兄がハズレになりまして 〜追放の条件〜

テンタクルス

兄がハズレになりまして 〜追放の条件~

「レオン、あなたをアステリア家から追放します」



 静まり返った大広間に、俺の声だけが落ちた。


 父も母も、家臣たちも目を剥き、愕然として兄を見た。


 兄――レオン・アステリアは、ただ穏やかに微笑む。いつものように。


 俺はその笑みがいちばん嫌いだった。優しすぎて、何も責めないからだ。



 この国では十五歳になると、神殿でそれぞれの【スキル】を授かる。


 貴族にとっては当主を決める指標でもあり、家の行く末すら左右する重大事だ。


 兄が十五になった年、祭壇に光が降り、石板に刻まれた文字はこう告げた。



【灰寄せ】



 床の塵や灰を寄せ集める、ただそれだけの【スキル】。


 父の顔が見る間に強張り、母は笑みを凍らせた。


 家臣たちは目を逸らし、噂は瞬く間に街へ落ちた。


「名門アステリアの長男、ハズレスキル」


 けれど兄は眉一つ動かさなかった。


「掃除が早くなるな」


 そう笑って、翌日には納屋から倉庫まで、灰や煤をすべて纏めてしまった。


 使用人が三日はかかる仕事を半日で終わらせ、感謝されても謙遜するだけ。



 俺はその姿に、子どもの頃の記憶を重ねていた。


 剣の稽古で倒れ込んだ俺を、兄は真っ先に庇ってくれた。


 剣は不得意だったはずなのに、叱られてでも俺を守ろうとする。


 あの背中を、俺はずっと追いかけてきた。


 だからこそ、兄を尊敬している。


 この気持ちは、どんな【スキル】を得ようと変わらない。



 ――一年後。


 俺が十五になり、神殿の光は石板にこう刻んだ。



真読しんどく



 その瞬間、神殿の巫女は息を呑み、膝を折った。


「……【真読しんどく】……千年に一度現れるかどうかの、神に最も近い【スキル】です……!」


 父は歓声を上げ、母は涙を流した。


 家臣たちは一斉に頭を垂れ、王都から来ていた高官すら膝を折る。


 次期当主は俺だ――誰もがそう確信していた。



 俺はただ立ち尽くす。


 そんなにすごいものなら、どうして俺なんだ。


 兄の方がずっとふさわしいのに。



 だから、最初に【真読しんどく】を試したのは、兄の【スキル】だった。


 目を閉じ、意識を集中させる。


 視界に淡い光の石板が浮かび上がり、【灰寄せ】の文字が刻まれる。



 ――藁にもすがる思いだった。


 兄が“ハズレ”のはずがない。


 あの人を知る俺には断言できる。


 万にひとつでも、この石板のどこかに光が潜んでいるなら、見つけてみせる。



 石板に浮かぶ説明文を凝視する。



【灰寄せ……塵、煤、燃え残りを集める】



 一見すれば、やはりただの清掃。


 誰が見ても無価値な力だ。


 それでも俺は食い下がった。


 どこかに光があるはずだ。


 兄の魂に見合う力が隠されているはずだ――。



 諦めかけた瞬間、胸の奥から強い願いが込み上げた。



(頼む……兄さんの力に意味を与えてくれ。あの人の優しさが、無駄だなんてことは絶対にありえないんだ!)



 その叫びに応じるように、石板が軋みを上げて輝きを放った。


 文字が震え、重なり合い、やがて全く別の文へと変容していく。



【灰寄せ……古き火床の残滓を集束する。灰とは過去に燃えた証、記録、塵芥。追放きずなを断たれることにより条件達成、真名解禁。真名――〈灰界にて終焉を謳う鎮魂歌アッシュ・カタストロフィ・レクイエム〉。灰は集い、死に絶えた炎の記憶を呼び覚ます。英雄級【スキル】に昇格】



 俺は言葉を失った。


 胸の奥を雷に撃たれたような衝撃。


 全身が震え、呼吸さえ忘れて立ち尽くした。



 やはり――兄は特別だ。


 俺の憧れで、尊敬する人で。


 誰よりも優しく、誰よりも強い。



 それなのに、どうしてだ。


 この真名を解き放つには、俺自身が兄を追放しなければならないなんて。



 嬉しさと絶望が同時に胸を掻きむしる。


 涙が滲んだ。


 兄が英雄になる未来を見つけてしまった。


 だが、それは俺が兄を切り捨てた先にしか存在しない。



 こんな真実を、誰に語れるというのだ。


 父や母に? 家臣に? 誰も信じはしない。


 いや、信じてもらいたいのは俺の方だ。


 兄が“本物”だと証明されてほしいのは、俺自身の願望にすぎない。



 【真読しんどく】は間違えない。


 間違えるのは、信じたい自分の方だ。



 その頃から、兄は少しずつ家の中で外されていった。


 会議から外され、宴席でも末席に。


 人々の口の端には「灰寄せの長男」という蔑みがついて回る。



 やがて、王都から黒い報せが届いた。


 北境の封印が揺らぎ、古き火脈が目覚めつつあるという。



 父は深刻な面持ちで告げた。

「三日後、大広間にて一族と家臣を集め、評定を開く。……アステリア家の行く末を決めねばならん」



 名門の威信を保つため、親族や領民の代表、さらには北境からの使者まで呼ばれることになった。

 人々は皆、誰が当主となるのか――そして【灰寄せ】しか持たない長男をどう扱うのか――を見届けようとしていた。



 俺は兄の部屋から、机に置かれていた古びた髪紐を手に取った。


 兄が幼い頃から肌身離さず持ち続けているものだ。



「……レオン、あなたをアステリア家から追放します」



 苦し紛れにそう告げ、【真読しんどく】を起動する。


 だが、何も変わらなかった。



【灰寄せ……塵、煤、燃え残りを集める】



 やはり駄目だ。


 どれほど大切な品であろうと、形だけの追放では神は認めない。


 血を分けた弟自身が、公の場で兄を切り捨てる――それだけが条件だ。



「……こんなやり方で済めばよかったのに」



 髪紐を握りしめ、裏庭の灰山を蹴った。


 細かな灰が舞い上がり、喉に苦い粉を残す。


 八つ当たりにすぎないと分かっていても、足は止められなかった。



「ヴィル、こんな所で何をしてるんだ?」



 振り返ると、兄が立っていた。


 俺は慌てて髪紐を背に隠した。


 兄は近づき、俺の肩に触れる。



「灰がついてるぞ。……まったく、ヴィルはそそっかしいな」



 そう言って、そっと手で払ってくれた。


 その笑みは変わらない。


 何も知らず、誰も責めず、どこまでも優しい兄のままだった。



 ――俺は、兄を追放しなければならない。


 世界を救うために。


 けれど俺が救いたいのは、世界よりも兄だ。


 その兄を、この手で切り捨てろと、それでも神は俺に命じる。



 どうして俺なんだ。


 なぜ兄じゃなく、俺に【真読しんどく】を与えたんだ。



 俺は悩み続けた。


 兄を救いたい気持ちと、追放という条件の残酷さの狭間で。


 だが時は待ってくれない。


 三日後の評定の日は、否応なく訪れる。



 ――そして、約束の日が来た。



 大広間に人が集まる。


 父母、家臣、親族、客人。北境の代表まで来ている。



 俺は歩み出て、兄の前に立った。


 兄は微笑む。


 ああほんとうに、優しすぎる人だ。


 だから俺が、醜さを引き受ける。



「レオン、あなたをアステリア家から追放します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

兄がハズレになりまして 〜追放の条件〜 テンタクルス @ikaikaika_Alefgard

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ