第二十九話『崩れゆく日常(中編)』

 多くの人が行き交う、駅前のアーケード。

 昼間とは違う喧噪の中を、亮介は一人で歩いていた。

 父の夕食を用意してから出かけた為、指定された時間には間に合いそうもない。

 すれ違いざまに肩をぶつけたサラリーマンが舌打ちして振り返るも、亮介の顔を一目見るなり足早に歩き去った。

 亮介は立ち止まり、ため息をついた。自分の外見は、そんなに恐ろしいというのか。

 『不良』と呼ばれる少年達と付き合い始めたのは小学五年の頃だった。

 少年達の多くは自分と同じ父子家庭や母子家庭、或いは家庭内に問題を抱えていた。

 孤独を感じていた亮介はようやく居場所を見つけたと考え、放課後になると彼らと行動を共にするようになった。


 不良少年達との関係に疑問を覚えたのは、二年前のことだった。

 ある夏の日、亮介は友人達の喧嘩に加勢し、相手グループ全員を叩きのめした。

 幼い頃から農作業の手伝いで身に着けた腕力と父から教わった空手の技が、これほどの猛威を振るうとは思っていなかった。

 それから数日後、亮介は警察に補導された。自分が倒した相手グループから友人達が金品を奪っていたと知ったのは、取り調べの時だった。

 亮介は一方的に事件の主犯とされたが、実際に拳を振るったのは自分だからと一切の異議を唱えなかった。

 それを知った友人達は亮介を都合の良い存在と考え、喧嘩請負人として重宝するようになった。

 友情を盾に喧嘩や対立グループとの抗争に何度も参戦させられるうちに、亮介はこの関係に嫌気が差していった。

 そして、小学校からの友人達が事件を起こし少年院に入ると、亮介は彼らと距離を置く方法を具体的に考え始めた。

 必死に勉強して県内上位の進学校である安永あんえい高校に入学したのも、幼馴染の由機と同じ学校に通うことだけが目的ではない。

 ――ゆきちゃん。おおきくなったら、ぼくとけっこんしよう――。

 幼い頃の言葉――これまでの人生で最大の勇気を要した言葉が、脳裏に蘇る。

 結婚することは無理だとして、また昔のように話せる日が来るだろうか。

 今さら由機と恋人になりたいとは思わない。そもそも、今の優等生然とした由機は好きになれない。 それでも近くにいたいと感じるのは、八歳までは由機が一番の親友だったからだろう。

 楽しかった頃の記憶。由機が自分の近くにいた頃の記憶。物にあまり執着しない自分にとって、おそらくこれが宝物なのだろう。

 それからの自分を呪い、今の自分をも呪いながら、亮介はアーケードを後にした。


「おっせーぞ、リョウ」

「……すいません」

 煙草をふかしながらソファにふんぞり返る青年に、亮介は憮然とした態度で詫びた。

「おい! 態度りぃぞ、リョウ!」

 青年を取り巻く少年の一人が声を荒らげた。つい先ほど通学路で言葉を交わした、茶髪の少年だ。一緒に居た坊主頭の少年が、その隣でこちらを睨み付けていた。

「……あ?」

 振り向いて一瞥すると、二人とも気まずそうに目を逸らす。「虎の威を借る狐」とはこれか、と亮介は心の中でため息をついた。

「ハッ。なぁにキレてんだよ、リョウ。こっち来いよ」

 短くなった煙草を灰皿に押し付けながら、青年が手招きをした。

「あ、はい」

 靴を脱ぎ、煙が充満する室内に足を踏み入れる。窓際のソファに座る青年を中心にして、十人ほどの少年がたむろしていた。制服を着崩した少年達は煙草やポケットベルを手にしながら、ソファや床にだらしなく座っていた。

 仲間内では『テツヤさん』と呼ばれる青年の住むマンション。

 青年は数年前に市内の高校を中退し、今では不良少年の取りまとめ役のような立場にある。

 髪を金色に染め、革のパンツを履き、シルバーのアクセサリーを身に着けたこの青年――テツヤを、亮介は心の中で軽蔑していた。

 働きもせず親の金で一人暮らしをし、舎弟を従えて王様気取り。暴力団の幹部と親しいことが自慢で、「喧嘩で誰にも負けたことが無い」と自称しているが、周りはともかく亮介はその言葉を信じていない。

 自分以外の仲間が何故このような青年を慕っているのか、理解できなかった。

「おい、リョウ。こいつらがボコられたって知ってんだろ?」

「いえ、知りませんでしたけど」

 亮介の返答にテツヤが苦笑する。茶髪と坊主頭を除いた取り巻きの少年達が声を上げて笑い出した。

「おいおい! 冷たくねぇ?」

「イエ、シリマセンデシタケドォ……とか言ってよぉ!」

 目の前で笑い声を上げる少年達を前に、亮介はため息をついた。

 自分は何故、こんなバカ共と一緒にいるんだろう。敬意どころか好意すら持てない相手と顔を合わせることは苦痛でしかない。

 交友関係を見直すよう父に言われた時は、つい反発してしまったが……。

「おい、リョウ。聞いてんのか?」

 テツヤの声が亮介の意識を現実に引き戻した。

「あっ……えーと。何の話でしたっけ」

「ったく……ま、いいや。座れよ、ホラ」

 手で促され、近くのソファに腰を下ろす。亮介が座るのを待って、テツヤは口を開いた。

「こいつらボコッたの、女らしいんだよ。笑えんだろぉ?」

「……はぁ」

 亮介が気のない返事をするのも構わず、テツヤは言葉を続けた。

「お前の学校にさ、金髪のスッゲェかわいいが転校して来たらしいじゃん? そいつにやられたんだってよ。バッカだよなぁ、ナンパしようとして……」

 亮介はテツヤの話を右から左に聞き流した。

 何の為に自分を呼んだのか――。亮介があくびを噛み殺そうとした時だった。

「……で、安永あんえいの生徒会長が、そいつと一緒だったんだとよ」

 亮介の表情が変わったのをテツヤは見逃さなかった。

「そいつさぁ。お前と中学、同じだったよな」

「……俺、話もしたことないですよ」

 テツヤがにわかに口元を歪めた。

「じゃ、友達でも何でもないんだよなァ?」

「何が言いたいんですか?」

 テツヤは強張る亮介の顔から目を離すことなく、取り出した煙草に火をつけた。

「俺としちゃ、かわいい後輩をボコられて黙っちゃいられねぇんだよ。そいつらによ、キチッと侘び入れさせてやりてぇと思うだろ?」

 亮介の背筋に悪寒が走った。

「俺に……何しろって言うんですか」

「……あぁ?」

 テツヤの顔から笑みが消えた。

「ナメてんのか、オラァッ!」

 テツヤは人が変わったように目を剥いて怒声を浴びせると、分厚いガラスの灰皿を思い切り投げつけた。

「話、聞いてんのかよテメェ? 侘び入れさせるって言ってんだろうが! それくらい理解しろよ。テメェがそいつら連れて来んだよ。俺の前で土下座させんだよ! テメェもたまには仲間らしいとこ見せたらどうなんだよ! あぁぁ?」

 避けた灰皿が壁にぶつかり床に転がる音を背に、亮介はテツヤの目を正面から見据えた。

「ンだよ、その目は。文句あンのか、あぁ?」

 テツヤが目配せすると、取り巻きの少年達が一斉に立ち上がった。何人かは折り畳みナイフや警棒を手にしていた。

「……最初から、このつもりだったのか」

「ハッ……こいつら、お前のことがムカつくんだと。なぁ?」

 テツヤに話を振られた茶髪の少年が、ナイフをちらつかせながら鼻で笑う。

「おい、リョウ。いつまでも調子こいてんじゃねぇぞ。自分だけ安永なんか通ってるからって、俺達のことバカにしてんだろ? 大体、てめぇは一緒にいても面白くねぇんだよ。酒も煙草もやらねぇ、女の話にも乗ってこねぇって、マジメ君か? ダッセェんだよ」

 同調するように、取り囲む面々から笑い声が上がる。

 罵声と嘲笑を浴びせられても、亮介は全く動じなかった。

「そのダッセェ奴に何度も守ってもらったのは、どこのどいつだ? 自分らは喧嘩をふっかけるだけで殴り合いは他人任せとか、恥ずかしくねぇのかよ。でかい口、叩くのは俺より強くなってからにしたらどうなんだ」

「ンだと、てめぇ……! いい加減にしろよ、コラァ! テツヤさん……こいつ、殺しちまっていいっスか?」

「まあ、待てって」

 テツヤは少年を手で制すと、下卑た笑いを浮かべた。

「おい、リョウ。俺の言う通りにすりゃ、許してやってもいいんだぞ? 俺さ、ビジネス始めようと思ってんだよ。それに協力するなら、この件はチャラだ。それだけじゃねぇ、イイ思いさせてやっからよ」

「……ビジネス?」

「おう。いわゆる人材派遣業ってやつ。かわいい女の子をスカウトして、いろんな所に紹介すんだよ」

 亮介は思わず息を呑んだ。テツヤの表情は、冗談を言う時のそれではなかった。

「んで、その第一弾が例の達ってわけよ。現役女子高生、しかも金髪巨乳に清楚な生徒会長とか、マジで――」

「ふざけんじゃねぇ!」

 亮介は大きく肩で息をしながらテツヤを睨み付けた。

「……ぶっ殺す。由機には指一本、触れさせねぇ!」

「ぷッ……はははははッ!」

 テツヤが声を上げて笑った。取り巻きがそれにつられ、室内は笑いの渦に包まれた。

「おい、聞いた? 『ゆきには指一本触れさせねぇー』だってよ! 寒いわー!」

「何、コイツ! かっこいいとでも思ってんの? マジ笑えんだけど!」

 亮介は嘲笑と罵倒に晒されながらも微動だにせず、テツヤから視線を外さなかった。

「……バカじゃねぇのか? ヒーロー気取りかよ、テメェ」

 そう言ってテツヤがテーブルに手を着いた瞬間、亮介の足が床を蹴った。

「えッ――」

 声を発するより早く、テツヤの視界は亮介の膝に覆い隠されていた。

 瞬時に繰り出された膝蹴りに顔面を潰され、ソファごと後ろにひっくり返る。もんどりうってフローリングの床に身体を打ちつけ、辺りに大量の鼻血を撒き散らした。

「……あぅ……」

 身体を起こそうと床に手を着くも、血のぬめりで掌が滑り起き上がれない。

 亮介はその隙を逃さず、鋭い蹴りを腹部に叩き込んだ。

「ゴボッ……あがッ……」

 激痛と脱力感に悶え苦しむテツヤの髪を掴み、血まみれの顔を容赦なく床に叩きつけると――テツヤは動かなくなった。

「テ……テツヤ、さん……?」

 取り巻きの少年達は亮介が背を向けているにもかかわらず、誰一人として動こうとしなかった。恐怖で全く動けずにいた。

 暴力の宴の主賓ゲスト陪賓ホストが入れ替わった現実を、受け止められないでいた。

「……おい、お前ら」

 背を向けたままの呼びかけに、少年達が同時に身体を震わせる。

「そうやって見てるだけか。キンタマついてんのか、あぁ?」

 罵声と共に振り返り、居並ぶ全員を威嚇する。

 思った通り、少年達は凶器を手に震えるばかりでその場を一歩も動かない。

 雑魚には目もくれずリーダーを一方的に叩きのめし、自身の力を誇示する――。亮介が編み出した集団戦での必勝法だった。

「あっ……てめぇ――!」

「あぁっ?」

 声を上げた坊主頭を一喝すると、室内は再び静かになった。

「一人じゃ喧嘩もできねぇ腰抜け共が! 今日限りでお前らとは絶交だ。言っとくが、もしも由機やその仲間に手ぇ出しやがったら、一人残らずぶっ殺すからな。それだけは忘れんなよ!」

 うまくいった――。

 亮介は内心、安堵していた。一対一で戦えば負けるはずのない相手とはいえ、これだけの人数――しかも凶器を持った敵に勝てるとは思っていない。

 テツヤを倒して取り巻きの戦意を挫くことが、一か八かの賭けだった。

「どけよ、役立たず共。さっき言ったことは、そこで転がってるクズにも言っておけよ」

 そう言って、足を踏み出した時だった。

 ぐちゃり、と血まみれの床に手を着く音が聞こえた。

 舌打ちをして、駄目押しの一撃を加えようと振り返った亮介の脛に、何かが触れた。

「…………!」

 気付いた時には、既に遅かった。

 バチバチと何かが弾けるような音と共に、足から全身に突き抜けるような激痛とショックが襲い――たまらず前のめりに倒れ込む。

「ぐぁぁ……ッ!」

 血だまりに顔を浸して悶絶する亮介の視界に、テツヤの足が映り込んだ。

「ナメてんじゃねぇぞ、このガキが……! 黙って聞いてりゃ、調子ン乗りやがってよぉ!」

 顔と衣服を赤黒い血で汚したテツヤの手にあったものは――スタンガンだった。

「て……てめぇ……」

 必死に声を振り絞り敵意を示すも、身体が全く言うことを聞かない。

「死ね、オラァッ!」

 動くこともままならず、顔面を蹴り上げられる。

「うッ……がは……ッ!」

 仰向けに転がった亮介の腹を、テツヤは何度も踏みつけた。

「死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! このガキがぁぁ!」

 激痛に耐え、なんとか体勢を整えようとすると、再び足に電火が触れた。

「おぁぁぁッ……!」

 一切の抵抗を許されず、なす術もなく蹴られ続けてなお、亮介は反撃の機会を窺っていた。

 亮介の表情から未だ戦意が衰えないことを悟ったテツヤは、駄目押しの電撃を見舞った。

「うぁぁ……!」

 テツヤは呻き声を上げる亮介の顔を踏みつけると、凄絶な光景を前に色を失った取り巻きの少年達に視線を送った。

「おい、お前ら。何、ボサッと見てやがんだ。お前らもやれよ」

 テツヤが見せた狂気の笑みに少年達は一瞬、気圧されたが、やがて無言で亮介の周りに群がり、暴行に加わった。

 一転して暴力の宴の主賓ゲストとなった亮介は激しい殴打の中、意識を失った――。

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