第17話 聖剣と魔王

 いつの間にか気を失っていた沙綾が目を覚ました時、目の前には傷だらけだが見知った天井が広がっていた。

 背中には柔らかなソファーの感触がする。


(……さっきのは……夢? だったの?)


 漠然とそんな事を考えるが、あれをただの夢として片付ける気には、どうしてもなれなかった。それ程あの夢は生々しく、そして深く沙綾の心に刻まれている。

 天井を見上げたまま視線を彷徨わせていると、


「気が付いたか、聖剣」


 横からほっとした様な声が聞こえてきた。その声の主を確認せずとも沙綾には、それが誰なのかすぐに分かった。認めたくはないが、夢の中で一番会いたかった存在だ、聞き間違えるわけがない。

 声のした方を向けば、予想通り魔王がそこにいた。彼は沙綾の横に椅子を用意して、それに座っている。

 しかし、そんな魔王を見つめていると、どういうわけか彼は急に焦り出してしまう。


「せ、聖剣、どうして泣いておるのだ? はっ!? 何処か具合が悪いのか!?」

「え? ……泣いてる?」


 指摘されて目元に手を当てれば、確かにそこは濡れていた。

 涙を手で軽く拭いながら、少し顔を赤くして沙綾は魔王を睨みつける。


「べ、別に泣いてないし」

「いや、しかしだな――

「泣いてないって言ってんでしょうが!!」


 そのいつも通りな沙綾の様子に、魔王は黙り込む。

 こういう時は何を言っても彼女は意固地になるというのを、そろそろ学習した魔王だった。

 暫く、二人無言で見つめ合っていると、先に口を開いたのは沙綾だった。


「ねぇ、魔王……」

「うん? どうしたのだ?」

「あの将軍は無事? 目を覚ました?」

「あぁ、そなたのお陰で無事だ」

「そう……良かった」


 その事に安心していると、沙綾は目の前の魔王が深々と頭を下げる光景を目にして、目を丸める。


「な、何やってんのよアンタ」

「いや、此度の事は全て余に責任があったようだ。サリエルナの行動は全て余を想っての事だ。だから、すまぬ。余が至らぬばかりに、そなたを危険な目に合わせてしまった」

「やめて、やめてよ。頭上げなさいよ!」

「…………」

「もう気にしてないし、頭上げなさいよ本当!」

 

 魔王がおずおずといった様子で顔を上げると、沙綾は少し気まずそうに顔を歪めていた。

 そんな彼女の顔を見て、魔王はくすりと笑ってしまい、それを沙綾は不満そうに睨み付ける。


「何かもう、アンタに頭下げられたら、怒るに怒れないじゃない私」

「うむ、そなたならそう言うだろうと思っていた」

「ふんっ。まぁ、いいけどね。怒るぐらいなら、あの人助けようとか思ってないし……それにさ、実際のところあの将軍も本気で私を折るつもりはなかったんでしょう?」


 何処かどうでもよい感じに言う沙綾だが、その言葉に魔王は目を見開く。


「気付いておったのか?」

「いやー、気付くっていうか、あの人最初から本気じゃなかったっぽいし? 初手で魔眼全開で来られたら、もっと早く詰んでたわよ」


 サリエルナとの戦闘を思い出しながら沙綾は淡々と話す。

 確かに彼女はあの戦闘を楽しんでいる節があった。妙に余裕があるように感じられたのは、今にして思えばその為だろう。

 そして、あの夢を見た今なら、沙綾には理解できてしまった。彼女がどうしてそんな戦い方をしたのかが。あの女将軍は確かめに来たのだ、沙綾が真の聖剣か否かを。


(うん……やっぱり、あの夢はただの夢じゃないわね……)


 そう確信すると、不意に胸の辺りがチクリと痛んだ。あの夢の事が全て真実なら、沙綾は真に神が創造した聖剣ではない。それが事実なら、自分はこの人の良い魔王を騙している事になる。その想いが沙綾をジワリ、ジワリと苦しめる。

 だからかもしれない、


「ねぇ、魔王。聞いてもらいたい事があるの」


 立ち上がり、気付いた時には自然とそう言葉を漏らしていた。これ以上、この魔王を傷付けるのはどうしても嫌だ。

 魔王はその何時にない真面目な沙綾の様子に、居住まいを正す。


「あのね……私は、実は聖剣じゃないらしいの……」

 

 その一言に、魔王はただ表情を硬くし無言で沙綾を見つめる。


「あまり驚かないのね。というか、もう知ってるんでしょう? あの将軍が私を襲ってきた理由もそれらしいじゃない」

「……うむ。そなたも知っておったのか……」

「やっぱりそうなんだ……。私はうん、さっきちょっとね……」

「……そうか」


 魔王は言葉少なに、沙綾の話に耳を傾ける。黙って聞いてくれる、しかし、それは沙綾には何処か責められているようにも感じられた。どうせ責めるなら、問い詰めて欲しかった、理由を聞いて欲しかった、でも、魔王はただ静かに沙綾をその紅玉の瞳で見つめてくる。


「アンタも知ってるなら話は早いわ。だから、私は聖剣じゃないから、アンタが必要としいてる聖剣じゃないから、もうここから離れて、魔族領に帰りなさいよ。その方がアンタも安全なんでしょう? 前に宰相が言ってたじゃない、ここは防備が薄いって」

「…………」

「アンタがここに残って、私を抜く事に固執する理由はもう無いの。私というか、私が宿っている剣は、人が聖剣を目指して作った偽りの聖剣だから。だから、アンタには必要ないでしょう? 手放した魔剣を再び手にとって、魔国領でゆっくり世界征服でも、何でもしなさいよ」

「………」

「……ねぇ、何とか言いなさいよ、魔王……ねぇってば!!」


 何時までも無言の魔王に、沙綾は堪らず声を荒げる。しかしその瞬間、自然な動作で席を立った魔王に、沙綾はそっと抱き締められた。

 あまりに突然の事に目を白黒とさせながら、沙綾は抗議する。


「ちょっ!? 魔王!? 何やってるのよ! 離して!! 離せってのよ!!」

「――――ない!」

「え? なに?」

「離しはしない! 離してなるものか!! 泣いているそなたを一人にしてなるものか!!」

「……うそっ、私、泣いてなんか……!?」


 ふと下を見れば、魔王の肩が濡れている。それ程、沙綾は自分でも気付かないうちに多くの涙を流していた。

 その事実に慌てながらも、しかし、沙綾は言葉を紡いでいく。


「いいから離してよ!! 私じゃ、あの剣じゃアンタの足を引っ張っても力にはなれないの。だから、もう魔族領へ帰りなさいよ!!」

「それはできぬ!!」

「何でよ!! 私を、あの剣を作ったのは人間なの! だから、神の威光なんてないの!! 人々をまとめる象徴にもならなければ、魔族の力を示すモノにもならない! そんな何の力もない剣に何時まで固執するのよ!! アンタはここに留まるより、魔族領へ戻ってやる事が沢山あるんでしょう!? 私なんか放っておきなさいよ!!」

「それでも!! それでも余はそなたに傍にいて欲しい!!」


 そう叫ぶように告げた魔王は、より一層強く沙綾を抱きしめた。


「それでもよい。ただの剣でもよい……それでもよいから傍にいてはくれぬか」

「…………なんで、なんでよ……」

「そなたを好いていると、余は前に告げたぞ? それだけでは理由にならぬか?」


 沙綾を離し、肩を掴むとその顔を真っ直ぐに見つめてくる魔王。それが余りにも純粋過ぎて、沙綾は思わず顔を俯かせる。


「……私は一生抜けないかもよ?……」

「よい。余は絶対にそなたを抜くと固く誓ったではないか」

「……人にも、魔族にも馬鹿にされるわよ……」

「よい。元より大半の人には嫌われておる。魔族にも、余を気にくわぬものは最初から多くおる、今更だ」

「……私は聖剣の力を使えない、使わないわよ?……」

「よい。そもそも聖剣の力を使って、世界を如何にかしようとは思っておらん」

「……そうしたら、本当に私は何もできない、ただの亡霊みたいなものよ? それなのに何で……」

「好きになるのに理由いるまい? 余はそなたに惚れておる。ただそれだけだ」

「……バカ……アンタって本当にバカッ!! 一体全体何なのよアンタは……」

「魔王だが!!」

「知ってるってのよバカ!!」


 そう言って沙綾は泣きながら笑って魔王を見上げる。魔王はそんな沙綾を再び抱きしめる。

 しかし、沙綾は逃げ出そうとはしなかった。今は何故だかこの温もりがとても心地よい気がした。

 魔王に抱きしめられたまま、目をそっと閉じる沙綾に、彼は優しく呟く。


「それにな聖剣よ、誰が認めまいと、出自がどうあろうと、そなたは確かに聖剣だ」

「……え?」


 思わず目を開け、魔王を見上げると、彼は優しく微笑んでいた。


「誰が何と言おうとこの余が、第十四代魔国領国王である魔王が、そなたを唯一無二の聖剣と認めるのだ。だから胸を張るがよい」

「え、う、うん」

「余はそなた以外のいかなる剣にも屈しないとここに誓おう。余を討てるのはそなただけだ。故にそなたは聖剣だ」

「……何よ、ソレ……」


 そのあまりの暴論が、可笑しくて沙綾は小さく笑ってしまう。

 その出自を知れば神も、人も、魔族さえ認めない聖剣を、しかし魔王がその存在を証明するというのだ。それはとんだ皮肉だった。けれど不思議とそれは嫌な感じはしない、寧ろ何処か心地よくさえあった。

 だから、沙綾は魔王からサッと身を翻して離れる。もう、一人でも立っていられる。

 そして、振り返ると、ちょっと意地悪な感じで笑うのだ。それを魔王は困惑して見つめる。


「じゃあさ、魔王。今みたいな事はもうしてられないわね?」

「む? むむ?」

「だって、私は聖剣でアンタは魔王だもの、深い仲になってはいけないわ」

「な、なに!?」

「残念だったわね、魔王様。貴方が唯の剣である私を望むなら、そのまま貴方のモノになっても良かったのに。貴方は私を聖剣と認めてしまったわ。あぁ、なんて運命は残酷なのでしょうぉ~」


 その場で両腕を広げてクルクルと回りながら、芝居がかったおどけた口調で楽しそうに言う沙綾に、魔王はひどく狼狽する。


「い、いや、待て、待つのだ」

「嫌よ、待ちませぇ~ん」

「む、ならば、余はそなたを聖剣とは――

「うわぁ~、今更前言撤回とかそれはないわぁ。男に二言があってはいけないわ、魔王様」

「なぁっ!?」


 慌てふためく魔王と、それを何時もの調子でからかい続ける沙綾。

 しかし、冷静さを取り戻した魔王は、何かを決意した目を沙綾へ向け、


「余はそなたを何としても抜いて見せる! そなたは余の物となるのだ!! 絶対にな!!」


 何時ぞや宣言した言葉を再び、彼女へ送る。

 沙綾はそれにきょとんとした表情になると、


「抜けませんよ~だ」


 そう言ってとびっきりの笑顔を魔王に向けるのだった。

 それには魔王も困ったような、嬉しそうな笑みを返す。

 

 聖剣と魔王、そのちょっと変わった一本と一人の不思議な関系は、まだもう少しそのまま続きそうだった。

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