リカヴィトスの黒獅子
黒猫館長
「終焉呼ぶ咆哮」
ギリシャ神話は世界でもっとも有名な神話の一つであるだろう。多種多様な神々と神器が登場する。義兄であるサリムがこの国に注目することは自明であったといえる。そして今回の仕事はギリシャの大都市アテネにやってきた。せっかく世界有数の観光地に来たのだから観光したいものだが、そんな時間はなさそうである。
「アクロポリス、パルテノン神殿、アテネ国立考古学博物館…せっかくアテネに来たのに全部いけないってマジですか。」
「何でもできる限り早く仕事を終わらせないといけないらしいわ。…あの男死ねばいいのに。」
「今回ばかりはサリム兄さんのせいではないみたいですけどね。依頼主の要望と聞いていますけど…ちょっとくらい良くないですかねー。」
「あらそうなの?なら仕方ないわね。」
「ん?」
一緒にギリシャのアテネまでやってきた同僚のジューン。彼女も同じく観光できない今の状況を嘆いていたのだが、依頼主の要望ということで簡単に呑み込んだようだ。この切り替えの早さは心が成熟しているということだろうか。イギリスロンドンから飛行機に乗って約4時間。また来ようと思えば来ることができる距離であることも影響しているのかもしれない。
「さて、そろそろ依頼主が来るらしいですが。…これ掲げるんですか?」
「そうよ。さっさとしなさい。私は離れているわ。」
「それじゃあ俺だけ変質者じゃないですか。逃がしませんよ。」
依頼主に分かるように掲げたプラカード。そこには依頼者が読めるように日本語で「お兄ちゃ~ん!集まるのはここだって言ったでしょ~?早く早く~!」とピンク色のハートなどでデコレーションされて書かれている。なんじゃこらといいたいが、作製者自身もふざけていることはわかっているらしい。
「私のような超絶美少女の手を握って離さないなんて、本来ならセクハラで死刑よ死刑。今の幸運に喜び悶絶しながら死になさい。」
「貴女もう美少女名乗れる年じゃないでしょう?出会ったころでさえぎりぎりだったっていうのに、20代入ったらもう無理ですよ。」
「確かに私は超絶美女を名乗れるけれど、エリザベート様をはじめロンドンの高身長美女たちを見ているとちょっと名乗りにくいのよ。まあ私は貴方みたいに低身長ってわけじゃあないわ。ただ、美女って言葉のイメージの問題ね。」
「よくわかりませんが、俺はあなたよりも身長ありますからね。負けてるのはエリザベート様にだけですからね。」
プラカードを掲げながらそんなくだらない話をしていると、ゲートから出てきた一人の男性がこちらにやってきた。180cmを超えるだろう高身長、スラリとした細マッチョであることがよくわかる体格の良さを持った眼鏡のイケメンだ。彼は手を振ってさわやかな笑顔を向けた。このプラカードは気にならないのか。
「こんにちわ!君たちが…ジュリー君とジューンさんだね。」
「…初めまして。」
「お久しぶりね。」
ああこれがイケメンというやつか。生まれたときからイケメンになるかどうかは決まっているのだろう。身長も同じだ。環境が良くても努力しようとも変えられないのだ。両方兼ね備えているとか世界は理不尽だ。彼こそが依頼人だとわかり、いろいろな意味で帰りたくなってきた。
「さてお父様。まずは契約書を交わしたいからカフェテラスに行きましょうか。もちろん奢ってくれるわよね?」
「え、ああうん。もちろんだよ。」
「は?お父様?」
カバンから契約書の入ったファイルを取り出すジューンがさらりと言ったことに理解が追い付かず聞き返してしまう。
「いやいやいや何言ってるんですかジューンさん。どう見てもこの人30代前半ですよ。ジューンさんの父親だったら何歳の時の子供だっていうんですか?」
「それはあれよ。前世の父親に似てるっていうか、似てたらいいなっていうか。まあ実の父親でもぎり許せるかなっていう感じの。」
「イマジナリーの父親かい!」
「ははは…まさかその設定がまだ生きてるとは思ってなかったよ。」
そのあと聞いた話によると、ジューンはこの男性と以前に日本であったことがあったらしい。その時もジューンが振り回してしまったようだ。しかし男性嫌いの気があるジューンがここまでなついているというのも驚きだ。
「まあ本当に実の父親だったらできるだけ苦しめて殺してましたね。」
「そうね。生まれてきたことを後悔させるレベルで苦しめて、地獄に送ってやるかもしれないわ。」
「ええ!?」
死体の処理が面倒なのでできれば生涯会いたくないものである。
カフェテラスのテーブル席に座ると、ジューンが契約書をそこに置き改めてあいさつした。
「改めて自己紹介よお父様。私はジューン。エリザベート様に仕えるメイド様よ。そして隣のこの男が私たちに飼われている駄犬。今回の任務で囮役に使うわ。」
「駄犬じゃないっつーの。エリザベート様の眷属のジュリー・ブラッドリーです。今回の神器回収を担当いたします。」
「シドから話は聞いてるよ。僕の名前は…。」
「ちょっと待ちなさいお父様。ここでは偽名を名乗りなさい。壁に耳あり障子にメアリ―、ブラッドリー家という後ろ盾がある私たちと違って、お父様の身元が特定されると大変だわ。」
「そうなのかい?…っていうかメアリ―どこから来たのかな?」
「ただのノリよ。考えても仕方のないことだわ。で、いい名前は決まったかしら?」
「じゃあ、『セイ』にしようか。よろしくねジューンさん。そしてジュリー君も。」
「よろしくお願いします。セイさん。」
「安直すぎる名前だけれど、まあいいわ。では契約内容に映りましょうか。」
現地で契約を交わすということは珍しくない。基本的に神器に関する仕事はサリムが請け負いこちらに発注する形をとっている。しかし今回は少し状況が異なるらしい。今までの仕事は神器を回収した後にサリムが保管所有する流れであったが、今回は依頼主であるセイに神器を譲渡するようだ。神器には扱うために適合者が必要な場合がある。サリムは彼に適する神器を見つけ出すまでを請け負っており、回収までをエリザベートに仕えるジュリーたちが請け負う。この二つは別々のものとして契約を行うという。
「書類を見てもらえれば大体わかるけれど、今回の任務中にお父様が死んでも一切の責任は負えないわ。逆に私たちが死んだとしてもお父様に責任が問われることもない。神器回収完了した後、取り扱いに慣れるための訓練を行ってもらい、日本に戻った後も年に数回以上の状況報告義務が生じるわ。神器を使った犯罪行為を行ったり、神器を持って逃走したりすると、うちの駄犬及びエリザベート様、ブラッドリー家総出で殺しに行くことになるから絶対にやめて頂戴ね。」
「そんなつもりはないけど、物騒だなあ。」
「とりあえず神器の特定から回収までの費用がこれね。利息は付かないし何回払いでも構わないけれど、死ぬまでに返しきれないなんて言語道断よ。また、所属組織から援助をもらうみたいな、神器の所有権を揺るがす可能性がある行動も認められないから注意なさい。」
「…………はい。頑張ります。」
契約関係はジューンに全く任せてしまっていたためよく知らなかったが、今セイが握っている書類に書かれている総額は1億5千万円であった。毎年500万円返済しても30年かかる計算である。目の前のイケメンがどれほど稼いでいるか知らないが、自分であったらハンコを押す勇気はないだろう。
「内容が理解出来たら、ここにサインと血印をして頂戴。サインに偽名を使ってはダメよ。」
「うん…く、くーううううう…。」
ペンを持ちながらも震えて動かなくなっていた。やはりイケメンでもこの金額には圧倒されるようだ。ここに来たからにはそれ相応の覚悟があったのだろうが、葛藤することも仕方がない。しかししばらくするとサインを書き始め、契約が完了した。
「これですべて完了よ。それでは神器のある現場に向かいましょうか。」
「うん。…よろ、よろちくおねがいします…。」
「ご愁傷さまです。いや本当に。」
ギリシャに着てまだ半刻ほどだというのにやつれたその姿を見て、日本人らしく合掌するしかなかった。
目的地までブルーラインに乗り移動をした。その間、セイという人物についてジューンがなぜか誇らしげに説明する。
「そんなわけで、お父様は日本に現れた魔王を打倒したらしいわ。もはや最も新しい英雄といっても過言ではないわね。」
「別に俺一人の力で倒したわけじゃないよ。たくさんの人の力を借りて、ギリギリ偶然何とかなったってくらいだから。」
「想像がつきませんよ。魔王が日本にいるっていうのもそうですが、魔道具?だけで五体満足で倒したなんて。」
ジュリーもそうだが、世界には人々にが知らないだけで数多くの人街の怪物が存在する。魔王とはその中でも圧倒的な力を持つ存在のことを指すらしい。ジューンが言うにはエリザベートも魔王になる可能性があるとかないとか。さらにその魔王は神器を持っていたという。自身も仕事の中で何度か神器使いと戦ったことがある。いずれの戦いでも瀕死まで追い込まれたし、勝利したとはいえ一人で何とかすることなどできるわけがなかった。ましてや吸血鬼の超再生能力がなければ何度死んでいるかわからない。
「でも一か月も入院することになっちゃってね。まだまだ調子が戻らないよ。」
「一か月で復帰できるレベルなのがおかしいって話なんですがね。」
魔道具を使って戦ってきたという。魔道具はサリムが作っていることもある魔法を使える道具のことのはずだ。良く知らないが、さすがに神器と戦えるような性能ではないはずだ。そうであったらさすがにサリムも支給しているはずである。その魔道具も先の戦いで壊れてしまったらしく、それの代わりとなる神器を求めてやってきたというわけである。
「強くて高身長でイケメンで前職医者ですか。もちすぎじゃろ…。」
さらに今回で神器まで手に入れるらしい。もうこれは同情できない。1億5千万円くらい借金がないと許されない。あまりに人生が理不尽すぎるのである。
「ジュリー君?なんでそんな苦虫を噛み潰したような顔してにらむんだい!?」
「持たざる者の嫉妬よ。この位受け止めてあげて頂戴。」
あと5000万円追加してこちらの懐に入らないものだろうか。特に使い道が思い浮かぶわけではないが1億5千万も2億も変わらないだろう。それが無理というならば神様よ、どこかで帳尻を合わせてもらいたいものである。
リカヴィトスの丘、アテネ全域を見渡せるこの都市で最も高い丘の名前である。調査されつくした場所であるが、サリムによってその地下深くに通じる洞穴が見つかったのだ。そこが我々の目的地である。
「ここですね。おー結構下まで深そうです。」
「この洞穴の奥に神器があるのか。…地下にどんなガスが充満しているかわからないと降りることもできないな。」
「そこは問題ないわ。貴方。血をよこしなさい。」
「吸血鬼でもないのにその文言は危険人物すぎますね。」
吸血鬼の八重歯は血を吸うための傷をつくるために長く鋭くなっている。その長さなどは魔力で任意に調節できるのである。そんな八重歯を用いて親指に傷をつける。少量の血が流れた親指をジューンに向けると、彼女はそこに口をつけ血をなめとった。
「モード・ルビー。」
その行為はジューンの持つある力を発動させるためのトリガーになる。モード・ルビーはジューンと魔力的につながり、自分の能力をジューンが使用できるようになった状態である。彼女のサファイアのような青い瞳の奥に赤い光が灯り、魔力が何倍も膨れ上がる。そしてこちらも彼女の高い演算能力の恩恵が一部あるものの、半分くらい体の主導権を握られている感覚に陥る。つまり不平等条約を締結したようなものだ。
「さて、さっさと調べましょうか。」
「いえーすまいれでぃー。」
魔法というものが扱えるようになって一年以上過ぎたが、自分の能力は扱いこなすにはあまりにも複雑すぎるものだった。粒子操作とでもいうべきか、小さな原子からかすかなエネルギーの流れまで観測し操作することができる能力だ。もちろん原子なんてレベルを観測しようとすれば死にそうになるし、巨大なエネルギーを動かすにも上限がある。自分一人の力ではせいぜい目を使わずに物を見たり、剣のようなちょっとしたものをつくったり、それを動かすくらいしかできない。この能力を扱うには脳みそがあまりに足りないのである。しかしモード・ルビーで拡張された能力は、地下の巨大な迷宮の隅々までを知覚し、そこに何があるか瞬時に探索する。その情報を記憶なんてできるはずもないが、情報を処理しているのは隣の天才だ。この位の迷宮であればいとも簡単に記憶してしまう。つまりものの数秒で、人間ならば数年をかける地下の調査を完了してしまったわけだ。
「このまま降りても問題なさそうね。」
「思ったより通気口があるみたいです。…あとなんか化け物っぽいのいっぱいいますね。」
「え、地下に怪物が住んでいるって事かい?」
「これはおそらく濃密な魔力から発生したアンノウンよ。地下文明があるとかそんなんじゃないわ。さ、降りて仕事に向かいましょう。」
「ロープ降ろしました。落ちないとは思いますけど、気を付けて降りてくださいね。」
「まずは先に降りさせてもらうわ。お父様は合図があったら降りてきて頂戴。さて、はい。」
「…いきなり両手を広げてなんです?」
「このか弱く繊細な乙女にロープ一本で降りられると思うのかしら?こういう時のために貴方がいるのでしょう?」
「本当にか弱い女性だったらこんなところに連れてこれませんけど。多少の揺れは我慢してくださいね。」
「いやよ。丁寧に降りなさい。」
「まったく、こういう無茶ぶりに耐えられることことについては、エリザベート様のしごきのおかげですかねえ。」
探索のための装備を付け、ジューンを抱きかかえながら片手でロープを持つ。彼女を揺らしたり壁にぶつけたりしないように細心の注意を払いながら、ゆっくりと地下へと降りていった。その間セイの生暖かい視線が鬱陶しかった。その後合図を送り、セイも地下に降りてきた。
「ランプもちゃんとついてますし、探索も問題なさそうです。気を付けて進みましょう。ってことで案内よろしくお願いします。」
「この程度の広さならさっき見て覚えれるでしょうに、仕方がないわね。」
「そんな記憶力があれば今頃学者にでもなってますよ。」
ヘルメットにつけたランプを点灯したことで、真っ暗な洞窟であれどもよく見える。もちろん能力を使えばもっと遠くまで知覚できるが、今のところ出来る限り消耗を押さえたいのでやめておく。
「セイさんのその銃らしきものって魔道具なんですか?」
「うん。同僚に魔術師がいてね。玩具にしか見えないし、空港の検査も引っかからないからって持たせてくれたんだ。少しは二人の負担を減らせたらいいんだけど。」
「魔術師か…へー魔力の電池みたいなのがあるんですね。」
「僕には魔力がないみたいで、この電池がないと動かせないんだよ。魔力池っていうべきかもしれないけどね。」
「さすがお父様わかっているわね。銃は剣より強しよ。私も銃使いだからより親子っぽいわ。」
「あれ?その銃何処から出したんだい?」
「私の魔法よ。」
ジューンの能力は錬金魔法。無機物を様々な金属に変換し加工することができる。その応用として彼女の持つ銃のようなものをつくることができるのだ。通常の銃と異なり、アンノウンに再生不可のダメージを与えることができることから非常に有用である。
「すごいな。ジュリー君のその剣も能力なのかい?」
「ええ。この位の大きさの剣だったらどこでも作れます。材質はその場にあるものに限られますけど。」
「私のように複雑なものをつくれないことが何よりも欠点ね。さてお父様、下がっていなさい。来るわよ。」
「とりあえず俺は接近してきたものだけ処理していくので、遠くの奴は頼みます。」
「はいはい。数が多いからって一体も通すんじゃないわよ。一撃で死ぬわよ私とお父様は。」
「承知してますよ。正面からだけであれば絶対に通さないと約束します。」
「始めましょう。」
ジューンが両手に拳銃を創り出すと同時に、双剣をつくり構えた。ライトで照らしても照らしきれない洞窟の奥から、 成人と同じ大きさの狼男がよだれを垂らして走ってきた。ただの人間であるセイには視認することもできないだろうが、モード・ルビーを維持しているジューンからすればあまりにわかりやすい的だ。
ズドドドドド!
あの小さな拳銃から発しているとは思えない銃声と連射、彼女が作り出したマシンピストルは彼女の魔力とこの世界の物質が尽きない限り止まることがない。しかしその貫通力は本来のマシンピストルの比ではない。自分のような吸血鬼でも正面からの立ち合いにおいてジューンと戦えばほとんど距離を詰められずに制圧される可能性が高いほどだ。
「WRRRRROOOOWW!!」
体に重傷を負えども向かってくるのがアンノウンという怪物だ。その発生方法、行動原理すら不明な化け物は痛みなど感じるそぶりもない。その身体能力は総じて人間のそれを大きく上回っている。本来近づかれた時点で詰みであるのだが、そこは問題ない。
「ヨット。」
なぜなら世界中にアンノウンが大量発生する以前からこの怪物と対峙してきた。今ではこの通り剣をひと振りすれば豆腐のように斬り消滅させられる。ブラッドリー家にとってこのレベルのアンノウンは既にRPGの雑魚敵に過ぎないのである。
「ってわけで、お父様の出番はしばらく先になりそうだわ。」
「お見事。すごいな二人とも。」
ものの数分で襲ってきたアンノウンすべてを討伐した。不意打ちに使われる可能性のある穴はすべて能力で封鎖し、一時的であるが安全な時間になったようだ。
「本当にすごいよ。あれだけの数を立った二人で倒すなんて、僕の仲間たちでもここまで素早く対処できない。」
「9割私のおかげよ。そこのところ間違えないでほしいわ。」
セイは日本で魔法を扱う能力者などを集め、アンノウンに対処する特殊な組織に所属しているようだ。イギリスに住んで数年たつが、そこまでたくさんの能力者にあったことがない。日本に能力者が多いということか、単に見つけていないのかどっちなのだろうか。それにしてもジューンの自分すごいアピールが過剰すぎてムカついてくる。彼女は外で仕事したり、かっこつけたい相手と行動するといつもこうなのだ。いい格好をしたいという気持ちはわかるが、誰かを特にこちらを下げて自分をあげようとするのはどうかと思う。
「うん。ジューンさんもジュリー君もすごい。うちにスカウトしたいくらいだ。」
「さらに仕事が増えるのは勘弁ですねー。」
「この男はともかく、私は高いわよ?借金まみれのお父様に雇えるかしら?」
「う、考えないようにしていたのに。」
きりきりと胃を痛めていそうなセイ。やはりジューンはもう少し相手のことをよく考えて発言をした方が良い。今度同僚のモモセに説教してもらうことにしよう。仕方ないので、話題を提供しよう。
「セイさん。あれ見てください。壁画のようです。」
「これは、神話を表しているのかな?」
そこに書かれていたのはまさに古代の絵といったイメージののっぺりとした人物や動物の絵だ。天空から雷をまとい見下ろす神、海から高波を押し出す神、真っ黒な地下から使者を従え見上げる神。どれも聞いたことがあるギリシャ神話の神の姿に合致する。それだけでなく様々な神々や英雄の姿が描かれているようだ。その中でひときわ目を引くものがあった。
「これは二頭の獅子、こんな話あったかな?」
そこに書かれていたのは黄金の獅子と漆黒の獅子。その二頭が戦う姿だ。ほかの神々や英雄たちよりも大きく描かれている。
「ギリシャ神話に出てくるライオンってネメアの獅子くらいしか知りませんけど。」
「一応スフィンクスも出てくるわ。エジプトの方が有名だけどね。」
「あと聞いたことがあるのは…キマイラとかかな?こんな姿ではなかったはずだけど。」
以前神器が封印されている洞窟を調べたときはこのような壁画何て見つからなかった。これは神器に関連する何かなのだろうか。資料として撮影だけは行い先に進むことにした。
さらにしばらく探索を続けているととうとう最奥の直前までやってきた。巨大な金属の扉が目の前に立っている。この奥に神器があるはずだ。
「おお、ダンジョン探索RPGに出て来そうな扉だ。この奥にラスボスとかいるんだよ。」
「ちょっとワクワクしてます?」
「ちなみにマジででっかいアンノウンが待機してるわ。この扉くらいの大きさの、まさにキマイラみたいな化け物よ。」
「そうなのかい!?そんなに大きなアンノウンは見たことないな。どんなアンノウンなんだろうか。」
「…今のお父様はただの人間なんだから変に突っ込んだりしないで頂戴ね。」
この扉を開けるまでキマイラは動かないようだ。まさにRPGのラスボスといったところだろう。ならばこちらもプレイヤーらしく十全の準備をさせてもらおう。
「モード・ルビー。」
以前巨大なアンノウンを倒したときもこの力は大いに役立った。その時作ったのは巨大なレールガン。その威力は超強硬度のアンノウンを一撃で吹き飛ばし天井を突き抜け全てを破壊した。そんなものをこの場所で打てばこの場所が吹き飛ぶことはもちろん、地上の人々が何人天に召されるかわからない。故に別の方法をとる。
「ギガンティックチェンソ―ってところかしら。ぶちかましなさい!」
「あいあいさー!」
そこで作り出したのは青く輝く巨大なチェンソ―だ。その柄は剣と同じだが、太さは全く異なる。片手で持つには不安な重量なので両手でそれを持ち、横に振りかぶる。
ギュイイイイイイイイイイイイイン!
そしてチェンソ―は扉を突き破り、そのままキマイラを両断した。
「KUSYAAAAAAA!」
何か断末魔が聞こえたが、その後体を真っ二つにされたキマイラはあっけなく消滅した。
「よーし、これでアンノウンはすべて討伐ですね。あー疲れた。」
「長かったわねー。あとは神器を回収して帰りましょう。」
「…いやちょっと待ってええええ!?」
扉を完全に破壊し最奥へとたどり着いたというのに、セイは何やら抗議してきた。ここまで無傷で迅速、つまりスマートにたどり着いたわけであるが、何が不満だというのか。
「今ラスボスいたんだよね!?キマイラみたいな巨大なアンノウンがいたんだよね!?今の一瞬で出番終わりなのか!?まだ姿も見てないのに!」
「扉を開かないと動かないみたいだったから、扉を開けずに倒したのよ。最も安全で早かったでしょう?」
「で、でもこの迷宮のラスボスなんだよ!?まったく見せ場がないってどうなんだい!?」
「そんなのどうでもよくないですか?できればさっさと無傷で仕事を終わらせて観光したいですし。」
「駄目だこの子たち、ただの単純作業に疲れた労働者の顔をしてる!」
どうやら彼はファンタジー漫画のような巨大なラスボスとの激闘を期待していたらしい。もう三十路だというのに少年の心を忘れていないのか。確かにこれが映像作品ならば拍子抜けであるが、仕事としてここにきている以上安全性の確保が第一だ。納得してもらうしかないだろう。
「それよりセイさん。あれが目的のものみたいですよ。」
部屋の最奥には祭壇のようなものが置かれていた。そしてその上には自分の体と同じかそれよりも大きい大剣が刺さっていた。大剣といってもその材質は石のようで、実用性があるようには見えない。
「あれが神器なのかい?ただの石像に見えるけど。」
「適合者が触れないと石化が解けないみたいです。セイさんにはとりあえずあれに触れて引き抜いてもらう必要が有りますね。」
「あの大きさの石を引き抜くのか、一人でできる自信ないな。…二人ともなんで離れてるのかな?」
神器へ近づくセイに反してこちらはできる限り距離をとる。ジューンを背に隠しながら双剣を構え言った。
「いやまあ、神器を持って暴走する人がいるんで自己防衛です。前に戦った人はもう人間じゃなくてエイリアンみたいな姿になってましたよ。普通に怖いので離れています。」
「ちなみに暴走してどうしようもなかったら問答無用で射殺するから、覚悟しておいて頂戴ね。」
「その話初耳なんだけど!?もしかして今生きるか死ぬかの瀬戸際なのかい!?」
「我々からしても今際の際ですね。本当にお願いしますよ。セイさんが暴走した時点で、俺が死にかけるの確定なんですからね。」
マーキングによってその場所にワープゲートをつなげる能力を持つサリムを今すぐに呼んで押し付けたいが、あの男は狡猾で、いつもすべての仕事が終わるまで呼んでも来てくれないのである。そのせいでいつも自分が大変な目に遭うのだ。今回の任務において、無事に帰れるかどうかはセイにかかっているといっていい。
「暴走してもできる限り殺さないでくれると嬉しいなあ。」
「…。」
「うれしいなあ!」
「さっさとしなさい。撃ち殺すわよお父様。」
「どっちにしても殺されそうなんだけど!」
しばらくためらっていたセイもようやく覚悟を決め神器に触れた。まばゆい光を放ち大剣から石が剥がれ落ちるようにその美しい姿が現れた。本当に適合する神器であったようだ。そして大剣自体も形を変え、セイの体に適した大きさの剣へ変化する。その時だった。
「っ!?」
瞬間感じたのは全てを真っ黒に塗りつぶされるかのよな感覚。それは高波にのまれるような、巨大なビルが目の前に倒れ込んできたような感覚にも近かった。
「これは、駄目な奴だ!」
美しかった黄金のような光が真っ黒な闇に塗りつぶされセイの姿を変化させた。神は真っ黒に逆立ち、その瞳は獅子のような黄金の瞳だ。セイはこちらににやりと笑い、剣を振るった。それを瞬時に双剣で受け止める。以前戦った槍の神器の男のように、双剣が一撃で破壊されることはなかった。しかし、すぐに修復しなければ二度受け止めることはできないダメージを負っていた。それにも対応しながら二度三度と剣戟を交わす。
「貴方!まだ殺さないで!時間を稼ぎなさい!」
「時間を稼ぎなさいって言ってもですねえ!」
確かに神器の暴走にしては遅い。ジュリーの練度が上がったからといって、未だ神器使いと戦えるレベルでないのは重々承知している。それでもこれだけの時間持ちこたえているのは、セイが何かしらの抵抗をしてくれているおかげだろう。
「っつう!」
傍線を続けている最中、ついに双剣を弾き飛ばされた。技量差だけではない。両手がしびれて徐々に力が入らなくなっていた。
「これは振動障害!?貴方!それ以上その剣に触れてはだめよ!」
「それができたら苦労しませんって!」
「知っているわ。こっちに下がりなさい!」
セイの意識がないことが幸いしてか、今暴走している彼の知能は高くない。双剣をはじき優位をとったと思ったのか動きに隙が生じた。それを見逃さずに胴体に蹴りを入れ後方に飛んだ。
「死んでも恨まないで頂戴ね!」
ジューンが拳銃を構え連続で発砲する。だがその射線はセイの輪郭すれすれといったところで、命中するどころかいとも簡単に避けられてしまう。
「狙いを外したと思ったかしら?弾丸に魔力を乗せればこんなこともできるのよ?」
こちらに突進しようとしたセイだったが、突然地面や背後から金属でできた触手のようなものが飛び出し彼をからめとった。それはジューンが外した弾丸の後から延びている。彼女は自らの魔力を弾丸に乗せて地面や壁を操ることのできる金属へと変えたのだ。首、肩、腰など拘束されれば力が入らなくなる箇所を重点的に拘束し、彼は完全に動けなくなった。
「こんなもんよ。」
「油断しないでください!このまま気絶させます!」
いまセイは動けなくなっているが、この程度で完全に拘束できたなど楽観視できるわけがない。抜けられる前に失神させようと走り出す。
「GRUUUOOOOOOO!!!」
その時、セイが吼えた。その咆哮はまさにライオンのような低く恐ろしいものだった。爆音であったものの体が吹き飛ばされたり、痛みもない。なにをしたのかわからず一瞬考えこんだが、すぐに理解した。
「ごっは…。」
目や耳、鼻から血が噴き出し体が震え全身に激痛が走った。これで完全に理解した。あの神器の能力は「振動」を操るのだ。あの咆哮によってぶつけられた振動の爆弾は、体の内部まで届き細胞レベルで破壊していた。背筋が寒くなり叫ぶ。
「ジューンさん!!」
すぐに背後を振り向きジューンの状態を見た。彼女は地面に倒れ込み、血だまりをつくっていた。すぐに彼女に駆け寄り、自らの血を浴びせかけた。まだ死んでいない。吸血鬼の血液には腕がちぎれた程度ならば治癒できるほどの再生効果がある。まだ間に合うはずだ。
「はあ、はあ、はあ!」
動悸が激しくなり、息がつまりそうだ。セイは調子が良くなってきたのか、金属を容易く破壊し拘束から逃れ、こちらにゆっくりと向かってくる。あの咆哮をもう二度と撃たせてはいけない。次があれば自分はともかくジューンの命の保証がない。
「駄目よ…殺しちゃ…だめ…。」
死にかけているというのにジューンはまだそのようなことを言ってきた。彼女の体を能力で空中にとどめる。ここから先、地面に触れることすら危険だ。
「…。」
「あと、もう少しだけですからね!」
セイがまたあの咆哮を轟かせようとしたタイミングで顔面に正拳突きを打ち込んだ。スピードのギアを数段上げたことで、セイも反応が追い付かなかった。だがこれも一度限りだろう。彼の動きは加速的によくなっている。それが適応なのか、神器の力にのまれているのかはわからない。
「うおおおおおああああ!」
能力で腕にクリスタルのガントレットを装備し、あの恐ろしい剣と撃ち合う。もともと剣術は苦手なのだ。技量差に加え身体能力迄追いつかれかけた今の状況で戦うには、もうこちらの方法しかない。打ちあうたびに体がしびれ、意識が飛びそうになる。叫びなんとか意識をとどめながら時間を稼いだ。
シャリン…
一瞬とらえ続けていた剣の姿が消えた。そして気づいたときには右腕が切り落とされていた。すぐに蹴りを入れようとするが、それも見切られ次の瞬間には切り落とされた。速すぎる。足を失い倒れ、立ち上がれない。再生するには時間が足りなかった。もうとっくに限界を超えている。
「「モード・ルビー」」
能力の維持ができなくなり、地面に降りたジューンが肩を支えてくれた。そして創り出したのはレールガン。こちらの出せる最大火力、放てば地上に大きな被害が出るだろう。しかし目の前の怪物を倒さなければ、それ以上の凄惨な被害が出る。最悪の失敗だ。だがこの罪は背負うしかない。
「ごめんなさいお父様。」
ジューンは血を吐きながらセイに謝罪した。そして二人でトリガーを引いた。 レールガンにとてつもないエネルギーがほとばしり一気に発射される。そのスピードは音速を超え、数百キロメートルの標的すら粉々に破壊する。
「嘘…。」
漆黒の獅子が見えた気がした。それは月よりも大きくて、この地球を呑み込むほど大きな獅子の顔がこちらを見下ろしていた。まるで矮小な我々を見下ろし悦に浸っているかのような、人間臭くも超然とした神にも見えた。気づけばレールガンから放たれた巨大なエネルギー弾はこの洞窟を破壊することすらなく消えている。ただ剣の一振りで、相殺したのだ。そしてレールガンとジューンの前に立っていた自分だけを切り裂いていた。骨が切れるすれすれまでに傷が開いている。ジューンに刃が届かなかったことが幸いか。いや、あの男はそうなるように斬ったのだ。その眼はらんらんと輝き、次を待っている。まだ戦えるだろうとおもちゃを見る子供のように笑っていた。
「貴方その傷!」
「…ジューンさん、現状の連絡はしてくれましたか?」
「あの男に…。でもエリザベート様たちとは通信がつながらないわ。」
「サリム兄さんとの通信は特殊な奴ですからね。…そうかこれでも来ないかあのおっさん。」
「何を悠長にしてるのよ!もう逃げるわよ!これ以上は…。」
「逃げたら追いかけてきますよ。今攻撃してこないのは回復を待っているってだけです。」
以前神器で暴走した男と戦った時も、正気を失っているにもかかわらずこうして正面からの立ち合いを待つそぶりがあった。所有者の意識がそうさせるのか、神器の元になった神の性格が悪いのかわからない。ただあとどれくらい待ってくれるのだろうか。
「もう手がないんで、できる限り殺せるようやぶれかぶれ頑張ります。ジューンさんはその間に逃げてください。洞窟出たらエリザベート様ともつながるでしょうし。」
「…私があのロープを登れると思っているのかしら?か弱い乙女であるこの美少女が。」
「そのくらい、鍛えてんですから余裕でしょう?」
「貴方と死ぬわ。」
「…そうですか。まあ、俺より先に死なないでくださいね。そうしたら何するかわかりませんよ?」
「ええ。死ぬまで守って頂戴。」
「仕方ないですね。」
盛大な自殺になってしまいそうだ。ジューンの体で増幅された魔力がこちらに流れ込んでくる感覚がある。それのおかげか何とか再生して立つことができた。どうしようもないとあきらめてしまうと、一週回って冷静になれるようだ。之には覚えがありすぎる。それでも生き残れるように最善を尽くそう。神器に勝つことはできずとも、まだ相手は人間なのだから殺せるはずである。両手を魔力で多い、粒子操作で彼の体を分解し破壊する。それが後思いつく勝ち筋だ。剣をまともに振らせれば、こちらの体はバラバラになり後ろのジューンも死ぬだろう。覚悟を決める。とりあえずあの趣味の悪い黒獅子と最低の義兄に悪態をついておこう。
「地獄に落ちろ腐れ外道どもが!」
そして走り出す。セイは楽しそうにこちらに対峙し、剣を構えた。そして間合いに入った瞬間横薙を繰り出す。もはや見切れるスピードじゃない。だがどのように振るうかは構えで分かった。故に選択したのは超低姿勢からのタックル。レスリング選手から学んだ最速の突進。そして体をつかみ投げる。あの飛ぶような斬撃を繰り出させずに体勢を崩させる。つかんだそばから体を破壊するために魔力を流す。だがそれもはじかれている。彼の体には神器の力が流れ、それが妨害していた。それも構わない。剣で戦う間合いよりも奥で戦うしか勝機はない。掴め、剣を振らせるな。ためらわず魔力を流し込め!そのかいあってか、セイの体も少しずつひび割れ内部が破壊されていた。
「Gru!」
セイの両肩を地面にたたきつけたときに雰囲気が変わった。あの咆哮がくる。止めるべく顔面にこぶしを放った。
シャイン!
行動が読まれていたのだろう。放った拳がどこからか現れた刃で切り落とされ、生じた隙の間に蹴り飛ばされた。間合いを取られる。
ザザザザザザ!
次の瞬間に腕、肩、胸、足へ斬撃が襲った。とっさに後方に下がったおかげで切り落とされることはなかったが、もう再生限界が近く甚大なダメージだ。
「ああああああ!」
間合いに近づくべく走り出す。その間に斬り殺されそうなものだが、そこは信じていた。後方に控えたジューンがマシンガンを創り出し援護することで、注意を引く。それでもジューンが援護をやめるタイミングがわかっていたのだろう。徒手空拳の間合いになるときには、セイの剣がこちらの胸を貫いていた。
「だいぶ消耗してるみたいだな。そこは心臓じゃないぞ。」
「!?」
もう剣は振らせない。セイが天才といっても人間だ。あれだけの力を振るい続けダメージを与え続ければ、消耗するのも当然なのだ。ほかの傷は後回しにして再生させた左腕を使い、剣を持つ彼の手をつかんだ。体に振動が響き渡り血が噴き出す。だがその出力も先ほどまでよりもはるかに弱い。この剣を振るうことで、セイ自身の体にも振動のダメージが来ていた。これ以上は耐えられなかったのだろう。もう逃がさない。そして右腕を振り上げ、頭部へと振り下ろした。
「×××君…?」
が止めるしかなくなった。この最後の最後で、セイの体から真っ黒なオーラが消え、その髪は黄金へと変わった。先ほどまでの恐ろしい雰囲気がまったくの別物に変わってしまった。拳を降ろし、体の力を抜いて問いかけた。
「…自分の偽名、わかりますか?」
「ジュリー君!?な、なにが…俺がやったのか?」
剣を引き抜き一度せき込んでもう一度彼と対峙する。剣は指輪の形に変化して彼の人差し指に収まっていた。それと同時にその姿も元に戻ったようだ。
「暴走してたんですよ。傷はひどいですが、まあ再生阻害ついてなかったので治ります。それで、自分の偽名わかりますか?人格乗っ取られてたら笑えないんですけど。」
「セイ…だ。」
「大丈夫そうですね。ふえぃ…ジューンさん疲れました。」
「ええ。お疲れさま。」
これで一応任務完了ということだろう。ジューンに抱き着きついでに傷を確認する。さすがに吸血鬼の血を浴びせたおかげで、重傷ではなさそうだ。
「ジューンさんも…その血、そうか…。僕はなんてことを。すまない。くそ、本当にすまない。」
「私のこれはこの男の血よ。傷は大したことないわ。ま、お互い生きてたことを喜びましょうか。」
すると背後でワープゲートの開く音がした。そして出てきた銀髪の男は、憎むべきサリムであった。
「やっと終わったか。」
「やっぱ傍観してたんですか、死ね。」
「本当に死んで頂戴。クソ野郎。」
「ふん。まだずいぶん余裕があったようだな。」
サリムはまたここに来るつもりなのだろう。何やらマーキングをしていた。その姿を無視してさっさとゲートに入った。
「ジュリー君…大丈夫かい?」
「ええ死にゃあしません。じゃ、俺は風呂入って寝ますのでまた後日。ジューンさんも一緒に入ります?」
「私の美しい裸体を見たいだなんて不敬極まるけど、たまにはご褒美も必要ね。」
セイも結構な怪我をしているのだが、割と問題なさそうである。あれがタフネスというものなのだろうか。弱い自分は彼出来る限り姿を隠してその場を後にした。というのも、先ほど見栄を張ってすぐに体が再生したことにしたのだが、それは嘘だからだ。
「ゲホッ!ゴホッ!うえきつ。」
「よく我慢したわね。偉いわ。ほらよしよし。」
「微妙にゲホ…馬鹿にしてません?」
「してないわ。2割本気よ。」
「8割馬鹿にしてるんじゃねえか。うえっ。」
風呂場のシャワーの下で膝をついた。体に流し込まれた振動のエネルギーが体を蝕み、血を吐き続ける。それがなくなった後も必死に抵抗していた体の反作用で体が破壊され、数時間の間地獄を味わった。その後、やってきた犬の被り物をしたメイドに手伝ってもらいながら入浴を済ませ、二人で眠りについた。
目を覚ますとよく知っている心地よい暖かさがあった。同僚のメイドのモモセがこちらを抱きしめていたのだ。
「んーおはようジュリー君。」
「モモセさん来たんですね。」
「エリザベート様が久々にお友達に会いたかけんって来とーけんね。うちも昔お世話になったけん来たっちゃん。」
「セイさんってエリザベート様のお知り合いだったんですね。世間は狭いというかなんというか。」
「ジュリー君がこうしてくたびれとーともそん縁ってことやね。…それで、今何日経ったかわかる?」
「そんな縁はちょっとご遠慮したかったというか。…まさかまた一週間たってるなんてことないですよね?」
「まだ一日とちょっとだけばい。…でもそげ思うくらい大変やったんやね。」
モモセにはあまり心配をかけたくないのだが、どうやら御見通しらしい。今は目を閉じてるから耐えられるが、彼女のつらそうな泣き顔は見るのもつらいから困る。
「9割サリム兄さんが悪いです。でももう、逃げるにも逃げられない時代になっちゃってるみたいですね。」
神器は世界中で発見され続けている。これからも個人が核兵器と同等以上の脅威になるという異常現象が多発するということだ。サリムの元からすたこらサッサと逃げれば安全というわけにはいかないのだろう。
「ジューンさんはどうしたんですか?」
「もう普通に起きてぐーたらしとーばい。今はエリザベート様と一緒にあの人の神器ば扱う練習?に付き合うとーみたい。」
「そりゃ元気なことで。セイさんについてはまた暴走しなけければ良いんですけどね。もう二度と戦いたくない。」
「そん時はエリザベート様たちが止めてくれるばい。ジュリー君は心配せんとって…はい。」
するとモモセは衣服を少しはだけさせ、首元をさらした。そしてこちらの唇を奪う。寝起きで申し訳ないなと思いつつ、心地よい感触に酔いしれた。
「たくさん怪我して喉乾いたやろう?よかよ。たくさん飲んで。」
この人にはいつも甘えてしまう。首に牙を突き刺されて痛くないわけなどないというのに。彼女の血は自分に今日の生存と明日の活力を確信させてくれる。これは吸血鬼として至福の時間だ。血を吸う自分の頭を抱きしめ彼女は言った。
「これからもずっと帰ってくるっちゃん。どげん傷だらけになったっちゃ温かかままで私のところ戻ってきんさい。そうやなかと許さんけんね。」
「そうですね。モモセさんに嫌われたらいろんな意味で生きていけません。このご褒美がなければそもそも仕事をする意味がない。」
彼女の体を抱きしめベッドに横になる。この時間がなければとっくに自分の精神は仕事の鬱で壊れていただろう。もはや中毒なのかもしれないが、これがなければ生きていられない。だから
「俺の眠りを邪魔するなら、本気で殺しに行きかねませんよサリム兄さん?」
モモセを胸に隠し、不躾に部屋へ入ってきたその男を睨め付けた。男はそれを鼻で笑う。
「もう十分寝ただろう?まあそんなことはどうでもいい。お前に朗報だ。」
そうして笑うサリムの表情は良く知っている。腹に一物も二物も抱えた嫌な笑顔だ。暴走した時のセイの表情にも重なる。
「ジュリー、お前に適合する神器が見つかった。さてどうする?力を手にするかこのまま現状を維持し続けるか、二つに一つだ。好きに選べ。」
狸め、きっとずっと前から見つけていたのだろう。これまでサリムは散々俺たちに見せつけてきた。どれほど神器が強力で圧倒的な存在なのかをだ。それによってどれほどの苦痛を受けたかやつにもわかるまい。そのうえで嬉々として選択させようというのだ。力が欲しいかと。それがこれからの世界を生き抜く希望になるのか、さらなる地獄の入り口なのか答えることもしない。
「本当に性格最悪ですね兄さん。」
その答えなんて最初から決まっているのだから、聞いても仕方のないことだろう。
––––この冒険が世界の終焉の始まりを告げていたことを俺はまだ知らない。
リカヴィトスの黒獅子 黒猫館長 @kuronekosyoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます