第3話 清水零華の一面
少し前を行くみ空色の髪が揺れている。
太陽光に反射した眩しいほどの輝きは、決して気のせいではない何かを秘めている。
ふと視界に入れば自然と視線が吸い寄せられる。
(まぁ実際は忠告の事を引っ張っているだけだが…)
昨日の夜に告げられた一音の言葉。
何も命に関わることではないだろう。
しかし昨日触れた一音の本質の片鱗を思えば、何か今後に響いてくるかもしれない。
だが今は今日という休日を楽しむことにして考えるのを止めた。
「専用端末?」
「はい。実は昨日お渡ししようと思っていたのですが、上手くその機会が見つけられなかったものですから」
「もしかしなくとも風呂の一件だったりする?」
「確かにそれもありますが、私の方でも色々あったものですから…」
「色々?」
「今日の外出の申請です。申請事態は比較的簡単に通りますが、手続きが少々面倒かつ複雑でして」
「そうだったのか…。いや、風呂の置手紙といい、その申請といい、本当にありがとう」
「いえいえ。大した手間じゃありませんし、それに…」
「それに?」
「いえ、何でもないです。それよりその端末、失くさないで下さいね?」
俺が手に持っている、一見してありふれたデザインのスマートフォン。
「本人のみが使用可能な認証システムによって起動するので、万が一落としても大丈夫ではありますが…」
「色々と面倒なことになる」
「そうです」
盗難や紛失に備えて様々な工夫が凝らされているようだが、能力者専用の特注品であるから、簡単に替えが効かないようだ。
「近いうちに新型の端末に置き換わると聞きましたが、時期も不詳な噂レベルですので宛になさらず」
「わかった」
「ではまず本人登録を…、っと船が来ましたので続きは船内で」
ここで俺が所属する事になった「星翔学園 佐伯キャンパス」について少し補足説明しておこうと思う。
東和皇国、大分県は佐伯市。
前大戦中は海軍航空隊が設置され、水道内の安全確保を目的とした哨戒活動を行う航空機が飛び立っていた場所である。
現在では海上自衛隊の基地が設置されており、国からも重要港湾に指定されており、国防上重要な拠点であることは間違いない。
学園が何故この地にキャンパスを置いたのか、その真意は分からないが、少なからず先の事柄が影響を与えたのは間違いないだろう。
さて肝心のキャンパスの立地だが、本島(九州)には位置していない。
市の港から数百メートルという近距離に浮かぶ離島。
その一角にそれはある。
キャンパスの設立前までは、予定されていた敷地の周辺にも多数の人が住んでいたようだ。
しかし設立後は国直轄の重要施設として隔離される運びとなり、周辺のものは軒並み本島への移動が命じられたとか。
よって現在でも島内にいくらか住人は残っているそうだが、その比率は昔と比べると格段に低くなってしまったらしい。
更に入島にも許可された人以外は許されず、また島への移住も認められていない。
安全保障や国益といったお題目のもとにセキュリティの徹底が行われたようだ。
他のキャンパスも大方似たような状況らしいが、離島という性質を利用したケースはここが初めてらしい。
「…なんか異様だよな」
湾内を進む本島への連絡船に揺られながら、先ほどの専用端末でキャンパスの情報を眺める。
もし聞けるなら機会をみて和月に尋ねてみるのもいいかもしれない。
「どうかされました?」
「いや、ちょっと気になることがあってね」
「気になること…ですか?」
この際だ。
零華にも軽く聞いておくことにしょう。
「佐伯キャンパスが設立された理由って知ってる?」
予想だにしていない内容だったのか、意表を突かれた顔を一瞬見せてくれた。
「公表されている情報では、能力者の保護と育成をより万全に行うため…、だったと記憶していますが」
まさに用意された模範解答。
確かに国が公表した謳い文句はそれに酷似した内容が書かれている。
だが知りたいのはそんな事ではない。
「他には何か知ってる?」
「他…ですか」
船内の天井に視線逸らされる。
一見して質問に対する回答探しを行っているようにみえたが、その実全く違う事を考えているようにも見えた。
普段なら特に気にしないことでも、彼女に対しては無意識に疑いのような眼を向け始めているのに気づく。
彼女の返答を今か今かと待っていると、無慈悲にも船が本島へ到着したことが告げらる。
そしてその間、ついぞ彼女から答えが返ってくることはなかった。
佐伯市中心よりほど近い「城山」。
標高はおよそ百数十メートルと、日常的に上り下りが可能な小さな山だ。
俺たちはその山頂にある、少々くたびれた感じの石造りのベンチに腰かけていた。
そして目の前には先ほど巡ってきた市街が広がっていた。
「綺麗だ」
時刻は15時頃。
天気に恵まれて、わざわざ上ってきたかいは十分にあったと言えるだろう。
「気に入って貰えたようで何よりです」
「清水さんはよく登ったりするの?」
「そうですね。こうして気軽に登れる高さの山なので、都合が合えばそれなりに」
聞いた話では、基本的に外出が認められる範囲は佐伯市内に限られているらしく、市外へ出る場合は別途他の申請が必要だとか。
「主要な場所だけでしたが、今日は楽しめました?」
「それはもう、初めての場所ばかりだったしね」
基地やキャンパスが設置されているとはいえ、都会の街と比べれば幾分見劣りしてしまう規模の街だ。
しかしそれは居住という日常の視点から見た場合だ。
当の俺の様な立場からすれば、全てが新鮮に移り心が踊ったりする。
ましてや観光という非日常な立場に身を置けば、更に楽しめるに違いない場所だと感じた。
「清水さんさえ良ければまた案内してよ。まだ見どころは沢山ありそうだし」
「えぇ、その時はまた是非」
可憐とも言うべき笑顔で頷く様に、ついつい目が奪われる。
しかし急にその笑顔は鳴りをひそめた。
「さて誰も居ないようですし…」
周囲に視線を送り、おもむろに立ち上がった。
「どうしたの?」
事態の急変に思わず口走る。
「いえ、少々やっておきたい事がありまして。すみませんが、海崎さんはそちらに立ってもらえます?」
「あ、あぁ。わかった」
表情からは特に読み取れないが、有無を言わせないプレッシャーが俺をつき動かした。
「立ったよ」
「結構です。では一つ試させて頂きます」
「試す?」
今までの状況からしてあまり適切ではない言葉に首を捻る。
俺の疑問に対し、彼女は行動をもって応えた。
「イグニッション」
その一言で平穏だった風景が明確に切り替わったのを感じた。
トリガーとも言うべきその言葉と連動して、み空色の膨大な光の奔流が周囲へと溢れた。
「ぐっ…」
力の圧に一歩後ずさってしまう。
やがて無秩序に見えた光が、徐々にだが粒子状に一つ一つ形成されていく。
それは蛍の光を連想してしまうほどの美しさを持っていたが、その実何倍もの力強い輝きを放っていた。
「な、何を…?」
彼女の言動が理解出来ず混乱していた。
先ほどまでの和やかな休日が、今や遠い過去に感じてしまうほどに。
「別に難しい事ではありません。ただ海崎さんの手の内を確認するだけです」
「なんだと…?」
吹き荒れていた光の渦は、今や彼女の周囲をゆっくりと滞留している。
更に特筆すべきは、それらとは別個に輝く光の帯。
色や光度こそは変わらないが、魔法陣を彷彿とさせる幾何学模様が所狭しと描かれている。
奇しくも俺はその正体を知っていた。
「フライトリング…」
「あら、知っていましたか。では話は早そうですね」
言うやいなやリングが輝きを増して高速回転し始める。
「まさかっ?!」
「えぇ、そのまさかです。下手すると…」
「死にますよ?」
彼女と俺との距離はほんの数メートル。
軽く走るだけでもすぐに手が届く距離を、果たして彼女は飛んだ。
比喩でもなんでもなく、空飛ぶ鳥のごとく。
違うのは速度と高度くらいか。
「っ?!」
弾丸のように真っすぐ突っ込んでくる彼女に対し、俺は身体を横に投げ出して回避する。
その跡を彼女は容赦なく、間髪入れずに通過していった。
「やはり避けますか。まぁ、この程度で潰れるようなら試す価値すらありませんでしたが」
「…一体何のつもりでこんなことを?」
服に付いた汚れを払いながら立ち上がる。
無論、彼女からの予期せぬアクションに備えつつだが。
「先ほど言った通りです」
「何のために?さっきのあれ、下手すれば病院送りじゃ済まされないぞ」
あれは人外の力を利用した明確な攻撃行動だ。
直撃はせずとも、研ぎ澄まされたエネルギーに掠るだけでも致命傷になりかねない。
「殺す気はありませんでしたよ。私だって意味もなく殺人は犯したくありませんしね」
「どうだか…」
突っ込んでくる時に見えた目。
あれは通常のそれとは何か違うものをたたえていた。
もしかしなくとも、あれが殺意というものなのかもしれない。
「さて、あまり長引かせると誰かの目に触れる可能性もありますし、手短にいきましょう」
「やらないという選択肢は存在しないのか?」
「残念ながら存在しません。ですから怪我をしたくなければ、海崎さんも全力で応えてください」
はなからこちらの話は聞く気がないらしい。
「…今回だけだ」
彼女に対して軽く身構える。
「やる気になってくれたようで嬉しいです」
「それで?どうすれば清水さんは納得してくれるんだ」
「そうですね…」
少々思案顔。
「こちらが提示する条件を海崎さんが達成すれば合格としましょう」
「条件?」
「要は勝利条件です。海崎さんが私に触れる事が出来れば、その時点で終了とします」
「どこでもいいのか?」
「構いません。ただ私が判定し易くするために、髪の毛などは省きます」
「わかった。だけど万が一変な場所を触っても謝らないからな」
彼女は本気で俺を仕留めにかかってくる。
だとすれば一々触る場所など選別している暇などないからだ。
「私が言い出した事ですから問題ありません。それに触られて困るようなものはもっていませんので」
何やら不敵な笑みを浮かべて胸を張る零華。
下手すれば死ぬかもしれない状況だというのに思わず気が抜けてしまうような言葉だった。
だが俺も健全な男子高校生。
この話が出なければ万が一があったとしても事故として帰結していただろう(多分)。
(本人が良いというなら遠慮はいらないよな、うん)
今更ながら彼女の高いプロポーションに目が行ってしまうが仕方がない。
「って、いかんいかん!」
動きに支障が出てしまう邪な考えを振り払う。
「どうかしましたか?」
「…なんでもない。早く始めてくれ」
キョトンとする仕草に、幾分かの恨みを込めた視線を送っておいた。
「分かりました。ところで能力は発動しておかなくてよいのですか?」
「それは俺のタイミングでするから気にしなくていいよ」
「ではその瞬間を見逃さないように。今度は連続でいきますから」
俺は頷くことで彼女に返答する。
だが生憎と彼女の言う連続攻撃に付き合う気は俺にはない。
別におごっている訳ではなく、経験値などの違いから単純にさばき切れないと思われるからだ。
当然ながら仕掛けるチャンスは一回。
「では…、いきますよ!」
先ほどと同じ直線機動による突っ込み。
俺は直ぐに回避動作に入る。
「ふんっ!」
だが彼女はその程度の対応では許してくれなかった。
一般的な突進と違い、彼女は直線的とはいえ飛んでいる。
すぐさま空中で針路修正してきた。
これでいい。
初回との差は僅かだが、こちらの流れにのってもらう。
そして間髪いれずに俺も叫ぶ。
「イグニッション!」
彼女が唱えた発動文句と同じもの。
だがその後に引き起こされる事象が少し違った。
「なっ?!」
驚きの声をあげたのは彼女だった。
彼女が解き放った光の奔流とは桁違いのものが吹き荒れる。
色は漆黒。
光を放つというよりも、逆に取り込みかねないほどの深みのある色。
瞬く間に周囲を飲み込み、彼女もまた視界を塗りつぶされた。
「こんな目くらまし程度で!」
すぐさま対抗策として、己の粒子を差し向ける。
しかしこの間、彼女の耳は更なる文句が聞こえていた。
エンゲージと。
(まさか?!)
彼女が事態を予測するのと再び視界が開けたのは同時だった。
「悪いが決めさせてもらう」
俺と彼女の間に遮るものは何もない。
だが障害が無いわけでもなかった。
それは俺の頭上に浮かぶ巨大な円形の物体。
動揺で動きが鈍った彼女に対し、躊躇なく起動させた。
一瞬にして辺りが真っ白に塗りつぶされる。
非致死性兵器として有名なスタングレネードを彷彿とさせる閃光。
果たして効果は絶大だった。
「きゃっ?!」
短い悲鳴が聞こえた。
能力のそれとは毛色の違う光の奔流に思わず防衛本能が働いたようだ。
腕で目をかばい、その場から飛びのいていった。
(チャンス!)
彼女の勢いが失われた今こそ好機だった。
一気に距離を詰めて勝利条件を達成する。
彼女が飛びのいてうずくまる瞬間を見計らって、手を伸ばす。
だが運命というやつはそう甘くはなかった。
してやられた。
彼も能力者であることは自明の理であったにも関わらず出し抜かれた。
もしこれが本当の意味での殺し合いなら間違いなくやられていただろう。
頭の中は自己嫌悪で満たされ、彼女の次点の行動を僅かだが遅らせた。
だがそれだけではない。
強烈な光の掃射はこちらの視力を一時的に奪ってきたが、それと連動して別の何かをされたようだ。
軽い頭痛と酔いを自覚する。
(これは一体…?)
経験したことのない未知の体験も後押しして、つい彼の接近に気づくのが遅れた。
第六感よりは正確で、レーダーとも違う感覚に頼った空間把握術。
意識を集中した時には、彼の手が私の頭に触れる間際だった。
(させないっ!)
こんな体たらくで負けるのはごめんだった。
最初に掲げていた「認める」など、とうに頭から吹き飛んでいる。
例え結果が同じでも過程をより良いものすべく、最後の足掻きにでたのだった。
ここまで正に怒涛とも言うべき、しかしあっという間のやり取りが続いていた。
結果としてこちらが仕掛けた策が上手く決まり、一時的ながら相手に隙を作らせる事に成功した。
一連の締めとして手を伸ばしたのだが
「なっ?!」
何かしらの手段をもって感知されたらしく、寸前で頭を動かされ失敗。
更にほぼ同時進行で足払いを受けた。
視力が奪われた状態でのこの対応には素直に舌を巻くしかない。
ともあれ不意を突かれたわけだから、完全にバランスを崩してしまった。
ここから復帰するまでの間に彼女が待っててくれる筈がない。
ならばと崩れ行く体制の中で必死にもがいた。
「…すまん」
「………」
「本人公認であったとはいえ、やっぱりダメなものはダメだよな…」
場所は変わらず、決着がついた位置から殆ど動いていない。
状況として違う点を挙げるとすれば、俺がうずくまる彼女の前に立っている点か。
あれから彼女は一言も発していない。
「あの~…」
「…何よ」
顔を伏せたままで表情が読めないが、相当に不貞腐れているようだ。
「取りあえずさっきのベンチに座らないか?このままだと誰かに見られたときに誤解を生みかねないし…」
幸いなことに未だ人影は見えない。
いくら気軽に登れる山だといっても、頻繁に人が来るわけじゃないようだ。
「そんなの知ったこっちゃないわ」
「えぇー…」
どうやら俺がやらかした失態は、予想以上にに深いダメージを与えてしまったらしい。
分かりやすい一例がその口調。
(投げやりというか…。雑?になっちゃったよな)
もしかしてこれが彼女の素なのだろうか。
「はぁ…、わかりました!立てばいいんでしょ、立てば!」
俺か、はたまた彼女自身に対してか。
嫌気か何かが限界に達したらしく、態度こそ変わらないが話せる程度には復帰してくれたようだ。
「全く…!こんな事ならスパッツでも入ってくるんだったわ」
「…本当にすみません」
「いいわよ、もう。まぁ確かに?どこに触れてもお咎めなしとはしたけどさ。スカートはないでしょ、スカートは…!」
ぶつぶつと文句を垂れ流し始める。
「それは本当にすみませんでしたっ!」
ここで事の顛末とやらを簡単に説明しておきたい。
まず、というかこれが全てだが、足払いを受けて体制を崩した俺は、無我夢中で手を伸ばし、掴んだ。
スカートを。
他になかったのかと問われるなら、こればかりは仕方なかったのだと言っておきたい。
なんせ身体は倒れゆく最中。
そんな状態で冷静に手を伸ばし、彼女に触れることなど出来るはずがないのだ。
その結果としてスカートを掴み、そのまま地面に伏した。
しかし事態は更に踊った。
彼女は己のスカートを守ろうと引っ張ったのだ。
だがこの行為自体は何も問題はない。
きっと女性の誰もが取るものだからだ。
問題はそのあとの顛末。
俺は何を思ったのか、スカートを離すまいと掴み続けてしまったのだ。
結果としてスカートは引っ張られたまま。
彼女はそれを引っ張り返す。
一見して不毛かつ下らない綱引きのようにも見える。
だがここでお互いの体勢があだとなった。
彼女はスカートが掴まれる前に立ち上がっていた。
俺は言わずもがな。
よって俺は引きずられ、彼女の足元にゴール。
そこで見てしまった光景については、彼女の名誉のために割愛させてもらう。
「…帰るわよ」
賛成。
連絡船上。
「清水さんはさ…」
「…何?」
「今の状態が素なの?」
「…まぁ、そうね。こっちの方が色々と楽だし」
「ってことは、普段は猫かぶってる?」
「失礼ね。間違ってないけど…」
彼女の口調は、同年代に話すものとしては凡そ妥当なものであるだろう。
現に昨日話した一音だって似たようなものだ。
強いて違いを挙げるとすれば、芯の違いか。
一音は自身の信条に裏打ちされた絶対的な意思を感じる。
対して零華はどこか投げやりというか、無気力さがにじみ出ている様なのだ。
恐らく彼女にとってのオンとオフ。
そこが一音と零華の違い。
「何故そんな面倒くさいことをしてるのー、って言いたそうね」
「あー…」
「図星か…。まぁこの際だし、少しくらい話しておくのも悪くないかもね」
もともとは丁寧な、言い換えれば愛想の良い方が素だった。
おかげで周囲との関係は良好で、その方面においては何不自由無く過ごしてきた。
何も最初から意図して使い分けていた訳ではないのだ。
けれどもある時気づいてしまった。
いつの間にか、周囲に受けの良いその顔を維持していたことに。
維持するということは少なからず労力が割かれ、やがて疲れる。
馬鹿らしいと思った。
何故、自身の望まないことに対してリソースを割く必要があるのか。
即刻止めて、もっと楽に生きようと考えた。
しかし周囲が、そして何より自分自身がそれを許さなかった。
何せ長年かけて築いてきた自分という存在は、容易く変えられるほど軽く、簡単なものではない。
無理に変えてしまえば、今まで平和だった世界は崩れてしまう。
自分が自分でいるために変化を起こしたつもりが、自分という存在を否定されかねない未来を引き起こしてしまうかもしれない。
だからといって現状維持も変化も、両方とも捨てきれない。
ならばどうするか。
「それが使い分けに繋がったと」
「そういうこと」
「でもそれって何か変わったのか?」
彼女はオンとオフという、使い分けで事態を終息させたという。
しかしその話、傍から見れば何か変わったようには思えない。
「素の方をどこまで出しているかは知らない。だけど俺も含めた殆ど全ての人に仮の面で対応しているんじゃないか?」
「………」
返答がないのが何よりの証拠か。
「家族といった特に親しい関係の人なら大丈夫かもしれない。でもそれ以外の大多数の人は程度の差はあれど、殆ど同じなはず。なら…「わかってるわよ」」
「客観的に見ればあまり変わっていないかもしれない。でも変わったの!これは他人の目から見た意見は必要じゃないの。わたしがどう思い、考えているのかが重要なんだから…!」
それが彼女にとっての救い…なのだろうか。
外に目をやると、離島が間近に見えてきた。
恐らく島に、学園に着けば、彼女はまた仮面を被るのだろう。
自分と、その世界を守るために。
「後悔は…。いや、その前に使い分けを止める目途はついているのか?」
「……考えてないわ」
それから学園に着くまで、彼女と言葉を交わすことはなかった。
「おかえり~」
「…何故、俺の部屋にいるんです?」
寮の入り口で零華と別れ、再度のバッティングを避けるために早めの夕食を取ったあとのこと。
俺の部屋は、窓の位置関係上で夕方以降になると室内は極端に暗くなる。
その薄暗い空間に一人の先客がいた。
まるで…
「宵の口に浮かぶ月のような美しさを~、みたいな感じ?」
「そうそう、まさにそんな感じで…。って、勝手に人の思考を読まないで下さいよ!」
「ふふ。君は考えてることが顔に出やすいみたいだからね。私の手にかかれば何でもお見通し」
いたずらが成功した子供のような笑顔が眩しい。
こういう時って美人はズルい。
だが人の机の椅子に勝手に座ってクルクル回るのは止めて欲しい。
取りあえず部屋の明かりを付け、予期せぬ第三者の出現防止のために鍵を…
(あ、オートロックだった)
「零華ちゃんとのデートはどうだった?」
「ぶふぅ?!」
「別に噴き出すことじゃないでしょー。外出申請を受理したの私だし」
「そうでした…」
昨日の今日だから実感の定着率がイマイチだが、目の前にいるのはこの学園の会長なのだ。
(フリーダム然な人格も少なからず影響してるとは思うけど)
「むむ。何か失礼なことを考えているでしょ」
「ベツニ、ナニモ…」
「それで誤魔化したつもりなのかな?」
「…本題に戻っても?」
「あ、逃げた」
「………」
「もう、わかったわ。君の好きにしてどうぞ」
短いやり取りだったが、俺ではこの人を相手にするには力不足が否めない
というかもう苦手だ。
「今日は…」
大まかに日中の出来事を語る。
今回は市街を中心に周り、最後に城山に登ったこと。
だが山頂でのひと悶着については話さなかった。
何故なら学園外での能力使用の是非を俺は知らないからだ。
(まぁ、恐らくアウトだろうけど)
そしてもし発覚すれば、その詳細も明かさないといけなくなるだろう。
その後に待っているのは処罰か、逮捕か。
何にせよ、昨日来たばかりで追い出されるは御免被りたかった。
更に先に手を出したのが零華だと知られるのも憚られた。
そこでふと疑問が転がってくる。
何故彼女はあんな真似をしたのだろうか。
(俺を試すとは言っていたけど…)
結局、その後色々あって有耶無耶のまま放置してしまっていた。
ここは彼女自身に聞くしかあるまい。
「…そっか。何事もなかったのなら良かった」
何やら含みのある言い方だった気がする。
「話はこれだけですか?」
「メインわね。あとは明日からの事について、幾つか伝えておきたい事があったくらいかな」
「明日…。授業のことですか?」
「そそ」
授業に参加する上での持参物。
教室の位置。
一日の流れ。
エトセトラ。
「まぁ、5人しかいないわけだから大して不自由感じないとは思うけど」
「敷地…というか、建物もこことあっちだけですしね」
下手に普通の学校に編入するより気楽かもしれない。
「じゃあ、私はこの辺で。また明日~」
「はい、また明日」
時刻は21時。
「さて…」
今朝貰ったばかりの専用端末を取り出す。
あれから色々といじってみたが、操作感は使い慣れたスマホと殆ど変わらなかった。
電波の送受信強度や安定度、バッテリーのもち具合が桁違いではあるが。
時間が時間なので、風呂から戻って来て間もないが、かねてより考えていた事を実行に移す。
「まぁ、会長との話が発露だけど」
スリープから復帰させ、ホーム画面に並ぶ幾つかのアプリケーションの中の一つをタップ。
キャンパス内の人員との通信を目的とした、いわゆるチャットアプリだ。
登録は任意のようだが、俺も含めた全員が登録していた。
俺は個人チャットを開き、部屋に居るであろう隣人へとメッセージを飛ばした。
「本当に来られたんですね」
「まぁね。それより中に入れてくれないか?あまり誰かに見られたくないし」
「…どうぞ」
案の定、備え付けの机の椅子に座るよう勧められる。
ざっと見回した感じでは部屋の間取りに差はなく、また意外にもシンプルな内装だった。
例えば人形などといった小物類があまり見られない。
「あまりジロジロ見るのは無粋ですよ」
「すまない」
「それでお話というのは?」
「その前にその話し方を一旦止めて欲しい。俺は素の清水さんと話がしたい」
「………」
ジッという擬音が聞こえてきそうな程の視線。
俺の真意、もしかすると俺という人間そのものを測っているのかもしれない。
それほどまでに、この案件は彼女にとって重要だということ。
改めて踏み込む覚悟を問われた気がした。
「頼む」
「…はぁ、わかったわ。あなたの望むがままに~、ってね」
「ありがとう」
取りあえず第一段階はクリアした。
「それで?」
「昼間の事なんだけど…」
俺は聞きたかった事を直球で聞いてみた。
「あぁ、そのこと。何も難しい理由なんてないわ」
試させてもらう。
それ以下でもそれ以上でもないと。
「じゃあ、動機は?」
「動機?」
「俺を試したかったのはわかった。でもその行為を実行しようと、そう思い立った動機が存在するはずだ」
恐らくタブーであるはずの敷地外での能力使用。
ルールを破ってまで己の目的のために使用したならば、リスクに見合った何かがあったはずだ。
「…聞いてどうするの?」
「別にどうもしないさ。ただ少なくとも俺は聞く権利があるはずだ。卑怯な言い方もしれないが、あの時点では被害者なわけだからな」
「それは悪かったと思ってるわ…」
「そう思ってくれているなら、本当のところを教えてくれ」
彼女の良心を利用した卑怯ともいえる言い方だが致し方あるまい。
これで彼女の本音を確実に聞ける。
「海崎…」
「え?俺?」
「違うわよ」
「え、でも海崎って」
「そうじゃなくて…」
「海崎
2年前に止まってしまった記憶が、再び動き出す音がした。
Imitation War つばグリ @tubame2018
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