第4話

第十六章 代償と選択


夜、正樹はうなされていた。

暗雲の向こうで、黄色いベストのおじさんが笛を吹いている。


「秋山さんよ。五分を超えりゃ、命の砂が削れる」

「……やはりそうか?」

「そうだ。寿命だ。長居すれば、他人の記憶も心も背負い、軸が擦り切れて消える。欲張れば、家族にまで影が落ちる」


おじさんは淡々と告げ、笛を鳴らした。

「忘れるな。ヒーローにも代償はある」


正樹は跳ね起き、汗で濡れた胸を押さえた。


***


翌日。古びた喫茶店。

神谷の目は鋭かった。


「今回は格が違う。国賓だ。敵が動く可能性が高い」

「護衛チームに紛れろ。お前の“力”が必要だ」


都心の演説会場。

群衆のざわめき。国賓が壇上に立つ。

正樹は護衛の列に紛れ、幽体を漂わせながら群衆を見渡した。


――そのとき。

観客席の端に娘の理香の姿があった。

ゼミ研修で来ていたのだ。ノートを手に、真剣に演説を書き留めている。


「なぜ……こんなところに……」

胸が締め付けられる。


その瞬間、黒い影が動いた。

狙撃手が銃を構え、標的は理香。


だが同時に、無線が護衛隊を震わせる。

《爆弾発見、起動まで三分!》


二重のタイムリミット――理香と国賓、そして爆弾。

命の秤が激しく揺れる。


「……どうすれば……」


正樹が迷う、その瞬間。

神谷の脳裏に爆炎が走った。


――護衛対象は守った。だが犠牲になった少女。血に濡れたノート。

自分の娘と同じ年頃だった。

(どちらかしか守れなかった……だから家族も、失った)


あの日からずっと胸に突き刺さっていた言葉。

だが今は違う。


神谷は喉が裂けるほどの声で叫んだ。

「どちらも守れ。それが護衛だ!」


それは正樹への檄であり、同時に過去の自分を乗り越える叫びだった。


正樹の目に火が灯る。

「……どちらも……守る!」


5分のタイムリミットは彼方に置いていく。



第十七章 限界突破


狙撃手の体に入り込んだ瞬間、正樹の頭に奇妙な映像が走った。

暗い部屋、爆弾を囲む男たち。

「間違えるなよ。赤を切れば一瞬で終わる」

爆弾師の笑い声。


断片的な記憶――だが確信に満ちていた。

これまで武道家の技を“体で覚えた”ように、今度は“記憶そのもの”が刻まれていた。


視界が揺れる。耳に電子音。

《残り二分》

寿命を削る五分制限と、爆弾カウントダウン。二重のタイムリミットが迫る。


「赤だ……赤を切れ!」


神谷が振り向く。

「根拠は!」

「この男の記憶だ……赤を切れば止まる!」


ほんの刹那、神谷の瞳に迷いが走る。

だがすぐに決断した。護衛官の訓練で知っていた――

「偽装は黒や青。本命は赤」。


正樹の声と自分の経験が重なった。


「信じるぞ、相棒!」


神谷は配電盤に飛び込み、赤い配線をつかむ。

素手で銅線を握り、歯で噛み切った。


――沈黙。


カウント音が止んだ。爆弾は沈黙した。


狙撃手の体から力が抜け、銃が落ちる。

「……俺は……何をしていたんだ」

狙撃手の涙が頬を伝う。


だが正樹の幽体は限界を超えて揺らぎ、輪郭が崩れていく。


「秋山!」

神谷が叫ぶ。

「一人じゃない!お前は俺の相棒だ!」


その声に必死でしがみつく。

だが視界は霞み、意識は散りそうだった。


――その時。

群衆の中から理香の叫びが響いた。

「お父さん!」


二つの声が重なり、死の淵から正樹を引き戻した。



第十八章 消失の危機


地下通路。

正樹は虫の息で倒れていた。

神谷が必死に心臓マッサージを続ける。


「秋山!俺を置いていくな、相棒!」


体は透け、消えかけている。

「……神谷さん。俺、もう……」


その時、足音。

理香が駆け寄り、父にしがみついた。


「お父さん!私、まだ話したいことがある!」

涙に濡れた声が魂を繋ぎ止める。


神谷も叫んだ。

「秋山!俺もだ!お前がいなきゃ、この国は守れない!」


心臓に刻むように、神谷は繰り返した。

(今度は守る……どちらも)


二人の声が重なり、正樹の幽体に熱を注ぎ込む。

――相棒と娘。二人の絆が、死の淵から彼を引き戻した。


正樹は咳き込みながら息を吹き返した。

「……まだ……護衛だ」


神谷は震える手で煙草に火を点け、深く吸った。

「チッ……やっと帰ってきやがったな、相棒」


理香は涙を拭い、父の手を握りしめる。


正樹は二人を見渡し、胸の奥で確信した。

――これが俺の生きる理由だ。


第十九章 天界の粋な計らい


***数分前


夢の中。

黄色いベストのおじさんが笛を吹いている。


「よう、秋山。いい働きだった」

「……俺はもう……」

「まあ待て。上の連中と掛け合ってな」


おじさんはにやりと笑う。

「お前さんの”護衛”は本物だった。だから特別待遇だ」

「特別待遇?」

「娘さんの愛で魂が繋がった。それに――」


おじさんは指を差す。

雲の向こうで、神谷が正樹の体に心臓マッサージをしている。

「あの諜報員も必死だ。相棒を失いたくないらしい」


「だから決めた。お前には”再就職”してもらう」

「再就職?」

「神谷のチームで働け。正式な護衛として」


おじさんは笛を一つ正樹に手渡した。

「これで五分の縛りは解ける。ただし悪用は禁止。正義のためだけに使え」


第二十章 新たな出発


三ヶ月後。

都内某所の政府関連施設。


「秋山護衛官、準備はいいか」

神谷の声が響く。


正樹は黒いスーツを着て、胸にバッジを付けていた。

「特別能力者護衛官」――前例のない肩書き。


「今日は文科大臣の視察だ。学校を回る」

「了解です」


二人は車に乗り込む。

助手席で、正樹は小さな笛を握りしめた。

天界からの贈り物――これがあれば安全に幽体離脱できる。


「やっぱりすごい能力だな」

神谷が呟く。

「お前がチームに入ってから、未然防止率が九十八パーセントだ」

「どん底からのギフトです」


窓の外を見ながら、正樹は微笑む。


第二十一章 再会


夕方。

とある中学校での視察任務を終えて。


校門の前で、正樹は懐かしい顔を見つけた。

理香が、スーツ姿で立っている。


「お疲れさま、お父さん」

「理香……なぜここに?」


娘は誇らしそうに答える。

「この学校で、カウンセラーの実習中」

「不登校の子たちと話してる。みんな、お父さんみたいに優しいよ」


胸が熱くなる。

「お前が……そんな仕事を」

「だって、お父さんが教えてくれたから」

「何を?」


理香は微笑む。

「どんなに辛くても、誰かを守ろうとする気持ちは失わない。それが本当の強さだって」


神谷が車から声をかける。

「秋山、家族サービスの時間だぞ」

「あ、神谷さん、すみません!」


理香が小走りで近づく。

「神谷さん、いつもお父さんをお世話になってます」

「こちらこそ。最高の相棒をもらった」


三人で歩く夕日の道。

正樹は心の中で呟いた。


――俺はホームレスから護衛官になった。

でも本当に大切なのは、守りたい人がいること。

そして、その人に必要とされること。


最終章 浮遊する護衛


一年後。

正樹は小さなアパートで一人暮らしをしていた。

政府からの給与で、質素だが暖かい生活。


冷蔵庫には理香からの手紙が貼ってある。

『お父さんへ。今度、お母さんも一緒に食事しない?離婚は取り消せないけど、家族でいることはやめなくていいよね』


電話が鳴る。神谷からだ。

「明日は総理の視察だ。頼むぞ、相棒」

「任せてください」


夜。

正樹は窓辺で空を見上げた。

雲の隙間から、黄色いベストのおじさんが手を振っている。


「よう、秋山。元気でやってるか」

「おかげさまで」

「いい顔になったじゃないか」


正樹は小さな笛を手に取る。

明日も誰かを守る。

見えない場所で、静かに、確実に。


――それが俺の生き方。

浮遊する護衛として。


空に向かって呟く。

「ありがとう、神様」


風が吹き、笛が小さく鳴いた。

まるで返事をするみたいに。

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浮遊する護衛 奈良まさや @masaya7174

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