第18話 手当て

 薬草を指先で潰し、掌で練ってから、ローワンはそっとエリアスの脇腹に塗り広げた。

 熱を帯びた皮膚に触れると、思わず息を呑む。

 その感触は、自分がこれまで扱ってきた石や金属とはまるで違う、生きた体そのものだった。


「……沁みるか?」

 小さく問いかけると、エリアスは口の端を上げて笑った。

「いや……むしろ楽になる。お前、手慣れてるな」


 ローワンはわずかに顔を伏せた。

「工房で怪我をすることは、案外多い……」


 言った瞬間、義手の重みを意識してしまう。

 だが次に返ってきた言葉は、想像とは違っていた。


「──お前のその右手」

 低く、けれど真っ直ぐな声音。

「大変だったんじゃないか」


 ローワンの動きが止まる。

 初めて、正面から義手のことを口にされた。

 工房にくる者たちでさえ避けて通る話題を、彼はあっさりと、しかし真摯に告げたのだ。


 塗り込んだ薬草の匂いが、やけに鮮烈に鼻を突く。

 ローワンは言葉を探し、唇を噛みしめた。


「それ……動くようになるまで、どのぐらいかかった」

 エリアスの低い声が続く。

「ただの飾りで終わる義手の奴も多い。──なのに、お前のは違う」


 その言葉に、胸の奥がざわめいた。

 エリアスがどれほど多くの人間を見てきたのか、戦場や旅路で数えきれぬ命に触れてきたのか──その一端が、静かに伝わってくる。


 ローワンは指先を握り込み、わずかに震える声で応じた。

「……三年、かかった」

 ぽつりと零れた声が、火照った空気に溶ける。

「石の加工より難しかった。思うように動かなくて、何度も叩き壊したくなった」


 かすかな笑みを浮かべたその横顔は、苦さを含んでいた。

 自分でしか分からない孤独な闘いを思い出し、吐き出すような笑み。


 エリアスは視線を向けなかった。

 ただ前を見据え、剣の柄に置いた手を動かさず、静かに耳を傾けている。


 慰めも同情も、安易な言葉もない。

 だがその沈黙は、ローワンにとって拒絶ではなかった。

 誰にも言えなかった想いを吐露できたのは、そのおかげだったのかもしれない。


「──いい義手職人に出会えたんだな」


 低く落とされた声に、ローワンはわずかに目を見開く。

「……そうだな。運が良かった」


 ほんの短い答えを受けて、エリアスは前を向いたまま続ける。

「お前も、職人だからこそ──壊せなかったんだろ」


 その一言が胸の奥に沈み込み、ローワンは息を呑んだ。

 張りつめていた何かが、ふっと解ける。

 胸の奥に、初めて報われるような温かさがじんわりと広がっていった。


「──そうかもな」


 ぽつりと零れた声は、陽の中に溶けて小さく消えていった。

 それでもローワンの胸には、確かな余韻が残っていた。

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精霊獣は宝石に眠る たぬ基地 @tanu-kichi

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