Thread 06|13階勤務、初日(終)

翌朝。

谷口は目が覚めると、寝ぼけながらスーツに着替え始めた。


(あれ、なんで俺、出社しようとしてるんだっけ?)

ぼんやりとした疑問が浮かぶが、それでも手を止めずネクタイを結ぶ。


上着の内ポケットにストラップの巻かれた社員証を入れる。


写真の顔が、ほんの少しだけ笑っている。

「……俺、こんな顔だったっけ」


スマホを見ると、会社からの通知が複数入っていた。

──「本日は出社よろしくお願いします」

──「初日の業務は13階 会議室Bです」


13階?


ふと気づく。

エレベーターの呼び出しアプリに、「13F」の表示がある。

何度見ても、ある。


***


家を出てから駅までの道のり、重いはずのカバンが、何故かいつもより軽く感じた。


電車の車内もいつもより静かだった。


オフィスの一階、朝はいつも混むエレベーターもちょうど1台前で全員が乗り込み、谷口一人になった。

ポンと音がして静かにエレベーターの扉が開く。


そのまま乗り込むと、階数のボタンは自動で「13」を指していた。

キャンセルも、変更も、できなかった。

上昇による重力を感じながら、谷口は大きく息を吐いた。


扉が開いた瞬間、谷口はなぜか“懐かしい匂い”を感じた。


誰もいない静かなフロア。

無音の中で、コピー機のライトだけが点滅している。

古びたデスクと、空気の重さ。

一度来ただけの場所なのに、なぜか落ち着く。


──ここは、知っている。

それが“知っていたはずの場所”だという感覚が、どんどん強くなっていく。


ふと背後から声がした。

「落としましたよ」

振り向くと、青白い顔の守衛が、社員証を差し出していた。


「ありがとうございます」と谷口は受け取る。


手元を見ると、そのIDカードに書かれた名前は「谷口」ではなかった。

──名前も、顔も、声も、少しずつ“違う”。

それなのに谷口は、ふっと肩の力を抜いた。


やっと、自分の居場所を見つけた気がしたのだ。

笑って、知らないはずのフロアを歩き出す。

会議室Bに向かって。


その背中を見送りながら、守衛は小さく呟いた。


「13階勤務……0年0ヶ月1日目、っと」



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[Thread Story]13階シリーズ:副業リモート社員・谷口の場合 風光 @huukougensou

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