第5話 あたしがあたしでいる理由

 ビルの正面玄関の左手から、車両用のスロープが地下へと延びていた。

 あたしは近くに人影がないのを確かめてから、スロープへ足を踏み入れた。

 長くて暗い坂を下っていくと、しだいに周りの空気が、冷たく湿ったものに変わっていく。


 まもなく地階についた。思ったとおり、駐車場だ。

 でも、まだしも余裕を保っていられたのはそこまでだった。フロア全体を見渡した瞬間、あたしの頬はひきつった。


(こんなに、広いの……!?)


 前方に広がるのは、隠れた人ひとりを見つけだすには、あまりにも広大な空間だった。

 暗かったこともあって、上に建つビルそのものの大きさを、あたしはよく確認していなかった。けれど、もしかするとこの地下駐車場は、隣接するビルと共用構造になっているのかもしれない。それくらい広い。


 しかも、駐車中の車が意外に多く残っている。

 つまり、あたしが今いる地階入口から見て、死角だらけということだ。


(…………ちっ)


 耳を澄ませても、聞こえるのは走ってきた自分の熱い呼吸音と、はげしい鼓動の音だけ。

 あたしはスロープ横の壁を背にしたまま、深呼吸をしてひたすら息を整えた。

 あわてるな……と、自分にいいきかせる。冷静に、冷静に……。


「……!」


 意を決して、一歩足を踏みだした。

 シグサワーの銃口を前方へ保持したまま、なるべく足音をたてないよう、慎重に奥へと歩きだす。


 低い天井からは、照明の列が硬質な光をフロアへ注いでいる。死んだように眠る車の群れを、冷たく照らしだしている。

 しんと静まり返った空間に、あたしの靴音だけがいやにくっきりと響いた。

 照明と車が作る、無数に折り重なった影。

 そのどこに天童がひそんでいるのか、まるで見当もつかない。


 なのに、天童を探さねばならないあたしは、身を隠すこともできないのだ。


 背すじに戦慄が走る。メチャクチャまずい状況に、自分から飛び込んでしまったような気がした。

 銃把をにぎる手が、じっとりと汗ばんでいく。


(もしかしたら……)


 ときおり、左右へ銃口をすばやく向ける。あたしを狙う者の影がある気がして。焦りの気持ちを抑えきれず、冷や汗が首すじを伝っていく。


(もしかしたら、あたしは、追いつめたんじゃなくて、誘いこまれたんじゃ……)


 不吉な考えが脳裏をよぎった瞬間、フロアの隅に目が吸い寄せられた。

 あれは……ロケットランチャーだ!


 とっさに姿勢を低くした。露骨に罠くさい。近くにひそんでいるんじゃないの?

 視線をあちこちに飛ばして、ひたすら天童と思える影をさがす。不自然なものはないかと、針金のように神経を張って見やる。相手の視線を感じようと、必死に気配をさぐっていく。


 でも、それらしき姿はどこにもなかった。


 あたしはほとんど床へ伏せるようにして、並んでいる車の下をみた。

 人の脚や、不自然な影は……全周、やはりない。

 なおも用心しつつ、あたしはそこへ近づいていった。

 ロケットランチャーが三基、コンクリートの床に転がっていた。驚いたことに、どれも未使用である。

 おそらく、天童が腕に融合していたものを、ここで吐き出していったんだろう。


(でも、どうしてあたしを殺るのに使わないの?)


 それが疑問だった。これは組事務所から持ちだしていった天童の切り札のはずなのに。こんな所へ放りだして、どういうつもり?

 よく見ると、ランチャーの傍には、皺くちゃの衣類が散らばっていた。ジャケット、スラックスはいうに及ばず、その下のシャツにネクタイ、果ては靴やベルトまで落ちている。

 どれもこれも、さっきまで天童が着ていたものだ。

 スラックスを拾いあげてみる。とくにおかしな点は……うわっ、下着まで混じってるじゃない!

 あわてて放りだす。下着には触れずじまいだったので、あたしはほっとして額の汗をぬぐった。せふせふ。


 さて。

 これは、どういうことなの? なんでこんなところに、服を全部脱ぎ捨ててあるわけ?

 ……それにさ。じゃあ天童はいま、いったい何を着てるのよ?

 ま、まさか……まさかそんなっ。

 いやいや待てまて、とあたしはパニックに陥りかけた自分を制した。そんな単純な話じゃないかもしれないぞ。もしかしたら、天童の融合能力はあたしが考えていた以上に――

 つぎの瞬間、背後からの手刀があたしのシグサワーをたたき落とした。






 それは電光石火の早業だった。ふりむこうとしたときには、もう太い腕が伸びていた。

 あたしは、あっという間に後ろから羽交い締めにされていた。


「し、しまった……!」


 後悔なんてのは、いつだって遅い。油断大敵、注意一秒ケガ一生、だ。いつだって注意は大切よね。ケガした瞬間に、人生もついでに終わってることだってあるんだから。

 それでも天童の体が――というより下半身が――あたしと密着していないことをとっさに確認したのは、あたしだって女だからである。そんなことまでされたら割にあわん。十億円くらいよこせ。

 天童は、あたしの脇の下から頸の後ろへと腕をまわしていた。首根っこで両手を組み合わせ、ぐっと下へ押さえつける。プロレスでいう、フルネルソンというやつだ。


「油断しましたね、賞金稼ぎさん」


 勝ち誇った声が耳朶を打つ。


「ぐっ……あ、あんた……!」


 首を押さえられたあたしには、下しか見えなかった。逃れようとして身をよじると、自然と天童の下半身が視界の端に入ってしまう。ちょっと! あんた、うら若き乙女になんてもの見せ――


 失礼。少し説明が先走りすぎたわ。そこには、あたしの予想したものは存在しなかった。

 いや、厳密にいうと、下半身そのものが存在しなかったのだ。

 あたしに見えたのは、車のボンネットと一体化してせりだした天童の上半身だった!


「車と、融合してたのか……!」

「ええ。あなたがここへいらっしゃるのを待っていたんですよ。まさか、これほど素直に背中を見せてくれるとは意外でしたが。

 それとも、全身の完全融合まではできないとお考えでいましたか?」


 最後の言葉には、あざけりが感じられた。


「くっ……!」


 はめられた悔しさと自分の愚かさ加減に、あたしは思わず苦鳴をもらした。

 相手が人間なら、このくらいどうってことはない。向こう臑か足の甲を、踵で思いきり蹴りつけてやればいいからだ。よほどの無神経でもない限り、そこをやられれば人は激痛で手を離す。

 でも、天童に車との融合を解く気はまるでなさそうである。

 天童の上体がのびあがり、あたしの足がフロアから離れる。宙吊りにされたまま、あたしは身をよじった。


 ……だめだ、もう、みりとも動かない。

 がっちり極められてる!


「うううー……!」


 罵声を浴びせたくても、ろくに言葉が出てこなかった。天童の力が、どんどん増しているのだ。

 こいつ……あたしの頸の骨を折る気だ!


「いい気に、なるんじゃ、ないわよ……!」


 あたしは必死でもがいた。相手の力に抗しようと上腕を引き、背筋の力を総動員する。身を揺すり、いましめを少しでも緩めようとひたすら暴れまくる。

 でも、互いの筋力差は歴然としていた。すぐに背が伸びきり、ついで頚骨が軋みだす。痛みに目がくらみそうだ。


「くう……ち、き、しょ……!」

「あきらめなさい。逃げられませんよ。私にはまだまだ余力がありますから」


 天童のほうは、明日の天気のことでも話しているかのようだった。


「女性を手にかけるのは気が引けますが、ね。これも運命。止むを得ぬことです」


 ミリ……首すじから、そんな音が聞こえた。


「う、ぐぅ……!」


 あたしは掌を天童の首すじへ向けた。このまま、ちょっとずつでも近づけるんだ。なんとか方向を定めれば……!


「私の首をつかもうというのですか?」


 気づいたのか、天童はくすくす笑った。


「無駄なことはおよしなさい。仮につかめたところで、その姿勢ではろくな力も入りませんよ。……まったく、愚かな話です。たかが『人間』が、われわれ『特異者』に勝てると思うなんて」


 天童が残酷な笑みを浮かべた……のが、なんとなくわかった。


「それでは、名残惜しいですが。さようなら、可愛らしい賞金稼ぎさん」


 勝利を確信しきった、優しげにさえ聞こえる声音。その奥底にちらつく、残忍さと傲慢さ。絶対の強者が、弱者をなぶり殺す愉悦の声。

 これが、あたしの聞く最後の声になるのか? 人間の命をなんとも思わない冷酷な男を、野放しにしておくのか?


 いや、そうはならない。


「あたしが、いつ……」


 そうはさせない。


「『人間』だといった……!」

「……なに?」


 刹那、天童の腕から力が抜けた。

 背中にも目があれば、天童の驚愕した間抜け面を拝むことができたろう。でも掌の感触は、目の代わりにあたしの狙いが違わなかったことを高らかに告げてくれた。


 天童の首すじに深々と突き刺さったもの。

 それは、あたしの掌から飛びだした小太刀だったのだ。


「ま、まさか!?」


 頚動脈から血を噴きあげつつ、天童は絶叫した。


「そんな! き、貴様も『特異者』かぁ!?」

「そうよ!」


 太い腕から解放され、あたしはフロアへ降り立った。同時にふりむけた掌から、さらに三本のナイフが飛びだす。あたしが体内に取りこんでいたとっておきのナイフ。最後のナイフ。

 それらはすべて、天童の心臓を刺し貫いた。


「ば、かな!」


 己の胸に突き刺さったナイフを、天童は愕然と見下ろしていた。口から血がごぼりとあふれる。


「貴様……同族のくせに! 人間に魂を売ったのか!」

「売り渡してなんかいない!」


 あたしは小太刀を天童から引き抜き、振りかぶった。


「情けないのよ、あんたたち!」


 そのまま、一気に振り下ろした。



    ☆



「まったく、信じられませんよ。人間に加担する『特異者』がいるなんて」


 天童があきれたように文句をたれた。


「いったい何を考えているんです?」

「少なくとも、あんたにわかるようなことじゃないわ」


 あたしは肩越しに返事をした。

 決着をつけた直後は、さんざん罵詈雑言を浴びせてきた天童も、ようやく気分が落ちついたのか、今はずいぶん紳士然とした口調に戻っていた。


 闘いは終わった。今回の依頼はこなしたのだ。これでしばらくは安逸な生活ができるだろう。陽気な南国の空気と美しき白浜が、あたしを待っている。

 だからあとは、こいつをクライアントの元へ届けるだけだ。


「なるほど、たしかにその通りだろうと思いますよ。私なら、あなたのようなことは絶対にしないでしょうから」

「正直ね」

「この格好で意地を張っても、つまらないですからね」


 天童は肩をすくめた……いや、肩があれば、すくめたろう。

 いまの天童に体はない。あるのは、あたしが落とした首だけだ。いまは、あたしが肩にかけたバッグのなかに入っている。


『特異者』は進化途上の新生物だ。だから能力は個体によって大きな差がある。たとえば、あたしが刃物を主要武器にしているのは、薬莢のなかの炸薬が体質と合わなくて、どうしても体内に取りこめないからだ。他にも、金属自体を受けつけない者もいるし、固体より液体との親和性が高い者もいる。


 不死性についてもそうだ。「殺しても死なない」なんて言葉があるけど、体全体を異物と完全融合できるほどの『特異者』なら、首を落とされても本当に死なない。血管や組織を自己閉鎖して失血を防ぎつつ、残った頭部全体でガス交換を行なえるからだ。いまの天童は、文字通りの『賞金首』ってわけね。


 あたし自身は、試してみたいとは思わないけれど。あたしの能力は『特異者』のなかでは高くない。首どころか、短機関銃でマガジン一本分も銃弾をぶちこまれれば、一巻の終わりだろう。

 異物と融合できるといっても、一瞬でできるわけではない。体になじませる前に重要な部位を傷つけられたら、それまでだ。全身完全融合できるほどの高い能力を持つ天童でさえ、あたしが瞬時にくりだした小太刀やナイフで傷ついたくらいだもの。


「しかし、本当にどうして人間の肩を持つんです? どう考えても納得がいきかねますが」


 天童はなおも食い下がった。意外と好奇心の旺盛なタイプらしい。あたしは苦笑した。


「ふふ。……たいした理由があるわけじゃないけど、しいていえば、あたしは人間の街が好きなのよ」


 ――それは、あたしの本心だった。


 コンクリートにアスファルト、鉄骨とガラスと歩道橋、絶え間のない道路工事や、おざなりに植えられた街路樹。

 他にも、いろんな形をしたいろんなものが、ごてごてと積み重なった街。


 それを美しいと形容する人は、あんまりいないだろう。行き交う車は騒がしいし、空気は汚いし、人ごみはいつも無秩序でうるさくて、電車はひっきりなしにごうごうと走っている。みんなどこかしら気を張って、誰かや何かに急かされて、疲れた顔をしながら生きている。どうしてそこまでしなきゃいけないんだろう。馬鹿なことだとあたしも思う。


 けれど、あたしはそんな馬鹿な連中のいる街が大好きだ。


 美しくて、けれど醜くて。人工の匂いや、明るいネオン、その他欲望と夢、欺瞞に愛情、虚栄心……

 そんなもので何度も塗り固められ、俗っぽく飾りたてられ、たくさんの人と活気を吸いこみ、吐きだす街。

 そんな場所が、あたしは大好きなのよ。


「あんたはどうか知らないけどね、あたしはこの世界でけっこう満足してるのよ。人間社会に干渉したいのなら、お好きにどうぞ。でも、命までは奪わせないわ。少なくとも、あたしの目の黒いうちは」

「しかし、我々はいずれ『人間』に取って代わりますよ」


 天童は穏やかにいった。


「それは、あなただってわかっているでしょう? 脆弱な生物が、より強靭な新生物に駆逐されるのは、生物界の歴史の必然なのですから。いまこの瞬間にも、われわれ『特異者』は生まれ、数を増やしつつある。あなたのクライアントになったフランドル銀行にも、民警にも、それどころか政府にさえ食いこみつつあるかもしれない。そうなったら、いずれはあなた方『賞金稼ぎ』のほうが、追い立てられるようになるんですよ。

 それでも、あなたは『人間』に加担しつづけるんですか?」


 それは、脅し文句には聞こえなかった。天童は同族であるあたしの身を心配しているのだ。あたしにも、ちょっと意外なほど。

 あたしは少し悲しくなった。


(どうして『人間』には、同じように優しくできないの?)


 あたしは、世界中で生まれつつあるんだろう同族たちに、心のなかで叫んだ。

 そうすれば、この世界はもっと住みよくなるのに。


「より強靭だから、弱い者は助けるの!」あたしはいった。「あたしは、それが正しいことだって信じてる。

 ……いいじゃない、こんな『特異者』がひとりくらいいても」

「……」

「それより、そろそろ民警が目障りになってきたわ」


 あたしは、夜道を満たす回転灯に舌打ちした。


「見つかると面倒だから、しばらく黙ってて」

「どうしたことか、今夜は大声で歌でも歌いたい気分なんですが……」


 最後の意地悪のつもりなんだろうか。あたしは、ふふんと笑ってみせた。


「その状態で、会話だけでなく大声まで出せるっていうなら、止めやしないわよ。……で、あんたは民警の遺体安置所で、ドライアイスの山に優しく包まれるわけね。いくら不死身に近いあんたでも、脳幹まで凍っちゃったら、果たして生きていられるかしら? おもしろい実験になりそうだわ」

「……わかりましたよ。私も、命は惜しいですからね。今夜は一本取られたということで、我慢しましょう」


 天童は、やっとおとなしくなった。

 首だけの相手だからとうかつに同情なんてしてたら、この商売で長生きはできない。トップレベルの『特異者』の再生能力はプラナリア並みだ。これほどのダメージでさえ、半月もあればすっかり五体満足に治ってしまうだろう。


 そして、融合されないよう壁に電気を流した特製の収容室からも、いつかは脱走し、顔を整形して、同じことをくりかえす。

 いつ果てるとも知れない泥仕合、永久につづくイタチごっこ。それが『特異者』と、あたしら『賞金稼ぎ』との闘いなのだ。


 ふと顔をあげると、雲ひとつないまっさらな夜空に、冴々とした満月がかかっている。

 あおーん、とひと鳴きしたくなるような夜だった。


             〈了〉

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妙子の事件簿 白井鴉 @shiroikaras

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