばらくすると傾き始めた太陽が、空の端を少しずつオレンジ色に染め始める。強い陽射しを避けるために閉めていたカーテンをわずかにめくる。

「ここ・・・、知ってる」

サファイア色の透明な空、白い壁のような崖、雨がいつ降ったのか分からないほど乾燥した白い大地、そして今にも枯れそうなブドウ畑。

ギターの音色が頭に響く・・・。


《緩やかなウェーブがかかった長い髪を、小さな布で縛っただけ。男物のシャツの袖を短く切り、繕い直し、なんの飾りも無い物を着ている。洗いざらしたスカートの裾は、土埃で染まる。なのに、彼女は光輝いている。弾ける笑顔、明るい笑い声、かき鳴らされるギターにあわせ、くるくる回る身体、男達は皆、一度は彼女に惚れる。私は・・・、いや俺は広場のすみで、彼女を見つめる。けっして、視線が合うことはない》


《満月の夜、濃紺の空、月光に浮かび上がる白い大地、枯れ木のような葡萄の畑。一本だけ残る大木に下がるランプの灯り。周囲に転がる石を積み上げた、一部屋だけの小屋。つま弾かれるギターの音。ただそれだけが響く、静寂の夜》


子供の頃、といっても中学生か高校生になっていた。公共放送のスペシャルで、ガウディの特集を観た時か、図書館で建築の本を読んだ時か、何が切っ掛けか確かなところは忘れてしまったけれど、ガウディを知った後、二つの夢を見るようになった。自分は、冴えない、貧しい、そんな男。皆の前で弾く勇気もないギターをつま弾くのが、長い夜を過ごす楽しみ。時々、思い出すように繰り返し見る、二つの夢。妙にスペインに惹かれ、第二語学にスペイン語がある大学を探し、進学した。めったに行けない海外旅行、それもヨーロッパなんて遠い所に行くのだから、行ったことが無いところにすれば良いのにと自分でも思っていたのに、またスペインに来てしまった、そのわけが分かった。あの男は、かつての私。そして、この真っ白の大地は、かつて暮らしたところ。・・・帰ってきた。


「お疲れさまでした。グラナダに入りました。まもなく、ホテルです。修道院を改修したホテルなので、内装が綺麗ですよ」

添乗員さんの声に、濡れた目元をこする。すっかり日も落ち、アラビアの気配を残す町の明かりがまぶしい。


不思議なことに、旅の後、夢を見ることがなくなった。かつての自分の心を、あの地に置いてきたからだろうか?でも、けっして忘れない、もう一人の私を・・・。

彼女の髪の色が、亜麻色だということをこの間、手芸番組を観て知った。


これは、本当の話。



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