第14話 馬鹿だねぇ、お前さん
サリエルナが目を覚ました時、目の前には白い天井が広がっていた。
微かにする薬品の臭いと、真新しいシーツの感触。
(あぁ、医務室? ですか……ですけど、何故?)
まだ少しぼんやりとする頭で、どうして自分がこんな場所にいるのか考える。
しかし、答えが出る前に、
「やっと起きなすったね、馬鹿娘」
目覚めの挨拶にしては些か酷い台詞が聞こえてきた。
声のする方を見れば、彼女のベッド脇にある椅子に、人形のような愛らしい少女が腰かけていた。
純白のローブを身に纏い、白いとんがり帽子を膝に置いている女の子。彼女は不機嫌そうに自身の白金色の髪を指で弄びながら、その硝子細工のような蒼い瞳を細め、サリエルナを見つめている。
自分はこの少女と何処かで出会っている……そう感じながらも、サリエルナは何処で彼女に出会ったのか思い出せないでいた。
人形めいた容姿と作ったような妙に高い声音で、こんな不躾な挨拶をしてくる人物が、確かに知り合いにいるはずなのだが……。
謎の少女の正体を考えていると、再び声が掛けられる。今度は少女のその後方、
「どうしたのだ、サリエルナ。気が付いてそうそう難しい顔をしおって」
その何処か困惑した様子の声を聞いて、サリエルナは目を見開く。そして、急に目頭が熱くなる。
「へ、陛下ぁ……」
目元を濡らしながら顔を少女から上へ向ければ、そこには彼女が敬愛してやまない魔王陛下その人が佇んでいた。
その様子を白い少女は面白くなさそうに眺め、
「なんだいなんだい、坊への挨拶はあってもあたしにはないってぇのかい。ここに来てずっとお前さんを看てやっていたのは、あたしだてぇのにねぇ」
不貞腐れたようにそっぽを向く。
「まぁ、良いではないですかエリー、ちゃん」
「ふんっ。何が良いもんかい」
「……エリー? ちゃん?」
おそらく少女の名前であろう名詞を聞いて、サリエルナは小首を傾げ、ようやく彼女の正体に気が付いた時には、全身から血の気が引く思いがした。
「ま、まさか、エリー師匠ですか……」
「はんっ。ようやく気が付いたかい馬鹿娘」
あまりに予想外な人物の登場にその場で土下座しようとするが、体に激痛が走りそうもいかない。痛みのあまりベッドの上で、動けずに器用に身悶えていると、
「馬鹿だね、何やってんだいまったく。暫く大人しくしてな」
「は、はい……」
エリーちゃんに溜め息と共に呆れたように注意され、しゅんとなってしまう。
エリーちゃん。正式な名をエリーローズ・ノヴァ・エーデルライトという彼女は、サリエルナの魔眼の師匠であった。魔眼の力を持て余していた時期に、魔王から紹介されたのが彼女だった。
(けれど、何故エリー師匠がわざわざここへ……)
エリーちゃんが訪れた理由を考え始めるが、その答えにはすぐに辿り着いてしまう。
(あぁ、そうでね……エリー師匠は魔女……つまりそういう事ですか……)
魔女、それはマナを介したありとあらゆる契約を司る存在だ。乞われれば契約の是非、善悪、正誤等を判断しその是正を行い、あまりに理不尽で強固な契約には強制介入し、可能ならばそれを破棄する事もある。
そんな彼女達は、マナを中心としたこの世界ではある意味で法の番人であり、執行者だ。魔王がエリーちゃんに礼を尽くす一因はそこにある。まぁ、頭が上がらない理由は他にもあるのだが……。
さて置き、そんな彼女が連れてこられたのは、
(やはり、陛下は本気で魔剣を手放すおつもりなのですね……。だからこそ、契約の確認と破棄の手続きを円滑にするためにエリー師匠を……)
という事だろうと想像に難くなかった。
神妙な面持ちでサリエルナが一人納得していると、
「どうしたってんだい? らしくない顔じゃないか。まぁ、大方予想は付くがねぇ」
エリーちゃんが何かを見透かしたような視線を向けてくる。
そんな彼女をサリエルナは真剣な眼差しで見返すと、
「……エリー師匠は、魔剣の事でお越しになったのでしょう?」
自分でも予想外な程、低く硬い声でそう聞いていた。
エリーちゃんはそれに頷き、
「そうさぁ。けどね、その前にお前さんに聞いておかなきゃならない事がある。お前さん、どうして聖剣を叩き折ろうなんてしたんだい?」
サリエルナを冷たく鋭い目付きで見つめてくる。
その問いかけに思わず息を呑み、そして気が付いた。
「そうです! どうしてワタクシは今ここにいるんですか? あの契約はどうなったのです? まさか、エリー師匠が助けて下さったんですか?」
黒小人とあんな無茶な契約を結んだのだ、ここに無事でいる事がおかしかった。思い出せば、契約書をエリーちゃんに渡した気もするが、その後の事をよく憶えていない。
確かに魔女は契約に強制介入できる時もあるが、あの黒小人達の事だ、そう易々と割りこませはしないだろう。なら、どうして自分はここにいるのか、それが分からなかった。
そう思い困惑した様子でエリーちゃんへ視線を向ければ、
「なんだいお前さん、何も憶えちゃいないのかい?」
呆れたようにエリーちゃんは溜め息を吐く。
「契約なら安心しな、もうとっくに無効だよ。それとね、助けたのはあたしじゃないよ」
「それでは誰なんです? ワタクシ確かエリー師匠に契約書を渡しましたよね?」
「そうだねぇ。けど、お前さんを助けたのは、お前さんが折ろうとした聖剣の小娘さね」
「なっ……」
エリーちゃんから告げられた事実に、サリエルナは言葉を失う。わけが分からなかった、どうして自分を折ろうとした者を助けたりするのか。
呆然とするサリエルナに、
「だからさ、サリエルナ・エクリノ。お前さんは何故あの小娘を襲ったのか説明する義務がある。それが道理ってもんだ」
エリーちゃんは諭すように言い聞かせる。
そうして、暫く間があった後、サリエルナは重々しく頷くのだった。
「分かりました……お話します。ただ、教えてください、ワタクシはどのようにして助けられたのか……」
その言葉を受けて、エリーちゃんは事の経緯を掻い摘んで説明する。黒小人の事、聖剣が金槌を斬った事、そのお陰で生じた契約の穴に介入で来た事等々。
「まぁ、こんなとこだろうねぇ。それで? お前さんはどうなんだい?」
目を閉じて説明を聞いていたサリエルナにエリーちゃんが問い掛ける。
今度は彼女が話す番だ。
「ありがとうございました、エリー師匠。それが事実なら、ワタクシは確かに話さないといけませんね」
「呆れたねぇ。何だい? 話を聞くだけ聞いて黙るつもりだったのかい? まったく、最近の若い者ときたら……」
「場合によってはそれも考えましたけれど、これは駄目ですね……。ワタクシはどうも彼女に大きな借りを作ってしまったようですから……」
「あぁそうさ。だから観念おし」
「えぇ、分かっています。ただ、本来なら彼女も交えた方が良いのでしょうけど……」
そこでサリエルナは若干言い澱むが、
「小娘には知られちゃ不味いんだろう?」
エリーちゃんの何かを知っているような言葉に、目を見開く。
「エリー師匠は気付いてらっしゃるんですか?」
「まぁ、あれだけ妙なのは初めてだけどね。今まで例がなかったわけじゃぁない」
「そうですか……なら、エリー師匠の考えもお聞かせください」
サリエルナは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、それに何事かを呟いた。その途端、羊皮紙は淡く輝くと、その量が十数倍になり、羊皮紙の束へと姿を変える。
サリエルナはそれをエリーちゃんへそっと手渡した。
「これはまた面倒そうなモノを引っ張り出してきたねぇお前さん……よっと」
そう言ってエリーちゃんが手を叩くと、羊皮紙の束が二つに増える。サリエルナがその様子に目を丸めるが、エリーちゃんは気にも留めない様子で、
「ほら、坊も一緒に読みな」
片方を背後の魔王へ渡し、羊皮紙の束の内容を確認していく。
二人はそれを無言で読み進め、ようやく読み終わったときにはもうだいぶ時間が過ぎていた。
顔を上げたエリーちゃんは、首と肩を鳴らしてから、後ろへ大きく伸びをする。
「う~ん。詰まらない読みモノだったねぇ、本当」
心の底からそう思っているらしく伸びた後、憚ることなく欠伸までするエリーちゃん。
魔王はといえば、彼も大分疲れたのか、目頭を指で揉んでいた。
そして、お互い見つめ合うと、やれやれといった感じでエリーちゃんが話し始める。
「さてと、なんとなくは分かったんだけどねぇ。つまりはお前さん、アレかい? あの聖剣が偽物だから折ろうとしたってわけかい?」
まだ出そうになる欠伸を噛み殺しながら問い掛けるエリーちゃんに、サリエルナは頷き、
「そうです。そしてワタクシは陛下に、魔剣を手放すのを考え直していただきたかったのです」
魔王へそれを訴えかけるように見つめる。
しかし、魔王はそんな彼女に微笑みかける。
「そうか。しかしな、サリエルナ……無理はするな」
「え??」
予想外の反応に戸惑うサリエルナ。ここで何もかもを許したような笑みを向けられる意味が分からなかった。
そんな彼女に、エリーちゃんはそっぽを向いて髪を指で弄びながら、面白くなさそうに言う。
「馬鹿だねぇ、お前さん。あたし達を見くびり過ぎだよ……」
「え、えぇ??」
もう、本当に訳が分からなかった。
てっきり聖剣が人の手で作られたという問題を真剣に話し合い、魔剣をどうするか議論するのだと思っていた。しかし、どういう訳か、二人は何もかも分かった様子でサリエルナを見つめてくる。
「えっと、これはどういう……」
困惑したようにサリエルナが呟けば、
「もうよいのだ、サリエルナ。もう進んで悪役になる必要はない」
「ふんっ。お前さんはいつもそうさ。何でも真面目に考え過ぎなんだよ」
答えになっているのかいないのか、よく分からない台詞を返される。
だが、サリエルナはそれで気が付いてしまった。自分の企てが二人に露見した事に。
動揺を隠そうと今更ながら、平静を装おうとするが、そんな彼女を見て、エリーちゃんは面白そうに笑っう。
「はっはぁ~。今更隠そうとしても無駄さぁね。何より、そうやって取り繕うのが動かぬ証拠だろう?」
「…………」
「そいじゃ、まぁ、答え合わせて行こうか?」
押し黙るサリエルナに、ニヤリと意地の悪そうな顔を向けるエリーちゃん。
「まずは、そうだねぇ……お前さんは最初あの聖剣を折るつもりはなかった」
「何故なら、余があの聖剣を欲している事を、そなたは知っているからな」
「坊を心底慕っているお前さんだ、その意に反する事はしないだろう。けれど、そこであの紙束を見付けちまった」
「恐らく、余が魔剣をそなたに預けた後だろう」
「それでお前さんは一計を案じた。このまま魔剣を手放せば、坊は護国の剣を捨てた希代の愚王になっちまうと」
「故に、そなたはあの資料の真偽を早急に確かめねばならなかった」
「だから、手っ取り早く聖剣と戦ってみたってぇところだろう? どうだい? 何か違うかい?」
サリエルナは俯いたまま、小さく首を横に振った。
事実、その通りだった。
聖剣の真実を確かめ、それが偽物なら魔王に魔剣を手放す事を何としてでも思い留まらせる。それが彼女の考えていた事だった。
「けど、これにはまだ続きがあるね? 馬鹿娘?」
そう言われて思わず顔を上げると、探るような眼差しでこちらを見つめるエリーちゃんと目が合った。
「聖剣の実力を確かめる為だけなら、何もあんな無茶な契約を結んでまで襲わなくとも良かったんだ。お前さんの実力なら、十分以上に渡り合えただろうよ。しかし、お前さんは敢えてあの行動を取った。それは何故か?」
思わずサリエルナは息を呑む。この二人は一体どこまで見通しているのだろうと。
「この紙束がある限り、あの聖剣はどんなに強かろうと、人が作った偽の聖剣ってな評価が付いて回る。けれど」
「そなたがあの聖剣を討ち損じ、あまつさえ倒されたとなれば、アレは魔族の将軍を討伐した真の聖剣となるであろうな」
「つまり、そういう事だろう馬鹿娘。お前さんはどう転んでも、坊が失墜しないように動いていた」
「うむ、加えて余の我が侭を最大限、実現する方向でな……」
「偉そうに威張ってんじゃないよ坊。元を正せば、お前さんが唐突に魔剣を手放すなんて言うから、この馬鹿娘が変に真面目に考えちまったんじゃないか……」
「いや、しかしですな!」
「お~やだやだ。恋に目が眩んで、周りが見えないとか、本当やになるよぉ」
「なっ!? 決してそのような!!」
何時の間にやら言い合いを始めてしまう、エリーちゃんと魔王。そんな二人をサリエルナは無言で見つめる。
二人の言った事は殆ど正解だった。
聖剣が聖剣であるならば、今回の事は難なく退けられる。仮に偽の聖剣であっても、サリエルナを討てればそれだけで箔が付き対外的には聖剣として通せる。魔王が聖剣の事で責められる事は格段に減るだろう。
もし万が一、どうしようもない鈍らであっても、叩き折ってしまえば全て元通りだ。魔王は魔剣を再び手にし、かの剣は今まで通り護国の剣として機能する。
結局、何だかんだと理由を付けつつ、サリエルナは彼を守ることだけを考えて行動していただけなのだ。例え、それが命を擲つ事だとしても。
ただ、そんな彼女でも一つどうしても分からない事があった。それは、
「けれど何故、エリー師匠と陛下は……たったあれだけの事で、そこまで見破れたのですか?」
それが唯一にして最大の謎だった。しかし、二人は一瞬惚けた顔になると、
「それは、そなたが余の大切な忠臣であり、」
「あたしの愛すべき馬鹿弟子だからに決まってるじゃないか」
そう言って当然のように笑うのだった。それを見た瞬間、サリエルナの頬に一筋の涙が流れる。そんな彼女をエリーちゃんは優しく抱き締めた。
それで限界だった、とうとうサリエルナは声を漏らして泣きだしてしまう。
「馬鹿だねぇ、泣くことないじゃないか」
「申し訳……ありませんでした……」
涙と共に零れる謝罪の言葉は、弱々しく震えていた。
サリエルナが泣く間中、エリーちゃんは幼い子供をあやすように彼女を撫で続ける。
そうして、暫くしてようやく落ち着きを取り戻したサリエルナは、目を若干赤くし、
「お見苦しい所をお見せしました……」
手で涙を拭いながら、魔王へ顔を向ける。
そんな彼女の頭に、魔王はそっと手を置くと、
「よい。そして此度の事、誠に大義であった」
そう優しく労わるような声を掛けるのだった。
「けれど、もうこのような無茶はしてくれるな。もう少しで余は大切な忠臣を一人、失う所であった」
「…………」
「サリエルナ・エクリノ、そなたの代わりは何処にもいないのだ。余をそなたのような忠臣を失くした愚かな王にするでない」
「……はい……はい」
頷きながら再び嗚咽を漏らすサリエルナを、魔王は彼女が泣き止むまで、その頭を優しく撫で続けた。
エリーちゃんはそんな様子を椅子に座って、やれやれといった表情で見つめている。
サリエルナのたった一人の命を懸けた戦いは、ここに静かに幕を下ろしたのだった。
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