第3章(4)

「ふーむ、意外にいましたね」

もう少し、愚者だらけかとも思ったのですが……と嘯きつつも、モーリスはゆるりとペガサスの馬首をヴァヴェル郊外の駐屯地に集っているヤーナ摂政の軍営へと向けていた。

都落ち、ということで所縁の者ども、一族郎党を悉く引き連れての離脱。外見だけみれば、政争に敗れた都落ちと映ることだろう。

まぁ、沈む船に残りたい連中がそう見るのであれば、そう見させてあげるのも自由ではないか、とモーリスとしては思うのだが。

ただ、船が沈むというときに、見殺しというのも人としていけないだろう。

だから、とばかりにモーリスは救命のために一手、手配するのだ。


首都まで帰還してきた軍勢といえども、ヤーナ指揮下のソブェスキ封建騎士団は相変わらずの緊張と規律を保っているらしい。

ちらり、と周囲を観察すればいつでも兵を動かせるように整えている。

これで通常の警戒態勢というのだから、指揮官の力量もずば抜けていることは一目瞭然だ。悲しいかな、こういった軍事的な手腕がモーリス自身にはない。

それだけに、この点では素直にうらやましいほどであるのだが……得意なことは、まぁ、得意な人に任せてしまうに限る。

自分の来訪を知らされたと思しきアウグスト・チャルトリ騎士団長が顔を見せたところでモーリスは挨拶もそこそこに本題を切り出す。

「ああ、騎士団長殿。少しよいですかな?」

「宰相閣下? 私にご用でしょうか」

「ちょっとしたご助言ですよ。確か、卿はヤーナ摂政殿下の近衛でしたな? ちょっとした助言を。卿は近衛だ。両殿下のおそばに控えた方がよろしいでしょうな」

モーリスにとって、それは、珍しく心からの助言でもあった。

ヤーナ摂政殿下は、戦略はさておき戦術は並み。一応、ポトツキー老が傍仕えとして侍ってはいるのだろうが……騎士と騎士団では意味が違う。

「両殿下のおわす場所は宮中ですぞ? 宰相閣下、武官がまとまって大きい顔をするのはよろしくないでしょう」

「見事なご配慮ですな。ですが迂闊でもある」

「迂闊ですと?」

はぁ、とため息をこぼしつつモーリスは指摘していた。

「セイム公会開催中は、武装した貴族らが堂々と宮中を闊歩するという事実をご存じか? 市民の権利として認められているのですぞ?」

「……存じ上げませんでした。そのような権利があるのですか?」

迂闊な、とばかりに臍を噛む武人の表情に浮かぶのは危惧。

「王族の意を汲んだ武装兵がセイム開催中の市民を脅迫しないように、と。何百年前かにできた規則で認められているのですよ。さて……ヤーナ殿下の護衛は現在のところいかほどに?」

「……ご忠告に感謝を。一隊を引き連れて、向かおうかと」

武人とはいえ、さすがに話が早い。

一礼し、立ち去りたいのだがと全身から漂わせ始めたチャルトリ騎士団長へモーリスは朗らかに笑って見せる。

「ええ、くれぐれもよろしくお願いしますぞ」

用を済ませれば、あとは礼儀正しくお暇するまで。

笑いださないように気を付けつつ、せいぜい、悄然と知人に別れを告げたように表情を作り直すと、また悠々とモーリスはヴァヴェルに背を向けて所領へとペガサスを向けなおす。

これで、首都の政変は大いに荒れることになるだろう。チャルトリ騎士団長は、ヤーナ摂政の近衛にして、歴戦の軍人だ。

間に合えば、護衛対象を守り抜こうと奮戦するだろう。間に合わなければ、まぁ、残念ではあるが……助言だけならばたいした手間でもない。

それに、主を討たれて発憤した彼らが大いに復讐戦へ励んでくれことも期待できる。

とはいえ間に合うだろう、と踏んでいるのだが。

ちらりと陣営へ目を向ければ、ペガサスに騎乗した有翼魔法重騎兵らが即時と形容するほかにない迅速さでヴァヴェル目がけて進発している。

「やれやれ、あのヤーナ殿下が見落とされているとはな。案外、あの方は『頭が良すぎる』のだろう。下々のことに、これほどまでに無頓着なのもちと怖いですね」

困るんだよなぁ……とモーリスはそこで苦笑する。

私は、いま、ヤーナ殿下の知性を楽しんでいるのだ。横車を押されては、本当に困る。

愚か者というのは、往々にして大切な知性の結晶がどれほど楽しいものかを解しないのだから度し難いほどだ。



貴族らの連盟がセイムを掌握し、王家の捕縛を命令。その第一報を受け取ったときのヤーナ・ソブェスキの一言は、ささやかな議論を歴史に招いている。

「……『やるき』ありすぎでしょ」

殺意の高さを皮肉ったとある者は解釈した。行動力の無駄な高さをあざ笑ったとも伝えられる。はたまた、掛詞をもてあそんだともいう」

確かなのは、一つ。その日、ヤーナ・ソブェスキとフランツ・ソブェスキを狙った襲撃者は、ヤーナという同時代人に比較してあまりにも血の気が多すぎた。

辛うじて、というべきだろうか。

「……まさか、宮城でこのような狼ぜき沙汰が生じるとは。このポトツキー、痛恨の不覚でありました」

「爺はよくやってくれた。どちらかといえば、私の失態だわ」

頭を下げるイグナティウスに対し、ヤーナは貴方のせいではない、と小さくほほ笑む。

「議員ってアホじゃないの?こんな事だけはあっさり決められるとかどうかしているわね。まぁ、してやられた私が口にするべきではない、か」

近侍していたイグナティウスの機転により異変を察知した一行は、宮中の一角に籠ることには成功していたものの、状況は絶望的だった。

「……困ったわね。アホさ加減を読み違えていたのか。こんなに短絡的だったとは」

有体に言えば、ヤーナにとって『愚者』の思考ほど理解しがたいものもないのだ。連中が愚かであるということまでは理解しえても、なぜ、そのように考えるのかまでは理解するのが非常に難しい。

頭のいい人間であれば、往々にして侵すミス。

「セイムの出頭要請はおびき出すための罠、か。本当に迂闊だったわ……」

小さくつぶやくヤーナにしてみれば、事は自明だ。セイムという公的な輔弼機関が、『王』と『摂政』を物理的に襲撃するなどとは夢にも思わなかった。

『まさか、そんな馬鹿なことをしないだろう』という確信すらあったといってよい。

……セイムと王家は契約関係にあるのだ。

推戴した王を『政治的に無力化』することこそありえども、フランツ自身は『もし朕が法、自由、特権、慣習に反することがあれば、王国の全住民は朕に対する忠誠義務を解除されるだろう』と、王権を制約するべき宣言を口にしていない。

そして、形式的にせよヤーナは『法、自由、特権、慣習』を遵守してきた。今の今まで、セイムに手を付けすらしなかったほどだ。

モーリスのようなセイムで選出された宰相すら、黙って使っている。

……批判される謂れはないはずなのだ。

それを、ここまで、道理を押しのける?

ロゴスを沈黙させるにしても、契約までも投げ捨てると?

「……ああ、獣を人と取り違えていたわけか。私としたことが、また、随分と酷い勘違いをしていたものね」

「何を悠長なことを!姫、陛下を連れてはやくお逃げ下さい」

逃げよ、と告げてくれる爺の心遣いはありがたい。

「外まで逃れられれば、異変に気づいた将兵を糾合することも可能でしょう」

「逃れられると思って?さっきから、アホみたいに武装した連中を見てるんだけど」

「私が時間を稼ぎます。どうか、その間に」

「無理よ。爺、あなただってろくな武装すらしていないのよ? 時間を稼ぐと言っても限界があるわ」

二度目だからって、もう一度死ぬのはイヤだった。痛いのも、苦しいのもご免こうむりたい。でも、私のミス。フランツを巻きこむのはダメ。

「仕方ないか。……うん、仕方がない」

だから、とヤーナは周囲の侍従らに短く告げる。

「誰か、フランツの服を目立たないものに着替えさせて」

何を、とフランツが目線で問うてくるのを意図的に無視し、ヤーナはそれを口に出す。

「私が囮になるわ。その間に、何としても連れ出してね」

「ね、姉さま」

「……ごめんね、フランツ。立派な王様に、あなたならなれると思うから。ううん、なれるから」

義務を果たそう。

最後の最後で……と覚悟を決めたヤーナがフランツの頭を撫でて立ち上がりかけた瞬間のことだった。

突如、外で駆け回る足音と剣戟の響きにヤーナは体を強張らせる。

足音からして、重層のプレートメイル。叛徒だろうか?

しかし、それにしては『叫び声』が多すぎる。自分たちを追っているにしては、騒がしすぎるのだ。

何事か、という疑問はやがて希望に転じる。

「陛下!? 殿下!?いらっしゃいますか!」

叫び声、しかして、敵意を感じないそれ。

「ええい、叛徒ども、どけい!逆賊! わが槍のサビになるか!」

あれは。

「ソブェスキ封建騎士団の前に立ちふさがる愚か者の末路を教えてやるぞ!」

あの声は。

「かかれぇ!陛下を、殿下をお救いするぞ!」

「ここよ! アウグスト、ここ!」

思わず、というべきか。

気が付けば、ヤーナは声を張り上げていた。ちらり、と見ればこちらに駆け寄ってくる近衛らの姿。

「殿下! 陛下! 遅くなり申し訳ありません!ソブェスキ封建騎士団、ただいま御前に!」

荒い息のまま、頭を下げる武人の姿は、来ないとばかり思いこんでいた助け。

「アウグスト! 来てくれたんだ!」

「御意。陛下、殿下、われらがここに!騎士諸君! 陛下と殿下をお守りしろ!」

フランツに微笑み、自分へはお任せをと頭を下げてくれるアウグストと騎士諸君の何と頼もしいことか。

なればこそ、というべきか。

「げっ!?」

「……お察しいたします」

救いの手に感謝していたヤーナは、水を向けた主の存在をしって表情をこわばらせるのだ。アウグストに問えば、自分たちの危機を察したのは風見鶏ことモーリス・オトラント宰相というではないか。

「くそ面倒な相手に借りが出来たわけか。ずいぶんと高い借りね。嫌なタイミングで恩を売られること」

だからこそ、それは驚きではない。落ち延びた先に転がり込んだ瞬間に、一族郎党を引き連れて顔を出してくる貴族のご一行。

「姫様。オトラント宰相が、姫様にお会いしたいと……」

「通して」

そいつは、相変わらず胡散臭い笑みを張り付けながら優雅に典礼通り一礼して見せるではないか。

「摂政殿下に置かれましては、ご機嫌麗しゅう。ああ、元・摂政殿下でしたか」

「……モーリス、そろそろ腹を割って話しましょう。あなた、こうなることは分かっていたわね?」

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銃魔のレザネーション/著:カルロ・ゼン エンターブレイン ホビー書籍編集部 @hobby

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