[第2話]無罪と無邪気

「私は無罪です! 姶良イノセントは無罪無罪!!」

 黄色い明りが下りた法廷で叫ぶ、桃紅色とうこうしょくの髪を後ろで一つに結んだ少女──姶良イノセントは、さも当然のごとくギロチンにかけられている体で必死にもがいては、「ダメっすよこれ! このままじゃ死にますぅー!!」と声を荒げた。

「わかってるよテメェは黙ってろ!! あーあーあー!!!」

 隣で同じくギロチンにかけられたソーダが三歳児のように喚き散らす。頭をぶんぶんと振り回すほど、冷や汗が水しぶきとなって茶色い床に飛び散る。

「あー死んだ死んだ死んだ死んだぁ~!」

 こちらもギロチンにかけられていたセーラは、完全に正気を失ってゲラゲラと声を遊ばせていた。

「あぁーっ!!! もうほんとだよ死ぬわコレ~!」

 狂気がソーダにまで伝染し、法廷は笑い声に包まれた。


      *


 ──数日前。


 病室には、ベッドから起き上がって話を聞くセーラ、そばの椅子にソーダ、そして桃紅色とうこうしょくの髪の少女が立って話をしていた。閉め切ったカーテンをすり抜けて、病室には暑い日差しが差し込んでいた。


「──”姶良イノセント”……?」

 セーラはおもむろに首をかしげ、やがて「知らない」と言い放った。

「え~、マジすかー?」

 ベッドの横に立つ桃紅色とうこうしょくの髪の少女は落胆するわけでもなく、半笑いで上半身を屈めた。

「私も知らんわ。なに? もしかして芸能人?」

 椅子に座るソーダも首を傾け、少女の方を見た。

「あー、いや、違います。……そりゃぁ、まぁ、知らなくて当たり前ですよね~」

 少女は少し目を逸らした後、すぐに戻し、改まった様子で口を大きめに開いて言った。

「私、”姶良あいら探偵事務所”の私立探偵”姶良あいらイノセント”と申します……」

 どこか緊張した様子のイノセントだったが、JK二人は「へぇ~」と気の抜けた相槌をうつ。

「探偵ってアレでしょ? 眠ると覚醒するやつ!」

「やっぱデカい祭りとか行くと爆発する感じ?」

 少し興味のあるセーラと、悪い笑顔でからかってくるソーダ。

「……あー、いや、はっはは! さすがに漫画みたいなやつじゃないっすよ~。ただ魔族系の事件追っかけてるだけですよ~」

 大げさに笑うイノセントに対し、JK二人は彼女の発言に青ざめた。

「……え、魔族……?」

 ソーダが若干身を引いて彼女を見上げると、セーラも息をのんだ。

「……イノセントさんって、その……実は刑事さんとかだったり……?」

 ソーダが恐る恐る尋ねると、少し不敵な顔をしたイノセントが答える。

「違いますよ。あくまで私立探偵なんで、国との繋がりはないです」

 それを聞いて息をつくJKたちを見ると、イノセントはもったいぶった調子で言った。

「でも、もし仮にあなたたちが魔族だったとしたら……」

「だ、だとしたら……?」

 ソーダは座ったまま床を踏む。

 セーラもベッドに手をついた。

 イノセントは、ポケットに手を突っ込む。

「──協力してほしい事件が、あるんです……」

 ソーダは椅子から転げ落ち、セーラはベッドに倒れた。

「……え……なんですかそれ……」

 すっかり力が抜けたセーラが、ひゅーひゅーと息をしながら言う。

「いったァ……」

 一方ソーダは腰をさすさすしながら立ち上がり、改めてイノセントを見た。

「え、もしかして私らのこと脅してます?」

「……さぁ、どうでしょう」

 イノセントは妙にすんとした顔で返し、取り出したスマホをパッパッと叩いた。

「これが、『姫瀬ひめせ通り ドラゴン暴走事件』の直前に、防犯カメラがとらえた映像です」

 差し出されたスマホをソーダが受け取り、セーラに渡す。

「……えーやば」

 かなり画質の良い映像で、その異常はしっかりと見えた。

 駅前の路上を歩く人々。その中で、一人の男が突然身を屈めて苦しみだした。注意して観察していると、突然服が破れ、肥大した肉体が露わになる。ぴきぴきと動く血管が見えたかと思えば、次の瞬間には緑色の鱗のようなものが男の全身に生い茂り、やがて全高3mほどの立派なドラゴンに変身してしまった。

「……なんでこうなったの?」

 動画を止めた後、眉をひそめて口を押さえているセーラに対し、ソーダはかなり冷静な様子でイノセントに尋ねた。

「……まぁ、それがコレですね」

 ソーダ経由でスマホを受け取り、今度は二人に写真を見せつける。

「別視点……?」

「はい。別角度から見てみると、男性がドラゴン化する直前、背中を注射針で刺されているんですよね。追い越しざまに」

 確かに写真には、ハンチング帽に白いワンピースを着た少女が、男性の背中に何かを刺している様子が写っていた。

「つまり、この『姫瀬ひめせ通り ドラゴン暴走事件』は、暴れたドラゴンとは”別の人物”が起こした事件ということです」

「……でも、それがどうかしたの……?」

 ようやくセーラが喋ると、隙を挟まずにイノセントが続ける。

「問題は、トウキョウ市中で同様の事件が続発していることです。『カラオケANGEL貴羅山きらやま店 ビーストオーガ暴走事件 』、『王木おうぼく公園 ビーストデビル集団暴走事件』、『臣田じんでん幼稚園 ドラゴン暴走事件』などなど……。同様の事件が”組織的に”起こっているんです」

 ここまで話し終えて、イノセントは一旦息をつく。

「……警察さんたちに任せればいいじゃん?」

 思いついたようにセーラが言うと、イノセントは首をぶんぶんと横に振る。

「それだけじゃ解決しないから、こうして私に依頼されているんです」

「ふーん……」

 セーラは少し感心したようにうなずいた。

 そして黙る。

 静かな病棟には、蝉の鳴き声だけが聞こえてきた。

「……そういえば、結局あなたたち魔族ってことでいいんですよね?」

 ふと思い出したように尋ねるイノセントに、セーラとソーダは低い声でうなる。

「……まぁ、協力さえしてくれれば通報はしませんよ」

「やっぱ脅してんじゃねーか!」

 ソーダが叫ぶと、イノセントはまぁまぁとなだめ、改まって二人に向き直った。

「私と助手だけじゃ、どうにもならないんです。セーラさん、ソーダさん、どうか力を貸してください」

「やだ」

 セーラが即答する。

 予想外の返事に、イノセントは首を傾げた後、「ん?」と聞き返した。

「だから、いやだ」

 セーラの一言に続き、ソーダもうんうんとうなづいた。

  

      *


 その日のお昼前に退院したセーラは、ソーダと共に自宅へと戻ることになった。


 バス車内にて、セーラがスマホゲームをしているソーダに話しかける。

「そーいえば、治ったの?」

「…………なにが?」

 ソーダが画面を見ながら聞き返すと、セーラが少し驚いた様子で言う。

「自分で『救急車呼べ』とか騒いでたのに、もう忘れたの……!?」

「…………あー、あれ?」

 ソーダはやはり画面を見たまま言った。

「……なんか変な感じはするけど、……足はもう治ったよ」

 ソーダは昨夜の奇妙な症状に関しては、特に気にしていないようだった。

 そして昨夜感じていた”違和感”すら、脳内のどこからも消えていた。


「──は?」

 バスを降りて少し歩いて、そして唖然とした。

 二階建て一軒家の前にはパトカーが停まっており、周辺には規制線が張られていた。

「……あー、そういう……」

 ソーダは瞬時に理解した様子でスマホを取り出した。

「……え、なんで私らの家、刑事ドラマみたいになってんの?」

 まだ呆然としているセーラは、現場の少ない野次馬たちの視線を感じ、とっさに手で顔を覆った。

「アレだよ、昨日あの探偵が侵入して来たじゃん。あとあの変態忍者野郎。そいつらが暴れたせいで、いま私らの家がネットニュースになってる」

 画面を突きつけられたセーラはようやく事態を飲み込み、改めて家を見た。

 何人もの警察が出入りしており、その中の一人が、何かのゲージを持っているのが見えた。

「……セーダ!」

 セーラは周囲の目も気にせず、一直線に規制線の前まで走った。

「セーダ!」

 名を叫ぶと、微かにゲージが揺れるのが見えた。

「……あのバカっ……!」

 ソーダは歯をギリギリとしながら、急いでセーラに駆け寄る。

「……いま警察に見つかったらヤベーだろ! 絶対事情聴取受けるぞ……!」

 最低限声を潜めつつ、突き刺すような口調で叫ぶソーダ。

「だってぇ~……」

 そして案の定、笑顔の警察官が近づいて来るのが見えた。

「──あのー、もしかしてこの子の飼い主さんかな?」

「はい」

 セーラが即座にうなずき、ソーダが「お前まじか」と言わんばかりの軽蔑の顔を向ける。

「……てことは、この家に住んでる人?」

 男性警官は優しく微笑みつつ、目はまったく笑っていなかった。

「そうです」

 ソーダは今にも逃げ出しそうだったが、セーラが手をギュッと掴む。

「昨日の夜、知らない男が私たちの家に侵入してきて、私たちを刺した後、この人がその男を血みどろにしました!」

 すべてを吐き出し終え、セーラは少し満足げな顔だった。

 指を指されたソーダは、「……はい、やりました……」とうなづくしかなかった。

「……ちょっと君たち、こっち来よっか」

 これまた案の定。


      *


 同刻、トウキョウ市の国会議事堂近くにて、それは起ころうとしていた──。


 深緑に包まれたある公園。

 そののベンチに座る、一人の少女。ゆとりのある白いワンピースに、ハンチング帽子を被った少女。

「……やるんだ」

 その少女が今、小さく呟いた。だんだんと呼吸が荒くなり、思わず胸を押さえる。それでも、「……やるんだ……やるんだ……」と自分に言い聞かせ続ける。

 黙った。

 口を開いて、すべてを終わらせる──。

「<星ノ光ヨリモ速ク──」

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 心臓がはじけ飛びそうになった。

 少年が、少女を心配そうに見つめていたのだ。

 こんなボール遊びもできない公園に、いったい何をしに来たのだろうか。そう思いつつも、少女は「……大丈夫」と適当に返し、さっさと少年追い払おうとした。

「熱でもあるんじゃない? お母さん呼んでこよっか?」

 そう言ってあわや走り出すところだったが、少女が手を掴んで止める。

「いい……! なにもしなくていいよ……!」

 必死に食い止める少女に、少年は「あっそ」とあっさり諦め、頭の後ろに腕を組んだ。

「……大丈夫だから、早くお父さんとお母さんのところに──」

「僕、お父さんいないよ」

 不機嫌そうに口をはさむ少年。少女は、もう早く帰りたいと思いながら、「……そうなんだ。ごめん……」と返す。すでに汗だらだらだった。

「……やっぱり、熱あるんじゃない? あ! 熱中症かも!」

 少年のこちらを一切考えない言動に、少女はいよいよ苛立ち始めていた。

「はやく帰って……! 私のことは忘れて……! さもないとお前も……!」

 「お前も魔物にするぞ」と言いかけ、慌てて口をつぐむ。無意識に、ポケットの中の注射針に手をかけていた。

 失言を訂正するため、すぐに少年の方を見る。

 だが、そこに少年はいなかった。

「──おねーちゃん気をつけてねー!」

 母親に呼ばれたのか、単に関心を失ったのか、少年はすでに向こうのほうへと走り去っていた。

「……ありがとー……!」

 気が付けばそう叫んでいた。

 いったい、いつぶりだっただろうか。


 少女は小さくも笑みを浮かべていた。一瞬だけ、すべての苦悩から解放されていた。何も知らない少年から、振り向きざまに言われた、その言葉一つで。

「……まだ、いっか……」

 そう言って、しばらくが穏やかな風を感じ、蝉の鳴き声を聴いていた。

「……『気を付けてね』」

 思い出してにやける。


 やがて正気に戻り、立ち上がると、ポケットの注射器に手をかける。

「今日は、スライムでも作ろっかな」

 そこにあるのは、再びしがらみに囚われた、不敵な笑みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る