第4話 地の底まで追いかけっこ

 動けば、撃つ――瞳がそう告げていた。


 でも、あたしは焦るとか驚くなんてよりもまず、ぷっと吹きだしてしまった。

 だって、若頭のおっさん鼻血垂らしてるんだもん。それもまあ、蛇口をひねったのか、てくらいに。


 きっとさっきの爆発のとき、派手に顔をぶつけるかしたに違いない。懸命に威圧感を保とうとしているものの、だらだらと鼻血を垂らしていてはすべて台無しだ。

 ヤクザってだけで、何をしても恐がってくれる他の女たちと一緒くたにされちゃ困る。身体張って生きているのは、あたしだって同じなのだ。


「何がおかしい!」

「鼻血がおかしい」とあたし。

「でも、ちょっと出すぎてるわね。ひょっとして鼻の骨折ったんじゃない? 痛くないの?」

「じゃかましわ、このアマっ」


 若頭は、ことさらにシグサワーを突きつけてみせた。


「これが見えんのか、われ! なめとったらぶち殺すぞ!」

「なによ、人がせっかく心配してやってるのに」


 あたしは肩をすくめ、つまらなそうにいってやった。

 でも、たしかに冗談は終わりにしたほうがよさそうだ。このまま見境無くぶっぱなされちゃかなわない。


「よく助かったもんよね。ずいぶんと悪運が強いじゃない。お互いにかな?」

「わしにはこれがあるからな」


 若頭は、頑丈なマホガニーの机を靴先で蹴った。ああ、なるほど。


「何事も抜け目なく、や。渡世は、そうでないと長生きでけん。せやけど、そないなことはどうでもええ。説明してもらおうかい、このアマ!」

「なにを?」

「しら切れる思とんのか、われ!」


 若頭は激高して怒鳴った。いっしょに頭の血管もぷくっと膨れる。

 ……えぐいものを見てしまった……。


「今のは天童や! われ、奴とグルやな! 金がどうのと、ふざけたこと抜かしおって!」

「な、なんですって!?」


 思いもよらない言葉に、あたしは銃口の存在を忘れた。


「なんで今のが天童なのよ! なんでそんなことがわかるのよ、おっさん!」

「どこまでもとぼける気ぃかっ」


 若頭の手が、わなわなと震えだす。

 あちゃあ、これはやばい。あんな手つきじゃ、いつ暴発してもおかしくないぞ。

 でも聞き捨てはならなかった。もし、あれが本当に天童の攻撃なら。


「今のは、ロケットランチャーの発射音や! ロシアまでわしがじきじきに買付にいって、試射も見てきたんやぞ、間違いあらへんわ!」


 若頭は口角泡を飛ばして叫んだ。


「あれだけの道具を、ひとりで運びだせるわけがないと思とったが……のこのこ自分からうちのシマに来るとは、舐めくさりおってこのアマ!」


 最初の単語が、あたしの脳髄に突き刺さった。

 ロケットランチャー!

 それを天童が持ち逃げした。

 しかも、ここへ撃ちこんだ、てことは。


 間違いない。天童は賞金稼ぎが追跡に入ったことに気づいたんだ。ランチャーを持ち逃げしたのは、おそらく追っ手であるあたしを返り討ちにするため。行方をくらましたのはそういうことだったのか。

 そして同時に、H会を、あたしを引きつけるための餌にしたんだ。兄貴も兄弟も舎弟も、すべて巻き添えにするつもりで。


「……なんてやつ!」


 あたしは、目の前の若頭のことも忘れてうめいた。体が、怒りでカッと熱くなる。


 窓辺に転がっているひひ親父。ちっとも善人じゃなかった。他人様の胸を勝手に触りまくった、いやらしくて不作法な固太り。部屋のあちこちで倒れて、うめいたりもう動かなかったりしている他の連中だって、他人の恨みの十やそこらは買ってただろう。


 でも、何もこんなふうに殺したり傷つけることはないじゃないの。


「そのジャケット置いて、こっち向け!」


 若頭の声がとんだ。

 向いたあとどうなるか、銃把をにぎる緊張した右手を見るとなんとなく察しがついた。向かなくとも結末は変わらないと思うけど。

 天童への怒りに歯咬みしながら、しかたなく腰をかがめてジャケットを床へ置く。


(……あれ?)


 ジャケットの胸もとが不自然に堅い。内ポケットに何か入れておいたっけ?

 あ……そういえば。

 ジャケットから手を離すと、あたしは腰を上げ、若頭へ向きなおった。

 そして、ことさらゆっくりと言葉を紡いでいく。


「向いたわよ。それで、この後どうするつもり?」


 ――奇妙なことだけれど、人は相手が話しかけてくる間は休戦協定が発効している、と思いこむものらしい。とくに、優位に立っている者は。きっと、相手を思いどおりに料理できると考えてるからだろうね。


 その考えが隙を生む。詰めが甘い、というやつよ。


 あたしは言い終わらぬうちにナイフを投げ放った。たったいまジャケットの内ポケットから引き抜いたナイフ、桧山と出会ったときにしまってみせたアレだ。

 かすった若頭のこめかみから、バッと血が噴いた。


「ぐあっ!」


 悲鳴、つづいて発砲。でも、あたしはすでに跳んでいた! 執務机に飛び乗り、左手で銃身をつかむ。同時に、思いきり体重を乗せた右肘を若頭の顔面にたたきこんだ。

 ちゃんと鼻はずらしたわよ。打ち込んだのは眉間のあたり。命のかかった一瞬でもこの気遣い。ほら、あたしって優しいでしょ?


 若頭はもんどりうって倒れた。


「ぐっ……このアマっ……」

「動くんじゃないわよ!」


 起き上がろうともがく若頭に、あたしは取り返したシグサワーを向けた。


「こ、このアマ……舐めた真似しくさって……!」

「さっきから気になってたんだけど、その言葉遣い、なんとかしなさい。ボキャブラリーも貧困だし、だいいち、会ったばかりの淑女レディに失礼だって思わない?」


 あたしは冷たくいい放った。


「それとね、誓っていうけど、あたしは天童とはなんの関係もないわ。でもね、おっさん。奴は『特異者』なの」

「とく……なんやと?」

「あら、知らない? 無理ないか」


 あたしは執務机から降りて、少しずつ後ずさった。


「ひとつだけ忠告しといてあげる。あいつは、あんたたちの手におえる相手じゃない。悪いこといわないから、手を引きなさい。……そうすれば、あんたの舎弟どもの仇は、あたしが討ってあげるわ」


 若頭は、今度こそ驚いたような顔をした。

 あたしは、彼らを残して部屋の外へと飛びだしていった。



    ☆



 組事務所ビルを出たときには、すっかりいつもの格好に戻っていた。


「ふう……やっぱりこのカッコのほうが落ちつくわ」


 ジャケットの襟をととのえ、表情をひきしめる。それから建物同士のせまい隙間をつたって走り、少し離れたところで表通りへ出た。

 ふりかえると、組事務所ビルからは大きな火の手があがっていた。全階がロケット攻撃にさらされたようで、火の回りはやけに早い。


 あの若頭がどうなったのか、ちょっぴり心配になった。わずかでも言葉を交わせば、やっぱり情が移るんだ。たとえ相手がヤクザの禿げ爺でも。

 けどまあ、あの抜け目なさなら、自分の身くらいどうにかするだろう。

 鼻、ちゃんと治しなさいよ。


 火災はともかく、爆発のほうはおさまったと安心したのか、ビルのまわりには物見高い野次馬が集まっていた。それを尻目に、天童がロケット弾を発射したビル影へ急ぐ。

 そこにも数人の人だかりができていた。


「ちょっとどいて!」


 あたしは彼らを押しのけて、発射現場を確認した。

 やっぱり!――発射済みのランチャーが数基、無造作に打ち捨てられている。この手の携行火器は、たいてい一発かぎりの使い捨て。天童がビルに撃ち込んだあと、捨てていったのに違いない。


 でも、問題はどれだけ撃ったかではなく、あと何基残っているのか、だ。


「民警よ! ここにいた男はどっちへいった!」

「あ、あっちへ……」


 あたしに胸ぐらを捕まれたひ弱そうな青年が、道路の一方を指差した。


「で、でもあいつ……あいつ……」


 青年が、何かを伝えようと必死に言葉を紡ぐ。いったい何を見たのやら、顔色が真っ青だ。

 ので、あたしはばっさり無視した。


「わかったわ、そいつは証拠品だから、触るんじゃないわよ!」


 青年を放りだし、天童の跡を追って人だかりから飛びだした。青年の示したほうへ走る。


 証拠もなにも、民警が来て困るのはあたしだって同じだ。賞金稼ぎに銃の携帯は許可されていない。拘束されて所持品検査されたら、もう逃れようがなくなってしまう。おまけに天童を捕まえるチャンスもなくなる。

 あと数分が勝負の別れ目か!


「あいつ、どこへ消えた?」


 焦りがじわじわと心を灼いていく。天童の姿がどこにもないのだ。

 あたしは目立つ大通りから外れ、脇道へ入った。街なかで姿を隠したければ、まず初めにそうすると思う。

 あたりをすばやく見渡す。人の姿はほとんどなく、目についたのは千鳥足の酔っ払いくらいだった。いくら裏通りでも人が少なすぎないかと思ったけれど、どうやら表通りのビル爆発が格好の人寄せになってくれたらしい。よしよし、これなら見通しも利く、まだ捜せる!


 でも、この道にはいない。

 冷汗が吹き出てきた。


「くそっ」


 乙女にあるまじき悪態をつきつつ、つぎの角まで脱兎のごとく走る。

 角を曲がって前方を見た瞬間、きらんっと瞳が輝くのが、自分でもわかった。


 大通りから二本外れた支道。車一台通れるほどの幅しかない。電飾の看板がちらつく場末の歓楽街、といったところだろうか。

 シャッターを降ろした店の多さが、ちょっと意外だった。いろいろあったせいで時刻を確認していなかったけれど、思ったより遅い時間なのかもしれない。


「天童昭彦!」


 あたしは慎重に声をかけた。

 黒っぽいスーツの背をむけて歩き去ろうとしていた男が、びくっと身を震わせた。

 足を止めて、こちらへふりむく。


「……なんと」


 天童は――そう、それはまさしく奴だった。写真のとおりの、穏やかな眼差しをした、温厚そうな顔――わずかに目を見開いた。顔に驚きの色がにじむ。

 ふいに、ざまあみなさい、といいたくなった。


「直接顔をあわせられるとは、意外ですね」


 でも、天童はすばやく立ち直ったらしい。もう平然とした声だ。


「失礼。てっきり、あれで終わったと思っていたものですから」

「口ぶりもあったかそうよねえ」


 あたしひとり始末するために、あんな虐殺をやってのけた男とは思えないよ。


「はい?」

「ううん、なんでもないわ」


 あたしは懐へ手をやった。シグサワーの銃把をにぎる。


「それより、もう少し綺麗な商売しようじゃないの。一度だけいうわ。おとなしく投降しなさい。そうすれば、痛い思いもしないですむってもんじゃない」

「その前に、ひとつお聞きしてよろしいですか?」と天童。「どうして、すぐに私だとわかったんです? あなたは後ろから来られたのに」

「あんたの


 ちっちっ、と指を振ってみせた。ちょっと気障だったかな?


「あんな物騒なものを扱うときは、もう少し噴射炎に気をつけなきゃね。それに、あたしの鼻は特別製でね。『特異者』の匂いには、とくに敏感なのよ」

「なるほど、なかなかの観察力ですね。お仕事を依頼されるわけだ」


 天童はにっこりと微笑んだ。

 人好きのする笑みのはずなのに、どこか邪悪さを感じる。


「優秀な方と伺っていたので、確実に始末できる方法を選んだつもりでしたが……ほんの少し、見通しが甘かったようですね。ほんの少し」

(……ほんの少し?)


 その穏やかな口調に、あたしはちょっと、かちんときた。

 何くりかえしてんの? そこ、そんなに大切なことなの? 奇跡の生還を遂げた敵を前にして、その落ちつきぶりはないだろう。


 まるで「まあ、どのみちあなたなぞ目じゃありませんがね」といってるみたいじゃないの。


「……で、どうするつもり?」


 いらだったあたしは、少し声をとがらせて返答を促した。

 でも、応えはなかった。天童は行動で示したのだ。

 ガバッ、と天童の右腕がふりあがった。不吉で凶暴な何かが鎌首をもたげたようだった。瞬時にして不自然に膨張した腕が、まっすぐあたしのほうへ向く。掌には大きな空洞――ロケット弾の発射口!


 あたしは反射的に身を伏せた。同時に、ドウン! と大気を揺るがし、ロケット弾が発射された。弾体があたしの真上を通り過ぎる。つづいて衝撃波! あたしの体は後ろへ投げだされていた。

 同時に抜いたシグサワーを天童へ撃ち放つ。二発、三発! だが、当たったかどうか確認するゆとりはない。背後で、着弾したロケット弾が爆発したのだ。


「ええい!」


 身を反転して爆風を避ける。一瞬、吹き飛んだどこかの店と、なかにいた客たちのために祈った。視界の端に捉えたのは、走りだす天童の姿である。あいつ、このまま逃げるつもりか!


「行かせない!」


 あたしも跡を追って駆けだした。

 路傍で、天童の腕をみた酔漢があんぐりと口をあけて突っ立っている。爆発音と衝撃に何事かと顔を出した周囲の店の客が、シグサワーを握るあたしの姿にあわててひっこむ。

 遠くからサイレンの音が近づいてきた。ぎくっ。

 あ、でもこの音は。


「……消防か!」人騒がせな。


 でも、おっつけ民警も来るにちがいない。

 あたしは舌打ちした。まさか、こんな派手な立ち回りになるとはね。メイクはまだ生きているけど、サングラスくらい持っていればよかった。民警の手が回りきる前に、この街から脱出しなきゃ。

 もちろん、あの残虐な天童をつかまえて、だ。


 報酬なんて、もうどうでもいい!……ことはないけど、このとき、あたしの心は『特異者』への怒りで満ちていた。




 もうわかったろう。『特異者』は、いわゆる『人間』ではない。人間によく似た別の生き物、いや、人間の“進化”が生み出したまったく新しい種族だ。

 高知能と肉体の驚異的な生命力。精神的にも強靭で、己の正体をけっして人に悟らせない。敵にまわすには厄介極まる相手である。


 けれど、もっとも特徴的なことは、『特異者』は自身の体内に異物を取りこみ、自在に扱える能力をもつ、という点だった。


 彼らはその能力を使って、じつに様々なことを成し遂げる。いま天童がやってみせたこともそうだ。あれさえ『特異者』の真価からいえば、可愛いほうといえる。たとえば、どこかの国の生物戦研究所に『特異者』が侵入して、密封試料と融合してしまったら……いったいどんな警備システムがそれを見抜き、細菌の流出を防ぐことができるだろう?


 ……もうひとつ、特徴的なことがあった。

『特異者』は、自分たちを『人間』の上位種と思っている。“下等な”人間の命なんて、なんとも思っていないのだ。

 それが、あたしには許せない。




 さすがにこの辺りの地理を知り尽くしているのか、天童はめだたない経路を選び、疾走しつづけた。まるで風のような速さである。あたしは、見失うまいと必死でそれに食らいついていた。


 まもなく、天童はある建物の地下へと逃げこんだ。人気のない、静まりかえったビルの地下駐車場へ。

 それを見たとき、しめた、と思った。あそこなら邪魔は入らない。逃げ場もない。


 袋のねずみだ。

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