死の女は男性器を世界は言葉にセックスをする

鯖色

改稿版 本文

 女は死んだ。女は死んでいない。女は生きている。女は死ぬ。女は生きている。女は死ぬ時になって初めて死に、それはまだ先のことのように思えたが、結局のところ女は死んだも同然だった。しかし、この曖昧な状態をなんと言えば良いのかは分からない。女、は、死んだ?


 ──おい左馬よ、セックスをしてやろう。したいのだろう? セックスが。

 ──誰だ。

 ──私、私は女で、女であるところの私には固有名がありながら、お前によって女と呼び慣らわされているがために、女という以上の説明は加えられず、むしろ、お前に対して女という説明以上は説明から逸脱してしまう気もする、抽象的な存在なのかもしれない、女……。

 ──自分のことを抽象的な存在などと韜晦めいたことを言えるだけの自我はあるわけだ。君には。

 ──なんとでも取るがいい。それで、するのか、しないのか。

 ──ああ、セックス。それは世界との合一、女性器に深く男性器を埋めることによって得られる第六の感覚器によって、神を知覚するための儀式。その遂行者は、女というレンズ越しに遥か深海の暗がりまでをも見通すことになるという、あの……。


「それからどうしたの」

「え?」

「君は、そのこの世のものとは思われない謎の儀式をしたの?」

「いや、この話はここで終わりだ。続きはあるが、前には進まない」

「終わりなことはないでしょ」

「少なくとも、貴方の期待には添えない。セックスをする、しないといった決断とその先に待つ巨大な運命を私は引き受けなかった」

「?」

「そのあと、私は確かに自らの男性器をあの女の女性器に入れた筈だ。或いは、入れなかったかもしれない。男性器を女性器に入れないセックスというものがあれば、きっと我々はそれをしたのだ。或いは、鍵穴に差し込むようにして男性器を差し込み、女性器の中で回転させたかもしれない。しかしいずれにせよ、それによって得たものは忘我や涅槃の境地ではなかった。ある意味においては至極単純な答えになるだろうが、私はその時を境にそれまでの私ではなくなっただけだ。世界との合一の兆しは未だない」

「ふむ。じゃあ、君はセックスをしたのではないね」

「何だと」

「セックスの本然の在り方というものを、まだ捉えられていないようだから」

「本然の、在り方……」


 私の男性器は絶えず膨張と収縮を続け、好むと好まざるとに拘わらず射精を繰り返す。当然のことながら、射精によって世界は変わらない。認識も、恐らく変わらないでいるはずだ。私の射精はこの世界において、全くと言っていいほど意味を持たず、セックスもまた然り、と言うわけだ。あれから女は現れない。つまり、女性器はなく、乳房も臀部もない。腹も、肩も、首も、瞳も、踝も……そこに女、はいない。女がいないことと世界の認識が変わらないこととの関係とは何であろう。もちろん、私がセックスにありつけず、惨めな生活を送っていることとの関係も無関係とは言えないだろう。私は、何がなんでもセックスがしたいわけではなかったけけれど、セックスをしないで生きているのは不服であった。それは殆ど、セックスにありつけない自分への不服と呼んでも差し支えない。そうでないなら、私はそもそもあの女に出会わなかった筈だ。私と女が出会ったのは、想いの強さ故だろうか、前世の徳の高さ故だろうか。そうでないとは誰も言えないだろうが、それらは明確な理由でもない。もっと純粋に、ただ世界から要請されたのだ。私はまだ実在感を持ったものとして世界が掴めず、そのために言葉によって世界を解体する羽目に陥った。ありふれた言い訳だ。であるからこそ言葉が呪文となって人を突き落とし、突き刺さり、突き上げるのもありふれた光景でしかない。言葉は交わされるが何処まで行っても交われることはない。その言葉の先で、男性器は……。


 ──おい左馬。お前の男性器はなんだ。

 ──私の男性器はなんでしょうか。

 ──そんなことも分からないのか。その男性器は、月だ。

 ──月なんですか。

 ──そうだ。水も空気もなく、そこでは誰も暮らせない。

 ──私の男性器は誰も救えないのでしょうか。

 ──そうだ。お前の男性器は誰かに見られることはあっても、誰かを見ることな出来ない。不具の感覚器だ。外界への不完全な触手だ。不完全な勃起だ。

 ──すみません、私は勃起不全ではないと思いますが。

 ──そういうことを言っているのではない!

 ──しかし。しかし、私の男性器は、喋れます。聞くことはできませんが、喋ることはできます。

 ──お前は、誰もいないも同然の世界で、その言葉という精液を排泄し続けられるのか?

 ──……。

 ──どうなんだ!


「そして、僕は男性器から言葉を吐いた」

「なんて?」

「それはまだ不完全な言葉だったから、文字には記そうと思っても記さないだろうけど、確かに言葉だったんだ」

「それで、月の王になったのか」

「まあ、そうだね」

「なんで、そんなことをしようと思ったの」

「そんなこと?」

「普通はしないよ、そういうことを」

「また、女に会いたかったから」

「その女、に?」

「たぶん」

「会えそう?」

「まだ分からない」


 女が世界にいないことはないが、その名前のない道を歩んでいる時ほど世界にいると実感したこともなかった。名前のない道は、山道であり岩場で、突風が吹けば女性器もろとも、女は死ぬ。女はロープを手繰って、突風が吹かない内に上を目指していた。女が世界の中でロープを手繰り上を目指すことに、暗喩的な意味を見いだそうとする者もいる筈だが、その場には誰もいなかったから、誰もそんなことは思わなかったし、女もまさか自分に暗喩的な意味を見出そうなどとはしなかった。山の遠くで、男性器が突風に煽られて折れた。子供に遊ばれて倒れたゴムのポールのように、もうその男性器が立つことはなかった。その男性器は、女の女性器に入ったことがなかった。対して女の女性器には、色々なものが入っては出ていったから、一体何が入ったもので、何がまだ入っていないものなのか、女自身も分からなかった。いや、そもそも意識していなかった。女が山の中腹で放尿したとき、男性器を折られた男の憎しみがあれば、そこで竹槍でも刺したかもしれない。しかし、それで一体なんになろう。女の一人を殺しても何にもならないことを、男は分かっていた。それでか、女の女性器には竹槍も何も刺さらなかった。ただ、女が熊笹の葉で女性器を拭いたとき、女性器を切り裂いて血が迸った。血の色は濃かった。それがその時の女の、世界にいるという感覚を強めた。


 ──熊笹なぞで、女性器を拭くものではありませんよ。

 ──けれど、何もなかったのよ。

 ──いや、他にもいくつもあった。植物や鉱物に限らず、生き物の死骸もあれば、人間の捨てて行ったものもあった。お前はその中からわざわざ熊笹の葉を選んだ。

 ──いいじゃない、別に。そりゃ、衛生的ではないでしょうが、ないよりはいいでしょ。熊笹だって、比較的マシよ。

 ──お前は男性器を入れるべきだった。

 ──は?

 ──お前はそこに落ちている偽の男性器によって女性器を塞ぐべきだった。塞がなかったから、今もこうして荒魂の私と話す羽目になっている。荒魂ばかりではない、なにもかもお前を破壊しにくる。

 ──知ったこっちゃないわよ、何それ。

 ──熊笹なぞ、真ん中に裂け目を入れれば女性器そのものではないか。お前は自らの背負う女性器の業に傷をつけられたのだ。

 ──荒魂が、いい加減なことをほざく。何でもかんでも、私の中でいい加減なことを。去れ!


「山、良かったよ」

「そう、帰ろう」

「あ、うん。本当に行かなくて良かったの?」

「海が好きだから」

「海って、月の?」

「……山は虫が多くて嫌い」

「まあ、そうだね」

「今凄く緑臭いよ」

「え、嫌だな」

「青臭いっていうべきなのかな」

「どっちでも同じだよ。えー、嫌だなあ」

「まるで冷たい緑内障が世界を霞ませていくように」

「『ザ・ロード』って、もっといい文章他にあったと思うけど」

「山って老いた感じがするよ。それで緑臭いのかな。緑内障ってなったことないから、緑なのかわからないけど、臭いのかな。目ヤニとかは匂いあるよね。まあ、山って別に目とかないし、こういうの意味ないか。いや、たまに連想というか、喋り続けてないと落ち着かなくて今それになってる、気づいてると思うけど」

「窒息しそうだよ」

「別にいいよ」


 私は荒魂だかまつろわぬ神だか分からない何かが自分の中に入ってきた感覚を、数年前に精神を病んでいたときの感覚のようだと思った。それは、あの体験自体が病的というのではなく、精神を病んでいると自分の中に自分ではない、しかし自分から乱反射して帰ってきたようなものが流入してくる感覚があったからだと覚えているからだが、具体的には思い出せない。家の近くに幾つも竹が生えているところがあるが、そこを通るたびに何かを思い出そうとして上手くいかない。ただ、青緑の縦線としてしか、思っていなかった竹が、何かに見える。それは分断というよりは、何か異なるもの同士を貫通するためにあるように見える。それは、文字の素材に見える。天井に入った亀裂に見える。私はそこを過ぎて家に帰りつく。知らない男がいる。男は私を知っているようだ。彼にはすべてが把握されている、ようだ。


 ──何故逃げる、何故隠れる。

 ──私は、あの人を知らない。

 ──逃げるな、隠れるな。

 ──あの人は、私を大きな、嬰児のような大きな目で見てきた。それが怖い。

 ──お前はセックスされたのだ。

 ──してないよ、私してないよ。

 ──あの男はすべて知っているかもしれないし、お前はあの男の何も知らずにいるかもしれないが、やがてあの男のいる場所は戻らねばならない。

 ──なんでなの。

 ──あいつは彼岸のその始め、元の彼だ。

 ──元の彼。


「やあ、セックスをしましょう」

「嫌です、私はあなたとはしたくありません」

「セックスはあなたをしたがっています」

「嫌です、あなたとは私したくありません」

「私のセックスはあなたの女性器に入ることです」

「嫌です。なんで、セックスをされなきゃいけないんですか」

「理由なんてものはない。セックスはやがて行われる」

「でも、今じゃない」

「ですが、やがて行われます」

「ならそれまでに、お前を殺す」


 私は日が昇る前に公園に行き、そこで一番高い木に鋼鉄のロープを結わえつけて、全身にガソリンをかけて、睡眠薬を大量に飲んでから、マッチを擦って全身に着火し、慌てて首を吊った。死んでいる私を、日が昇ってから見つけるであろう通行人には申し訳ないが、こうでもしないことには不安で仕方なく、また不安に耐え絶望に耐えて毎日生き抜くことも不可能に思えた。意識は体から遠ざかって、木の下に溜まっていった。少しずつ溶けた意識が、ぶら下がっている木の下の方に溜まっていると、意識は意識していた。でも、段々論理的に考えれば火で燃えて空気中に消えるんじゃないかと思った頃には、空気中に霧散して、その一部に自分がなっているつもりだった。目がなかった、視野がないが、薄ぼんやりと知覚できる世界は、静かで、後ろから、音がした。


 ──俺は死んだか。

 ──俺、は死んでないよ。

 ──そうか、死ねなかったのか。

 ──君が飲んだ睡眠薬は致死量には遠く及ばなかったし、君が全身にかけたのはガソリンではなく灯油で、それも火は早々に消えてしまっていた。首は吊れていたが、それも家にいないのを不審がった君の親が見つけて、助け出した。

 ──ああ。大変な迷惑をかけたなあ。

 ──でも、君はもう余程死にたいということだろうから、後日改まって殺されるかもしれないよ。

 ──そう、殺されるのか。

 ──嫌?

 ──嫌には違いないけれど、そうと言える筋合いはないから、殺されても仕方ない。

 ──今は病院だが、意識だけが分裂してしまっている君をどうにか、どこかへ飛ばせないものか。

 ──やってみれば?

 ──そうだな。


「お名前と今何日か分かりますか?

「左馬二郎、何日かは分かりませんが八月です」

「はい、分かりました。では、暫く安静にしていてくださいね」

「あの」

「なんですか」

「僕は死ぬんでしょうか」

「まだ確かなことは言えませんが、山場は過ぎたと思いますよ」

「そうですか、ありがとうございます」


 私は安らかだった。病的の静かで明るい空気と医師や看護師の配慮された対応のために、私は安らかな気持ちで数日を過ごせた。身体の調子はところどころ悪く、感情にも波があったが、概ね安らかで、常に交響楽に身を委ねているようだった。願わくば永遠にここで暮らしていたかった。段々と歩けるようになってしまうので、それが悲しかった。私の体は回復していた。回復することによって、私は元の世界に組み込まれ直された。死とセックスの世界だ。少なくとも、私にはそう見える世界だ。手元にペンと紙があったから、それに色々とメモ書きをした気がする。元は数独のための紙で、看護師に頼んで得たその紙は、私は数独は苦手なので、数独には使われなかったその紙は、裏返されてメモ書きに使われた。メモ書きはこうだ。「コーヒーのミルク、フレッシュと言ったかもしれない、それを垂らすみたいに、意識と時間は流れる」それからこうだ。「幼い頃に自分がこうなっているのを見たら、なんと言ったろう、なんと声をかけたろう。私は幼い私と話しがしたかった。幼い頃の私しか相応しい話し相手はいないように思える。」そして、「この世界の象徴としての女に抱擁されて、安らかに首を折れれば」だ。


 ──あなたは何を考えているの?

 ──私は死とセックスのことを、女と言葉のことを、世界と男性器のことを考えています。

 ──なんで?

 ──意味はないさ。

 ──なんで意味はないの?

 ──僕は卑怯な方法を、つまり子供の面倒な質問を躱すために話題を逸らすという方法をとるけど、僕はどう見える?

 ──痛そう。

 ──なんでかな?

 ──首にプラスチックついてるし、手に包帯ついてるから。

 ──それと、顔から赤い傷が見えるからかな。

 ──そう。で、なんで意味ないの?

 ──いいね。意味はなくてもいいと思ったからね。結局、永遠に不利な戦いを強いられるてるのに、意味とか言ってられないんだよ。

 ──戦ってないじゃん。

 ──戦ってるよ。君とかを守るために。君とかを僕みたいなのから守るために。

 ──ふーん。もう帰るね。

 ──そう。じゃあね。


「君は俺とセックスをしなければならないよ」

「嫌」

「美しい目だ」

「見ないでください」

「本当に美しいよ、君は。絶滅危惧種のトカゲみたいな白い肌だね」

「やめてください」

「セックスをしよう、俺と。それが世界のためだ、お互いのためにもなる」

「私のためになんかならなくていいです、世界のためなんて尚更です。私はあなたを拒絶しています。それ以上近寄るなら、殺します」

「そうか。でも、いつまでもそうはしていられないよ」

「でもそれは、目の前のあなたを殺さな理由にはなりません」

「何が何でもセックスをしないと」

「はい」

「君を月の王とセックスさせようとしていたのだが……」

「知らない」

「知ってたはずだけど、知らないか」

「まあ、そういう星の元の生れなんだろうな」

「誰が?」

「誰でもないけど」


 煌々と照らされていた女体は消える。一切の灯りとともに消えて、見えなくなる。散り散りになってしまう。何も言えない。何もないも同然の世界。或いは、その闇の中でセックスが始まる。でも、やはり、何もない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死の女は男性器を世界は言葉にセックスをする 鯖色 @sava_iro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る