57.遺跡の噂

「きゃっ!」

 踏み出した足がずるりと滑り、甲高い声をあげた。

 その語調トーンがあまりにも自分に不似合いな気がして、レティシアは思わず赤面した。まるで国一番の魔術師に鈍化スローの魔法をかけられたかのように、ゆっくりと体を元に戻す。隣を歩くクレアの腕をいつの間にか掴んでいたことに、今更になって気づいた。

「もう。気を付けて、くださいね」

「……ごめん」

 眉を寄せる友人に、身を縮こまらせて謝った。もう何度目の謝罪か分からない――つまり、同じだけ転びかけているということだ。

 二人が歩いているのは、深い地の底にある洞窟の中だった。横幅は十歩あるいても横断できないぐらい、天井は肩車しても手が届かないほど高く、わりと大きい。ありとあらゆる場所から地下水が染み出ていて、足と地面の間に割り込んでくる。川を作るほどの量は無いのだが、そのせいで余計に滑りやすくなっている。

(ほんとにあるのかな)

 緩やかな下り坂を恐る恐る進みながら、レティシアは内心首を傾げた。踏みつけた浅い水たまりが、ぱしゃりと音を立てる。

 発端は、エルシェードの冒険者に聞いたとある噂だった。二人が今いる洞窟の中で、手つかずの古い遺跡を見た者がいると言うのだ。この場にそぐわない立派な石造りの建物で、お宝の臭いをぷんぷんさせていたらしい。少しだけ中に入ったが、水と食料が尽きそうだったので諦めたということだった。

 とは言えあくまで噂は噂で、信憑性は微妙なところだ。出所を特定することもできなかった。そもそも、手つかずの遺跡などという貴重な情報を、何故ギルドに売らずに言いふらしたのかもよく分からない。

 それでも挑戦してみようとなったのは、いくつかの理由がある。まず、最近無難に稼げる場所ばかり通っていて、そろそろ飽きてきていた。それから、この前運良く大量の魔石を発見して、懐に余裕ができた。レティシアを治療する前に戻ったとまでは言わないが、生活費が尽きる心配はしばらくしなくてもいいだろう。

 それに二人とも、未探索の遺跡に行くモチベーションがあった。そろそろ手持ちの魔導具を――レティシアはメイスを、クレアは炎の指輪を、もっと強力なものに替えたいと思っていたのだ。魔導具の武器なんて手に入れようと思ったら、金貨百枚単位、つまりは年単位の生活費を払うか、もしくは自分で取ってくるしかない。

 などと色々考えていたら、またもや足を滑らせかけた。幸い、ほんの少し歩幅が増えただけで済んだ。ちらりと横に目を向けたが、友人は気づかなかったようだ。

 転移のトラップを使った悪質な無限回廊に入り込んでしまったかのように、延々と同じ景色が繰り返される。岩と、水と、それから滑りそうになる足下。もちろん細部は変わっているのだろうが、レティシアの意識に上るほどででは無かった。

 どこまで続いてるんだろう、とふと疑問に思った。いつか話に聞いたところによると、下へ下へとずうっと進んでいくと『灼熱の海』に続いているらしいが……

「あっ」

「え?」

 勢いよく振り返るレティシアを、クレアがきょとんとした表情で眺めていた。小さく首を傾げ、聞く。

「どうか、しました?」

「ちょっと待って」

 レティシアは探し物をするかのようにゆっくりと視線を移動させると、やがてある一点で止めた。見つけたものを見失わないよう、凝視したまま近寄る。

「やっぱり」

 ほっと息を吐く。には単なる岩の壁にしか見えないそこは、ほんのりと青く光っていた。

 クレアがはっとして尋ねた。

「もしかして、魔力、ですか?」

「うん。ええと……このへん?」

 光って見える範囲を指で指し示す。地面に近い場所から上に伸びる長方形で、幅は自分の横幅より少し広い程度、上の端は頭のてっぺんよりかなり高いところにあるが、特に背の高い男性ならこれぐらいだろう。つまり……

「扉?」

「そうかも」

 期待のこもったクレアの言葉に小さく頷く。仕掛けで開くようになっているのだろうか。こんな洞窟の奥に、本来あるはずのないものだ。

 クレアは人差し指を口元にやりながら、少し間を置いた後に言った。

「他に、光っているものは、ないですか? この近くに」

「んー……ないかな」

 きょろきょろと辺りを見回してみたが、それらしきものは見当たらない。すると、クレアが残念そうに言った。

「開けるための仕掛けが、あるかと思ったのですけれど。そっちは、魔力がこもっていないのかも、しれませんね」

「レバーみたいなのとか?」

「はい」

 クレアは緩く頷いた。

 そういうことならと、手分けして周囲をくまなく調べ始めた。レティシアは『扉』のある側の壁を、クレアは逆側を担当する。

 漏れが無いように、二人で調べ方を決めた。扉のある位置から、壁に沿って十歩左に進んだところを出発点とする。上から下まで調べ、何もなければ右に一歩進む。これの繰り返しだ。街の城壁を掃除した時のことを思い出しながら、レティシアは淡々と作業を進めた。

 左右に十歩分を終えても見つからなかったので、今度は地面を攻めることにした。目で見て調べるだけでなく、周囲を歩き回ってまんべんなく体重をかけた。踏んで発動する仕掛け――概ねトラップの類いだが――というのは、わりとよくある。

 だが結局、地面からも何も出てこなかった。となると残りは天井だが、これは少し骨が折れた。遠いし、見上げたままの体勢というは結構辛い。

 そして、しばらく無言の探索が続いたあと、

「……ない」

「そうですね……」

 むくれたように言うレティシアに、クレアが困ったように返した。

 範囲を広げて、今度はざっと調べてみたが、やはり何も見つからなかった。レティシアは目をごしごしとこする。あまりにも長い間凝視し続けているものだから、視界が変になりそうだった。

 少し休憩しようということで、乾いた岩の上に二人で腰掛けた。まぶたをしきりにぱちぱちとさせながら、レティシアがぽつりと言った。

「もっと遠くにあるのかな」

「その可能性は、ありますけど……」

 クレアはわずかに首を傾けた。

「もしかすると、出口、なのかもしれませんね」

「出口って?」

「ですから、向こう側からしか、開かないということです。入口は、他にあるんでしょう」

「あー」

 レティシアは肩を落とす。

「せっかく見つけたのに、意味なかったね」

「いえ、そんなことは、無いですよ」

 にこりと笑みを浮かべながら、友人が言った。

「少なくとも、遺跡が本当にあるということは、分かりましたよね」

「あ、そっか」

「それに……」

 クレアはそこで言葉を切った。扉のある壁に視線を置き、固まっている。

 レティシアはしばらく待ったあと、それでも動き出してこない友人の顔の前で、ひらひらと手を振った。クレアは嫌そうに眉を寄せながら、ちらりと振り向いて言った。

「出口の位置が、分かっているなら、入口も、想像がつくかもしれません」

「例えば?」

「それを、考えていたんです」

 クレアは少し唇を尖らせた。

 友人にならって想像してみる。あの岩壁の向こうに、大きな――かどうかは分からないが、とりあえず――遺跡がある。出口がここだとして、入口は……

「反対側とか?」

「それは、ありえますね」

「でも、反対ってどこ?」

 レティシアはぐるりと辺りを見渡した。今いる洞窟は、横穴もほとんど無く、まっすぐ地の底へと続いている。仮にこの扉の向こうに遺跡があったとしても、逆側に繋がる道は恐らく無い。

 クレアは眉を曇らせて言った。

「他の、洞窟……? それなら、噂とは、無関係ですよね」

「うん」

「扉じゃ、ないのかしら」

 首を傾げながら、先ほどレティシアが指した岩壁に手を触れた。すると、

「え?」

 クレアは不意に声を漏らすと、目を見開いて岩を凝視した。レティシアは期待のこもった声を上げる。

「何か見つけた?」

「いえ……」

 不思議そうに首を傾げながら、ぺたぺたと触り続けている。しばしそうしていたあと、くるりと振り向いて言った。

「ここ、何色に光っています?」

「え、青だけど」

 きょとんとした表情でレティシアは言う。そう言えば、色までは説明していなかった。それがどうしたんだろう、と首を傾げる。

「青……水か、氷? 仕掛けを作るなら、扱いやすい炎にするはず……」

 友人は、口元に手をやってぶつぶつと呟き始めた。何かいいアイデアでも浮かんだんだろうか。今度はしばらくそっとしておくことにする。

「ちょっと、離れてもらって、いいですか?」

「うん」

 唐突なその要求に、レティシアは素直に従った。逆側の壁まで待避したところで、

「わっ」

 クレアが突然炎の指輪を発動させたものだから、驚いてしまった。びくっ、と体を縮こまらせる。

「あ」

 飛んでいった火の玉の行き着いた先を見て、レティシアは再び声を上げた。火球がぶつかった青い『扉』が、まるで氷のようにどろりと溶け始めたのだ。当たった場所から速やかに周囲に広がり、やがて扉の形の穴だけが残った。地面には水たまりができている。

 クレアが少し得意げに言った。

「やっぱり。氷の魔力で、穴を塞いでいたんですね」

「さっき触って分かったの?」

「はい。不自然に、冷たかったんです」

「そうなんだ」

 二人は喋りながら穴を覗き込んだ。かび臭いにおいが鼻について、レティシアは顔をしかめた。長い間締め切っていた地下室のようなにおいだ。

 中は、明らかに人の手が入っていた。岩壁を利用してはいるが、床も壁も、天井も、平らに削られている。時間をかけて掘ったのか、それとも魔法でも使ったのか。

「ここが、遺跡みたいですね。行きましょう」

「うん」

 先に立って足を踏み入れようとしたレティシアだったが、ふと思いついたことがあった。

「あれ? 噂を流した人はどうやって入ったのかな。扉を壊さないと入れないのに」

「それは……確かに」

「他の入口があるのかな」

「どうでしょう」

 クレアは首を捻っていた。そもそも、噂の遺跡は『立派な石造りの建物』だったはずで、その時点で何かおかしい。

 とは言え、べつに噂の遺跡じゃなければ駄目だということは全くない。自分たちが初めて見つけたのならなお良い。その方がお宝が残っている可能性が高いからだ。

 魔導具があるといいな、と期待しながらも、気を抜かず慎重に中に入った。辺りを見回し、魔力の光が見えないかを注意深く確認する。天然の岩盤を流用している分、機械式の罠――例えば、踏んで発動する落とし穴だとか――を仕掛ける余地は少ないだろう。魔法的な罠の方をより気を付けなければならない。

 入口の先は左右に通路が延びていて、どちらも五歩ぐらいで奥側への曲がり角がある。レティシアは少しだけ迷ったが、昼食のメニューを選ぶかのような気楽さで、右へ進んだ。

「迷ったら右へ行けって言うよね。なんでだろう」

「右でも、左でも、どちらでもいいんですよ。どちらかに決めておけば、帰りに、迷いにくいでしょう?」

「へえー」

 こくこくと頷きつつ歩を進める。角から顔を出すと、危険が無いことを確認して先に進んだ。

 十歩ほど歩いたころに、次の曲がり角に着いた。また左に曲がっている。向こう側を覗き込むと、その先でも左に曲がっていた。どうやら、通路はぐるりと一周しているようだ。

「う」

 道の先、ちょうど一周する中心に向いた壁にあるものを見て、レティシアは思わずうめいた。扉だ。金属製の無骨なデザインで、いかにも分厚そうだ。

 遺跡で出会う扉は、自分の幸運に対する試金石になる。その先にあるものに期待が持てると同時に、罠を仕掛ける格好の場所でもあるからだ。開けたくは無いが、開けないわけにはいかない。

 両開き扉の前面には、取っ手と蝶番ちょうつがいが付いていて、引いて開けられるように見える。もっとも、鍵がかかっているかどうかは見ただけでは分からないし、開けた人間が無事でいられるかどうかも分からない。

「どうしよっか」

「そうですね……」

 クレアは眉間に迷いの色を漂わせ、扉を見やった。こういう場合、大きく分けて二つの選択肢がある。十分に調べてから開けるか、何も調べずに離れた場所から開ける――例えば取っ手にロープを繋いで引っ張る――かのどちらかだ。

 前者の方が安全だとは限らない。調べているうちに罠を発動させてしまう可能性もある。もちろん、後者を実行した途端、周囲一帯が爆破される可能性だってあるのだが……。

 少し話し合ったあと、結局は後者を選ぶことにした。二人とも、罠や仕掛けを調べるのはそれほど得意ではない。

 そもそも罠なんて無い確率も高いし、なら楽な方がいい。周囲に魔力が全く見えないのも、その判断を後押しした。入口は魔法で封印されていたのだから、もし仕掛けるなら魔法の罠にするだろう、というクレアの意見だ。

「開けるね」

 曲がり角に立ち、ロープの端を掴みながら、レティシアは緊張したように言った。はい、と友人の声が聞こえる。

 逆側の端は、両開きの手前側にある取っ手に結ばれている。仮に扉の隙間から毒矢が飛んできても、ここにいれば大丈夫だろう――毒ガスだったら、走って逃げなければならない。

 勇気を出してロープを引く。思ったよりも抵抗はなかった。扉がすっと開く。

 ごくりと喉を鳴らす。しばらく待ってみたが、何も起こらない。レティシアはほっと息を吐いた。

 恐る恐る扉に近づいたが、やはり罠が発動したような様子は無かった。身を縮こまらせながら、そっと奥を覗く。

 その先にあったのは、広いスペースと、雑に積み上げられたたくさんの木箱だった。数十箱か、もしかすると百箱以上あるかもしれない。

 倉庫、という単語がレティシアの頭の中に浮かぶ。一度、港の倉庫に入り込んでしまった魔物を退治したことがあるが、ちょうどこんな感じだった。

「まあ」

 レティシアの肩を掴んで後ろから覗き込んでいたクレアが、嬉しそうに声をあげた。

「箱ですか。開けるのが、楽しみですね」

「うーん」

 レティシアは浮かない顔で首を傾げた。どうも、あまり重要なものが入ってそうには見えないのだが……。

 三つほど開けてみて、不安が的中したことが分かった。箱いっぱいに詰まっていたのは、少し湿った砂だったのだ。魔力がこもっているとかでも無く、どう見ても普通の砂だ。何故大事にとってあるのかは全く分からないが、とにかく砂だ。

「……全部砂なのかな、これ」

「開けてみましょう」

 決意のこもった表情でクレアが言った。

 レティシアは半分諦めながらも、仕方なく従うことにした。魔導具が入っている箱を見逃した、なんてことに万が一なったら、泣くに泣けない。

「……よし」

 気合いを入れるために腕まくりする。自分の幸運を試すような気持ちで、端から順に挑戦を始めた。

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冒険者たちの日記帳 マギウス @warst

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