勇者セーラに大罪を ~悪食と狂愛、世界を救う?~

イズラ

【第1章】すべてのはじまり

[第1話]星空と炭酸水

 黒い空にドンと弾ける。

「うわぁ」

 思わずそんな声を漏らす少女二人の手には、開けたての炭酸飲料。

 瓶の中の泡はパチパチと弾けていた。

「……やっぱ、うるさいもんだね。花火って」

 セーラが口を開くと、隣に座るソーダも「そーれな……」と、見上げたままうなづく。

 セーラー服ファッションに身を包んだ二人の女子高専生は、花火が散る空を淡い目で見つめていた。どこか切なさそうで、特に何も考えていなさそうな目。


 ここは、科学と魔法が共存する世界。

 近年現れた”魔族”が、影を落とす世界。

 そんな世界で、JK二人が青春を送っている。


 花火が終われば、座り込んでいた人々もまばらに散っていく。二人も立ち上がりはするものの、足は動かなかった。

 やがて、セーラは少し減ったラムネに目を向けた。

「やっぱ、花火よりラムネの方が好きだよね。私」

 そう言って、飲み口から覗き込んでみる。

「……炭酸抜けてきてる?」

 そう水に尋ねてみても、返ってくるのは気泡の弾ける音のみだった。

「飲まないと分かんないっしょ」

 ソーダが言い終わらぬうちに飲み口を唇に当てた。

 同時に、黒いコートを着た男と肩が当たる。

 ズレた飲み口から炭酸水が零れ、セーラー服が濡れる。

「おっと、すまん」

 その一言だけ。それだけ言って、男はすぐにまた歩き出した。

「おい」

 そこに、ソーダは手を伸ばす。

「待てよ」

 男の肩に置き、絡め取るような口調で呼び止めた。

「……なんだ」

 男が低い声で返すと、ソーダは「分かってんのか?」と次の言葉を繰り出す。

「……なにが」

 さらに低い声で訊くと、肩を勢いよく引き寄せられる。

 男はしかめた顔でソーダを威圧的に見下ろした。

「私ら"高専生"」

「……それがどうした?」

 男は心底不思議そうに眉をひそめた。

 セーラは肺いっぱいの空気を吸い、ため息に流す。心底うんざりとした顔だった。

「”勇者高専”の生徒だよ! あんまナメた態度とるんじゃねぇよ!」

 勝ち誇ったような笑みと吐息に、セーラは思わず身震いまでしてしまった。

 ただ、"勇者高専の生徒"となると、法律によって厳しく保護されている。どんな人間でも下手に手出しできない、いわば上流階級と言ったところだろうか。この男からすれば、高専生にナメた態度をとるということは、立場的な死に直結するだろう。──そう思っていた。

「俺はその高専の5年生だ。お前ら……何年生?」

 直後、顔面蒼白。

 少女二人はなすすべもなく、冷たい芝にひれ伏した。

「……そうか」

 ひれ伏す女子高生たちに、男は不敵な笑みを浮かべた。

「──楽しみだな」

 呟かれたその言葉。地面の雑草だけが聞いていた。


      *


「……まぁ、次からは気を付けようってことで……」

 空っぽになった財布をパタパタと仰ぎ、小さくため息をつくソーダ。

 一方、この世のすべてを恨み呪うような顔をしているセーラ。まばたきよりも小さな声で、淡々と何かをつぶやいていた。


 ぽつぽつと街灯が落ちる住宅街の道路を、女子高生二人が放浪するような足取りで歩いていた。

「……給料全部もってかれた……」

 声がようやく聞こえるようになると、ソーダは少し口角を上げた。勝気な笑みではない、少し優しい顔だった。それを見て、セーラは「……なに」と不貞腐れた声で訊く。

「なんでも」

 そう言うと、セーラはすぐにまた目を細めた。

 沈黙に風音と足音だけが響き、暗い夜の闇が一層広がる感じがしていた。

 それでも、二人は心細くはなかった。

 やがて、セーラも笑う。笑って、そしてソーダの肩に手を置いた。

 電灯の下、立ち止まり、見つめ合う。

 ソーダの、脳みその奥まで見透かすような、深い視線。

 セーラの、目の模様をなぞるような、繊細な視線。

 セーラ、口を開き、一言。

「お金貸して」

「やだ」

 そうしてしばらく駄々こねた。


      *


「ただいまー」

 声が重なり、暗い廊下に響いた。

 ソーダが電気をつけると、玄関で待っていた家族が姿を現し、甘え声を出す。

「ただいまセーダ~」

 セーラももちもちとした甘え声で返し、飼い猫”セーダ”の頭を撫でまくる。

「……セーラちょっとどいて」

 靴を脱いだソーダは横を抜け、靴下もとっとと脱ぎ捨てた。


「──あがったよー」

「……ほーい……」

 スマホを見ていたソーダは、ゆっくりとソファーから起き上がる。

「はー、だる」

 重い腰を持ち上げ、風呂場に向かおうと歩き出した。

 その時だった。

「……は?」

 突然両膝がガクッと折れ、そのままフローリングに崩れ落ちる。

 立ち上がろうと思っても、力が入らない。いや、そもそも下半身の感覚が完全になくなっていた。

「……どうなってんだよ……!」

 焦ってジタバタするソーダ。しまいには、自分の太ももを殴り始める始末だ。

「……どしたの?」

 その様子を傍観していたセーラが、ようやく彼女に話しかける。

「どうもこうもねーよ! 救急車呼んで救急車!」

「え~。治せばいいじゃーん」

「外傷じゃねぇんだよ! なんか頭もクラクラしてきたし!」

 死に物狂いで叫ぶソーダに、セーラは仕方なくスマホを出す。

「……っていうか、ソーダも今スマホ持ってんじゃーん」

「病人!」

 セーラは耳にスマホを当て、だるそうに応答を待った。

「……マジでどうなってんだ」

 自分の足をギッと睨む。

「……待てよ?」

 ふと気持ちが途切れた時、それを思い出す。

「……これ、”呪い”か? アイツの──」

「ぜーんぜん繋がんないじゃーん!」

 セーラは苛立ち気味に叫び、再び電話をかけた。

「……119が繋がらないことってあるのか……?」

 やはり違和感を覚える。

 これは、もしかしたら──

「──危ない!」

 瞬間、窓ガラスの悲鳴が飛び散る。

 セーラは反射的に飛びのいて避けたが、足が動かないソーダはガラス片に切り付けられた。声にならぬ悲鳴を上げるソーダに、セーラはすぐに走り寄ろう床を蹴った。

「動くな」

 が、一歩進んですぐに停止した。

 忍者のような真っ黒な装束で全身を覆った男が、セーラの首元にナイフを突き刺していた。首に突き刺していた。そう、すでに突き刺していた。

 セーラは嗚咽と同時に倒れ、ひれ伏す。

 ソーダが名前を叫ぼう空気を吸った頃には、すでに喉から大量出血していた。彼女も、そのまま倒れる。

「……なぜ逃げない」

 二人を倒した黒い男が、割れた窓の方を見る。

 そこには、桃紅色とうこうしょくの髪を一つに結んだ少女が佇んでいた。

「……殺したんですか?」

 ぼろぼろと崩れるような声だった。

「どんなに平和ボケしてようが、こいつらも魔族だ。簡単には死なない」

 そう言いながら、男は一歩ずつ少女に近づいていく。

 少女の恐怖すら忘れた瞳が、血を流した二人を交互に見る。何度も何度も視線を往復し、そしてようやく目の前の男を見た。

「……ひどい」

「魔族は簡単には死なない。それは、お前も同じだ」

 男は少女の首元をがっしりと掴み、腰のナイフに手をかけた

「……つまり、……分かるだろう?」

 首を絞めつけられても、少女は悲鳴一つ上げなかった。それどころか、沸々と煮えたぎる怒りを瞳に宿し、その男を睨みつけていた。

「あんた、後悔しますよ……」

「あぁ?」

「怒らせたこと」

 すると、男は鼻で笑い、「いいか?」とさらに首を絞めた。

「”本能”にも勝てねぇ糞魔族が、人間様に勝てるわけねぇんだよ!」

「いま、その”本能”が暴れようとしてるんですよ」

 少女の目は真剣だった。

 その目は、男の背後を見つめている。

「……なんだと?」

「──邪魔スンナ」

 二本の足で立つ魔族・ソーダは、殺意で真っ白な瞳を男に向けていた。

「……私らの、……たのしいたのしい、……奨学金、生活を、……邪魔すんじゃ、ねぇよ……」

 夢うつつのような喋り方だが、体は覚醒していた。

「……く、来るなァ!」

 無意識に叫び、とっさに手に持った少女を盾にした。迫り来る”本能”が彼を恐怖させていたのだ。

「……弱虫……」

「……こ、この、糞魔族が!! 怪物が!! ……人間様のありがたみも知らねぇ!!  テメェらみてぇな本能だけの獣がいるから!! 温もりも知らねぇ害虫がいるからァ!! この国はァ──!!」

「それは……、ちがう」

 少女が苦しみながらも声を上げる。

「……私たち魔族にだって、温もりはある……。とくに、彼女たちや私みたいな、……精神をコントロールできる魔族、……それは……人間と……一緒……」

「──だらしないと思ってても、互いのことめちゃくちゃ大事に思ってて」

 気がつけば、ソーダもいつもの調子で話していた。その手は、すでに男の首を握っている。

「……拗ねても、喧嘩しても、……またいつか分かり合える……」

「──私もセーラも、ただ幸せになりたかっただけなんだ。あんたらが何たくらんでるかは知らねぇけど……」

 スッと瞳を閉じて、ゆっくりと開く。

 男の恐怖に満ち満ちた顔を見て、笑って──

「邪魔すんなら、死んでくれ」

 一夜にして、家は血に染まった。


      *


「──私がグシャグシャにしたのか……?」

 立ったまま話を聞いていたソーダは、すでに冷や汗だらだらだった。目の前には、血まみれの顔面で気絶した男が、仰向けに倒れている。

「……私が、こいつのこと、何回も殴ってグシャグシャにしたのか……?」

「……はい。そう、ですね。あなた様が、……その、……やりました。多分、死んではないですね……」

 向かい合って立つ桃紅色の髪の少女が、ぎこちなくうなずく。

 ソーダは顔を手で覆いで空を仰ぎ、スーッと息を吸った。どうにかして混乱を落ち着けようとしている。

「……あー、あと、後ろに倒れてる子なんですけど」

 聞いた瞬間、ソーダが「──あーっ!!!」と住宅街全体に響く大声を上げた。

「うわびっくりした──」

「セーラ!!!」

 すぐさま振り返り、うつ伏せに倒れている親友を助け起こした。

「セーラ!!! わかるか!!?」

 返事はない。依然、首から血が流れ続けている。

「……魔族とはいえ、それはさすがに危ないですね……」

 少女は思わず口を押さえて青ざめた。

 ソーダは一瞬ためらいつつも、その右手をセーラに伸ばす。

「<ハイルングス赤キ傷ニ白雪フル>……」

 掌から降る白い雪の粒たちが、セーラの真っ赤な喉元に触れる。

 その瞬間、光を放っては、溶けるように傷口へとしみ込んだ。

「……精度いいっすね」

「救急車! すぐ救急車呼べ!」

 ソーダは必死な形相で少女に叫んだ。

「は、はい!」

 少女は「やっぱこの人怖いな」と思いつつ、すぐにスマホのキーパッドを叩いた。

 三毛猫は、床に広がった血を舐めていた。

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