第15話 力を使うんじゃないよ?
暫くして泣き疲れたサリエルナが眠りに着くと、魔王とエリーちゃんは医務室を後にした。
何もない大理石で出来た回廊を二人で歩きながら、エリーちゃんは呟くように魔王に問う。
「で? 坊は結局あれでよかったのかい?」
小さい声だったにも関わらず、二人の他に誰もいないここで、それは殊の外よく響いた。
魔王は落ち着いた様子で歩みを止め、エリーちゃんへ顔を向ける。
「何がです?」
「結局、あの馬鹿弟子が問題を起こした理由が分かったてぇだけで、何も解決してないじゃないか」
「よいのではないですか、それでも。誰も犠牲になっていないのですから」
「……坊も、よくよく甘いねぇ……。あぁ、そうだ坊、この後もちょいと付き合いな」
「いや、しかし、余は……」
突然の誘いに戸惑う。本心は早く執務室へ帰ってしまいたいのだが、
「ふんっ。あの聖剣の小娘が心配なのは分かるけどね、話はそれに関してだ。だから、付き合いな」
「……分かりました……」
かく言う聖剣の事に関してなのなら、無碍にもできない。渋々といった様子で、魔王はエリーちゃんの後へ続き、彼女の私室へ向かう。
エリーちゃんの私室は城の中庭に建てられた、小さな木造の小屋だ。屋根に苔が生し、壁に蔦等の草木が這っているこの小屋は、当然元からこの場にあったものではない。
魔王に連れられて来た際に一緒に持ってきた、以前から彼女が棲んでいた小屋だ。
「ささっ、遠慮なく入んなよ」
一歩踏み出すだけで軋む床板に若干顔を顰めながらも、エリーちゃんの言葉に従いおずおずと中に入る魔王。
室内も外見と変わらず、中々に酷い有様だった。
床には色々な書物が散乱し、テーブルにもゴミだか道具だか分からにモノが山積みだ。天井付近では蜘蛛が巣まで張っている。
あまりの惨状に魔王が言葉を失っていると、エリーちゃんはテーブルの上のモノをガザァーッと腕で床下に落とす。何かが壊れるような音もしているが気にした風はなく、続いて何処からか持ってきた木製の椅子を二脚、テーブルの横に据える。
「よし。さぁ、坊。ちょっと散らかっちゃいるけどね、座った座った」
これがちょっと? と眉を顰めたくなったが、変に突いて理不尽な怒りを買うのを避けたい魔王は、努めて平常心で椅子にそっと腰を下ろした。ギギッと嫌な音が聞こえたが、顔には出さない。
「今お茶を入れるからねぇ~」
そう言ってエリーちゃんがテーブルの上に用意するティーセットに魔王は息を呑む。
縁に金で彩色を施した白磁のカップだが、微妙に欠けているし、なにより内側には茶渋か何かがこびりついていた。間違っても王族相手に使う代物ではない。だが、魔王はそれに注がれていくお茶を無言で見詰める。
そこでふと、魔王は考えた。もしかしたら、自分は何か試されているのかもしれないと。で、あればと思い魔王がティーカップを手に取り、お茶を一口飲もうとした瞬間だった、
「はぁ~。坊……もうちょっとなんかこう面白い行動がほしかたねぇ」
エリーちゃんが盛大な溜め息と共に、呆れたように言ってくる。
そうして、彼女が右手の指をパチンと鳴らすと、部屋は一瞬でその姿を変えた。
足の踏み場のなかった床は紅い絨毯の敷かれた真新しい板張りなり、テーブルや椅子はいつの間にか木目の美しいそれに代わり、天井には簡素ながらもシャンデリアのようなものまで吊られている。壁も木の地肌が見えていた先程までとは違い、繊細な模様の施された白い壁紙が貼られていた。
手に持ったティーカップも、ふと気がつけば海のように深い碧の色合いを持った物に代わっている。
あまりの変化に目を白黒させていると、
「そうそう、その顔。そういう驚いた顔が見たかったんだよ」
エリーちゃんは悪戯が成功した子供のように無邪気に笑っていた。
その様子に魔王は憮然とした態度で、
「何をやっているんです、エリー、ちゃん……」
呆れたように返すのだった。
しかし、エリーちゃんは飄々とし気にした風すら見せない。
魔王は頭を抱えたくなった。聖剣について話があるからというので、後をついて来たが何をしたいのか全く分からない。
そんな思いを込めてエリーちゃんを半眼で見つめると、
「そんな目を向けるのはおよし。ちょーっとからかっただけじゃないか」
おどけた調子で肩を竦めるのだった。
それに魔王は溜め息を吐き、
「それで、聖剣に関しての話とは? 何なのです?」
エリーちゃんへ真剣な目を向ける。
「あんまり深刻ぶってもアレだから、軽くいこうと思ったんだが……仕方ないねぇ、真面目にやってあげるよ」
そう言うとエリーちゃんはやれやれといった様子で、椅子へ腰かけお茶に口を付けた。
一口飲んで、カップをテーブルに置くと、その横にサリエルナから渡された羊皮紙の束を無造作に載せる。
そして、魔王へ探るような眼差しを向ける。
「単刀直入に聞くけどね、坊。お前さん、あの聖剣が真っ当な代物じゃないって最初から知っていたね?」
その眼光はいつにも増して鋭く、下手な誤魔化しは通じないだろうと思われた。
故に、魔王は大人しく白旗を上げる。ここは変に嘘を言って彼女を敵に回すより、全てを打ち明けて味方につけた方が得策だ。
それに魔剣の事以外にも、元から聖剣について相談する気ではあったのだ。手間が省けたと思えば不都合はなかった。
「仰る通り。確かにあれは余達が知っている聖剣、魔剣の類とは違うでしょうな……」
「案外素直に認めたね……で? あの聖剣はなんなんだい? この資料に書かれてる通りって事はないんだろう?」
訝しげに見つめるエリーちゃんに、魔王はゆっくりと頷くと、彼が知りえる全ての事を彼女に教えた。それは聖剣の出自から、その力に至るまで、魔王が自身の魔眼で捉えた事柄だった。
全てを聞き終えたエリーちゃんはテーブルに腕をつき、その手で頭を押さえた。
「これはまた……予想以上に厄介なモンを……けど坊、お前さんそれをどうやって知ったんだい?」
「余には魔眼がありますので」
「あぁ、そうか、そうだったね……」
溜め息を吐きつつテーブルに突っ伏すエリーちゃん。色々考えてはいたが、現実は予想の斜め上過ぎた。
「坊……本当、どうするんだい? 今の話が事実なら、あの聖剣の立場は物凄く複雑だよ」
「そう……ですな」
沈黙する魔王を突っ伏したまま、うらめしそうに見上げるエリーちゃん。
(ホントに分かってんのかねぇ、この子は……)
心中で頭を抱える。それほどまでにあの聖剣は厄介な代物だった。資料の通り、人間が作った聖剣であった方がまだ救いがある。けれど実際は違う、聖剣に宿っている神霊は元をたどれば、異世界から転生してきた極々普通の少女だという。
もうわけが分からなかった。
「何がどうなってんだい……全く」
エリーちゃんの見立てでは、この資料に書かれている事はまず間違いない。さっき見た聖剣の材質や寸法、装飾等も正しくその通りだった。しかし、魔王が言っている事も嘘とは思えない。自分があの少女に妙な違和感を覚えたのもそれが理由なら納得がいく。けれど、どちらも正しいという事が果たしてあり得るのか……。
もういっそ同じ剣が二本あったなら話しが簡単で済むが、逆にそれは在り得ないだろうと思えた。あのレベルの剣がそう何本もあったのでは、魔族は当の昔に滅びている。
「はぁ~……本当ならこんな話をするんじゃなかったのにねぇ……」
「? エリー、ちゃんは聖剣の正体を確認する為に余を呼んだのではなかったのですか?」
嘆息しながら愚痴るように呟くエリーちゃんに、魔王は訝しげな視線を送る。てっきり聖剣の真贋をハッキリさせる為の話だと思っていたのだ。
「いや、違うよ。あたしの話は確かに聖剣は聖剣なんだが、正確にはあの小娘の話さ」
「…………?」
ちょっと予想外の話題に目を瞬かせる。ここであの少女の話が出るとは思わなかった。
「確認なんだがね、坊。お前さん、あの小娘に惚れこんで聖剣を手に入れたいとか、ふざけた事を抜かしてるんだろう?」
言葉は何処かぞんざいで茶化している感じがあるが、エリーちゃんの表情はいたって真剣だった。姿勢も先程までテーブルに突っ伏していたのに、いつの間にか背筋を伸ばして座り、まっすぐに魔王を見詰めていた。
故に、魔王もそれ相応の覚悟を持って、エリーちゃんに、いや魔女・エリーローズ・ノヴァ・エーデルライトに宣言する。
「そうだ。余はあの聖剣に惚れておる。あの娘を好いておる。誰が何と言おうと、アレは余のモノだ!!」
それを聞いたエリーちゃんは、あ~あ~やれやれといった感じで頭を振ると、
「あたし相手にそこまで言いきっちまうとは大概だねぇ……」
呆れたように言うのだった。そして、再び真面目な顔に戻ると、
「なら、やはりこれは伝えておくべきだろうね。坊、よくお聞き。お前さん、あの聖剣を手にしても決してその力を使うんじゃないよ?」
真剣な目付きで魔王にそう忠告する。
それはいつになく鋭い眼差しで、声も随分と低く重いものだった。だからこそ、エリーちゃんが冗談や何かで言っているのではないという事が、否応なく伝わってきた。
「……しかし、それは何故なのですか?」
当然の疑問だった。あのエリーちゃんがこうまで言うのだ、何かしら重大な理由があるはずだ。
「そうだねぇ、坊はレヴィアンテルの精霊に会った事はあるね?」
しかし、返ってきたのは答えではなく、別の質問だった。それを訝しがりながらも魔王は頷く。
「余が即位したときに、同時に魔剣の継承も行いましたので、その場で少し」
「その時、坊はどう思った?」
「……何かが抜け落ちているような、感情に乏しい様な印象を受けましたな」
「うん、まさにそれだよ、坊」
「は……?」
指を差しながらソレだと言ってくるが、魔王には何かが分からない。
「鈍いねぇお前さん……。つまりさ、魔剣なんかに宿っている精霊ってのはね、力を使えば使うほど段々と、感情やら自我やらが抜け落ちちまうのさ」
エリーちゃんは魔王の反応を待たずに淡々と説明していく。
「考えてごらんよ、坊。あたし達でも戦い過ぎれば段々と精神を病んでいくんだ。よくいるだろう? 軍人や傭兵、冒険者なんかにさぁ。危険な場所に身を置き過ぎて、平時になっても普通に戻れない奴ってのがさぁ」
そう問われて、魔王は無言で頷く。そういう者が割といるというのは知っていた。何年か前には魔族軍で問題にも上がったはずだ。
「ならさ、何時如何なる時も武器として扱われる身に宿っている精霊達は、どうなるんだろうね?」
その言葉に目を見開く。魔族や人間ならば疲れれば休めばいい、戦闘から離れればいい。
けれど、武器に宿っている彼らはどうか? 常に誰かの手にあり、時には望まぬ戦いを強いられているのではないか? そう考えた瞬間、背筋が寒くなる。逃げ場のない戦闘、それは耐え難い苦痛だろう。
「気が付いたね? だから奴さんらは、その苦痛から逃げる為に余計な物を捨てて行くのさ」
「…………あの者もそうなるとエリー、ちゃんは言われるのですか……」
「さぁ、どうだろうねぇ。今のは一般的な魔剣の話さ。あの聖剣は少々複雑怪奇だからねぇ、これには当てはまらないかもしれないし、当てはまるかもしれない。もっと言えば、何かが引き金になって突然、全てを失っちまうかもしれない。例えば、抜いた瞬間とかね?」
冗談めかした口調でエリーちゃんは言うが、目がまるで笑っていなかった。つまり、そういう可能性がゼロではないという事だ。
「だから坊、何時でも覚悟はしておく事だ。さて、それじゃぁ、あたしの話はお終いさ。ささっと愛しの小娘に会いに行って、甘い言葉でも囁いておやりな坊」
最後は茶化したように締めくくるエリーちゃんだが、魔王はただ無言で頷くことしかできなかった。今聞いた話はそんなに軽いものではない。今後のあの少女に関する非情に重要な事だ。
だから、魔王は立ち上がると、エリーちゃんへ一礼するだけで、そのまま何も言わずに部屋を出てしまう。今は一刻も早く彼女に会いたかった。
そんな魔王の背中を見送りながら、エリーちゃんは、
「全く、難儀な恋をしてるねぇ、我らが陛下は……」
困った様に呟き、右手の指を鳴らす。
するとまたもや周囲の様相が一変する。今度は現れたのは室内全てが書架で埋め尽くされた部屋だった。
「まぁ、何かあった時のために、知恵ぇ貸すのが先達の務めだろうねぇ」
そう言うとエリーちゃんは、書架の間を縫うようにして軽妙な足取りで進み始め、やがて本の森の奥深くへ消えて行くのだった。
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