第58話 彼女のぬくもり(第一部完)

 釣られてぼくも視線をタランテラへと向けた。


「よっと」


 ペタン。

 飾り気のない真っ白な上下の下着姿のツキノさんが、金色に輝くタランテラのコクピットから四メートルほど下のコンクリートへと、濡れた裸足で飛び降りた。

 健康的な肌色の肉体を隠そうともせず、そのまま堂々と胸を張って歩き出す。誰もが声を出さないまま、彼女に視線を向けている。


 なんで脱いでんの……?

 半数がその見事なプロポーションに視線を奪われ、残り半数が唖然として、モーゼのように人波を割って歩く天川月乃に無言で道を譲った。


「おっつかれ~い! これに懲りずに、また遊ぼうね! イツキ、マサト!」


 左手の人差し指を立てて振り返り、ウィンクひとつ。


「アンタら、そのままじゃ風邪ひくよ。海水でベショベショでしょ。脱いじゃえ脱いじゃえっ」


 なぜか入口ではなく窓枠に足をかけ、ヒョイっと飛び越えて、ペタペタと足音を響かせながら行ってしまった。

 あれだけ騒がしかった格納庫ドックが、静まり返っている。


 あ、あの人、まるで別の生物だ……。動じないにも程があるだろ……。

 開きっぱなしになっていたタランテラのコクピットから、海水をタップリ含んだパーカーとミニスカートが遅れてベシャっとコンクリートに落ちた。

 いつの間にか隣に立っていたマサトが、小さな声で呟く。


「可憐だ……」

「えっ!? どこが!?」

「ぜんぶ……」


 鼻の下が伸びてるぞ、マサト。

 いや、考え方を変えるんだ。むしろあの人の場合は、素っ裸じゃなかっただけ褒めてあげなければならないのかもしれない。うん、きっとそうだ。


「見たか、今の。パネェな。ユッサユサしてたぜ……」

「……まあ……うん、そーね……」


 なぜかニヒルな表情で囁くマサトに、ぼくは適当な返事をした。

 大浴場じゃ中身まで丸出し状態だったんだが。絶対に言えないけど。

 ……ん? 待てよ……。

 未だに天川月乃の去った後を眺めている大部分の観衆の隙間を縫って、ぼくは空色のベルベットへと歩み寄り、右腕を伝ってコクピットの開閉ボタンを押した。

 まさかとは思ったが。


「……何してんの、リサ……」


 コクピット内には両膝を抱えて丸くなり、ベショベショの私服姿のまま、唇を紫に、真っ白な肌を青白く染めてガクガク震えているリサがいた。唯一脱ぎ捨てられていたものといえば、海水をたっぷりと吸ったセーターだけだ。

 こんなんでも天川月乃よりは常識があるらしい。


「……イツ、イツ、イツイツキ……さささむ、さむい……んぅ!? ……うぅぅ……げげ言語ちゅちゅ中枢、エエラー……うぅ~……」


 泣いた……。

 ベルベットの凄腕パイロットとは思えない精神力メンタルの弱さだ。

 おそらく鋼鉄の肉体と接続を切り、肉のカラダに戻った瞬間に体温の低下に気がついたといったところだろう。そう考えると、認めたくはないけれど、脱いでいたツキノさんが正しいっちゃ正しいのか。

 そういえば、今さらだけどぼくも寒くなってきた。

 ぼくは手を伸ばしてコクピットで丸くなっているリサの腕を取った。


「はいはい、言葉が出ないくらいで泣かない。行くよ、リサ。こんなところで丸くなってたって暖かくはならないよ」


 リサはこんな状態で戦ってたのか。まあ、事ここに至るまで、ぼくも寒さなんて微塵も感じてなかったけどさ。身体の感覚がないのも考えてみれば危険だな。

 春の夕暮れ時は、まだ少し肌寒い。


「……うぅ~……あ熱いカカカカレーうどん……食べ食べるる…………?」

「わかったわかった。でも、先に着替えてからね」


 リサがもう片方の腕を伸ばして、ぼくは両手で彼女を引っ張り上げ――目を丸くした。

 シャツが透けている。

 とても残念なスポーツブラがうっすら見えている。けれど、非常に寂しいプロポーションのはずなのに、なぜかぼくの心臓は天川月乃の見事なまでのそれ以上に反応してしまって、バカみたいに血液を頭に送り込むものだから。


「……イツ、イツキ……た体温、じょ、上昇……してる……?」


 固まって動けなくなった。


「……ん……」


 リサがガクガク震えながら、ぎゅうっとぼくに抱きついてきた。ぼくの肩にアゴを乗せて頬を寄せ、全身を預けるようにぺたりとくっついて。

 そのまま数十秒。足下のどよめきが息を潜めた。

 リサの小刻みな震えが徐々に収まってゆく。


「……わたしも……体温上昇する……」


 少しふわふわとしたような声で、そう呟いて。


「……暖かい、イツキ……」


 リサ・アバカロフは、空と潮と、少しだけ甘い香りがした。

 誰が言い始めたのか、次々と冷やかしの声が上がった。タランテラから天川月乃が下着姿で飛び出してきたときよりも大きく。指笛だったり、拍手だったり、女子たちの嬌声だったり、男子たちの嫉妬だったり。

 でもまぁ、それに照れて突き飛ばすほどは、ぼくだって子供じゃあないし、離れるのが惜しいと思える程度には大人だ。


「……リサは、冷たいね」

「冷たい?」


 カラダを離そうとしたリサの背中へと、ぼくは考えるよりも早く両腕を回した。どう言い訳していいのかさえ、わからないまま。


「大丈夫。大丈夫だから、もう少しだけこうさせてよ」


 リサは何も言わずに、いつものようにぼーっとしながらぼくに抱きしめられていた。

 後でマサトに教えられて知ったことだけど、このときのリサは、どうやら幸せそうに満面の笑みを浮かべていたらしい。

 ぼくにだけ見えなかっただなんて、なんだかずいぶんと不公平じゃないか。


 ――幸せな、想い出だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鋼鉄のランド・グライド ぽんこつ三等兵 @ponkotu3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ