1.27〈新たなる希望の轍〉

 真鍮しんちゅう製のパイプと煤けた歯車ギアが壁を縦横に伝う街、タウン・オブ・ウェストエンド。

 彼方の山のいただきから顔を出した朝の光が街へ届き、全ての金属に乱反射して街を輝かせる。

 蒸気急行の始発列車が汽笛を鳴らし、それを合図にまるで雑多なおもちゃが乱雑につめ込まれたようなこの街は、新たなる一日を喧騒とともに迎えたのだった。


 そのウェストエンド街の外れにあるこぢんまりとした石造りの建物にも、朝の光は別け隔てなく降り注ぐ。


 草花の栄光グローリー・イン・ザ・グラス


 真鍮製の板にそう刻み込まれた表札も、朝の光を受けてまばゆく輝いた。




「おっはよー! 早苗! 芽衣めい! さぁ朝だよっ!」


「おはよ、萌花。でも『さぁ朝だよ』って言う挨拶は、一番最後に起きてきた人が言うセリフじゃないわね」


「ですねぇ。おはようございます。もえちゃん」


 時刻は朝の6時。

 普段げんじつせかいの萌花なら間違いなく惰眠を貪っている時間だったが、GFOに閉じ込められてからの彼女の生活リズムは、以前よりもかなり健康的になっていた。


「まぁまぁ、挨拶なんて元気がよければどんな言葉でもいいじゃない! ところで、今日の朝ごはんは何?」


 早苗はため息をつき、芽衣は萌花の分のサラダとベーコンエッグを皿に盛り分ける。

 ギルド『草花の栄光グローリー・イン・ザ・グラス』のホールは急に賑やかになった。



 シユウのシステムパッチにより、ユーザーのログアウトが不可能になってから、既に一週間の時が流れていた。

 今回の、所謂『第二次GFO事件』でゲーム世界に閉じ込められた人間の数は100万人を超えたが、今のところ死者や脳死者などを含む重篤な容体の被害者は報告されていない。


 それは、『現実世界との通信は[DCOMディーコム]と言う標準通話機能を使用することで普通に可能である』と言うことが大きな理由だった。

 閉じ込められた人の現実の位置はイマース・コネクターで正確に把握されている。しかも、電話でもするように気軽に直接通話もできる。更に、まるでこうなることを予期していたとでも言うような『株式会社GFOエンターテインメント社』の迅速な対応もあって、大きな社会問題にはなっているものの、大混乱とまでは行っていないと言うのが現状だ。


 学生は平日に数時間通信による授業を受け、社会人はPC上で出来る仕事を行う。

 もちろん『何事も無く今まで通り』とは程遠い状況ではあったが、『ゲームの中に閉じ込められている』と言う異常事態に陥っているはずのウェストエンドの街は、不思議なほど平穏無事に時が過ぎていた。


「ねぇ二人とも、今日はせっかくの日曜日だし、お洋服でも見に行かない?」


 カリカリのベーコンをもぐもぐと頬張りながら、萌花は早苗たちを誘う。

 現実世界では親が許してくれなかったゴスパンク全開な服を買いたいのだという。

 しかし、早苗と芽衣の返事は芳しいものではなかった。


「私は遠慮しておくわ。勇者の館へ行く用事があるから」


「えぇ? また今日も魔王城に行くの?」


「魔王城じゃないわ。よ!」


「あ、うん。じゃあ芽衣は?」


「わ、私は……いいですけど、あのあの……ごめんなさい。……エリックも一緒でいいですかぁ?」


 その返事を聞いて最後のベーコンをごくんと飲み下した萌花は、つまらなそうにため息を付いた。


「あぁはいはい。お二人共彼氏とデートなのね。わかった。私は一人で買い物に行くよ」


 大きなマグカップになみなみと注がれたミントティを一息に飲み干し、萌花はカップとプレートを持って立ち上がる。それに合わせるようにギルドのドアベルが澄んだ音を立てた。


「あ」


 短く声を上げた芽衣が、ホールの端にある時計を確認する。

 そわそわしながら申し訳無さそうに萌花を見る芽衣に、萌花はもう一度溜息をつくと「分かったから早く行きなよ」と言う意味を込めてヒラヒラと手を振った。


 頬を染めて頷き、そのままホールの入口へと駈け出した芽衣は、玄関脇の姿見に全身を映すと髪を手櫛で整える。

 両手を胸の前で握りしめ、一つ大きな深呼吸をした彼女は、なるべくゆったりした所作に見えるように注意をしながらドアを開け、目の前に立っている男の表情がぱっと輝くのを満足気に確認した。


「芽衣。おはよう。今日も素敵だ」


 ドアの前に立っていたのはエリック。[創世の9英雄]の一人であるもえが、自らの精神データのバックアップを元に作り上げたゲーミングボットの一人だ。

 しかし、その姿は以前の「全て標準通り」の外見とは少々違う。

 まず、黒い短髪だった髪が少し伸び、色は濃いビリジアンに染まっている。

 服装も戦闘用のピッタリとしたものではなく、黒を基調としたカジュアルなジャケットを着ていて、さらにフレームの太いメガネまでかけていた。


 これらは全て芽衣のコーディネート。

 エリックの言葉と、その姿をじっくりと点検した芽衣は、そこで初めてニッコリと笑った。


「ええ、おはようございますエリック。では行きましょうか」


 さっと差し出されたエリックの手に自分の手のひらを重ねて、ゆっくりと階段を降りる。

 エスコートを任されたエリックは、誇らしげな顔で彼女の手を引き、二人の姿は街の雑踏の中へと消えていった。



「……まるで恋愛ごっこね」


 ゆっくりと自動でしまったドアを面白くなさそうに見つめたまま、早苗がミントティを一口すする。

 自分の食べた朝食のプレートを洗っていた萌花は、壁にかけてあるタオルで手を拭くと早苗に向き直った。


「いいじゃない、恋愛。うらやましいよ。芽衣も早苗も」


 屈託なく笑う萌花を振り返り、「一緒にしないで欲しいわ」と言いかけた早苗は、言葉を飲み込んで目を伏せた。


「萌花は……恨んでないの?」


 この世界を閉ざしてしまったのは、早苗が恋愛ごっこを楽しんでいる相手、ゲーミングボットの一人であるシユウ本人だ。

 世界を改変し、今の閉ざされた世界に変わった後、本人の言っていた通り特殊な能力を持たない単なるいちプレーヤーとなったボットたちは、許されたわけではないにせよ、殺す必然性もまた見つけられず、とりあえずは放免されている。

 今は元の世界に戻す力も持たない、ただの最強レベルのプレーヤーの一人ではあるものの、そんな元凶とも言えるボットと親しく付き合い続けている早苗たちを快く思わないものが沢山居るのは早苗も気付いていた。


 親友であるとは言え萌花もそう思っていないとは限らない。

 いや、むしろ早苗たちを止めようとして尽力してくれた萌花こそが、一番この事態を苦々しく思っていて然るべきだと、彼女は考えていた。


「うーん、恨むとかってのは無いかなぁ」


 おかわりのミントティをマグカップになみなみと注ぎ、萌花は早苗の隣に腰掛ける。

 ふぅふぅと息を吹きかけ熱いお茶を一口すすり、小さく「熱っ」とつぶやいた後、萌花はテーブルに頭を付けて、うつむく早苗の目をまっすぐに見上げると、にっと微笑んだ。


「もちろんさ、ちょっと待ってよって思ったよ。いきなりだもん。でもさ、ヘンリエッタさんたちもちょっと強引すぎたし、もえさんが話してくれた事情の事も考えたら、もう責められないよね。お父さんたちには心配かけちゃってごめんなさいって感じだけどさ、……でも私は結構この3人暮らしは楽しんでるよ」


 そうだった。

 こう言う娘だった。

 早苗は今更ながら、この全てを許してくれる親友の懐の深さに驚く。

 カップに残ったお茶をごくんと飲み干すと、早苗は立ち上がった。


「まったく。……そうね、萌花がそんなこと気にしてる訳が無いわよね」


 自分が逆の立場だったら、こんな風に笑えるだろうか?

 心のなかで深く感謝の言葉を何度もつぶやき、早苗はカップを洗うと、玄関の前の姿見へと向かった。


「なによー。私だって色々考えてるよ」


 テーブルに横になって頭をつけたまま、萌花は頬を膨らます。

 髪や服装の隅々までを確認しながら、早苗は鏡越しに萌花を見つめた。


「色々……ね。どうなの? ケンタさんとは」


「ケ……ケンタさんとはそんなんじゃないから! 歳だって10歳も違うし、……そもそもケンタさんにはもえさんが居るんだもん」


「ふぅん。じゃあ本命は萌花もシユウ72って人なのかしら?」


「今はジリオンって名前よ。……私も時々忘れるけど」


 いつまでも「シユウ72」では呼びにくい。それに早苗のシユウと聞き分けがつかなくなる。

 そんな理由から、萌花が彼に名前をつけることになった。

 それと同時に外見も、萌花に近い赤髪で、サイドを刈り上げたスタイルに変わっている。


 萌花が呼び出さないかぎり一人で狩りをしているジリオンだったが、その時ばかりは街の美容室に大人しく座り、萌花の指示に「了解した」と大人しく髪を切らせていた。


「そうそのジリオンね。萌花もピアスで同期リンクしてるんだから、私たちと同じような気持ち……感じてるんでしょ?」


「それがよくわからないんだよねー」


 テーブルの上にぐでーっと伸びて、萌花は目を瞑る。

 その姿を横目で見ながら、早苗は髪、目、鼻、口、耳、服……と、自分の姿を指さし確認すると、満足気に微笑み、振り返った。


「わからないなんておかしいわ。だって、恋は頭で理解するものじゃないもの」


「……早苗って結構乙女よねー」


 目を瞑ったまま眉間にしわを寄せ、萌花はテーブルの上で90度寝返りをうつ。

 そのまま何度もごろんごろんと往復して寝返りをうつと、最後にはやっぱり元の位置へ戻って「う~」と唸った。


「乙女って何よ。わかってるわよ、私がそんなこと言ったって可愛くないことくらい。でもね、頭の中でシユウを好きになっちゃいけない理由はいくらでも羅列できるけど、気持ちは『行け行け』ってどんどん背中を押すのよ。これはもう理屈じゃないんだわ」


 まだ唸っている萌花へ向かって溜息をつくと、「じゃ、私はもう行くから」と言い残して、マップからシユウの位置を選択した早苗は光の渦となって消える。

 ギルド『草花の栄光グローリー・イン・ザ・グラス』のホールは、賑やかになった時と同じく、急に静まり返った。


 恋愛の経験のない萌花には、まだ恋のなんたるかなど分からない。

 かと言って、ただ恋に恋するかのように、相手の都合や立場などお構いなしに好意を向けるほど子供でもない。


 それに……。


「まぁ恋なんて無理してするもんじゃないかな」


 早苗や芽衣が羨ましいと言う気持ちはもちろんある。

 それでも、好きになろうとして好きになるのはなにか違うと萌花は思うのだ。


 彼女はテーブルから起き上がり、早苗たちの真似をして姿見の前に立つ。

 紅く輝くピアスにちょっと手をやると、ギルドホールの玄関を開き外へ出た。


「萌花、何か指示があるのか?」


 まるで待ち構えていたかのようにそこに立つ赤い髪のボット。


「ううん……あ、うん。あのね、一緒に私の服の買い物に付き合ってほしいの」


「了解した」


 これからGFOの世界で色々な事が起こるだろう。

 冒険もするだろうし、もしかしたら恋だってするかもしれない。


 それは皆きっと楽しいことだ。

 萌花はジリオンの手を引くと、街へ向かって駆け出していった。


――了

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