第3章 遠回りの先にある未来

ララの姿を目に焼き付けたあの日――。

ニイナと別れた私は、真っ直ぐ会社へ戻り、自分のデスクに腰を下ろした。

胸の奥に残ったざわめきは、すぐには収まらなかったけれど、せめて形にしておかなければと、手帳を開いてToDoリストを書き出したの。

そうでもしなければ、せっかく得た情報や、ニイナたちの思いが零れ落ちてしまいそうで。

あの奇跡の再会が、ただの「感動の記憶」として過ぎ去ってしまうことだけは、どうしても避けたかった。

ニイナと出会ったのは、彼女がシンガーソングライターとして大手レーベルに就職し、デビューした頃だった。担当を任されたのがきっかけで、気づけば仕事の枠を越えて親しくなっていた。

だからこそ私は、彼女の歌声の裏にある、屈託のない笑顔や、迷いながらも未来を見据える真剣なまなざしを、多くの人に知ってもらいたいと強く思うの。

世間はまだ彼女を「新人のひとり」としか見ていないのかもしれない。

けれど、多少の贔屓目を差し引いても、私は信じているわ。

彼女の透明な声は、目を閉じれば大海原を渡る風のように心を揺らし、優しい歌詞は、孤独を抱えたララのような存在にさえ、きっと暖かく届くと。


少し時間が経った頃、ようやくToDoリストを書き終えた私は、ようやくひと息ついて帰路についた。

会社を出るころには、すでに街の灯がビルの窓に反射して、夜風が少しだけ秋の匂いを運んでいた。

家に着くと、スーツを脱いでハンガーにかけ、シャワーを浴びた。

そうしていつものルーティンをこなして、軽くリラックスタイムを過ごせば、もう日が変わる時間だった。


「まずいわ。少し時間を押してるわね……」


気づけば、自然と独り言が漏れていた。

私の恥ずかしい癖――独り言が多いの。

でもね、それを少しだけ誇りに思っているの。完全にダメな部分を除いて、だけれど。


なぜって?

それは、ニイナが私を気に入ってくれた理由のひとつだからよ。


まだ彼女がデビューしたばかりで、テレビ番組への出演が続いていた頃のこと。

とある音楽番組の収録前、ニイナは控え室で準備をしていた。私は取材のために同席していたのだけれど、スタッフや他の出演者が行き交う中、彼女は少しだけ不安そうに俯いていたの。


それはそうなって当然よ。華々しいステージの裏では、緊張と孤独が入り混じる。私もその空気を感じ取って、何とか場を和ませようと、スマートフォン片手に“彼女が好きそうな話題”を必死に探していたの。

そのとき――ニイナが突然、ふっと笑ったの。


「シーンズさん、全部考えてることが漏れてますよ。」


そう言われて初めて、自分の“ひとり討論”が全部口に出ていたことに気づいたわ。

恥ずかしさで顔が真っ赤になったけれど、ニイナは楽しそうに笑っていた。


「この私のために考えてくれていたのよね? ありがとう、シーンズさん。」


落ち着いた頃、彼女は私に一枚のカードを手渡した。

そこには、丁寧な字でニイナの連絡先が書かれていたのよ。


「記者としてだけじゃなく、友達としても話したい。」


と言ってくれたその言葉が、今も色濃く胸に残っている。

あの夜、私は確かに感じたの。

この仕事の先に、記事でも数字でもない――“心と心で繋がる物語”があるんだって。

そして今、ToDoリストの先に書かれるはずの未来も、きっとその延長線上にあるのではないかとさえ感じているわ。


すぐに結果は出ないかもしれない。

けれど、今の私にできることを一つひとつ遂行していくしかない――

そう心の中で静かに決意を固めると、ようやく私はリラックスタイムを切り上げて、ベッドに潜り込んだ。

夜更けの部屋に、街の灯りがぼんやりと差し込む。

心のどこかに、まだララの泳ぐ姿とニイナの笑顔が浮かんでいたけれど、

そのままゆっくりとまぶたを閉じた。

――そして翌朝。

まだ外が薄暗い午前5時。

眠るのが遅かったせいで、少しだけ眠気を引きずりながらも、私はなんとかベッドから起き上がった。

レストルームへ向かい、顔を洗って歯を磨く。冷たい水が肌に触れた瞬間、ようやく頭が冴えてくる。

そこからは、私のいつもの“モーニングルーティン”の時間。

およそ1時間――この時間を確保しておくことを、私は何よりも大切にしている。

トーストを焼いて、熱いホットコーヒーを淹れる。

簡単に作ったサラダとヨーグルトを添えて、

BGMにはお気に入りのゆるやかなピアノジャズのチョイスを忘れずに。

この時間があるだけで、心が整う。

朝の静けさの中で思考が澄んでいくような感覚になれて楽に動くことが出来るわ。

反対にこれを省いてしまうと、一日がどこか慌ただしく進んで落ち着くことができないまま一日を過ごすことになるわ。そんなの、嫌だからこの時間をとても大切にしているの。

午前6時。

服を着替え、軽くメイクを済ませると、ようやく仕事モードのスイッチが入った私は、忘れ物がないかを確認し、家を出て通い慣れた通勤路を歩いていく。この間にも昨日書き殴るように書いたTODOリストを振り返る。

そのTODOリストの一番上に私が書いたのは、


「シャチを取り扱うアニマルドキュメンタリー番組の調査」。


それをリストに書くことに決めたときの背景を思い返しながら、ひとつ私はため息をついた。

ララとニイナの物語を、私の持つ言葉たちでどう伝えることができるだろうと悩みが絶えないからよ。

ただ、今それを考えていては目の前のことに集中できないのもわかっているから、今はそっと隣に置いておくことにして、調査に向けて気持ちを切り替えるようにするわ。




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潮騒の笛 獅々奈 @kokushi0613leona

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