後編

 目が覚める。

 私は白いベッドの上から上半身を起こして体を伸ばす。

 私は視線を窓の方へ向ける。外から見える青空はとても清々しく、私は眩しい太陽に目を細めた。

「立夏さん~。入りますよ」

「あ、は~い」

 私が太陽を眺めていると、病室にノック音が響き渡り、看護師が部屋の中に入ってくる。

 看護師は笑顔を顔に貼り付けていて、その手にはバインダーが握られていた。

「おはようございます。看護師さん」

「おはようございます。立夏さん」

 私は彼女に笑顔を向けながら挨拶をすると、彼女はいつものように挨拶を返してくれる。

「体調はどうですか?」

「いつも通り、薬のおかげで大丈夫です」

 私はベッドの隣にある机に視線を向ける。

 机の上にはいくつかの薬が置かれていて、乱雑に放置されている。

「それはよかったです」

 看護師は私の言葉を聞いて、それをバインダーのプリントに書き記していく。

 そんな落ち着いた様子の彼女に、私は焦りながら口を開いた。

「あ、あの!」

「どうかしました?」

 私は震える声で、右手を心臓のある左胸前に持っていきながら、彼女に問いかける。

「そ、その……手術はどうなっていますか?」

 そう口にした瞬間、彼女の顔から一瞬笑顔が消えたのを私は見逃さなかった。

 彼女はすぐに笑顔を戻して、私の質問に答える。

「……あ~。まだ決まってないですね……」

「そんな!? 私の寿命はあと少しなんですよね!?」

「それは……そうですね」

 私の必死の叫びに彼女は歯切れ悪そうに同意する。

 私は数年前からこの病院に入院している。

 具体的な病名はもう忘れてしまったが、私は心臓に大きな癌がある。

 その癌はとても珍しく、現代の医術では治すことがほとんど不可能だという。

 唯一治る可能性があるとすれば手術なのだが、その手術も成功率がかなり低く、手術ができる医者はかなり限られているらしい。

 そんな事情もあり、私は未だに手術を受けることができていない。

「いつくらいに受けられるんですか?」

 私の質問に看護師は重たい頭をゆっくりと横に振った。

「……分かりません。今、色々な病院にお願いしているのですが、立夏さんの病状はかなり稀有な例らしくって……」

「そんな……」

 その言葉に私は絶望して、項垂れてしまう。

「落ち込まないでください! まだ可能性はありますから……!」

「は、はい……」

 看護師はバインダーを机の上に置いて、私の背中をさする。

 彼女の気持ちの悪い体温が私の背中に伝わり、私はえずいてしまう。

「大丈夫ですから……」

 私の嫌悪感に気が付こうともしない彼女は、何度も何度も私の背中をさする。

 それが本当に嫌で仕方がなく、私は左腕で彼女の手を払い除けた。

「もう……大丈夫ですから……」

 私は右手で口元を抑えながら、彼女を睨みつける。

 彼女は驚いたように私から数歩下がって、茫然とした表情で私の顔を見つめる。

 私は息を荒くして、息を整える。

 そして、しばらく時間を置いて、看護師が口を開いた。

「立夏さん、精神的には何か問題はありますか?」

「精神的に……?」

 彼女の問いかけの意味が分からず、私は首を傾げて彼女の瞳を見つめる。

 私が違和感を持ったことに気が付いた彼女は焦った様子で言葉を続ける。

「ほら! 立夏さんって入院生活が長いじゃないですか! だから精神的に滅入ってないかな~って思って!」

「あぁ、そういうことですか」

 彼女は両掌を合わせて笑顔のまま理由を説明する。しかし、その頬には冷や汗が流れていた。

 その理由を聞いた私は少し考える。

「……その、外に出てみたいです」

「……そ、と……ですか」

「はい。難しいのは分かっているんですけど、やっぱり外に出てみたいなって」

 今こそ薬のおかげで普通に生活することができているが、私の心臓がいつ止まってもおかしくない状況だ。

 そのため、外に出ている最中に心臓が止まったら適切な治療を受けることができずそのまま死んでもおかしくないため、私はもう何年もこのベッドの上から動くことができていない。

「……一応、相談はしてみますが、難しいと思います……」

「そう、ですよね……」

 彼女は悲しそうな顔をしながら私の願いを拒絶する。

 それに対し許しがたい怒りがこみ上げてくるが、私はそれをなんとかかみ砕いて怒りを飲み込んだ。

 きっと、これは罰だ。

 雪乃を殺したくせに正当な罰を受けなかった私に対する罰。

 早く死ね、お前なんかが生きるなという雪乃からの呪い。

 それが私の病の正体なのだろう。

「立夏さん、大丈夫ですか!?」

「……ぅえ? なんですか?」

「いや、泣いて……」

 彼女に言われて私は左手で左頬に触る。

 そして、私の頬は濡れていて、私は彼女の言う通り泣いていたことを理解した。

「ど、ど、どうかしましたか?」

「あ、いえ。多分、目にゴミが入っただけだと……」

 私はそう言いながら、左手で目を擦る。

 しばらく目を擦っていると、涙はすぐに枯れ果てた。

「そ、その! ちょっと待っててくださいね!」

「え?」

 しかし、私が泣いたことに慌てた彼女は急いだ様子で病室から外に出て行った。

 私は彼女の背中を見つめ、そして再び窓の外に視線を逸らした。

 青空に浮かぶ太陽はまるで私の罪を裁くかのように、燦燦と輝いていた。そんな太陽の光を私は目を細めもせずにずっと見続けていた。

「立夏ちゃん、入るよ」

 しばらく待っていると、病室のドアが再びノックされて誰かが病室に入ってくる。

 その声と病室には似合わない異質なヒールの音から、私はすぐに振り返って病室に入ってきた彼女を見つめる。

「先生……!」

 そこには先生がいた。

 彼女は丈の長い大きな白衣を身に纏っていて、白衣の下には水色のシャツを着ていた。彼女は白い手袋を付けている左手で私に手を振ってくれる。

 私は彼女に手を振り返しながら、自然と笑顔が零れ落ちた。

「看護師から泣いているって聞かされたけど、なにかあった?」

「いえ、ただゴミが入っただけなんですけど……」

 彼女はそう言いながら、病室の隅に置いてあるパイプ椅子を持ってきて私の隣に座った。

「それはよかった。立夏ちゃんが悲しんでいたら、私も悲しいもん」

 そう言いながら彼女は私の手を優しく握りしめる。

 彼女の優しい体温が手を伝って私の体に広がっていき、私は彼女の手を握り返す。

「それで……看護師からも聞かれたと思うけど、精神的に辛いこととか、やりたいことってある?」

 彼女の質問に私は言葉を詰まらせる。

 先生はとても優しい人だ。

 入院中気が滅入っていた私の前に現れて、私の心を救ってくれる。そんな彼女に私は同性ながら恋心のような感情を抱いていた。

 そんな彼女に無理難題な願いを言うことは躊躇われ、私は彼女から視線を逸らした。

「大丈夫ですよ。なんでも言って」

 私が視線を逸らしたことで私の想いを見透かした彼女は、強く手を握りしめて私にそう告げる。

 彼女に瞳に射抜かれた私は降る雨のように言葉を零していく。

「その……外に出たいんです」

「外に?」

「はい。難しいことは分かっているんですけど、それでもやっぱり外に出たいなって」

 私が願いを彼女に伝えると、彼女は何かを考えるように虚空を見つめていた。

 そして、少しの間の後、彼女は私にいつも通りの笑みを見せてくれる。

「できると思うよ」

 その言葉に私は驚いて目を見開いた。

「本当ですかっ!?」

「うん。最近は病状も安定しているし、退院とはいかないけど日帰りだったら外に出て問題ないと主yな」

 先生の言葉に私は歓喜して、口角を上げる。

 しかし、先生は言葉とは裏腹に表情に陰りを見せていた。

「……どうかしたんですか?」

 私はその表情の理由が気になって、私は彼女に問いかけた。

 そして、彼女は何回か口をパクパクさせた後、ゆっくりと言葉を発した。

「……立夏ちゃんは外に出たら何をしたいの?」

 彼女にそう聞かれて、私は何も答えることができなかった。

 そして私は、外に出たい明確な理由が特になかったことに気が付いた。

「なんでもいいんだよ。例えば友達に会いたいとか」

 ドクンッ!

 彼女のありふれた悪気のない言葉に大きく心臓が揺れた。

 私は突発的に握っていた彼女の手を離し、彼女を見つめる。

「……どうかしたの?」

 先生は声色を少しだけ低くして私に問いかける。

 しかし、私は脳裏に雪乃の顔と血の池に沈む彼女の体がよぎっていく。

「……ごめ、ごめんなッ! ごめんなさッィ……!」

「立夏ちゃん!? 大丈夫?」

 息が荒くなっていき、思考が淀んでいく。

 私は彼女に対する謝罪の言葉を口にしようとするが、上手に発音することができなかった。

 急変した私の様子に、先生は私の背中を摩りながら私の手を再び握りしめる。

「……ハァア! ハァ……!」

「大丈夫、大丈夫だから……!」

 飢えた怪物のように息を切らす私に、先生は優しく声をかける。

 冷や汗が止まらず、私の体は凍ったように冷たくなる。しかし、彼女の熱が辛うじて私を暖めてくれた。

 それから数分後、私はようやく息ができるようになり、彼女の手を強く掴みながら、懺悔する。

「……私、雪乃を殺しちゃった……!」

 そう口にしても彼女は何も言わなかった。

 病室の中に私のすすり泣く声だけが響き、私はゆっくりと彼女の顔を見る。

 彼女は唇を強く噛みしめていて、私の視線に気が付いた彼女はゆっくりと私から距離を取り、私の瞳を見つめる。

「……詳しく聞かせてもらえませんか?」

 先生は重々しく口を開いて、そう問いかけた。

 私はそんな彼女に自身の罪を吐露していく。

 雪乃は私の幼馴染だということ。

 彼女との出会いは思い出せないほど、物心ついた時からずっと一緒にいたこと。

 私は人付き合いが苦手で彼女しか友達がいなかったこと。

 そんな彼女がいきなり友達をやめたいと言ったこと。

 取り乱した私は自分と同じように彼女も体に傷があったら友達になれると思ったこと。

 その結果、誤って彼女を殺してしまったこと。

 だけど、私は捕まることはなく、気が付くと周囲の人も雪乃の話をしなくなったこと。

 そして、私は彼女を殺した罪を清算せずに生き続けたこと。

 私が雪乃に何をしたかについて先生に話すと、先生は口を閉ざしていた。

 そして、少しの間を置いた後、彼女は私の瞳を見つめながら戸惑いつつもこう告げるのだった。

「立夏ちゃんは……イマジナリーフレンドって知ってる?」

「イマジナリーフレンド……?」

 彼女が発した単語は私にとって知らない単語だった。

 だから、私はオウム返しをして聞き返してしまった。

「イマジナリーフレンド。子供の頃にみられる空想上の友達のことだよ」

「……え? 空想上の友達……?」

「うん。もしかして、雪乃ちゃんは立夏ちゃんのイマジナリーフレンドなんじゃない?」

 彼女の言葉は到底信じられないものであり、私は彼女に懐疑的な視線を向ける。

「イマジナリーフレンドは普通、大人になる前にいつの間にか消えちゃうんだけど、立夏ちゃんはそれを自分が殺したって間違って記憶しちゃったんじゃない?」

「……い、いや……でもなんでイマジナリーフレンドって……」

 突然、そう口にした理由がわからなくって、私は先生に問いかける。

 先生は人差し指を立てて何かを教える先生のように言葉を続ける。

「だって立夏ちゃんは雪乃さんを殺したのに警察に捕まらないどころか、誰も雪乃さんを覚えてないなんておかしいでしょ?」

「それは……」

 言われてみると、確かにおかしかった。

 どれだけ殺したことがバレなくても、誰も雪乃のことを話さないなんておかしい。

「だから、もしかして雪乃さんは立夏ちゃんのイマジナリーフレンドで、一人で生きている立夏ちゃんを想ってあんなことを言ったんじゃないのかな?」

「……そう……なんだ」

 私は雪乃の顔を思い出す。

 彼女の顔はよく思い出せなかったが、イマジナリーフレンドである彼女の優しさに私は静かに涙をこぼした。

「……立夏ちゃん」

「先生、ごめんなさい。今は1人にしてもらってもいいですか……?」

「……分かったよ。またね」

 そう言って先生は病室から出て行った。

 私は1人になった病室で、シーツを握りしめながら涙を流し続ける。

 私のために消えて行ってくれた、私のイマジナリーフレンドへの後悔に苦しみながら。




「あ、先生。お疲れ様です」

「おつかれ~」

 事務室に戻ってきた私は書類をまとめていた看護師に手を振る。

 そして、私は自分のデスクの椅子に重たかった腰を下ろして天を仰ぐ。

「つかれた~」

 そう言いながら、私は左手に付けていた白い手袋をゆっくりと外した。

「うぇ!?」

「ん? どうかした?」

「い、いや! その傷、大丈夫なんですか!?」

 看護師は私の左手を見て、素っ頓狂な声を上げた。

 私の左手には大きな傷跡がある。それは赤白くとてもグロテスクな見た目をしている。

「い、痛いんですか?」

「うん、全く。それにあえて傷を残しているだけだしね」

「あえて……ですか?」

 私の言葉に看護師は首を傾げる。

 そんな彼女に私は左手の傷を愛おしく撫でた。

「そう。私中学生の頃に精神疾患者に襲われてさ。その時に怪我しちゃったんだ」

「え!? 大丈夫だったんですか?」

「いや、大丈夫じゃなかったよ。あと少し遅かったら死んでもおかしくなかったって言われたし」

 そう言いながら私は白い手袋を再び左手に付けた。

 彼女は戸惑いながらも私を見つめる。

「……だけど、私は救いたかったんだ。それで、私は精神科医になったの」

 私はそう言いながら、デスクの上に置かれているカルテを広げていく。

 そのカルテの1番上には立夏ちゃんの名前が書かれていた。

「雪乃先生……! めっちゃかっこいいですね……!」

「ありがと」

 看護師からの尊敬の眼差しに恥ずかしくなった私はカルテを見続ける。

 大人になった立夏ちゃんは記憶が混濁してしまっている。

 実際に彼女は精神患者として入院している現実が受け入れられず、自分のことを余命いくばくかの入院患者という設定で生活することで精神を保っている。

 しかし、その記憶には当然いくつかの矛盾がある。

 そしてそれを利用すれば彼女にとっての私という存在を、彼女のイマジナリーフレンドにすることも簡単だった。

 中学生の頃の私は彼女にとっての苦しみにしかなれなかった。

 彼女を突き放すことで反発してもっと私に依存してくれると思ったのに、あんなことになるなんて想定外だった。

 だけど、彼女は私に傷を残してくれた。

 この傷は彼女の言っていた通り、この絆は私たちにとっての絆で、同じになるために必要なものだ。

 今度こそ君を救って見せる。

 立夏ちゃんをもっと私に依存させて、私以外のものを捨てさせてやる。そして、私は彼女と2人だけの世界で生き続けていく。

 それが私にとっての救いだから。

 私は手袋の上から彼女がくれた傷を愛おしく撫でながら彼女に誓う。

「……立夏ちゃん。私が救って見せるから……ね?」

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幻友カット 庵途 @FluoRite-and-

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