第三十話『崩れゆく日常(後編)』
「んぐっ……ひっく……」
傍らで嗚咽を漏らす初美に、そっと肩を寄せる。怯えきった顔に優しく微笑みかけると、初美はそのまま身を預けてきた。
由機はただ、それを受け止めた。手を縛られ口をガムテープで塞がれているのでは、言葉で励ますことも抱き締めることもできない。
「おい! るっせぇんだよ! いつまでも泣いてんじゃねーよ!」
運転席に座る坊主頭の少年が、振り返って怒声を浴びせた。
由機は震えながら泣き続ける初美を庇うようにして、少年を睨みつけた。
「なんだ、てめぇ――」
「おい、やめろって!」
助手席に座る茶髪の少年が声を荒らげると、坊主頭の少年は舌打ちをして再び前を向いた。
やがて茶髪の少年はため息交じりに由機の顔を一瞥すると、自身も前を向いた。
由機は彼らの顔に見覚えがあった。
十日ほど前、楓に叩きのめされた他校の生徒だ。坊主頭の少年の鼻は、楓に受けた肘打ちで曲がったままだった。
「おい、ツトム……ヤバいんじゃねーの? これからどうすんだよ」
「バァカ。今更、何言ってんだよ。ビビってんのか?」
坊主頭の少年――ツトムが鼻で笑う。
「そんなんじゃねーって!」
「おい、アキラ。イヤだって言うんなら、オメーだけ帰れよ。テツヤさんが許してくれんならよ。なぁ?」
ツトムが後部座席を振り返って呼びかけると、由機と初美の後ろに座る二人の少年が笑い声を上げた。
「アキラよぉ、大人の階段上るのに緊張してんの?」
「気合い入れろよ。ここまで来たら、行くとこまで行くしかねーだろうが」
茶髪の少年――アキラは一瞬だけ申し訳なさそうな顔を由機に向けると、再び前を向いた。そして、それ以上口を開こうとはしなかった。
――どうして、こんなことになったんだろう?
由機は他人事のように心の中で呟くと、ここに至る経緯を振り返った。
文芸部の活動を終えた帰り、初美と近くのコンビニエンスストアに向かう途中、目の前に一台のミニバンが現れた。
咄嗟に危険を感じ、初美の手を引いて逃げようとした瞬間、由機はこれまでに感じたことのない激痛とショックを受けてその場に倒れた。
自分の身に何が起きたのかよく分からなかったが、初美の発した悲鳴が事態の重大さを物語っていた。
その後のことは、よく覚えていない。窓ガラスが目張りされて外の様子は窺い知れないが、おそらく人目のつかない場所に連れて来られたのだろう。
抵抗できぬままに口を塞がれ手を縛られても、不思議と取り乱すようなことはなかった。これが初めてではないような感覚があった。
――楓ちゃんがいれば、こんなことにはならなかったのかな――。
そう考えて、大きくかぶりを振る。守られる立場に甘んじる自分が情けなかった。
「……しかしよぉ、金髪が捕まんなかったのはマズイよな」
由機はその言葉にハッとした。
「いいんじゃね? 生徒会長とその……後輩? とにかく、この
「生徒会長の方はカワイイって言うより、キレイって感じだよな。なんつーの、正統派美少女っていうか。最近のアイドルとか、こういう感じの娘いねーよな。にしても、髪サラッサラですっげーキレイだよな。シャンプー、何使ってんだろ?」
「料理とかできそうだよな。なんか、いい奥さんになりそうなタイプ」
いい奥さんになりそう――。力ずくで拉致しておいて何を言っているのか。
舐め回すような下卑た視線に寒気を覚えながら、由機は注意深く少年達の会話に耳を澄ました。
「バァカ! オメーら、何言ってんだよ。テツヤさんが一番『稼げる』って言ってたのは金髪だろ? そいつ連れて来ねーと、ぶっ殺されっぞ!」
会話に割り込んだツトムの言葉に、由機は息を呑んだ。
――『稼げる』――?
「あぁ? どうやって連れて
「そいつに聞けばいいだろが」
ツトムが舌打ち交じりに答えた。
「ったく……そういうことは口ふさぐ前に言えっつーの」
後部座席に座っていた少年が後ろから身を乗り出し、由機の顔に手を伸ばしてきた。
心臓が高鳴る。体温が急激に上昇するのを感じる。恐怖が怒りに、怒りが闘争心に変わってゆく。
――守らなきゃ。楓ちゃんと初美ちゃんを、守らなきゃ――!
由機は深く息を吸うと、静かにその瞬間を待った。
少年の指が口元のガムテープをつまみ、乱暴に引き剥がした瞬間――。
「あッ――?」
由機は目の前の指に思いきり喰らいついた。
「ひッ……! ぎぁぁぁぁぁ!」
間髪入れず、情けない悲鳴を上げる少年の顔に頭突きを見舞う。
「うごぉぉぉッ……!」
手と鼻から血を流して仰け反る少年を肩で突き飛ばすと、入れ替わるようにもう一人の少年が身を乗り出してきた。
「何しやがんだ、てめぇ!」
その手に握られた黒い物体が、バチバチと電火を散らす。スタンガンだ。
瞬時に動きを見切り、シートに倒れ込んで電撃をかわすと、そのままの体勢で腕を蹴り上げる。
「うぇぁぁぁぁぁ!」
関節が砕ける感触の後で、耳をつんざくような悲鳴。肘が不自然に曲がった手からスタンガンが落ちた。
「いッ、痛ぇぇ! 腕ッ……腕がぁぁぁぁ!」
「このアマ! ふざけやがって!」
――私は戦車や大砲と戦ったんだ。お前達なんか、怖いもんか――!
運転席から聞こえる罵声には耳を貸さず、苦痛に歪んだ顔を力いっぱい蹴飛ばす。
「ぶッ……!」
顎に直撃を受け、少年が力を失って昏倒する。由機は自身の手を縛るビニール紐を渾身の力で噛み千切ってほどくと、シートに転がったスタンガンを素早く拾い上げた。
「あっ……? おい、ちょっと待てよ……!」
形勢が逆転し顔面蒼白となったツトムに一瞥をくれると、由機は初美の口を塞ぐガムテープを優しく剥がした。
「初美ちゃん。もう大丈夫よ」
「あっ……あぁ……先輩、先輩っ……!」
涙を流してすがりつく初美の頬を優しく撫でると、笑顔のままスタンガンのボタンを押し、悲鳴を上げるツトムにそれを向けた。
「バ、バカ……やめろって! そんなもん近づけんな!」
「『そんなもん』を女の子に使うような奴が、そんなこと言うんだ」
由機は眉ひとつ動かさず、ツトムに電撃を見舞った。
「うぁぁぁッ……!」
力を失い前のめりに倒れ込むツトムの横で、アキラはただ震えていた。
「あっ、あっ……俺は、その……!」
由機は小さくため息をついた。
「……許してもらえるとでも、思ってるの?」
そしてアキラをも電撃で昏倒させると、初美を抱き起こした。
「初美ちゃん、一緒に帰りましょう。歩けるよね」
「先輩……先輩っ。本当に、本当にありがとうございました。怖かったですぅ……!」
「うぅ……」
背後から聞こえる呻き声。由機はすぐさま振り返り、声の主を電撃で無力化した。
「便利ね、スタンガンって」
「えっ、あっ……はい」
戸惑いつつも返事をする初美に、由機は微笑みかけた。
「私のこと……怖くなっちゃった?」
初美は数秒の沈黙の後、ためらいがちに頷き――困ったように笑った。
「はい、ちょっとだけ。でも……怖い先輩も、かっこいいです」
「ありがとう、初美ちゃん」
由機がドアを開けて初美を外に出すのと同時に、アキラが身体を起こした。
「……まだやる気?」
「ち、ちが……待ってくれよ」
アキラは力の抜けた声で、尚も言葉を続けた。
「あいつ……リョウって、あんたの彼氏なのか?」
「ええっ! 彼氏ぃぃっ?」
初美が、これまで聞いたこともないような大声を上げた。
「……初美ちゃん。ちょっとだけ、静かにしてね」
「でも……先輩に彼氏がいるって、そんなの私……!」
由機は苦笑しながら初美の肩を叩いて宥めると、再びアキラに向き直った。
「リョウって、長谷川君のこと? 彼氏でも友達でもないけれど……彼がどうかしたの?」
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