プルリョローグ

黒乃千冬

プルリョローグ

目が覚めて土にまみれながら穴から這い上がると、上半身全体に痛みが走った。

腹ばいの状態から身を起こし、足を投げ出して地面に座る。

痛みはやはり背中を中心としている。


制服のシャツが腹部まで濡れていて、触ると手に色がつき

それが血だと分かる。


夕日が草むらの向こうに沈み、最後のオレンジ色をぼんやり空に漂わせているうちになんとか立ち上がる。

半分草に隠れたコンクリートの階段を慎重に降りると力が抜けて、転がり落ちるように下の道路に出た。


息が苦しくその場にしゃがみ込んだまま動けない。

血はどれだけ出たのだろう。

まだ出ているのか。

傷はどの臓器を傷つけているのだろう。

僕は死ぬのかな。


車のヘッドライトが近づいてきた。

明るさに目を閉じるとそのまま意識を失った。



病院で目が覚めた。

ここは病院らしいと、目に入るベッドを仕切るカーテンや歩いていく看護師の姿、微かな薬品の匂いで分かった。


すぐに僕を呼ぶ母の声がして、見慣れた顔が泣いていた。

手のひらにも分厚い包帯が巻かれている。

いつの間に手を怪我したのか記憶にない。


「おかあさ…」声を出すと背中に痛みが走った。

背の高い重く黒い服装の男性がやってきてベッド脇に立ち、一気に僕の視界を圧迫した。

「警察です。大丈夫かな、話せますか?お医者さんには許可をもらっています」

鋭い目つきをしたまだ若い警察官が椅子を引き寄せて僕の隣に座る。

警察官越しに見えたもう一つの壁際の椅子には、あの場所に置き去りにしてしまっていた僕の紺色のリュックサックが見える。

まだ泥をつけたままだが丁寧に置かれていた。


「昨日あったことを話してほしいんです」

一人だったのか、何をしていて、何があったのか、昨日あの場所でのあの時間のことを細かく訊かれた。

僕はできるだけ詳細に説明した。


一人でいました。

あそこでいつも部活動で描いている漫画の構想を練ったりしているんです。

昨日もそうでした。

いつもは同じ部活のAと一緒ですが、昨日Aは早く帰る用があったので、僕は一人で案を練ろうといつもの場所に行きました。


古い公園でベンチもあって静かだし、学校の帰りによく二人で寄り道するんです。

顔は見ていませんが背後から急に、その、刺されたと思います。

そこで一度気を失ってしまったので、そこからはちょっと。




背中の傷は数か所あり細い何かで刺されている。

傷の深いものが二か所あるが、あとは浅いか掠り傷で急所は外れていた。

病室のテレビで男子中学生が廃公園で刺される、命に別状はないが犯人は逃走中というニュースを目にする。


町は緊張感に包まれ、登下校時に生徒が一人にならないような対策がとられ、町中をパトカーが巡回していると母から聞いた。

あれから一週間、犯人はまだ捕まっていない。




Aが見舞いにやってきた。

痛みも少し楽になり、退院予定のひと月先にはまだ遠いが、ずいぶん体が軽くなった気がした。


「いやもしAが一緒にいたら巻き込まれてたよ」

「勝手に一人でいつもの場所に行ったのは僕だから」

「Aが謝ることないって」

涙ぐんでごめんを繰り返すAに僕は、落ち着いたらまた二人で遊ぼうと約束した。

「早く犯人が捕まってほしいよ」

Aが下唇を噛み締めた。



あの日Aは家に帰宅して自室に居たのだそうだ。

帰宅後しばらくしてAと母親は一緒に早めの夕食をとっている。

Aがあの日早くに帰宅したのは漫画とは違うイラストを描くためだ。

AのSNSにはコンテストに出すイラストの制作に追われている言葉が、あの日の数日前から投稿されている。


僕たちは二人で漫画を描いている。

僕がストーリーを、Aが絵を担当して、去年は中学一年生ながら漫画雑誌で入選を果たした。

次は大賞を取って、有名漫画雑誌で連載して、単行本も出せたらなんて

あの公園で何度も話した。


Aは絵に磨きをかけるためにSNSに絵を投稿し始めた。

自分の絵に対する反応を広く知って、良くなければ改善に繋げ、もっと上手くなるのだと。

Aのイラストは日増しに反応が良くなっていき、SNSのフォロワーも増えあっという間に人気のアカウントになった。


Aはイラストでも勝負してみたいとコンテストを目指し始めた。

この数カ月は部活動と学校の帰りに少し遊ぶことはあっても、次の漫画の構想を練る話は止まったままだ。


もう何度も見たある日のAの投稿。

“将来はイラストレーターかな”

どういう意味だろうか。

二人で漫画家になるんじゃなかったのか。

約束なんかしてないけど。


じゃあなんで僕と漫画を描こうなんて言い出したのか、君はストーリー担当してって言ったのはAじゃないか。

投稿を見て漫画はどうするのか訊こうとして辞めた。

学校の部活動の漫画クラブで描いていて、たまたま応募したものが入選した、それだけのことだったから。

それに二人で描いていた漫画の時よりもSNSにあるイラストは何倍も本気で描いていて、良い反応ももらっている。

こんな絵を見たら訊くまでもなかった。



あの日僕は一人でいつもの廃公園に向かった。

朝に家から持ち出した折り畳みのシャベルをリュックから取り出すと、いつも二人で座るベンチの後ろに穴を掘り始めた。

土は湿っていて柔らかく、すぐに長方形の浅い穴が出来上がった。


人が埋まるにはもう倍ほどの深さが必要だった。

今日はこのくらいにしよう。

僕はリュックに畳んだシャベルを仕舞うとベンチに腰掛けた。

包丁は家から持ち出すより新しく買ったほうがいいだろう。

疲れていた僕はベンチの背もたれに勢いよく背中を投げ出した。


古い木製のベンチの背はギュッと鈍い音をたてたかと思うと、僕の体を支えることなく崩れ落ち、僕はそのまま一回転しながら自分の掘ったベンチ裏の穴にすとんと落ちた。


身を起こそうとすると背中に違和感を感じる。

触るとどうやら腐った木片ごとベンチに使われていた釘が、何か所も背中に刺さっている状態で、僕はまるで虫か何かをはねのけるように、複数の木片付きの釘を背中から抜いてあちこちに放り投げた。


その後は痛みで動けなくなり、恐怖とショックのあまり気を失った。

そこから先はご存知の通りだ。


犯人はまだ捕まっていないそうだ。

怪我が軽くて幸いだった。

リュックにシャベルを仕舞っていたのも幸いだった。

まだ包丁を買っていなかったのも幸いだった。

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