第16話 魔王が持つという意味
沙綾が目を覚ました時、彼女は何もない真っ白な空間に一人佇んでいた。
あれ? と反射的に疑問に思う。沙綾は執務室の傷付いたソファーで横になったはずだ、それなのにどうしてこんな場所にいるのか。
周囲は見渡す限り白い台地が何処までも続いている。
ただ、沙綾はここに似た空間を一度訪れた事があった。
(あの妙な自称神様に出会った場所に似てるけど、さてはて……)
どうしたものかと顎に手を当て、思案し始めた時、
「やぁ、意外と落ち着いてるじゃないか」
前回と同じように唐突に背後から声を掛けられた。
その声を聞いて、沙綾は盛大な溜め息を吐くと、ゆっくり後ろを振り返る。
どうも、この手の空間にいるやつというのは、人の背後から不意に声を掛けるのがお好みらしい。
沙綾の背後にいたのは、一人の少女だ。ただ、普通ではないのは一目瞭然だった。
彼女は二本の角を後頭部から生やし、蝙蝠のような翼を背負い、蜥蜴のような尻尾も持っていて、その全てが雪のように白かった。
加えて、沙綾と同じキトン風の服装をしているが、露出した肌には所々に白銀の鱗が輝いている。その一見すると竜と見紛う少女は、しかし何処か種神秘的ですらあった。
けれど沙綾は、そんな相手でも物怖じせず、単刀直入に本題へ入る。まどろっこしい事は嫌いである。
「で、アンタ誰? ここ何処? 何の用?」
そんな無愛想極まる沙綾の物言いに、少女は目を丸め堪らず吹き出してしまう。
「あははっ。いい、いいね、その感じ。ボクを見ても少しも動揺しないし、この状況でその態度。あははっ、女神たちの思惑通り進まない筈だ」
お腹を両手で押さえて笑う少女を、沙綾は半眼で睨み付け、幾分声を低くして再度尋ねる。
「誰? 何処? 何用?」
「あぁ、すまない。初めましてキヌ・サアヤ。ボクはそうだね、アルファティナとでも名乗っておこうか。ここが何処かは、まぁ、今は置いておこう。用事は君と話したかったから、という事にしておこうか」
少女、アルファティナの答えに、沙綾は訝しげな視線を向ける。
「ふ~ん、ところで白蜥蜴さんは、何で私の名前を知ってるのかしら? それを教えてくれたら話ぐらいは聞いてあげてもいいわ」
蜥蜴と言われ非情に微妙な顔をするアルファティナ。「蜥蜴、蜥蜴ねぇ……」と呟きながら、自身の翼や尾を見つめ、溜め息混じりに困惑した顔を沙綾へ向ける。
「その白蜥蜴というのは何とかならないのかい? 一応名乗ったわけだし……それにほら、どこをどう見てもこれは竜といった感じだろう?」
「竜なんて、翼の生えた蜥蜴でしょう? それよりほら、質問に答えて」
沙綾のあんまりな言葉にガックリと肩を落とす。
「あぁ、うん、君はそういう性格の人だったよね……素直に諦めるよ。さて、サアヤの名前を知っている理由だったね、それはボクが君で、君がボクだからかな」
「……いや、分けわからんし……」
「あはは~、だよねぇ~」
疲れたように溜め息を吐くアルファティナは、しかし何かを閃いたようだった。
「あぁ、丁度いいや。魔王達が見ている資料をボク等も拝借しよう」
言ってから右手の指を鳴らすと、彼女の目の前の空間に突然、羊皮紙の束が現れる。
「うん、本当便利だね、君に付与された加護の数々は……はい、どうぞサアヤ」
左手で受け止めたそれを、アルファティナは沙綾へそのまま手渡してくる。
羊皮紙の束を手に取った沙綾は、それを怪訝な顔で見つめる。
「で、何よこれ……」
「それを読んでみてよ。そうしたら言葉の意味が分かるからさ」
「嫌よ、面倒くさい」
間髪いれずの即答だった。どう見たって一〇〇枚前後の分厚い羊皮紙の束を一から読むのは御免である。
アルファティナは頭に手をやり、弱り切った表情になる。
「君は本当に、いい性格をしているよ……」
「どうもありがとう」
「褒めてはいないからね、一応断っておくけど」
「それより、本題。早くしてよ、ちっと話が前に進まないじゃない」
「サアヤ、君は耐え難いほどに理不尽だね……」
そうぼやきながらアルファティナは、渋々といった様子で羊皮紙の内容を沙綾へ掻い摘んで説明していく。
話を聞き終わった沙綾は、珍しく神妙な面持ちでアルファティナを見つめていた。
「つまり、白蜥蜴は聖剣の本体で、私はそこに宿っているって理解でいいわけ?」
再び蜥蜴呼ばわりされて、頬を引き攣らせつつ、アルファティナは応じる。
「そう、それでいいよ。本来なら、この聖剣は全てボクが制御するはずだった。けれど、女神たちのせいで君が入り込んできてしまった」
「ふ~ん、それで? この五年間全く影も形も姿を見せなかったアンタが、今更現れた理由は?」
「あぁ、やっと話が前へ進みそうだ。それと流石だね、その辺の察しの良さには感心するよ」
ほっとしたように溜め息を吐き、茶化すように言うアルファティナを沙綾は無言で睨み付ける。
「そんな目で見ないでおくれよ。ボクと君はある意味では、一心同体なんだから」
「…………」
「……まぁ、理由というのは簡単でね、黒小人達の金槌のせいさ。アレのお陰で、女神達や異界の神々が施した術式と加護にほんの少し綻びができたんだ。だから、こうして君と話せるようになった」
「……本当に色々面倒事を運んできてくれたわね、あの小人共……」
理由を聞いた沙綾は、今は亡き黒小人達に恨みの念を送る。
そんな沙綾に、アルファティナは嬉しそうに微笑み、
「いいじゃないか。それでボクと話せるようになったんだから」
「いや、お呼びじゃないし……」
「!? なかなか酷いな君……」
いつも通りな沙綾の返答にちょっと涙目になってしまう。
そんな彼女を気にもせず、沙綾は話を続ける。
「で? ただの挨拶じゃないんでしょう?」
「ぐすっ……。そう、そうだよ。ボクは君に忠告と今後の方針を確認しに来たんだ」
「へぇ~そぉ~なんだぁ~」
「何故あからさまにやる気をなくすのさ!? もう少しボクの話を真摯に聞いてくれても、罰は当たらないと思うんだ!!」
両手をバタつかせながら抗議するアルファティナを見て、沙綾は心底楽しそうに笑う。笑い過ぎて、目の端にちょっと涙が浮かんでいる。
「あはははっ。いや~白蜥蜴、アンタ面白いわ。最初はなんかすましたキャラかと思ったけど、今の方が可愛くて私は好きよ」
「!? 何だかんだで話が進まないと思ったら君、ボクをからかって遊んでいただけかい!?」
「まぁ、無きにしも非ずかなぁ~。ここ最近、私のペースを崩す人が多くてさ。だから、白蜥蜴みたいな娘は大好き」
ニッコリ笑う沙綾に、アルファティナはその美しい銀髪を両手で掻き上げながら、振り乱す。
暫くして、ようやく落ち着いたのかアルファティナが疲れた様子で、沙綾を見つめてきた。
「……話を、進めてもいいかな?」
「どうぞどうぞ」
微笑む沙綾に、胡乱な目を向けつつアルファルティナは口を開く。
「とりあえず、忠告の一つ目はね、もうあんな無茶はしないで欲しんだよ」
「無茶っていうと、話の流れから金槌の件?」
「そうだよ。あれはギリギリの所だったんだ。もう少しで折れていてもおかしくなかった」
「の割にはスパッと綺麗に両断出来たわね」
「それは神々の加護の賜物だろうね。ボク個人の強度では、あれには対抗できなかった。それに今回も完全に防げたわけじゃない。ボクと君がこうやって会話で来ているのが、その証拠だよ」
「ふ~ん、了解。そうね、白蜥蜴みたいなのが増えたら嫌だし、もう無茶はしないわ」
「……君、本当はボクのこと嫌いだろう?」
今度は本気で涙目になりながら呟くアルファティナに、沙綾はただ笑って返す。沙綾は好きな相手ほど、弄り倒したくなる質だった。
「後は今後の方針だね」
「それがわけ分からなんだけど。方針って何よ?」
沙綾は困惑した様子でアルファティナを見る。方針も何も沙綾、ひいてはアルファティナは同じ一本の聖剣だ。今後も勇者を選定するという仕事は変わらない筈だった。まぁ、現状魔王が手放すはずはないので、この先もその辺は休業状態であろうが。
「サアヤ……君実はボクの話全然聞いてないだろう?」
「うん、全く」
「はぁ~~~~どうしてこんなのがボクに宿るんだ……」
「こんなのとは失礼ね、白蜥蜴」
「あぁ、うん。落ち着こう。これ以上は君のペースだ。もう、その手には乗らないよ」
小癪にも深呼吸をして心を静めるアルファティナ。
「さて、本題だけどね、君というかボクだけど、聖剣は神が創ったと言われつつ、実際は人が作ったものだったわけだ。ここまでは理解してる?」
無言で頷く沙綾。一瞬、首を横に振ってやろうかとも思ったが、これ以上長引かせたら本格的に目の前の白蜥蜴が怒りだしそうなので、今は我慢だった。
「よろしい。なら話は簡単だ。魔王は何故聖剣を欲しいていると思う?」
「え? いや、しらんし」
真顔で返す沙綾。実際、何度となく好いただの、惚れただの言われているが、それを本気にする程、沙綾に内蔵されている乙女回路は安物ではない。
百歩譲って、魔王は自分に何らかの好意を持っているのだろうが、それイコール聖剣を欲している理由だとは沙綾は考えていなかった。だって生物と無機物だ、ちょっと先進的過ぎる。
「これはボクの推測だけどね、魔王は聖剣を神が創造したから欲していると思うんだ」
「……どういう事よ」
「うん、つまりね、神が創造した勇者を選ぶ聖剣を、魔王が持つという意味を考えてみなよ?」
「…………あっ」
「気が付いたね? そうなれば神が魔王を、世界を救う勇者と認めた事になる。大変な皮肉だけど、これほどのプロパガンダはないよね。君を掲げさえすれば、魔王は現世界の秩序を自身の思う方向へ進める大義名分を得る。彼の言っていた世界統一もいよいよ夢じゃなくなる」
何が楽しいのかニコニコと笑いながら持論を展開していくアルファルティナ。
説明する本人は何処かふざけているが、それは妙に説得力があるように沙綾には感じられた。寧ろ、その方があそこまで聖剣を、自分の物にしようとしているのにも納得がいく。恋やなんかより余程現実的でしっかりしている、しかし、
「けどさっき白蜥蜴は言ったじゃない、聖剣は人が作ったって」
それが問題だった。アルファティナは確かに言ったのだ、聖剣は神ではなく人が作ったものだと。それが事実なら、魔王の思惑は全くの無駄になる。
「うん、そうだよ。だからボクは、今後の方針を君に聞きに来たんだ。あの資料はね、サアヤを襲った将軍さんが城の地下から探し出して来たモノだ。あの魔王やその側近には、君というかボクが偽の聖剣だと、もう既に伝わっていると思うよ?」
「いや、待って、でも私は確かにあの妙な神様に聖剣として転生させられて――
「それを誰がどうやって証明するのさ?」
「けどっ!!」
事の重大さをようやく理解して沙綾は焦り始めるが、アルファティナは冷たく突き放すように言う。決して、散々弄り倒された仕返しではない……多分。
「誰もそれを証明できない。けど、人間達にはボクを作ったという事実がある。よしんば魔眼で全てを知っている魔王は君の味方になってくれたとしよう。けれど、それでどうなるんだい? 抜けもせず、仮に抜けても象徴として使えず、そもそも力を使う気のないサアヤを、誰が必要としてくれるのさ? 偽りの聖剣なんて誰も必要としない」
そのあまりの言いように、沙綾は思わずアルファルティナに掴みかかる。
「なんで!! どうして、どうしてこんな事になるのよ!!」
「おや、何時もの余裕も流石に無理かい。というか今更ボクに当たられてもね? そもそも君がこちらに来たその時からこうなる前に、しっかりと勇者を選定して魔王を討っておけば、話はここまで複雑にならなかったんだ。自業自得だよ、サアヤ」
その何処までも突き放すようなもの言いに、沙綾はその場に力なく崩れ落ちる。
結局、何時も話が戻ってくるのはそこだ。沙綾が聖剣としての使命を全うしていれば……。
蹲り、泣きだしそうになる沙綾へ、しかしアルファルティナは追い打ちをかける。
「まぁ、今から勇者を選定しますと言っても、もう遅いけどね」
「…………どういう、事よ?」
「分からないかい? 君は抜かれてはいないけど、魔王の手元にある。そんな聖剣を何時までも人間達が聖剣としておくわけがない。自分たちで作った聖剣なら尚更だ」
「つまり……私は最初から偽物という事にして、新しく作った聖剣を今までのように掲げるって事?」
「その方が彼らには都合が良いだろうね。魔王の元で手出しのできない聖剣より、新しい聖剣と新しい勇者。現状、劣勢の人間達にしてみればこの上ない旗印だ。まぁ、ボク達を破棄するにあたって少々揉める気はするけど、些細な問題だと思うよ?」
「ははっ、何よそれ……」
沙綾は空を見上げて力なく笑う。何処までも、何処までも真っ白な空。その色は空っぽになりつつある彼女を象徴しているようだった。
「さて、それじゃあ、これからどうしようか、サアヤ? このままだとボクの予想では二人揃って終了だ」
「……知らないわよ……そんなこと……」
呆然と呟くようにこぼす。話が余りにも複雑で、大きくなり過ぎていた。この問題は、沙綾が一人で如何こうできる範疇を超えている。それに例え推測だとしても、そこへ至るまでの過程は全て無視できるものではなかった。一つ一つを検証し、可能ならば対策を立てるべき事柄だ。
しかし、今の沙綾にそれをやる力も気力もあるわけがない。
この世界での、自身の最大の存在証明が揺らいでいるのだ、まだ未熟な彼女がそれを失うのは途轍もない恐怖だった。
仮にそれが、散々嫌っていた聖剣という存在価値だったとしても。
「ふ~ん、まぁ、いいけどね。少なくとも覚悟はしておく事だ、今後どのような選択をするにしろ、ね?」
「…………」
「じゃあ、ボクはそろそろ行くよ。最後は色々責めるような事を言ったけどね、ボクはこれでも君の事を心配しているんだよ」
何処か申し訳なさそうに言うアルファティナだが、沙綾はそれに答える元気はなかった。そんな彼女を不安そうに見つめながら、付け加える。
「あぁ、そうだ、最後にもう一つ、重要な事を言い忘れる所だった。君、聖剣の力を使うのは今後控えた方が良いよ。今までは使い過ぎたら、体調が悪くなる程度だっただろうけど、これからはそうじゃなくなる。これも黒小人の金槌のせいなんだけどね……。ちょっと調べた感じでは、前世の記憶とか思い出とか、この世界に関係ないモノが消えて行きそうかな? まぁ、他にも何かありそうだけど、力を使わなければ大丈夫だから。それじゃ、また会う機会があれば」
何かさり気なく重要な事を言われた気がして、沙綾は咄嗟にアルファティナの腕を掴もうとするが、言いたい事を一方的に伝え終わると、彼女は光の粒になって消えてしまう。
白い空間に散って行く光の粒を見つめ、途方に暮れる。
(……問題を解決しようにも、力が使えないとか、無理ゲーじゃないのよ……)
あまりにもひどい状況に沙綾はその場に蹲り、一人静かに涙を流す。誰かに助けて欲しかった。傍にいて欲しかった。
そんな時、何故か心に浮かんできたのは、他の誰でもない、あのお人好しな魔王だった……。
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