【声劇台本】台本本編

※配役検索に役立ててください。

☆:ヴィンセント

△:エレナ / ニュースキャスター


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


【Ⅰ】


☆ヴィンセント(M):――静寂せいじゃく

           久しぶりだ、こんなに心が落ち着く時間は。

           この絵を見ていると、昔の事を思い出す。

           ……彼女も美術館が好きだった。

           いつも俺のとなりで、こうして絵について語ってくれた。

           「この画家は何を伝えったのかしら?」って、

           いつもそんな風に問いかけてきた。

           俺はいつも答えにまって……


△エレナ:あの……すいません。


☆ヴィンセント:……何か?


△エレナ:こちらの作品、とても興味深くて。

     一人で見ているより、どなたかと感想を共有できたらと

     思ったのですが……お邪魔じゃまでしたか?


☆ヴィンセント:いや、構わない。


△エレナ:ありがとうございます。

     ――本当に素晴すばらしい作品ですね。

     光の表現が……まるで絵の中にまれそうになります。


☆ヴィンセント:あぁ……フェルメールの技法ぎほう模倣もほうした

        作品だが、中々なかなか出来できだ。

        特に、このあおの使い方は秀逸しゅういつだ。


△エレナ:ウルトラマリン……でしょうか?

     この深い青色は。


☆ヴィンセント:よくわかるな、その通りだ。

        ラピスラズリから作られる、最も高価な顔料がんりょうのひとつだ。


△エレナ:昔は、金よりも高価だったと聞いたことがあります。

     だからこそ、聖母せいぼマリアのローブに使われることが多かったとか。


☆ヴィンセント:随分ずいぶんくわしいんだな。

        美術史を学んだことでもあるのか?


△エレナ:大学で少し。

     でも、本格的に学んだわけではありません。

     ただ……美しいものを見ていると、心が安らぐんです。


☆ヴィンセント(M):興味深い女性だ。

           知識もあるし、何よりも声に品がある。

           だが……時折見せる視線が、何か計算めいたものを感じる。

           考えすぎかもしれないが。


△エレナ:光の使い方が絶妙ぜつみょうですよね。

     特に、少女のほほむ光と、背景のやみのコントラスト。

     まるで生と死の境界線を表現しているみたい。


☆ヴィンセント:鋭い観察だ。

        確かに、この作品にはそういった二元性にげんせいが表現されている。


△エレナ:二元性にげんせい……ですか?


☆ヴィンセント:光と闇、生と死、美と恐怖……

        相反あいはんするものが同時に存在している。

        それが人間の本質なのかもしれない。


△エレナ:なるほど……とても哲学的てつがくてき解釈かいしゃくですね。

     あなたも美術にくわしい方なのでしょうか?


☆ヴィンセント:なに、趣味しゅみ程度のものだよ。

        ただ……長い間、様々なものを見てきた。

        ヒトの表情を含めて。


△エレナ:ヒトの表情……ですか。

     それもまた芸術の一部なのかもしれませんね。

     喜び、悲しみ、恐れ……人間の感情すべてが、顔にきざまれていく。


☆ヴィンセント:そうだな……そして時には、その表情が

        最も美しい芸術になることもある。


△エレナ:この絵のタイトルは何というのでしょう?


☆ヴィンセント:――『死と乙女』。

        古典的なテーマのひとつだ。


△エレナ:『死と乙女』……なんだが、美しくもかなしい響きですね。


☆ヴィンセント:『死と乙女』というテーマは、古典絵画に

        よく見られるモチーフだ。

        死への憧憬どうけい恐怖きょうふが同時に表現されている。


△エレナ:憧憬どうけい……ですか?

     死に対するあこがれなんてあるのでしょうか?


☆ヴィンセント:人は死を恐れると同時に、どこか魅力みりょくを感じてしまう生き物だ。

        それが完全な静寂せいじゃくを約束するかもしれない。

        すべての苦悩くのう、すべての痛み、すべてのまよいからの解放……


△エレナ:完全な静寂せいじゃく……確かに魅力的みりょくてきかもしれません。

     このさわがしい世界では、本当の静寂せいじゃくを得ることは難しいですから。


☆ヴィンセント:そうだ。

        生きているということは、常に何かしらの音に囲まれている。

        心臓の鼓動こどう、血液の流れる音、呼吸音……そして心の中の雑音ざつおん


△エレナ:心の中の雑音ざつおん……それが一番厄介やっかいなものかもしれませんね。

     後悔こうかいや、まよい、おそれ……それらが頭の中でずっと響いている。


☆ヴィンセント:……それらの音が止まった時、本当の平安へいあんが訪れるかもしれない。


△エレナ:でも、生きている限りは、その雑音ざつおん

     上手うまく付き合っていくしかないのでしょうね。


☆ヴィンセント:時にはな。

        だが、完全に消し去る方法もある。


△エレナ:消し去る……方法……?


☆ヴィンセント:瞑想めいそう、芸術鑑賞、音楽……様々な方法で、

        一時的にでも心をしずめることができる。

        ―― 今、こうして君と話している時のように。


△エレナ:ああ、そういう意味でしたか。

     確かに、こうして美術作品を前にしていると、

     日常のわずらわしさをわすれることは出来ますね。


☆ヴィンセント(M):――彼女のとの出会いは果たして偶然ぐうぜんなのか。

           それとも……いや、考えすぎだ。

           久しぶりに、こんな会話が出来る相手に

           出会えただけの事だ。


△エレナ:あなたは、とても哲学的てつがくてきな考えを持っているのですね。

     きっと豊富な人生経験をお持ちなのでしょう!

     お仕事は何をされているのですか?


☆ヴィンセント:……今は何もしていない。

        引退したようなものだ。

        君は?


△エレナ:私は、フリーでライターをしています。

     様々なテーマで記事を書いているんですが、

     最近は特に……生と死について関心があって。

     人間の本質を探究するような内容を書きたいと思っているんです。


☆ヴィンセント(M):生と死、か……本当に偶然ぐうぜんにしては出来すぎている。

           それに、たがいの距離を絶妙ぜつみょうに調整をしている。

           まるで最適さいていきなポジションをねらっているみたいだ。

            ……これも俺の考えすぎならいいのだが。


☆ヴィンセント:生と死について書くなら、ここは良い場所だな。

        美術館には『死』をテーマにした作品が多い。

        インスピレーションも得やすいだろう。


△エレナ:ええ、まさにその通りです!

     それに……ここには特別な静寂せいじゃくがありますから。

     集中して考えることが出来る。


☆ヴィンセント:――静寂せいじゃく

        それは確かに貴重だ。

        現代社会では滅多めったに体験できない。


△エレナ:そういえば、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?

     こんなに素晴らしい会話が出来る方と、もっとお話ししてみたくて。


☆ヴィンセント:……ヴィンセント、ヴィンセント・グレイだ。


△エレナ:私はエレナ、エレナ・ローズです。

     よろしくお願いします、ヴィンセントさん。


☆ヴィンセント(M):エレナ・ローズ……美しい名前を持つ。

           ……本当に彼女との出会い、これは偶然ぐうぜんなのだろうか?

           俺のかんが、何かちがうとささやいている。



【Ⅱ】


☆ヴィンセント:エレナ、話を戻すが。

        君は、多くの人が静寂せいじゃくを恐れていると聞いてどう思う?


△エレナ:恐れる、ですか?


☆ヴィンセント:そうだ。


△エレナ:うーん……そうですね。

     静寂せいじゃく贅沢ぜいたくに感じることはありますが、

     恐れるというのは……想像できません。


☆ヴィンセント:静寂せいじゃくの中では、自分自身と向き合わざるを得なくなる。

        自分の思考、感情、過去……すべてがりになる。

        それが、彼らは怖いんだ。


△エレナ:……確かに、騒音そうおんは現実逃避とうひの手段なのかもしれませんね。

     音楽、テレビ、他人との会話……すべて自分の内面かららすための。


☆ヴィンセント:大した洞察力どうさつりょくだ。

        ただのライターにしては、あまりにもするどすぎるな。


△エレナ:ヴィンセントさんにめられるのは、悪くないですね。

     ところで、この絵の少女の表情を見てください。

     恐怖と……何か別の感情が混じっているように見えませんか?


☆ヴィンセント:受容じゅよう、かもしれない。

        死を受け入れるような覚悟かくごのようなもの。


△エレナ:死を受容じゅようすることは、ある意味で究極の自由なのかもしれませんね。


☆ヴィンセント:自由、か。興味深い解釈かいしゃくだ。


△エレナ:だって、死ぬことが決まってしまえば、

     もう何も恐れることはないじゃありませんか?

     社会的地位も、他人からの評価も、全てが無意味になる。


☆ヴィンセント:それは一面的いちめんてきな見方だな。

        死が近付いた時、人は逆により強く生に執着しゅうちゃくすることもある。


△エレナ:そうですね……でも、きっぱりとあきらめる事が出来れば、

     その瞬間しゅんかんは最も美しいものになるかもしれません。


☆ヴィンセント(M):あきらめる、か。

           彼女は『死』について随分ずいぶんと具体的に考えている。


0:遠くで時計の音が聞こえる。館内に響く規則的な音。


△エレナ:時間って不思議ですよね。

     こうして絵を見ていると、時が止まったような感覚になります。


☆ヴィンセント:芸術の力だな。

        優れた作品は時を超越ちょうえつする。

        この絵も、何百年も前にえがかれたものだが、

        今も我々の心を動かしている。


△エレナ:『永遠性えいえんせい』……それも美しいものですね。

     ヒトの命は有限だけれど、創り出されたものは永遠に残り続ける。


☆ヴィンセント:だが、永遠に残るのは作品だけじゃない。

        『行為こうい』もまた、永遠性えいえんを持つことがある。


△エレナ:……行為こうい、ですか?


☆ヴィンセント:完璧に遂行すいこうされた行為こういは、それ自体が芸術になる。

        準備から実行まで、全てが計算しくされ、

        無駄のない美しい流れで完成される。


△エレナ:まるで職人技しょくにんわざのようですね。

     長年の経験と技術が産み出す、究極の美。


☆ヴィンセント:そうだ。

        そして、その道の頂点に立つ者だけが、しんの美しさを理解できる。


0:館内放送が流れる準備音。


△エレナ:あなたはその……完璧な行為こういというものを、

     実際に見たことがおありなのですか?


☆ヴィンセント:……何度か。

        そして、自分でも追及ついきゅうしたことがある。


△エレナ:どのような分野で?


☆ヴィンセント:それは……企業秘密きぎょうひみつということにしておいてくれ。


△エレナ:神秘的しんぴてきですね。

     でも、きっと素晴すばらしい体験だったのでしょう。

     完璧を追及ついきゅうするということは、孤独こどくな道のりでにありそうですが。


☆ヴィンセント:『孤独こどく』……その通りだ。

        完璧を求める者は、必然的に一人になる。

        他人には理解されない領域に足をれることになる。


△エレナ:それでも、その道を選ぶのは何故なぜでしょう?


☆ヴィンセント:……愛する人のためだった、最初は。


△エレナ:最初は?


☆ヴィンセント:そのヒトを失った後は……習慣になった。

        他に生きる理由を見つけられなかった。


0;静寂が戻る。二人の会話だけが空間に響く。


△エレナ:愛する人を失うということ。

     ……それは想像をぜっする痛みなのでしょうね。


☆ヴィンセント:あぁ……世界の色が全て失われたような感覚だった。

        何を見ても、何を聞いても、全てが灰色はいいろに見えた。


△エレナ:でも、今のあなたは違います。

     この絵について語る時、あなたのには確かに光がありました。


☆ヴィンセント:――キミと話していると、久しぶりに

        色がもどってくるような感覚がある。


△エレナ:それは、うれしいお言葉です。

     私も、こんなに深い話ができる方に出会えて、とても楽しいです。


0:遠くで他の来館者の声が聞こえるが、すぐに静かになる。


☆ヴィンセント:ところで、キミの記事はどのような媒体ばいたいに?


△エレナ:主にオンラインメディアですが……

     まだしなので、大きな媒体ばいたいではありません。

     でも、いつか多くの人に読んでもらえる作品を書きたいと思っています。


☆ヴィンセント:題材は豊富にありそうだな。

        『生と死』について書くなら。


△エレナ:ええ。

     でも、実体験にもとづかない文章はうすっぺらいモノに

     なってしまいがちで……もっと深く、人間の本質に

     せまるような内容を書きたいんです。


☆ヴィンセント:実体験、か……それは確かに重要だ。

        表面的な知識だけでは、ヒトの心は動かせない。


△エレナ:あなたのような方の体験談を聞かせて頂ければ、

     きっと素晴らしい記事が書けるのでしょうけれど……


☆ヴィンセント:俺の話など、キミの記事には向かないだろう。


△エレナ:どうしてですか?


☆ヴィンセント:……あまり明るい話ではないからな。



【Ⅲ】


0:館内放送が流れる。

  「ご来館いただき、ありがとうございます。まもなく午後5時となります。」

  放送が終わり、静寂が戻る。


△エレナ:――もうそんな時間なのですね。

     時の流れをわすれてしまいました。


☆ヴィンセント:良い会話は時をわすれさせる。

        久しぶりの体験だった。


△エレナ:私もです。

     こんなに深いお話をさせて頂けて……本当に感謝しています。


☆ヴィンセント(M):感謝、か。

           だが……この状況はやはり不自然だ。

           出来すぎている。

           ―― かんは外れることはないな。


0:ヴィンセントが立ち上がる音。椅子が軽く軋む。


☆ヴィンセント:エレナ、もう少し他の作品を見てみようか。


△エレナ:ええ、是非ぜひ


0:二人の足音。

  ヴィンセントの靴音は重厚で規則正しく、エレナのハイヒールは軽やか。

  しかし、エレナの足音がヴィンセントとの距離を微妙に調整している。


☆ヴィンセント(M):――やはりな。

           最適さいてき間合まあいをたもとうとしているみたいだ。


0:二人が新しい展示室に入る。足音が少し反響する。


△エレナ:こちらも素敵すてきな作品ですね。


☆ヴィンセント:ここは17世紀のフランドル派の作品が中心だ。

        『戦争と平和』をテーマにしたものが多い。


△エレナ:戦争と平和……対極にあるもの同士ですが、密接な関係にありますね。


☆ヴィンセント:そうだな。

        平和は戦争があってこそ価値を持ち、

        戦争は平和を知る者によってもたらされることもある。


△エレナ:すなわち……戦争を知る者、にもなりますよね?


☆ヴィンセント:そうだ。

        血のにおい、銃火じゅうかの音、生と死がとなり合わせにある緊張感きんちょうかん

        ……理論ではなく、実際に体験し、それらを知る者だけが、

        本当の平和の価値を理解できる。


△エレナ:あなたは……そのような体験をお持ちなのでしょうか?


☆ヴィンセント:……昔の話だ。


0:エレナがバッグを少し動かす音。わずかな金属音が混じる。


☆ヴィンセント(M):今のは……化粧品や筆記用具では出ない音だ。

           ―― 金属の音だ。


△エレナ:このような経験をお持ちだからこそ、あなたの芸術

     に対する見方は深いのですね。

     生と死の境界を実際に見てこられた方だからこそ。


☆ヴィンセント:君は本当に、素晴らしい洞察力どうさつりょくの持ち主だ。

        ただのライターにしては、あまりにも的確過ぎるな。


△エレナ:そんな……ただのかんですよ。


☆ヴィンセント:かん……か。

        俺もかんには自信がある方でな。

        長年。それに命を救われてきた。


△エレナ:命を……救われた……?


☆ヴィンセント:言ってしまえば、危険を察知さっちする能力だ。

        何か違和感がある時、それを無視してはいけない。

        経験上、そう学んだ。


0: 二人の会話の合間に、微かに緊張感のある静寂が流れる。


△エレナ:危険を察知さっちする……とても重要な能力ですね。

     この世界には、見た目とは違うものがたくさんありますから。


☆ヴィンセント:その通りだ。

        美しい花にも毒があり、優しい笑顔の裏に

        やいばが隠されていることもある。


△エレナ:……詩的な表現ですね。

     まるで経験にもとづいているような――


☆ヴィンセント:流石さすがだ。


△エレナ:はい?


☆ヴィンセント:君は、俺の言葉の真意を理解している。

        普通の人なら、もっと表面的な反応を示すはずだ。

        だが、それが裏目に出てしまったな。


△エレナ:えーっと、何が言いたいのですか?


☆ヴィンセント:ところで、だ。

        君はどうやって俺を見つけた?


△エレナ:見つけた……? どういう意味でしょう?


☆ヴィンセント:この美術館は広い。

        数多くの展示室がある中で、なぜあの部屋の、

        あの絵の前にいる俺に声をかけたのか。


△エレナ:それは……偶然ぐうぜんです。

     たまたま素晴らしい作品があって、

     たまたまあなたがそこにいらして……


☆ヴィンセント:偶然ぐうぜん、か……俺はあまり偶然ぐうぜんを信じないほうでな。

        特に、命に関わる仕事をしてきた者としては。


△エレナ:命に関わる仕事……?


☆ヴィンセント:君こそ、本当はどんな仕事をしている?


△エレナ:お話ししたじゃありませんか。

     ライターです。


☆ヴィンセント:君の言動と行動がそれを否定している。

        それに、歩き方が特殊とくしゅだな。


△エレナ:えっ?


☆ヴィンセント:常に周囲を警戒し、最適な位置を保つ。

        ……どんなに外見を見繕みつくろうとも、

        歩き方までには気が配れなかったか。


△エレナ(M):――気付かれた?

        いえ、彼の表情は……まだ確信を持っていないはず。

        歩き方についてもブラフだ。

        冷静に、最後まで演じきらなければ。


△エレナ:そんな……気のせいではないでしょうか。


☆ヴィンセント:それに、さっきからバックの中で何かが金属音を立てている。

        化粧品けしょうひんにしては重量があるし、ペンにしては形が違う。


△エレナ:っつ! あなたは、一体何者なのですか?


☆ヴィンセント:それは俺の台詞だ。

        君こそ、何者だ?


0:二人の間に緊張した静寂が流れる。


△エレナ:私はただの――


☆ヴィンセント:もうそれは聞き飽きた。

        それとも、なんだ? あくまでもライターと言い張るのか?

        さっきも言ったが、「君の言動と行動が裏目に出た」、と。

        するど洞察力どうさつりょくに、計算された距離の取り方、そして……


△エレナ:そして?


☆ヴィンセント:最初に声をかけたとき、君は確認を持っていた。

        まるで、最初から俺が誰なのか知っているような顔だった。


△エレナ:そんなことはありません。

     本当に偶然だったんです。


☆ヴィンセント:なら、何故、君は俺を見る時、時々瞳孔どうこうが収縮する?

        獲物を見つけた肉食動物のようにな。


0:エレナの心拍が上がっているのか、呼吸音が微かに荒くなる。


△エレナ:想像しすぎです。


☆ヴィンセント:むしろ、これもかんだよ。

        言っただろ? 俺のかん大抵たいてい当たる。

        そうでなければ、このとしまで生きてこられなかった。


△エレナ:長い間……あなたは危険な仕事をされていたのですね。


☆ヴィンセント(M):話をらそうとしている。

           あくまでシラを切るつもりか。


0: 館内放送の予告音が鳴る。

  「お客様にお知らせいたします。まもなく午後5時30分となります。

   閉館まで残り30分となりました。」


△エレナ:閉館まで、残り30分……


☆ヴィンセント:時間がないようだな。


△エレナ:そうですね……残念です。

     もっとお話ししていたかったのですが。


☆ヴィンセント:まだ30分ある。十分じゅうぶんだ。


△エレナ:何が……十分じゅうぶんなのですか?


☆ヴィンセント:真実を明かすのに、君が何者で、何の目的で此処ここにいるのかを。



【Ⅳ】


0:重い静寂の中、二人の足音が別の展示室へと向かう。

  より人気のない、奥まった展示室。


☆ヴィンセント:こちらのほうが落ち着いて話せるだろう。


△エレナ:えぇ……とても静かですね。


0:新しい展示室に入る。足音がより反響する。

  展示されているのは、より暗いテーマの絵画たち。


☆ヴィンセント:ここにある作品群は、すべて暴力をテーマにしたものだ。

        戦争、処刑しょけい殺戮さつりく――人間の最もみにくい部分をえがいている。


△エレナ:なぜ芸術家たちは、こうした残酷ざんこくなテーマを選んだのでしょう?


☆ヴィンセント:真実だからだ。

        美しいものだけが現実じゃない。

        血と痛み、そして死……それらもまた人間の本質の一部だ。


△エレナ:でも、美しいものを描く方が楽しいでしょうに。


☆ヴィンセント:楽しさと真実は違う。

        優れた芸術家は、見る者に真実を突き付ける。

        それがどんなに不快であっても。


0:エレナの足音が微かに変わる。より慎重に、計算された歩き方に。


△エレナ:真実……それはとても重い言葉ですね。


☆ヴィンセント:重いからこそ価値がある。

        軽い真実など存在しない。


△エレナ:あなたは、重い真実を沢山たくさんかかえていらっしゃるのでしょうね。


☆ヴィンセント:――君もそうじゃないのか?


△エレナ:私が……ですか?


☆ヴィンセント:この絵を見てみろ。『カインとアベル』だ。

        兄弟の殺し合いを描いている。


△エレナ:聖書の物語ですね。人類最初の殺人。


☆ヴィンセント:そうだ、嫉妬しっとから生まれた殺意。

        だが、注目すべきはカインの表情だ。


△エレナ:……複雑な表情ですね。

     後悔こうかいと、それでいて何かをやりげたような……


☆ヴィンセント:その通りだ、殺人者の心理を正確に読み取っている。


△エレナ:殺人者の心理……?


☆ヴィンセント:〝人を殺す〟という行為は、実行者に複雑な感情をもたらす。

        後悔こうかい、解放感、恐怖、達成感……すべてが同時に押し寄せる。


△エレナ:まるで……体験されたかのような語り口ですね。


☆ヴィンセント:体験したからだ。


△エレナ:体験……?


☆ヴィンセント:そうだ……俺は多くの人間を殺してきた。

        仕事として。


△エレナ:仕事として……殺人を……?


☆ヴィンセント:驚いたか? だが、君はそれほどでもないそうだ。


△エレナ:そんな……突然そんなことを言われても……


☆ヴィンセント:普通の人間なら、もっと動揺どうようするはずだ。

        立ち去ろうとするか、恐怖でふるえるか。

        だが……君は冷静すぎる。


△エレナ:……あなたは、殺し屋だったのですか?


☆ヴィンセント:過去形ではない。殺し屋は辞めることが出来ない。

        だが、仕事としては引退している。


△エレナ:引退……でも、技術はおとろえていない、と?


☆ヴィンセント:興味深い質問だな。

        なぜ、そんなことを尋ねる?


△エレナ:いえ……ただ、好奇心こうきしんで。


☆ヴィンセント:好奇心こうきいしん、か。

        ライターらしい反応と言えるが……違うな。

        君の質問は、まるで同業者のようだ。


△エレナ:同業者……とは?


☆ヴィンセント:言葉の通りだよ。

        ――エレナ・ローズ、君も……いや、お前も殺し屋だろう?


0:長い静寂。二人の呼吸音だけが聞こえる。


△エレナ:――理由をおたずねしても?


☆ヴィンセント:さっきも言ったはずだ。

        歩き方、距離の取り方、質問の仕方、そして

        俺の告白に対する反応……すべてが物語ものがたっている。


△エレナ:そんなの……推測に過ぎませんよね。


☆ヴィンセント:なら、証明して見せよう。


0:ヴィンセントが突然動く音。素早い足音。


△エレナ:何を……!!


0:エレナが瞬時に反応し、バッグに手を伸ばす音。金属がこすれる音。


☆ヴィンセント:いい動きをするな。


△エレナ:くっ……!


☆ヴィンセント:普通の女性なら、逃げようとするか、助けを呼ぶ。

        だが、君は武器に手を伸ばした。

        ……体に染みついたくせというのは、そう簡単に隠せんよ。


△エレナ:――流石さすがですね。


☆ヴィンセント:認めるのか?


△エレナ:あなた程の方をだまし続けるのは、初めから困難だと思っていました。

     でも、出来る限り演じてみたかった。


☆ヴィンセント:演技は悪くなかった。


△エレナ:光栄です。

     かの【幻霊ファントム】にそう言ってもらえて。


☆ヴィンセント:やれやれ……その言葉が出てくるということは……

        やはり最初から俺の正体を知っていたのか。

        では、この偶然の出会いは――


△エレナ:えぇ、そうです。

     依頼いらいを受けています。


☆ヴィンセント:一応、聞いておこう。

        だれからだ?


△エレナ:守秘義務しゅひぎむという言葉はご存じですか?


☆ヴィンセント:そうだな。プロは顧客こきゃく信頼しんらいが第一だ。

        なら聞こう。俺を殺す自信はあるのか?


△エレナ:正直に言えば……半々ですね。

     あなたの腕前うでまえは伝説的ですから。


☆ヴィンセント:半々、か。随分ずいぶん謙虚けんきょだな。

        だが、自信がないのなら……なぜ引き受けた?


△エレナ:挑戦ちょうせんしてみたかったんです。

     自分の限界を試してみたくて。


☆ヴィンセント:老兵ろうへいに挑戦をたたきつけるとは……興味深い動機だ。

        金ではなく、自己実現のためか。


△エレナ:勿論もちろん、お金も重要です。

     ですが……それだけではありません。


☆ヴィンセント:なら……これだけは教えてくれないか?

        君のような美しい女性が、なぜこの道を選んだ?


△エレナ:それは……長い話になります。


☆ヴィンセント:時間はある。まだ15分程度は。


△エレナ:15分でヒトの人生を語るには短すぎます。


☆ヴィンセント:要点だけでも。


△エレナ:我儘わがままなヒトですね。

     ……〝復讐ふくしゅう〟です。

     最初は、家族を殺した男への復讐ふくしゅう

     でも、その男を殺した後も、この仕事を続けている。


☆ヴィンセント:なぜ、続ける?


△エレナ:気が付いた時には、他に生きるすべを知らなかった。

     そして……この仕事が私を生かしてくれるから。


☆ヴィンセント:……理解できる。

        俺も似たような道を歩んできた。


△エレナ:あなたも復讐ふくしゅうが始まりでしたか?


☆ヴィンセント:愛する人を守るためだった。

        だが、結局守れなかった。

        その後は……君と同じだ。

        他に生きる道を知らなかった。


0:深い静寂が二人を包む。


△エレナ:でも……今日、あなたとお話して……少し考えが変わりました。


☆ヴィンセント:どう変わった?


△エレナ:美しいものについて語り合える相手がいる

     ということの価値を知りました。


☆ヴィンセント:俺もだ。久しぶりに……生きている実感を味わった。


△エレナ:それでも……私は依頼を完遂かんすいしなければなりません。


☆ヴィンセント:プロとして、か。


△エレナ:えぇ、プロとして。


☆ヴィンセント(M):――この女性には敬意を覚える。

           美しく、知的で、そして誇りを持っている。

           だが、それでも俺を殺そうとしている。

           皮肉なものだ。



【Ⅴ】


0:館内放送が流れる。

  「お客様にお知らせいたします。閉館まで残り10分となりました。

   お帰りの準備をお願いいたします」


☆ヴィンセント:もう時間がないな。


△エレナ:えぇ……でも、十分です。


☆ヴィンセント:君の腕前を見せてもらおうか。


△エレナ:その前に……ひとつ、お聞きしたいことがあります。


☆ヴィンセント:何だ?


△エレナ:何故、引退されたのですか?


☆ヴィンセント:……疲れたからだ。

        血を見ることに、ヒトを殺すことに、そして一人でいることに。


△エレナ:でも、復帰することは考えなかった?


☆ヴィンセント:毎日考えている。

        他に生きる意味を見つけられずにいる。


△エレナ:今日、私と話して……どう感じましたか?


☆ヴィンセント:――あぁ、久しぶりに自分が人間であることを思い出した。

        美しいものを美しいと感じ、知的な会話を楽しみ、そして……


△エレナ:そして?


☆ヴィンセント:人をいとおしい思う気持ちを。


△エレナ:いとおしく……?


☆ヴィンセント:君は美しい人だ。外見だけでなく、内面も。

        知性があり、誇りがあり、そして……哀しみを抱えている。


△エレナ:あなたもですよ。

     とても魅力的みりょくてきな方……もし違う状況じょうきょうで出会えていたら。


☆ヴィンセント:違う状況じょうきょう、か。

        そんな世界があったとしても、俺たちのような

        人間は出会わなかっただろう。


△エレナ:そうかもしれませんね。

     でも……今日、出会えて良かった。


☆ヴィンセント:俺もだ。


0:深い静寂。二人が向き合っている。


△エレナ:それでも、私はやらなければならない。


☆ヴィンセント:わかっている。俺も逃げるつもりはない。


△エレナ:なぜ? 逃げることも出来るのに。


☆ヴィンセント:プロに対する敬意だ。

        君はここまで完璧に仕事をこなしてきた。

        それを無駄にするつもりはない。


△エレナ:ありがとうございます……でも、手加減てかげんはしません。


☆ヴィンセント:そうでないと困る。

        中途半端ちゅうとはんぱな戦いほど、相手に失礼なものはない。

        ……だからこそ、俺を殺したければ確実に殺すんだ。


0:二人が微かに動く気配。距離を測っている。


△エレナ:一つだけ約束していただけませんか?


☆ヴィンセント:何だ?


△エレナ:もし……もし、私が負けた時……

     美しいものを見ることを忘れないでください。


☆ヴィンセント:……約束しよう。君は?


△エレナ:私が勝ったとしても……今日の会話を忘れません。

     あなたと過ごした時間は、私のかけがえのない宝物です。


☆ヴィンセント:(※小声で)本当に美しい心を持っている……実に惜しいな……


△エレナ:なにか?


☆ヴィンセント:いや、なんでもない。

        ――ひとつ、頼みたい事があるんだが……いいか?


△エレナ:どうしました?


☆ヴィンセント:この場所で戦うのは適切ではない。


△エレナ:なぜ?


☆ヴィンセント:美術品を傷つけてしまう可能性が高い。

        ここは、あまりにも物が多すぎる。


△エレナ:……確かに。では、どこで?


☆ヴィンセント:中央のホールはどうだ?

        天井が高い上に、展示されている作品数も少ない上に、

        周りに貴重な作品もない。


△エレナ:良いアイディアですね。流石です。


0:二人が展示室を出て、中央ホールへと向かう足音。


☆ヴィンセント(M):――「良いアイディアですね」、か。

           普通の殺し屋ならば、そんなことは気にしない。

           あぁ……本当に……


0:中央ホールに到着。広い空間に足音が響く。


△エレナ:ここなら大丈夫そうですね。


☆ヴィンセント:あぁ……では、始めよう。


0:二人がバッグや上着に手をかける音。


△エレナ:【幻霊ファントム】、最後に教えてくれませんか?


☆ヴィンセント:何をだ?


△エレナ:お名前です。私は知りたいんです。

     偽名ではなく、本当のお名前を。


☆ヴィンセント:……何故、それを知る?


△エレナ:あなたを殺すなら、せめて本当の名前を知っておきたい。

     そして、その名前を心に刻みたいんです。


☆ヴィンセント:――ヴィンセント・グレイだ。


△エレナ:ヴィンセントは偽名ではなかったのですね。

     そうでしたか……では、私も。

     アイリス・ローズが本名です。


☆ヴィンセント:アイリスか……美しい名前だ。


△エレナ:ありがとうございます……ミスター・グレイ。


0:二人が武器を取り出す音。金属音がホールに響く。


☆ヴィンセント:拳銃けんじゅうを使うか……


△エレナ:はい。ワルサーP99。

     軽くて扱いやすいのでお気に入りなんです。

     そちらは?


☆ヴィンセント:H&K USPコンパクト。信頼性が高い。


△エレナ:いい選択ですね。実に、プロらしい。


☆ヴィンセント:君もだ。ワルサーは女性の手にもよく馴染なじむ。


△エレナ:ええ。もう10年以上の付き合いです。

     手入れも欠かしません。


☆ヴィンセント:武器への愛着あいちゃくは大切だ。

        命を預ける相棒あいぼうだからな。


△エレナ:どれくらいの付き合いなのですか?


☆ヴィンセント:15年になる。これまで俺を裏切ったことはない。


△エレナ:でも……ここで銃声が響けば、警備員が来ませんか?


☆ヴィンセント:安心しろ、サイレンサーが備わっている。

        アイリス、君もだろ?


△エレナ:はい、特注のものを使っています。


☆ヴィンセント:音の消し方で、その人の技術が分かる。


△エレナ:えぇ、楽しみですね。

     お互いの腕前を確かめ合えるなんて。


☆ヴィンセント:アイリス……君と出会えて光栄だった。


△エレナ:私もです。


0:二人が向き合い、銃を構える音。


☆ヴィンセント(M):美しい女性だ……最後まで。

           だが、これで終わりだ。

           ――さらばだ、アイリス・ローズ。


△エレナ(M):素晴らしい人でした……もう少し早く出会えていたら……

        でも、これが〝私たち〟の運命。

        さようなら……ヴィンセント・グレイ。


0:重い静寂。二人の銃が向き合っている。時計の音だけが響く。

  館内放送「閉館時間となりました。本日はご来館いただき、

  ありがとうございました。」



【Ⅵ】


0:深い静寂の中、二人の心拍音だけが響く。

  時計の針の音が緊張を高める。


△エレナ:3つ、数えましょう。


☆ヴィンセント:いいだろう。


☆ヴィンセント / △エレナ:3......


0:二人の呼吸が深くなる。


☆ヴィンセント / △エレナ:2......


0:微かな衣擦れの音。二人が構えを調整している。


☆ヴィンセント / △エレナ:1.....!


0:瞬間的な静寂の後、二人が同時に動く音。

  足音、銃声(サイレンサー付きのため低い音)。


☆ヴィンセント(M): 速い……! 想像以上だな、


0:エレナの銃弾がヴィンセントのいた場所を掠める。


△エレナ(M):外した……! でも、予想通りの反応速度!


0: 二人が柱の陰に隠れ、足音が止まる。


☆ヴィンセント:見事な腕前だ。

        あと数センチずれていたら死んでいた。


△エレナ:お褒めの言葉、ありがとうございます。

     でも、次は外しません。


☆ヴィンセント:それはこちらの台詞だ。


0:ヴィンセントが柱から身を乗り出し、銃声が鳴り響く。

  エレナが素早く移動する。


△エレナ:そんなに簡単にはいきませんよ!


☆ヴィンセント(M):動きが読みにくいな。

           まるで影のように軽やか……相当な腕前だ。


△エレナ:そこ!


☆ヴィンセント:っつ!


0:エレナが別の角度から撃つ。

  ヴィンセントが転がって回避する。


☆ヴィンセント:素晴らしい身のこなしだ。

        やれやれ、老骨ろうこつの身にみる。


△エレナ:そう言いますが、まだ余裕よゆうがありそうですが。


☆ヴィンセント:そうかい。


0:ヴィンセントが立ち上がり、連続で3発撃つ。

  エレナが華麗に回避する。


△エレナ(M):正確無比せいかくむひ……流石、伝説の殺し屋【幻霊ファントム】。

        でも、さくはある……!


0:エレナが上の階へと階段に移動する。


☆ヴィンセント:上へ逃げるつもりか?


△エレナ:いいえ、戦術です。


0:後に、ヴィンセントが追いかける。


☆ヴィンセント(M):高所から狙い撃つつもりか……?

           いや、それならば提案に乗るはずがない。

           上の階は……なるほどな。


0:2階の展示室。エレナの足音が止まる。


△エレナ:――2階まで来ました。

     ここなら、より面白い戦いができそうですね。


0:ヴィンセントが2階に到着。慎重な足音。


☆ヴィンセント:確かに……だが、ここは絵画がある。


△エレナ:えぇ、そうです。

     でも、私は美術品を傷つけるつもりはありません。

     ねらいは、あなただけですから。


☆ヴィンセント:それを聞けて、安心したよ。


0:二人が展示ケースの間を移動する音。

  猫と鼠のような追いかけっこ。


△エレナ:ミスター・グレイ、質問があります。


☆ヴィンセント:やれやれ、俺もヒトの事は言えたもんじゃないが

        戦闘中にも関わらず、雄弁ゆうべんすぎないか?


△エレナ:今だからこそです、

     ――あなたは本当に私を殺せますか?


0:ヴィンセントの足音が一瞬止まる。


△エレナ(M):足が止まった……!


☆ヴィンセント:どういう意味だ?


△エレナ:私は、ここにある作品を傷つけるつもりはありません。

     ですが、あなたは私を殺すことで、美術品を傷つける

     危険を冒せますか?


☆ヴィンセント:確かに君の頭を銃弾で貫いたとしても、

        君の血が作品に降りかかることになるだろうな。


0:エレナが射撃。ヴィンセントが展示ケースの陰に隠れる。


☆ヴィンセント:まったく……話が終わる前に銃撃じゅうげきとは……

        君は俺の弱点をいているつもりか?


△エレナ:弱点とは言いません、あなたの美学です。


☆ヴィンセント:物は良いようだな。


0:ヴィンセントが反撃。しかし、明らかに慎重な射撃。


△エレナ(M):やはり……彼は美術品を傷つけることを恐れている。

        これなら私の方が有利に戦える!


☆ヴィンセント:…………。


△エレナ:どうしました?

     先程とは違って、迷いが見えますよ。


☆ヴィンセント:……そうだな。

        君の読みは正しい。


△エレナ:では、降参していただけませんか?


☆ヴィンセント:それは出来ない。


△エレナ:では、どうされるおつもりですか?

     命惜いのちおしさに、美学を捨てるんですか?


☆ヴィンセント:君の読みは正しかった。

        俺は美術品を傷つけたくない。


△エレナ:それなら――


☆ヴィンセント:だが、さくおぼれてしまったな。


0:ヴィンセントが発射する音。小さく、鈍い音。


△エレナ(M):うそっ……撃った……!?

        ここに来て、自らの美学を本当に……?


0:その場で倒れこむエレナ。全身が脱力していく感覚が。


△エレナ(M):――あれ?

        おかしい……血が出ていない……

        痛みもない……でも、体に力が入らない……

        まさか……!


☆ヴィンセント:気が付いたか、麻酔弾ますいだんだ。

        安心しろ、死ぬことはない。


△エレナ:麻酔ますいだん……? いつから……?


☆ヴィンセント:最初からだよ。


△エレナ:えっ……?


☆ヴィンセント:君が美術品を盾にするだろうと読んでいた。


△エレナ:そんな……完全に……読まれていたの……?


☆ヴィンセント:だが、こちらもヒヤヒヤしたものだ。

        君のような、聡明そうめいな人には気付かれる恐れがあった。

        いくらサイレンサーをつけているとは言え、銃声音は違う。

        ――アドバンテージをとれたことに、観察をおこたったな。


0:麻酔が聴いてきて、エレナの意識が朦朧としてくれる。


△エレナ:完敗ですね。

     (※溜息をついた後に)もう……疲れました……


☆ヴィンセント:…………。


△エレナ:ずっと演じ続けて、戦い続けて……その繰り返し……

     もう、疲れてしまいました……

     今回で、これ以上続ける意味がわからなくなりました……


☆ヴィンセント:アイリス……


△エレナ:あなたと過ごした時間……ほんのわずかなの間でしたけど……

     あまりにも美して……だから、こんな終わり方を……

     するのが悲しいんです……


0:ヴィンセントがエレナに近付き、膝をつく。


☆ヴィンセント(M):気を失ったか……本当に最後まで……

           こんな結末になるとは思わなかったな。


0:気を失ったエレナを抱きかかえ、休憩と鑑賞のために

  置かれているソファに横にさせる。


☆ヴィンセント:聞こえていないと思うが……今日の対話は心から楽しかった。

        ありがとう、礼を言う。

        ……もう二度と会うことはないだろう。

        だから、最後の言葉として――



【Ⅶ】


0:ヴィンセントの足音が完全に遠ざかった後の静寂。

  エレナが残されていた。


△エレナ:私は……生きて、るの……?


0:麻酔の効果が和らいだことで、寝ていた身体を起こす。


△エレナ(M):ひとりになってしまった……

        麻酔ますいで意識は朦朧もうろうとしていたけど、彼の声だけは覚えている。

        最後に祝福とも、呪いとも言えてしまう言葉を残して、

        本当に去ってしまった……

      


0:遠くで警備員の足音が近づいてくる。


△エレナ(M):この足音は……警備員が来る……

        手にはじゅうにぎられている……

        このままだと、通報されるでしょうね。

        …… それで私の正体がバレて、秘密保持のために

        誰かが不審死ふしんしよそおって殺しに来るんでしょうね。


0:エレナが小さなカプセルを取り出す。


△エレナ:この毒薬を飲めば、全て終わる。

     痛みもなく、苦痛もなく……ただ、眠るように……


0:カプセルを握る。


△エレナ(M):でも……あの人との会話を思い出すと……

        あの絵画について語り合ったとき、

        美しいものを見ることの喜びについて話したとき

        ……私は確かに生きていることを実感した。

        彼は美術品を傷つけることを恐れ、美しいものへの敬意を示した。

        そんな彼から学んだことがある。


0:カプセルを見つめながら、手の中で転がせる。


△エレナ(M):生きることは...痛みを伴う。

        孤独で、危険で、時には絶望的。

        でも、美しいものに出会う可能性も秘めている。

        今日のように……予想もしなかった出会いがあるかもしれない。


0:警備員の足音がすぐ近くに。


△エレナ(M):時間がない……決めなければ。

        死ぬか、生きるか。

        楽な道を選ぶか、困難でも可能性のある道を選ぶか。


0:長い静寂。エレナはカプセルを握る。


△エレナ(M):ヴィンセント……あなたは私に教えてくれた。

        絶望の中にも美が存在することを。


0:複数の足音が近づく。警備員と救急隊員。


△エレナ(M):これからどうなるかは分からない。

        ……でも、今日この美術館で体験したことは

        誰にも奪えない私の宝物。


△エレナ:――どんな結末でも……今日のことは忘れない。

     もう二度と会うことはないかもしれない。

     でも、あなたとの時間は私を変えた。

     どこかで聞いているかもしれないから言わせてください。

     ――ありがとう。


(interval)


△ニュースキャスター:――続いてのニュースです。

           昨夜、実業家のロバート・ハミルトン氏が

           自宅マンション内にて遺体で発見されました。

           死因は銃による射殺とみられ、現場からは

           薬莢やっきょうも発見されていません。

           警察は慎重に捜査を進めていますが、

           関係者によると、有力な手がかりはなく、

           捜査そうさ難航なんこう

           既に迷宮入りが確実視されています。



(interval)



☆ヴィンセント:――アイリス、自由に生きてくれ。

        美しいものを見ながら。



(END)

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【声劇台本】『静寂の画廊』 浅沼まど @Mado_Asanuma

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