亀の子タワシが救いたい世界



「お」と悪魔が言った視線の先、ユトリがクラウチングスタートの体勢をとっていた。


「へー、自慢の足で勝負しようってか。いい度胸してんな、姉ちゃん」


「別に足を自慢にしたことは一度もないわよ。でも、これしかないから」


「懐に飛び込んで、その『キーワード』で撃つってか? やめとけ。死ぬだけだ」


といっても、ユトリは飛び込む姿勢を崩さない。その後ろにはタワシがいた。遠くからで見えにくいが、口が動いているのが見える。


「ははあ」と悪魔は声を漏らす。なんとなくだが、やりたいことがみえてきた。


力任せの突進。それが危険なら、それに防御を足してやればいい。タワシはそれの準備をしているのだろう。薄いなら数を増せばいい。単純だが、確実だ。


けれど、それを打ち破る自身が悪魔にはある。


『キーワード』を言っただけ壁を出せるなら、こちらはだって同じ。


「少年、壁を作り終えたらいつでもいいなや。全部粉砕してやる」


タワシが目だけを上げる。焦ってはいない。読まれることは予想済みなのだろう。口だけは動き、動き、動き、そして止まった。


「ユトリさん!」


それを合図にユトリは駆け出す。


右に左に跳ねて、直線を打ちにくくしていた。けれど、関係ない。


この『キーワード』の最大の魅力は攻撃範囲だ。


《斬る》


3本といった温いものではない。跳ねても避けられないよう、前面180度に振り子を振らせた。


「俺の『キーワード』は一度刻みの連射が可能! そんな動きじゃ躱せねえよ」


「そう。じゃあ、やめるわ」


といって、ユトリはその場で止まった。


「は?」


悪魔が惚けるが、その瞬間にはユトリは逆に走り出している。振り子の刃はユトリに届かない。その振り向きざまに


「《バン》」


打った。


が、それは見当違いのほうに飛んでいく。


「おいおい、また威嚇」


その言葉は途中で止まった。


光線が途中で方向転換したのだ。見当違いと思っていたら、自分のほうに向かってくる。だが、まだ甘い。これでは避けるまでもなく外れると思った矢先。


「ッ!」


見えた。


その光線の先、光るものがある。


「あいつの壁か!」


タワシの壁が絶妙な位置に配置されている。


「全反射」


タワシが言った。


「先ほど、あなたの言ったガラスがヒントになりました。これなら、光をほぼそのまま届けることができます」


「くそっ」


悪魔が身をよじる。『キーワード』で壁を破砕しても良かったのだが、それだと時間的にギリギリになり、さらに破片でいらぬ怪我を追うことになるかもしれない。


光が見えたということは、その壁は顔を向いているということ。悪魔は体を横にずらし、すんでのところで光線を回避した。ジッとなにかが焼ける音が耳に届く。悪魔の頬が光線に触れたらしく、火傷し、血が流れていた。


「避けられた、しかも結構威力がおちてる」


ユトリがいう。本来、あたれば肉ごとこそぎ取るぐらいの威力があるはずなのに。


「そうでしょう。最初から全反射させるならともかく、二回程度ですから。それに、100%そのまま力を無くさずに届くなんて、思ってません」


タワシはそれがどうしたとばかりにいう。失敗したのに、全く応えていないようだった。


「ちっくしょうおお! なめんじゃねえぞ!」


対して、悪魔の怒りは頂点に達していた。血より赤い怒気が背中から見えそうだ。


「許さねえ! 絶対に許さねえ!」


「タワシ、もう一回、いく?」


ユトリがもう一回構える。が、悪魔が高く笑った。


「はっ、もうその手は食らうかよ! あんな攻撃、一回使えば読まれるに決まってるだろうが! あれが最後のチャンスだったんだよ!」


「そうでしょうね」


タワシも同意する。たしかに、あんな攻撃は二回三回と使えるものではない。


「でも、もう十分です。あの攻撃はあなたを殺すものではなりません」


「え?」とユトリが訊く。悪魔は強がりかと笑った。


「あの風が邪魔だったんですよ。だから、それを消したかった」


「あん?」


さっき光線を避けたせいで、あの風の鎧は消えている。


「そんなもん、また作ればいいだけだろ」


悪魔が『キーワード』をいい、また風を纏う。けれど、もう遅いのだ。


「ごめんなさい、ユトリさん。ぼくはあなたに嘘をついていました」


「え?」


「ぼくの壁の特徴、実はもう一つあったんです」


ひとつ、どこまでも水平に伸縮自在であること。


ひとつ、壁を薄くできること。


「ぼくの壁は、ストックが可能なんです」


『キーワード』一回につき、壁を一枚。けれどそれは「割れない限り、消えずに残り続けます」


タワシは笑った。


「ぼくがこれまで言った『キーワード』数、135496412回。つまりあと1億枚以上の壁を、ぼくは出すことが可能です」


「……ーーはっ」悪魔は笑う。「それがどうした? たしかに数はすげえが、そんなに一度に操作できるわけじゃないんだろ? できるなら例えば壁を重ねて厚さをつけて、おれの上から落とせばいい」


「ええ……。たしかに、数百枚が限度ですね。それだと鈍器にはなろうとも、押しつぶすにはすこし物足りない。逃げることが可能ですから」


「へー。じゃあ、そのストックはなんの役に立つんだ?」


「そうですね、例えば」


タワシが悪魔を指さす。


「極小の壁をあなたの周りに移動させて、隙を見て拡大させるつもりだったとか」


「ははあ、それで風が邪魔だと。極小だと簡単に吹き飛んじまうもんなあ」


「ええ。ですが」


「ああ、今は風を纏った。しかも、それを聞いちまうともう解除はできねえな」


ユトリが不安そうな顔でタワシを見る。けれど、もうそんなことはどうでもいいのだ。


もうすでに勝ちは決まっている。


「だから、もう風が当たらない場所まで移動させました。ーーあなたの、胃の中」


反射的に悪魔の手が腹をさする。けれど、もう遅い。体の中に風を起こさない限り、取り出すことは不可能だ。もう呼吸程度では吐き出せない。


「てめえ!」


「ぼくの壁は、限りなく薄く、完全な水平で拡大縮小ができます。……もし少しでも歪みがあれば、薄いものを大きくした場合にそこから割れるんですが、その心配はありません。気持ちよく、斬れますよ」


「殺すのか! こいつを!」


最後のあがき。それはあまりにもみっともない姿だった。レタの姿をしている分、見るに堪えない。


「なにを今更。最初からそう言ってるじゃありませんか」


「おまえッ!」



ーーさよなら



音はしなかった。悪魔でさえ、切られた感触はなかった。体の中を何かが通った感覚だけがあった。切られたのではなく通過した感覚。実際、タワシの壁は極限まで薄くしたことにより、細胞を引きはがすように、悪魔の体を二つにわけていた。


次の瞬間には、悪魔の、レタの上半身は、下半身を別れ、ゆっくりを後ろに倒れていく。


ユトリは思わず目をそらした。タワシは最後まで、見ていた。










「……終わった、の?」


レタの上半身を見ながら、ユトリがいった。


「終わったでしょうね」


タワシがいう。


「いくら悪魔といえども、こうなってしまえば蘇生は不可能です」


「じゃあ、これで本当に 悪魔を倒すことができ……た?」


思わず雄たけびをあげそうになったが、タワシの言葉がそれを引き留めた。


「いえ、それはないでしょう」


ユトリの表情が固まった。


「こいつは偽物です」


「にせ……」


「悪魔は悪魔ですが、本物の悪魔じゃない。悪魔に誑かされて悪魔になった、子悪魔といった存在ですね。本体……4年後に世界を滅ぼそうとしている大元は別にいますよ」


そうでしょう? とタワシがきく。答えたのは、レタの上半身だった。


「よく知ってんな、お前」


「あ、あんた、まだ生きて」


「いいえ、生命力が強いだけです。さっきも言いましたが、体が分断されれば、もうおしまいですよ」


「はっ、その通りだよ。もうだめだ。さっさと死ねないのが、ざんねんでならねえよ」


長く息をはく。


「いつ気付いた? 俺が本物じゃねえって」


「最初から、と言えればかっこいいですが、うっかりあなたが言った『俺の『キーワード』』の部分からですね。あれがなければ、わかりませんでした」


「どういう意味?」


ユトリの問いに、悪魔は鼻で笑った。答えるつもりはないらしい。タワシは、重い口を開いた。


「ユトリさん、『キーワード』は神様との約束です。だから、神様は『キーワード』を必要としないんですよ」


『キーワード』なしで、能力が使える。玄武がそうだったように。


「だから悪魔も、本物の悪魔も『キーワード』言いません。言わずに能力を行使できます」


「おいおい、それだけじゃねえだろ?」


脂汗を額に浮かべながら、悪魔が口を開く。悪魔らしく、いじわるに笑った。


「後継者だって、『キーワード』がいらないだろ?」


「…………」


「俺がまだ『キーワード』が必要なのは、まだ神じゃねえからだ。だが、後継者は違う。もともと人だったあいつらは、四獣が死んだことにより神に成り上がった。だから、今はもう『キーワード』なんて言わなくても、能力は使えるはずだよな」


「なるほど。……え、でも、それじゃあ」


悪魔が笑う。


「そうだよな、お前も『キーワード』が必要だよな、偽物」


タワシを指さす。


「お前、玄武の後継者なんて嘘ついてんじゃねえよ」


その言葉を最後に、悪魔は、死んだ。






《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》《守って》



何回も何回も壁を重ねて、自分を閉じ込めた。場所は忘れた。深海だった気がするし、山奥だったきがする。どこまでも厚く、誰からも触れられないように、自分を隠した。光さえも拒絶する厚さにしてもなお、壁を出し続けた。どこまでも厚くした。どこまでも重ねた。


今の壁のストックのほとんどは、そのときに作ったものだ。


闇の中で口を動かし続けた。意識があるときは常に能力を使い続けた。それしか考えないようにしていた。余計なことは思わないようにしていた。


純粋すぎた。今でこそそう思えるが、あのときは自分を客観的に見ることができなかった。


純粋すぎて、純白すぎて、穢れを知らなかった。


だから、生きれなくなった。


純粋で純白で穢れを知らない体には、この世界か生き難かった。考える頭があった分、それは重くのしかかってきた。


隠すことでした身を守れなくなった。だが、その甲羅は自分を隠してくれなかった。


だから、深く深く、自分を閉じ込めたのだ。


だれにも見つからないように。これ以上、汚れないように。


「それを見つけたのが玄武さんだったんですよ」


何千と重ねた壁が砕け、光が差し込んだ。そこに、玄武がいたのだ。


「あの人の前では、いくら強固な壁を作っても無意味ですからね」


そして、そのまま外に連れ出された。そしてその日から玄武が彼の親になった。


「じゃあ、玄武様の後継者っていうのはやっぱり」


ホテルの一室。ベッドに腰掛けながらユトリはいった。


レタが死んでから、次の日になっていた。レタはあのまま死んだ。これからどうなるかわからないがそれは警察に任せるしかない。なんとなくことの顛末が気になってもう一泊したが、結局、レタがドラゴンと母親を殺したということでケリがつきそうだ。理由は介護疲れ。悪魔のことは、誰も知らない。


「ぼくじゃないですね。ですが、確かに後継者はいました。本物は、少し前に旅立ちました。あそこにいた、というのは本当ですよ。ただぼくじゃないってだけで」


「そう」


「嘘をついてごめんなさい。ユトリさんの勘違いに気がついたのが、もう馬車の中でしたから」


馬車の中。玄武に後継者と言われクスクス笑っていたのを思い出す。あのとき、気がついたのだ。思えば、タワシはあれより前に、自分を後継者と名乗ったことはない。


「さて、ではこれからどうしましょうか」


「……これから?」


「ユトリさんはぼくを玄武の後継者だと思って誘ったわけです。でも、実際はそうじゃない。ぼくはただの亀の子です。ですがユトリさん、ぼくはあなたについていきたい」


「…………」


「もう一度、ぼくを雇ってはくれませんか?」


そっと出された拳。


ユトリはかかえたまくらをベッドに投げ、


「私は、玄武含め四獣の後継者を探してる」


「ええ」


「それは単純に、悪魔に対抗できる仲間が欲しいから」


「ええ」


「別に四獣だけを仲間にしたいわけじゃないわ」


「それじゃあ……」


拳を、ぶつけた。


「キミが悪魔を殺すために手伝ってくれるっていうんなら、断る理由はなにもない」


「ユトリさん……」


「あらためて、これからよろしく。亀の子タワシ」


「はい! よろしくお願いします!」




新たに契約を結びなおし、二人は街を出た。向かう先は朱雀の後継者。


二人の旅はまだ、旅は始まったばかりだ。














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