第2話
私は文法というものに苦手意識を持っている。
体型だって何かを学ぶというのが苦手なのだ。
だから、一からコツコツと学ぶしかない文法が苦手だ。
一方で、そう言ったことを無視できる長文は好きなのだから、物事には一長一短があるということだろうか。
私は大学の図書館にいる。
昨日借りた文法に関する参考書を読んでいるのだが、これがなかなかうまくいかない。
短い時間で区切りを設けて、学習に励んでいるというのに、すぐに集中力に限界がきて、筆を投げ出してしまうのだ。
こうして勉強の前でしり込みしていると自分は頭が悪いと思えてくる。
誰だって、頭がよくなりたいと思うだろう。ではどうやったら頭がよくなるのかと言ったら、多くの人が勉強と答えるはず。
でも、長時間勉強をしようにも集中力が続かないことも多いのだろう。
だとすれば、集中力と頭の良さはイコールなのかも。
ふと、そんな疑問が頭の中に浮かんだが、すぐに違うと結論が出た。
例えば、スポーツ。
有名な選手は、優れた集中力を持っているだろう。
ならば、そうした人物は頭がいいかと聞かれたら、首を傾げなければならない。
単純に凄いのかどうかと聞かれたら、凄いと答えるが、頭がいいのかどうかと聞かれたら、首をかしげてしまう。
集中力は、頭の良さの前提条件にはなるが、頭のよさそのものとは直結しない。
だが、待てよ―――そう結論付けようとしたが、待ったがかけられた。
今現在、私が求めている頭の良さというものは、知識量と=で結べるが、知識量=頭の良さなのか。
英会話を行うには、中学レベルで習う英語で十分だという話がある一方で、高学歴で、英語の試験でも非常に高レベルの点数をとれるにも関わらずに、会話がおぼつかないという人の話を聞く。
こうした人たちにはいったいどのような違いがあるのだろうか。
―――その答えは、応用力にあるはずだ。
だとすれば、全ての有名スポーツ選手は頭がいいと言えるのかもしれない。
競技の中において、彼らの頭の中には、意識してにしろ、無意識にしても、様々な事柄が交差しているに違いない。
だとすれば、彼らが、素晴らしい応用能力を持っている事にはもはや疑いの目などないのだろう。
そうなってしまうと。頭がいい=高い能力を持つということになる。
だが、一つの職や技能に打ち込み応用がきく人=頭がいいか―――と言ったら、まだ疑問が残る。
能力の複合。
これが、応用力=頭の良さという図式の中に存在している最大の問題だ。
この場合画家と作家の違いが頭に浮かぶ。
画家と作家。
どちらも、芸術関係と言えなくもない。
この二つの職業の最大の違いというのが、マンネリ化の壁。
画家という職業は、ヒットした作品を複製する事が可能だ。
何故か―――絵という作品が一つしかないからだ。だから、複数の人に配るべく複製でき、それでも喜ばれる。
なら、作家はどうかというと同じような作品を作ったな、途端に客足が遠のいてしまう職業だ。
何故か―――それは、多くの人に小説が読まれるから。
同じような作品だと飽きられてしまうのだ。
な らばどうするかというと、作品に変化を加えていく。
つまり、どこかから、知識を仕入れて来て、作品に変化を加える必要があるのだ。
ならば、画家には応用力がないかと聞かれたら疑問が残る。
絵を描くという行為は、先人たちが積み上げてきた幾つもの技法が存在し、それを応用して、作品を生み出していくのだ。
小説も同様で、基本となる構成や技術が存在する。
そういった意味で言うのならば、小説家の方がより頭がいいと言えるのかもしれない。
彼らの日常は、知識と応用の連続なのだから。
だが、画家と小説家、どちらが優秀かと聞かれたら、首をかしげざるを得ない。
―――結局、頭がいいとは一体どういうことなのだろうか?
最も、私は、頭の良さを磨くために、筆を進めないといけないというものだ。
少なくとも、何もしなくて、頭がよくなることはないのだから。
どうにも、単調な作業をしていると、大きく思考がそれることがある。やったのは、脳内での雑談だ。他の人と話すと、あまり頭を使わないのだけど、一人黙々と、思索に励んでいると、あまり疲れが取れない。
もうそろそろ、勉強時間終わるかな~。
ちらちらと、文字が書きにくくなるから外した腕時計を見るのだが、本当に微妙なライン。
いつまでやるのかを決めていたので、ここまで来たら、最後までやり通そう。
私が勉強中にこんなにも悩んでいるのは―――資格コーナーで適当に選んだ参考書が自分に合っていないと感じられるのと、この勉強法でいいのかと思ってしまったからだ。
とはいえ、集中力はもはや限界。
仕方ない、少し休むか。そう思って、席を立とうと思ったのだが、孫子の兵法が目についた。
机の上には無数の本が散乱している。私には、常に本を持ち歩く癖があった。
高校時代、多くの学友が教科書を教室におきっぱなしにしていたのに、私は復習のため、毎回本を家へと持って帰っていた。
本を持ち歩く癖はこの時の癖ではないだろうかと思っている。
しかし、必要な物を取り出すときめんどくさいという欠点もある。
だから、取り出しやすいように机に出している。
もう休もうと思っていたが、この停滞を打ち破るきっかけになるかもしれないと思い、手に取った。
【敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり】
孫子の兵法より抜粋
要するに、敵の情報を調べないというのは単なる怠慢だと言いたいのだろう。
大昔の人が言ったことではあるが、なるほどと思わせる納得感がある。
では、敵の情報とは何か―――私の敵とは入試である。
ならば、大学の情報はどうかと聞かれたら、それについては問題ないと言える。
―――実際に試験を受けたのだから。
よく、百聞は一見にしかずというが、今の私の状況はまさにそれ。
だから、分析については、問題ないはず。
だが、私が受験したのは一校だけ―――念のために、ほかの候補の過去問を見ておくか。
幸いなことに、最近、急に大学に関する資料が必要になったこともあって、過去問を持って来ていた。
幾つも散らばっている本の最下層に存在するそれを引っこ抜くと目を通す。
―――なるほど、なるほど。
和訳の分量が多いな。
このまま過去問をやってもいいのだが、最終確認として取っておきたいので、代用品を探さねば。
そう思って、ペンを握ったのだが、拒絶反応が起きた。
仕方ない、休もう。
ここからは趣味の時間だ。
私の趣味というのは、本を読むことだ。特に推理小説を気に入ってはいるが、疲れ切った今、そんな頭を使うものを読もうとは思わない。
だから、ネットサーフィンを行って、面白い小説を探している。
そして、休憩時間の目安は一時間。
時々ではなく、よく目安をオーバーしてしまうが気にはしない。しないったらしないのだ。
その多くは何も考えずにだが、休憩時間を故意に伸ばす、言い訳を用意することもある
そのさぼ……ゲフンゲフン―――休憩中にやるべきこととは、映画の鑑賞だ。
日米対訳のシナリオ付きなので、英語の学習法としても優秀。
それをしばらく眺めていると、目の疲れを感じてしまう。長時間、画面に張り付いているのだ。長年、この趣味を続けているせいで、私の視力はあまり高くない。むしろ低いと言ってもいいだろう。なので、パソコン画面を見るときはメガネをかけている。
日常生活でつけないのは、メガネを長時間つけていると、眼球に疲れを感じてしまうから。
メガネをつけて、パソコンを見るという、もっと目に悪そうなことをしていても、あまり疲れを感じないのに不思議な物である。
だが、それももう潮時―――勉強に戻るとしよう。
―――敵を知れ。ならば、どうするのか。
なるべく実践に近い形の、テストを行いたい。
何しろ、内容は翻訳なのだから、分かりやすい参考書はあったかな。
そう思い、記憶を探ると、ほんの少し行ったところで、ヒットする物が。
つい先ほど見ていた映画のシナリオだ!
カバンの中から引っ張り出す。
この本には英語の隣に日本語訳がある。
訳の部分をクリアファイルから取り出した紙で隠す。
今までは、英語を読み、日本語で確認という流れだったが、その一つ上のステップ。
英語を読み、日本語に訳す。
制限時間は15分でいいか。
テストというのは時間との戦いでもある、より実践に近いトレーニングを行うならば、厳しい時間設定が必要だろう。
腕時計にタイマー機能にスイッチを押すと、前かがみになって、せっせと筆を進める。
採点方法は、一文一点。
何度か時間を確認しながら訳を進めて行くと、七割がた終わったところで制限時間となった。
なれない作業のせいで疲労も強く、訳がまだ途中であるにも関わらずに、充足感を感じてしまう。
それも、長くは続かない―――結果は、28満点中8点。
こうも点数が悪いと、自分が持つ英語力に疑問すら湧いてきてしまう。
それ以上に、以前からこの、大学院に進学しようとも考えていたのだ。それなのにこの体たらく。
私には、翻訳の経験が不足している―――大学院を受験しようとしたのにだ。
この問題は、過去問を嫌っていたことに起因すると思う。
過去問というのは、特定の場でしか役に立たないという思いがしてならないのだ。
―――だから、高校受験の時も、大学受験の時も、過去問を熱心にやらなかった。
その対策の不足が、此度の試験で落第する要因となったのだろう。
これは論述の方も怪しいな。
何しろ、英語から日本語への変換か、日本語から英語への変換かの違いなのだから。
類似性が非常に高いのだこの二つは。
これは早急に対策を考えなければいけない。
ではどうするべきなのだろうか。
訳は、このままの路線でもいいだろう。日米対訳のこのシナリオを使った学習法で―――だが、論述をどうするべきか。
こちらの方は、明確な答えがない分、採点基準があいまいになってしまう。
それでも、出来る事から始めなくてはいけない―――日記を書こう。
論述対策としてはありきたりだが、この際しょうがない。
即断即決。
そう思い筆を走らせる。
今日の事を書くにしても、まだ昼間だ。
少し早いので昨日の事について思いをはせよう・
Today I try to test. First time I think I can finish it one day but I couldn’t do it. It is difficult to answer whole so I finished the test I spent two days. In my plan, yesterday I memorized words, watching my fall. But I get some good points.
(今日はテストを行いました。はじめは一日で終わると思ていたのにできませんでした。全部をこたえるのは難しかったみたいで、二日もかけてしまいました。当初の計画では、昨日の時点では、テストでの失敗を見ながら、単語の暗記をやるはずだったのに。ですが、いくらか収穫を感じ取れもしました。)
まだまだ粗削りだな。
文法的に不安なところが数多くあるが、それは追い追い直していけばいい。
決意を新たにする者の、慣れない作業に神経をすり減らしてしまった。
背筋を伸ばし、体重を背中へ。
座っている椅子は後ろへと傾くが、足を机の奥深く。こける心配はない。
最も、その姿勢でいたのは数十秒程度。
通行人の男性が来たので、姿勢を正す。
人の顔をじろじろ見つめる趣味はない。
それに人とすれ違うなんてこと、珍しくも何ともない。
なので、会釈もせずに、お互いがお互いの脇を通り過ぎて行った。
―――気が付いたら、私は後ろを振り返っていた。
別に、その男性の顔が好みだったわけではない。
ついさっきすれ違ったというのに、もう顔も忘れていた。
振り返ったのは不安のせいだった。
―――あの人はスーツを着ている。
きっと就職活動を行っているのだろう。
今日はその相談のためにここに来たのかもしれない。
―――果たしてこれでいいのだろうか。
そんな思いが膨れ上がる。
進学という道を私は選んだ。
それは就職という選択を切り捨てる行為だ。
―――今なら軌道修正できるはず。
そんな甘い、つい最近切り捨てた誘惑が湧き上がってくる。
それが出来ればきっと楽なのだろう。
だが、他の人よりも一歩後ろを走ることを享受しなければならない。
皆は、もっと前から準備をしている―――私は取り残されている。
ほかのみんなは色々なところに、行っている。
人と話さなくても雰囲気でわかる。
進路説明会や、ガイダンス。
それらについて話す声が、四年生になると同時に大きくなっていく。
―――何もしていない私とは大違い。
大学院進学というのは聞こえがいいが、思っている以上にやるべきことが少ないのだ。
その事実が私を不安にさせた。
前に進んでいるという実感が湧かない。
孤独が絶望に拍車をかけていた。
友達と話せれば、こんな思いしなくてもいいだろうに。
そんなこと、気軽に話せる友人何て私には一人もいない。
ラインやツイッターをやろうかと思ったことがある。けれど、無理だった。
私という人間は、他人に自分というものが知られるのを極度に嫌う。
自分という殻から出る事が出来ないのだ!
だから、不安や悩み将来の事を話す事が出来ない。
話せたとしても、自分自身の思いを一切配した、無味乾燥とした事務的なやり取りが精いっぱい。
―――今だけは友達が欲しかった。
近くにいる人に話しかければそれで済む。
現状の確認なのだから。
最適解が分かっているのに、実行できないのが惨めだった。
相談すれば悩み何て解決する。それなのに内気さが邪魔をする。
―――変わりたい。
変わろう何て自主的な言葉なんかつかえない。
努力なんてできやしない。
それでも変わりたかった。
どんなに優れた考えを持ったとしても、それに従えなければ意味がない。
そんな無様を私が実証しているのだから。
そして分かってしまった、頭がいいとはどういうことなのか。
頭がいいというのは想像が出来るということだ。その場その場にあった力を発揮するのは、状況というものをよく知っていなければならない。
言い換えれば、経験だ。
その状況が一体どのような物であるのか想像できれば、応用なんてもの幾らでも可能。
社会の状況というものが、あまりにも多種多様であるのだから、一つのことに優れていても、完全に頭がいいとは言えない。
頭が良いとは、様々な事態を想像できるということなんだ。
そういう意味では、過去問というのが最も優れた勉強と言えるのだろう。
自分が一体どのような状態を経験するのかを想像できる。
想像できれば、応用も聞くし、事前に準備もできる。
だったら、行って話を聞くべきなのだろう。知り合いがいないのだから、大学の係りの人に話を聞けばいい。
つい最近電話がかかってきたのだから―――そうすれば不安を取り除ける。
それをしないのはただ単に意地だった。
つい最近、もう覚悟が決まっている風な事を言ってしまったから、今更話を聞くのが恥ずかしいのだ。
そう言った意味では、私は本当の意味で頭が悪いのだろう。
自己否定系女子と孫子の兵法 @kuroe113
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