[第3話]星と炭酸水
「──案外早かったね。終わるの」
セーラがため息を漏らすように言うと、ソーダが「いや長かった」と白目をむいた。
少女二人は、西に傾いた日が差す大通りを歩いていた。まるえ足かせを引きずるような足取りで。
「温泉あってよかったよねー……」
やっとの思いで喋りかけたセーラだったが、ソーダはあーあー言ってばっかりで、返事を返さない。
「……ってか、今日どこ泊まろっか。駅前にホテルあったっけ?」
その問いかけに、ソーダはようやくセーラを見た。
「ない」
またどこかを見て、あー、あーと掠れた悲鳴を上げる。
セーラは一瞬唖然としたが、すぐに「無理もないか」と息を吐いた。
なんせ、事情聴取は二時間ぶっ通しで続いたのだ。あまりに事件が不可解だったのか、それとも二人の態度が女刑事の
セーラがボディーソープをつけていると、隣でシャンプーしているソーダが喋りかけた。
「お腹すいたね」
いたって普通の言葉だったが、広い浴場ではどこか浮いている気がした。
思いつつもセーラは「そうだねー」と返した。
「寿司とか、行く……?」
ソーダは子供のように「行く!」と叫び、それからシャンプーを泡立てるのが驚くほど速くなった。
「……てかさー」
元気を取り戻したソーダがシャンプーを洗い流しながら言う。
「私ら、これからどーすんの?」
薄々分かってはいたが、セーラもソーダも、しばらくは家に帰れないらしい。なんでも、証拠隠滅を防ぐためだとか。特に、”呪い”などの不可視的証拠の有無を家単位で調べるには、かなりの時間を要するらしい。
「……とりあえず、しばらくの間ホテル泊まればいいんじゃない? それかネカフェ」
セーラはうんざりとした顔で言った。
「絶対後者だね」
一方、ソーダは少しワクワクした声だった。
「こりゃ久々に完徹映画耐久だな」
ふと顔を見てみると、本当に楽しそうだった。
セーラも自然と笑顔になり、シャワーと止めて「お先~」と立ち上がる。
「早いって!」
「そこらへんの風呂テキトーに入ってるね~」
ソーダの返事も待たぬまま、セーラは洗い場から立ち去ってしまった。
「……あのやろう」
セーラの身勝手な行動には、時々腹が立つ。今のところは、”そういうキャラ付け”で言い逃れているものの、エスカレートしていくとなると、少し気が重かった。
でも、またすぐに笑顔を取り戻す。
「寿司~。セーラの奢り~」
思考を切り替えて、楽しいことを考える。
そうして明かる気持ちで、またセーラと──
「──美味しいよね~、寿司」
振り向くと、長い金髪を垂らした背の高い少女が、ソーダの背中に影を落としていた。
「……あん?」
ソーダが機嫌の悪い目つきで睨むと、少女は──突拍子もなく笑い出した。人目もはばからず、浴場全体に響くような声量で笑って、笑って笑いまくった。
「……なんだよ」
さすがのソーダも若干縮こまり、警戒の目で彼女を見上げた。
長い間笑った後、ようやく沈黙を取り戻した彼女はフッと息をつき、にんまりと一言。
「面白いね。君」
完全な棒読みだった。
「……あ、私、友達待たせてんだったわ! あー早く行かなきゃー!」
恐怖に陥ったソーダは立ち上がり、体にボディーソープをつけたまま洗い場から立ち去ろうとした。
「待って」
「……なんだよ!」
腕を掴まれてしまい、仕方なく振り向く。
最大限に警戒して、手が出てくれば殴り返すつもりで、腰を落とした。
「……私、ステラっていうの。さっきは笑っちゃって、ごめん」
少女の声には、どこか切ないような、独特の情緒があった。
ソーダは「……あー」と少し声を伸ばすと、手をそっと振りほどいて、もう一度彼女を見た。
まず目は丸っこくて、のんびりとした印象を受けた。鼻は高く、綺麗な筋が通っている。口は少し小さくて、可愛らしい。綺麗な輪郭のパーツ一つ一つが整っていて、中々の美少女であった。
「……あー、うん。私、ソーダ」
思わず言葉を返してしまい、心の中で自分を殴る。
「……ステラ。いい名前じゃん……」
少し照れ臭い調子で言うと、ステラは「ありがと」と純水のように嘘のない笑みを浮かべた。
「ソーダは……炭酸飲料?」
そう言ってクスっとするステラに、いつもだったら怒りを燃やしていた。だが、今のソーダは少し穏やかな気分だった。
「……親が、ソーダ好きだったから」
「お母さん? お父さん?」
「……どっちも」
ぎこちのない喋りに引け目を感じつつ、ソーダは少し口角を上げていた。
「へ~。……じゃぁ、ソーダはソーダ好き?」
少し改まった顔で尋ねられ、ソーダは面食らう。
「……あー、ラムネなら、最近飲んだかな。なんか邪魔されたケド」
「アッハハ、なにソレ~」
「知らん男にぶつかられたんだよ! そのせいでセーラー服がソーダ味になったわ!」
少し怒りを露わにすると、ステラは強くうなづいた。
「そりゃひどいね! 私だったらクリーニング代頼んじゃうかも」
「まぁ、私もムカついたから土下座させようとしたんだけど、そいつ勇者高専の5年生でさー」
その単語を発した瞬間、一瞬だけ空気が揺らいだ。
「へ~、そいつ、どんな感じの奴だったの?」
「なんか黒いコート? みたいなの着ててー。あとガタイも良かったわ。あと顔、けっこーイケメンだったわ。渋い感じ。ルックスだけならちょっとタイプかも」
「えー私だったら告ってるね」
「えーまじ?」
洗い場の通り場で延々と話す二人は、気づけば”友達同士”として見られるようになっていた。
そうして、気がつけば同じ湯舟に浸かっていた二人。
セーラとステラは、絶え間なく話し続けていた。
「──それでさー、その女刑事やべぇの! 『どう見ても女の子が倒せる男じゃないでしょ』って、ちょっとキレ気味に言われて~。マジウザかったわ。マジ偏見野郎過ぎて~。あのクソババア」
「アッハハ、ソーダってけっこークソガキなんだね~」
「ちげーし。ガキじゃなくてJKな!」
「クソは否定しないんだ」
ステラは話がひと段落したかと思うと、急に湯舟から立ち上がった。
「それじゃ、私そろそろ上がるね。話せて楽しかった、ソーダ」
「……え?」
唐突な別れに唖然とするソーダ。
ステラは寂しそうに笑い、さっと取り出した手を振る。
「元気でね。……おバカさん♪」
走ってもいないのに、とんでもない速さで浴場から消えていった。
「……”バカ”?」
ふとあたりを見回すと、”そこにあるはずだったもの”がなかった。
そこにあるはずのもの。
そこにあるはずのもの。
そこにあるはずのもの。
「……セーラ」
口から零れ出る。
暖かいのに、唇が震える。
心臓が、凍えるように寒い。
「……セーラ!」
振り返るのは、嫌な顔をした老婦人ばかりだった。
「──それで私のことさらったんですか……?」
縛られた腕をもがかせながら、緊張した調子で尋ねるのは、セーラ。
「そうでーす。ま、これも世のため人のためってことで」
運転席の女性が、赤髪のポニーテールを揺らして振り向く。
「許してちょ☆」
車内は沈黙に包まれた。
「……ちょっと、ノリ悪くない?」
「いや! あなたが私のことさらったんですよ!?」
するとセーラは何に火がついたのか、必死な目で訴えた。
「ぜんっぜん笑えないですよ! 私が魔族だから殺そうだなんて!」
「……もしかして、話聞いてなかった?」
女性は驚きと呆れが混ざって真顔になっていた。
「……え?」
「私らの同盟は、お前が”悪食の魔族”だからさらったの!」
言われて久々に、自分の立場を自覚した。
*
──それは、遠い昔のこと。
『それじゃぁ、セーラの”罪”は……』
焦る父親の声。
『”悪食”、ですか……?』
とても苦しそうだった。
そして母親を見上げると、唇を噛むのが見えた。
『……はい。お子さんの大罪因子は、極めて稀なものとなっています。生まれつき体内に存在する罪の結晶──シンクリスタルが変異して、ちょっと、異常な形になっているんですよね』
暗号に一生懸命聞き耳を立てていたが、やがてルービックキューブで遊び始める。棚から取ったものだった。
『過去に一つだけ事例があるんですけど、幼少期にとにかく、〈悪食〉な行動を見せるだけで、本人の人格形成に先天的な異常はないんですよね。まぁ、なので、お子さんの場合につきましても、お母様お父様がしっかりと面倒を見ていただけるのであれば──』
思い返してみれば、そんなことを言っていただろうか。
”悪食”。
私が覚えている限りでは、特に”変わったもの”を食べた覚えはない。 小学校でも、幼稚園の頃ですら。それだけ、”矯正”されてきたのだろう。お父さんとお母さんの苦労を考えると、涙が湧く気がした。
それでも、ときどき食べたくなることはある。かさぶたやささくれ、鉄の板、泥や砂、冷蔵庫……。どれも、その気さえあれば食べれる。
だが、私には責任がある。あの両親に育てられたからには、それを全うしなければならないのだ──。
*
「──で、自分の”利用方法”はわかった?」
「はい。なんとなく」
打って変わって芯のある声に、女性は思わず後方に目を向けそうになった。どんな顔で言葉を喋っているのか、見たくなってしまったのだ。
「……まぁ、分かったなら落ち着いて、素数でも数えてな」
「……え?」
「暴れられると困るんだよ……!」
少し照れ臭そうに、女性はアクセルを踏み込んだ。
「こっちも、余計な危害は加えたくないからさ……」
言葉が付け足される度、温もりを増している気がした。
「……名前」
この変化に、セーラは少し混乱気味になっていた。
「……名前、なんですか……?」
少しでも状況を把握したかった。そして、安心したかった。さもないと、気が触れてしまう。
だが、安直な気持ちで発した言葉は、徐々に彼女の運命を狂わせていくのだった。
「……教える義理はない。”ルールー”とでも呼んどけ」
そのニックネームは、親しみやす過ぎた。
*
生暖かい夜風が吹く夜の公園。
硬いベンチに座る。
揺れているブランコに目を向けて、そっと息をついた。
今日も頑張った。
私は、世の中のために働いた。
穢い人間を穢い魔族に変えて、今日も私たちは”訴えた”。この国は、悪に侵されている。悪に血を吸われている。
皆が信頼している、勇者高専だって──
「よ、久しぶり」
声が鼓膜を突き刺した。
とっさに前かがみになって、顔を隠す。
「お前、レイナだろ?」
突き刺さったまま抜けない。
「お前ひ弱だから、すぐ分かんだよ」
痛い。
苦しい。
吐き気までしてきた。
「ほら、顔上げろって。アストお兄ちゃんだぞー」
その瞬間、この世のすべてが一点に収束された。
顔を上げると、相変わらず渋い顔立ちの兄が、私を睨んでいたのだ。
「……え」
「最近どうだー」
抑揚のない声で、不自然なほど馴れ馴れしく話しかけてくる。
「……えっと」
「どうだー」
「……その」
「どう」
「……あ」
「どうなんだー」
高い身長。広い肩幅。威圧的な姿勢と瞳。あの頃から、何も変わっていなかった。
目の前の存在に耐え切れなくなった私は、とっさに叫ぶ。
「<
唱えてから、やっぱりすぐに見上げた。
「お兄ちゃ……!」
もういなかった。
”他人”には、驚くほどに無関心な兄。
”認識阻害”の魔法は驚くほどに効果的だった。警察官とすれ違おうが、顔すら見られない。
どんな名探偵が現れようとも、私を捕まえることは絶対にできない──。
「……大丈夫」
ポケットの注射器を握りしめ、ベンチから立ち上がる。
街頭が照らす夜道、風を受けながら歩いた。
……今、兄が笑った気がした。
勇者セーラに大罪を ~悪食と狂愛、世界を救う?~ イズラ @izura
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