結月と勇
「なに聞いてんの?」
結月が尋ねると、勇は黙って片方のイヤホンを差し出した。勇に並んで岩に腰かけた結月はイヤホンを受けとり、左耳に挿しこんだ。オアシスの『Acquiesce』だ。
「懐かしー」
「懐かしいのしか入ってないんだ」
数世代前のMP3プレイヤーで、ずっと使わず車に置きっぱなしになっていたため、最近の曲は入っていないそうだ。白いイヤホンのコードの黒ずみからも、年季を感じる。
リアムとノエルがデュエットする、オアシスの中でも珍しい構成の曲だ。ブルーAが初舞台で演奏した曲ということもあって、結月も大好きだ。
「まさかオアシスが復活するなんてね」
「だな」
「秋の日本公演、見に行く?」
「行く」
「いいぃぃぃなぁぁぁぁー」
チケットの抽選に全滅した結月はうらやましさに身をよじる。
「わかんないよ。日本来る前にまた兄弟ゲンカして解散するかも」
「否定できない」
こうやってふたりで他愛のない話をするのは、何年ぶりかわからない。それでも、あのころと同じように話ができた。再会してからずっとピリピリした場面が続いていたので、ようやく普段の結月と勇として顔を合わせることができて嬉しい。
リアムがAメロを歌ったあと、ノエルがサビを歌う。不仲で有名な兄弟が呼応するように交互に歌うのを聞いていたら、ふと、オアシスが復活できたならブルーAもいつか復活できるかも、と思ったが、口には出さなかった。それは四人が決めることであって、他人の願望に急かされるべきじゃない。
「俺に限界が来たら、そのときは結月が教えて」
そんな重たいことを、勇は世間話の延長みたいな調子でさらりと言う。だから結月も軽口めいた感じで返した。
「素人の私が気づくころには、とっくに勇が気づいてるでしょ」
「気づいてたとしても、受け入れられるとは限らないから」
勇に限ってそんなこと。反射的に浮かんだその言葉を結月は冷静に飲みこむ。人生を懸けてきたものが、もう自分の手の中からこぼれ落ちてしまったと認めるのは、並大抵なことじゃない。実際に自分がそうなったときに受け入れられるかどうかなんて、考えるのも恐ろしい。それほどのことを結月に任せると言ってくれているのだ。結月はまっすぐに勇の横顔を見つめて答える。
「わかった」
自分から目をそらすのは、とても楽だ。目をそらしていることさえも無意識下に封じこめてしまうことができる。しかし結月ならば、勇が深く隠した本音を掘り当てることができる。力ずくで、でも致命的な傷はつけることなく、日の下にまで引きずり出せる。それはブルーAのメンバーでも梨花でもなく、結月にしかできないことだ。
そこで会話が途切れ、勇が意外そうな顔になる。
「言わないんだ」
「なにを?」
「自分がダメになったと思ったら言えって」
「今はまだそんなこと言える立場にないからね」
勇は「そっか」とうなずく。そのあっけなさに結月は、ホッとすると同時に、かすかな寂しさを覚える。
もう、塾の自習室やガレージでイヤホンをシェアしていたころのふたりではないのだ。
十年あまりで、勇は手を伸ばせば届く格技場の即席ステージから、ドームのステージの上にまで離れてしまった。こちらからステージの上はよく見えるが、ライトの当たらない客席の中から結月を見つけ出して注視しておけなんて、そんな図々しいことは言えない。
結月は視線を湖へ向けた。今日は霧こそないが、薄灰色の雲が空を覆っていて、やはり富士山は影も形も見えない。とことん縁がないな、と悔しくなると同時に、今はまだ見えなくていいとも思う。
江口と違って、結月にはまだチャンスがある。それがどれだけ恵まれていることかを思い出した。まだまだこれからだ。今までは生き抜くスキルを身に着けようとしてきた。今度は凡人が天才と渡り合う方法を探すときだ。
霧が晴れるのを待つのではなく、自力で抜け出すのだ。勇の限界が来たそのとき、すぐ隣に立って、同じ景色を見ていられるように。
「よっしゃー!」
朋哉が声を上げた。「すげえ、すげえ」と何度も飛び跳ねながら指さす水面には、数え切れない小さな波紋が一直線に並んでいた。梨花も興奮気味に朋哉をほめている。
朋哉のまぶしい笑顔がくるっとこちらを振り向く。
「見て見て! できた、すげえ!」
消えてしまう前に波紋を見せたいのだろう。朋哉は「早く早く!」と手を振って急かす。
勇と結月は同時に腰を上げ、走りだした。
腕を振った拍子に、結月の耳からイヤホンが外れる。しかし音楽はまだ聞こえていた。
家族を見つめる勇の胸を満たす温かい鼓動が。
子どもの一瞬の輝きを見逃すまいと走る足音が。
このときのことも、いずれ曲になるかもしれない。
そんな予感に結月は胸がいっぱいになる。
〈了〉
霧中のロックスター 朝矢たかみ @asaya-takami
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