エピローグ

 一泊した由貴さんと美冬さんという大嵐に昼過ぎまで見舞われた黄金連休の最終日も無常に過ぎ去り、今日からまた五日間の学生生活が始まってしまう。

 ……全然休んだ気がしないのは、初日から最後までの騒動を考えれば、むしろ当然と言わざるおえない。

 ってか、平日の方が楽かもな、なんて安堵してしまう自分がなんか、嫌だ。


「はぁ」

 今日だけで何度目かも分からない溜息をつきつつも、既に自分の準備を万全に終え、僕と姉貴の弁当も作り終えている自分の習慣が、なんだかちょっと恨めしい。

 時計を見れば七時二十五分、まだ寝ていたとしたら起こさないと拙い時間だけど……。

 なんか、少し、気恥ずかしい。

 昨日は、まだ、由貴さんと美冬さんが居たから良いんだけど、今は二人きりだ。

 一昨日のキスを思い出すと、自然と頬が熱くなる。

 なにやってんだかなー、僕も姉貴も。

 思わず頭を抱えてしまい、椅子から立ち上がれない僕だったけど、期待は良い方向に裏切られたみたいで、二分後には登校準備を終えて、特に雰囲気の変わらない姉貴がダイニングに現れた。

「時間もないし、さっさと食べちゃってよ」

 登校前には洗い物も済ませておきたいので、いつも通りの口調で僕が話しかける。姉貴の返事もいつも通り。

「分かってる」

 ご飯と、鮭の切り身の焼き魚に豆腐の味噌汁、きゅうりの漬物、等の簡単な朝食をさっと眺めて、一気に掻っ込んでいく姉貴。


 なんだか、悩んだ僕が馬鹿らしくなるくらい、朝の支度はつつがなく出来ていった。

 まぁ、嬉しい反面、肩透かしされた気分でもあったけど――。


「修平、いってきますのキスは?」

 やっぱり最後までは良い子でいられないのが、姉貴という人物らしい。

 明らかに一昨日をこじらせた発言が、支度を終え、靴を履こうとしている僕に向かって投げられる。

 靴を履くのにしゃがんだ僕と、靴を履き終えて見下ろす姉貴。

 その頬に狙いを定めると、僕が動くよりも早く姉貴の言葉が迎え撃った。

「額でも、頬にでもなく……」

 意味ありげに言葉を止めて、続きを期待する顔を、じわじわと僕に近付ける姉貴。

 逃げようとしても難しい距離に、僕は――。

「ぶっ」

 左手の掌で姉貴の顔を遮った。

「今は、する理由がない」

 きっぱりと言って、靴を履きかけのまま姉貴の横をすり抜け、玄関から逃げるように出る僕。

 けれど、すぐに態勢を立て直した姉貴が、僕の腕を掴んだ。

 万事休す。

 頭の中に警報が鳴り響いたその瞬間、意外な助け舟が目の前に現れた。

「おはよ~」

 のんびりした声で挨拶したのは美冬さんで、両横に由貴さんと東雲姉妹もいた。

 渋い顔をした姉貴と、露骨に安心した僕。

「ほら、後から出たんだから、鍵」

 余裕を取り戻した僕が姉貴に命令する。

 さすがに、この場でさっきの続きをするわけにはいかないということを姉貴も分かっているみたいで、渋々、財布から鍵を出し、玄関を施錠している。

 僕と姉貴のそんな様子を、七海さんと由貴さんが不思議そうな目で見て、美冬さんが何かを察したニヤケ顔を姉貴に向け、委員長は興味なさそうに――。

「委員長、自転車だったんだ?」

 話題転換と、余計な追求を振り切る効果の二つを狙って、この場の誰にとっても一番弄り難い委員長に話し掛けた僕。

 腕を掴む姉貴の力が更に増したけど、気にしないことにする。

 それに、高校生の四人が自転車なのは、姉貴も自転車通学だから分かっていたけど、委員長も自転車だとは思わなかったし。素直な疑問でもある。

 申請できる距離とか、満たしているんだろうか?

「ちょうど学校からここまで来るのと同じくらいの距離があるんですよ、私の家までは」

 僕等を待っていたことに関して、特に何も思っていないような感じに言った委員長。

 そういえば、前に、東雲姉妹の家は駅の近くのマンションとか姉貴は言っていたと思うけど……学校からここまでの二倍の距離なら、駅から近くない気がするのは、僕だけなのか?

 ただ、まあ、ひとつ思うことを言うなら――。

「一人だけ自転車が無いのも、なんだか、悪い気がする」

 全員を僕に合わせて歩かせてしまうことが、多少の罪悪感だ。

 中学校までだと、自転車通学が許可されない距離に家があるから、仕方ないといえば仕方ないんだけど……。

「お姉様の後ろに乗せてやろうか?」

 玄関横に置いている自転車を引いて来た姉貴が、苛めっ子の顔を僕に近付ける。

 それを貸しにしたいって魂胆が見え見えだ。

「いや、それは――法的にもアウトだけど、絵的にもどうなんだろう?」

 見え透いた罠には掛かりたくなくて、もっともらしく……いや、素直な感想として、女子が漕ぐ自転車の後ろに乗っている男子の絵を想像して、眉をしかめる僕。

 ちぇ、と、あんまり悔しそうじゃない様子で姉貴が舌打ちをする。

「そういえば――」

 舌打ちで思い出したってわけじゃないけど、自転車のまつわる良い話を思い出した僕は、朝から続く姉貴の攻勢を妨げようと、取り合えず口にしてみる。

「昔の陸軍には、銀輪部隊ってのがあったんだよ。自動車が少ない時代だったから、行軍速度を上げるために自転車を使ってたんだ」

 だけど、周囲の反応は微妙だった。

 向けられる生暖かい視線。

 得意な話題を語っただけなのに、やっちまった感を出されても困る。歴史の授業なんかで使える、良い知識だろうに。

 ただ、まあ、それが引き金になって、ようやく移動が始まったんだから、悪いばかりではないと思う。……そう、思うことにする。


 皆で道に広がり過ぎない程度に並んで歩き始めると、いきなり最後尾に陣取った委員長に袖を引っ張られた。

 呼ばれた理由が分からなくて、僕はぶしつけな視線を向けてしまう。

「学校で一緒なのは、私だけです」

 委員長は、僕の様子も気にせずに、ほんの少しだけ不機嫌そうな澄ました顔でそれだけを告げた。

 ……告げられたけど……余計に、委員長の考えが分からなくなった。

 その事実を言うことが、今更何になると?

「だから?」

「別に。それだけです……」

 じゃあなんで言った? という、素直な感想が僕の顔に出ていたみたいで、若干不貞たような顔になった委員長が言葉を続けた。

「それだけが、アドバンテージですけど、重要ですよね? イロイロな間違いが起こるには」

 口調から察するに、一昨日の寸劇を……悪い方向で受け取ったらしい。

「なんか、誤解してないか?」

 変な方向に進みつつある委員長を軌道修正しようと、額を手で押さえながら言った僕。

「修平君、色々と間違いを起こしそうだし、やっぱり、ちゃんと見とかないとな、って思ったんです」

「間違い……?」

 もしかしなくても、由貴さんと美冬さんと……あと、七海さんが、僕が思っているよりも本気だとかいう話か? ああ、あとは、目下最大の問題である姉貴のブラコン傾向についてとかもあるかな。

 でも、そうしたことを付き合いの短い委員長に言われても、な。

 今までも、付かず離れずの丁度良い距離で居たんだし、七海さんが友人になったとしても、これからだってきっとそうに決まっているだろうに。

「やっぱり誤解だろ」

 溜息交じりに僕が言うと、分かってないなぁ、なんて顔した委員長が、これまで見せたことがない程、真剣な表情で迫って来た。

「後で後悔させますよ?」

 一瞬怯んでしまう僕だったけど、すぐに取り繕って、いつも通りの皮肉っぽい笑みを浮かべる。

「そんなことを強制的にさせるなよ」

 委員長からは、呆れた視線が返って来るだけ。

 なんだよ、と、言い返そうとした所で、姉貴に大声で呼ばれてしまう。

「修平!」

「すぐに行く」

 返事してすぐに――、一度だけ肩越しに委員長を振るかえってから、姉貴の横に駆け寄る僕。

 当たり前のように姉貴に腕組みされながら、つい先ほどの委員長の顔を思い浮かべる。

 あれは、学校では自分が振り回すって顔だったと思う。


 ……やれやれ。


 黄金連休の洋菓子は、余計な縁ばかりを取り持ったらしい。


 腕を取った姉貴に由貴さんが突っかかって、美冬さんが反対側からちょっかいを出し、七海さんが困り顔をしつつも背後をふさいで、委員長は最後尾を悠々と歩いている。

 嫌いじゃない人達の側に居れるのは良いんだけど……。


 以前にも増して騒がしい日々の予感に、僕は苦笑いで空を仰いだ。

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黄金連休の洋菓子 一条 灯夜 @touya-itijyou

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