第三十一話『思い出は茜色』
暗闇の中に放置されてから、どれほどの時が経ったのだろう。
亮介の心は不思議と落ち着いていた。
――今、何時だろ。父ちゃん、ちゃんと飯食ったかな?
自分の置かれた状況よりも気になることは、用意した夕飯を父――康介が食べたかどうかだった。
――父ちゃん、俺が夜遊びしてると思うだろうな。
ため息をつこうとして息が詰まる。口に粘着テープを巻かれていることを思い出した。
それと同時に、身体じゅうの痛みを思い出す。
殴られ蹴られた箇所よりも、スタンガンによる電撃を受けた箇所がヒリヒリと痛んだ。何度も電火に触れたせいで、足の皮膚が火傷を負っていた。
――何だよ、スタンガンって。卑怯にもホドがあんだろうが……。
心の中で毒づき、歯を食いしばる。手足を動かすことは既に諦めた。
両手足を縛られた自分の姿を思い浮かべると、あまりにも間抜けで笑いがこみ上げてきた。口を塞がれたままなので、鼻がフンフン鳴るだけだった。
――カッコ悪すぎんだろ、俺。何が『由機には指一本触れさせねぇ』だよ……。
脳裏に浮かんだ由機の姿は幼い頃のまま。無垢な笑顔が懐かしく……遠い。
――由機……いや、ゆきちゃん。
一しきり笑った後で、涙がこみ上げてきた。
――ゆきちゃん。守ってあげられなくてごめん……。
溢れる涙を止めることができなかった。床に溜まった血に涙と鼻水が混じり合い、異様なニオイになった。
――どうして、こんなことになったんだろう。じいちゃんが今も生きていれば……。
一つだけ過去を変えられるのなら……由機の祖父――機十郎を助け、由機を助けたい。ずっと、そう思って生きてきた。
不良になった自分も、優等生になった由機も。機十郎の死を克服できずにいる、そう思えてならなかった。
長谷川家は父子家庭だった。
亮介の父――康介は東京で大手証券会社に勤めていたが、十五年前に会社を辞めて
康介の妻は東京での安定した生活を捨てることに反対し、それより前に家を出て行った。その為、亮介は物心ついた時から母の記憶がない。
そして康介は農作業や組合関係の付き合いで忙しく、日中は殆ど家にいなかった。
保育園が休みの日は一人で過ごすことの多かった亮介は四歳になった頃、誤って道路の側溝に転落した。
背中から大量に出血し、冷たい水の中で意識を失っていた亮介を発見し助けたのが機十郎だった。
機十郎の的確な応急処置と搬送先の病院で彼から受けた輸血により亮介は一命を取り留め、このことをきっかけに康介は機十郎と知り合った。
機十郎は慣れない土地での暮らしに苦労している康介を助け、農家としての生活が安定するまで惜しみない協力を続けた。
亮介の命を救っただけでなく自分をも助けてくれた機十郎に康介は深く感謝し、また裏表のない機十郎の人柄に親しみを覚え、彼を実の父のように慕った。機十郎は亮介のことも実の孫のようにかわいがり、亮介もまた機十郎を『じいちゃん』と呼び慕った。
保育園では孤立していた亮介も由機とはすぐに打ち解け、二人で本を読んだり歌を唄ったりして毎日、陽が暮れるまで遊んだ。
平日は保育園が終わると宮坂家へ行って由機と遊び、機十郎の作った夕飯を三人で食べた。
由機の通う幼稚園へ上がると、二人で送迎バスに乗るようになった。機十郎は毎日二人の送り迎えをし、三人で夜まで過ごした。まるで、本当の家族のように。
小学校低学年まで続いた、そんな日々。幸せだった日々。しかし、それも機十郎の死によって突然終わりを迎えたのだった。
当時は何が起きたのか全く分からなかった。いつものように宮坂家へ遊びに行くと、言い争う声が聞こえてきた。
日中は殆ど家にいない由機の母――
その翌日、宮坂家を訪れた亮介を迎えたのは暗い表情の由機だった。由機は機十郎がいないこと、しばらくは一緒に遊べないことを告げると、泣きながら玄関のドアを閉めてしまった。
その日、家に帰る途中で見上げた空――血のように真っ赤な夕焼けが、今も忘れられない。
機十郎が死んだと父から聞かされたのは、その三日後だった。
最愛の祖父を失った由機は精神を病み、亮介は半年に渡り彼女との接触を禁じられた。機十郎が死んだ事件を思い出さないようにと、由機の両親と康介が話し合って決めたことだった。
それは亮介にとって最も長く、辛い半年間だった。
子供である自身の無力が情けなく、腹立たしかった。そんな亮介を思って康介は家にいる時間を増やし、空手や農作業を教えるなどして共に過ごした。
亮介は父の気遣いを嬉しく思ったが、失ったものはあまりに大きかった。
康介はその後も収穫した新米を宮坂家に届けるなどしたが、
結果、以前から由機の両親に快く思われていなかった亮介が宮坂家を訪れることはなくなり、由機との関係も疎遠になった。
その後、亮介は非行に走り由機から軽蔑されるまでになった。互いの立場を考えれば、以前の関係に戻ることはもはや不可能だった。
――俺だって……こんな自分になりたいわけじゃなかったのに。
あまりに自分が情けなくて、再び涙が溢れてきた。
――じいちゃん。なんで死んじゃったんだよ。じいちゃん――!
心の中で機十郎を呼んだその時、不意に部屋の外が騒がしくなった。
少年達の悲鳴と、床や壁に激しく身体を叩きつけるような音が聴こえてきた。
――なんだ――?
やがて室外が静かになり、暗闇の中に光が差し込んだ。
眩しさに目をつぶり、ややあって目を開ける。何者かが扉を開け、目の前に立っていた。
「亮介、帰るぞ」
そう言って歩み寄り、手を差し伸べたのは見知らぬ青年だった。
真っ白な髪に赤い瞳の小柄な美男子。日本語を話しているが、その風貌は日本人とは思えなかった。
「遅くなったな」
青年は優しく微笑み、口に巻かれた粘着テープをそっと剥がした。
亮介は会ったこともないはずの青年の笑顔に不思議な懐かしさを覚えると同時に――極度の緊張から解放され、再び気を失った。
G‐TANK!(ゴーストタンク)‐祖父が戦車でやって来る‐ 鳥羽輝人 @toba2
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