『X』 S.S
「……」
周囲から、音の一切が消えるのを純也は感じる。
手にした携帯ゲーム機から、消音していないミュージックサウンドだけが流れてきた。
「こんにちは。この前はどうも」
純也は声をかけた。
少女は黙って手元を見つめたままだ。相変わらず反応に乏しい。
「…………」
俯いて、無言でゲームを遊ぶ。しかし腰かけていたベンチは中央の方に寄っていて、なんとなく「空いてる隣に座って」と促している気もした。
「すぐそこに自販機あるんだけどさ。君、なにか飲みたい物ある?」
「炭酸以外。カフェインもやだ」
「わかった。たしか苺ミルクがあったかな。それでいいかな?」
「いい」
少女は俯いたまま言った。純也は誰もいない昼休みの中を歩く。自販機で缶コーヒーとジュースを買って、少女の隣に座った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「この場所、でいいのかな。今は時間が進んでないんだよね」
「……止まっているわけじゃないよ。時間は動いたり、止まったりはしない……」
ゴスロリ服の少女が、ストローをぷすっと刺しながら口にする。
「それは人の主観。私たちは、通常の認識から、一歩踏み外れてたところに留まっているだけ」
「そっか。難しいことはわからないけどさ、俺が今、ここに居ることには問題ないのかな。先輩と別れないで済めばいいんだけど」
「……ちゃんと、小野千紗の隣には返す。問題ない」
少女はゲーム画面を覗き込んだまま告げる。純也も何気なくそっちを見た。
「君が遊んでるゲーム、どらはんだよね」
「うん。知ってる?」
「もちろん。君もずいぶん上手いね。今なに装備してるの?」
「……全身カオスナーガ」
「すごいな。最高レアだ。あれって隠しクエストの、最終ミッションにでてくる奴だろ? やり込んでるね」
「あれは前作で修正入ったよ。今やってるのは、ダウンロードコンテンツで、過去の復刻クエスト。装備のレアリティもだいぶ下がって、弱くなった」
「復刻クエスト? いや、カオスナーガって、今作にでたばっかの竜だったはず……あれ、君が持ってる本体の形、ちょっと違わないか?」
「この中間点では発売されてない新機種だから。でもこれも、私の体感時間では、すでに懐かしいと呼ばれる旧機種になっている」
「……そうか」
純也も缶のプルタブを開き、一口飲んでから少女に聞いた。
「君はやっぱり、この未来から来たんだな」
「解答。小野千紗の発言を受けて、その可能性に至り、信じる気になった?」
「それは俺の意見が正しいってこと?」
「…………返答なし」
ぴこぴこ。カチャカチャと、レバーを軽快に操作する。
「志賀純也の信じるものが、志賀純也の解になる」
「わかった。そういう事にしておこう。時の調停者は未来からきた」
コーヒーを軽く含み、覚めた頭で予測する。
「時の調停者は、なんらかの目的があって、俺と小野先輩に接触した。目的の一つは、俺たちに、あの事故から逃げるなと忠告に来たことだ。調停者には予め結果が分かっていた。あの事故から逃げていたら、たぶん、俺は別の形で死んでいた。けれど、結果そのものを伝えることは、調停者側の理由によってできなかった――と、そんな感じに解釈しておくよ。ありがとうな」
「…………」
少女の操作するキャラクターが、手にした大剣を振り上げた。運命を断ち切るように、漆黒の竜に向かって振り下ろす。猛き咆哮があがる。
「確かに、あんまり強くないね」
「弱いよ。雑魚」
純也の知る、元ゲームの最強裏ボスキャラを、少女はあっさり倒してしまった。ひとつのクエストが終わって、キャラクターが『ギルド』と呼ばれる場所に帰ってくる。
「そういえば、まだ君の名前を聞いてなかったね」
「…………」
「教えてもらえるかな。俺は」
「志賀純也」
「そう。君は?」
「…………返答なし」
カチャカチャと、ゲームのキャラクターを操作する。顔を、あるいは視線をまったく合わせようとしない少女の態度に、不思議な感情が芽生えた。
「君は、ゲーム好きなの?」
「……好き、では、ある、けど……」
相手と顔を合わせない。前髪で顔を、あるいは〝視線を〟覆い隠す。ゲームばかりしている。話はできる。本名は告げず、奇妙な異名のみを口にする。
(この子は、もしかするとなにか、伝えたいことがあるんじゃないか?)
純也は少女が持つ特徴に、なんらかの理由、共通点があるような気がしていた。何気なく、少女の手元に目を向ける。
「ん、なにやってるの?」
「…………」
画面に映るキャラクターが、他には誰もいないギルドで、手を振ったり、飛び跳ねたり、肩を回したりしていた。
システム上で用意された、コミュニケーションを取るアクションを行っているらしい。なにをしているのかと、もう少し画面の方に注意を向けると、キャラクターの頭上に浮かぶ、ローマ字のキャラクターネームが目に留まった。
『Shiga_Sayaka』
「し……」
「返答なし」
つい読み上げようとしたところで、少女がさえぎった。ほんのわずかに視線が重なると、ぷいっと勢いよくそらされた。
「そ、そうか。へぇ……」
ひとつの可能性に思いあたる。もう一口缶コーヒーを含んだ。これ以上、歩み寄っていいのか、距離を取るべきなのか判断に困る。
「さや、じゃない、調停者」
「……なに?」
「その、君は人の顔に〝数字〟が見えるかい?」
「質問の意図が不明瞭。および、こちらからの応答なし」
「君から答える気はない。あるいは、答えられない、口止めされているってところかな」
「志賀純也の信じるものが、志賀純也の解になる」
どこまでも、少女は俯いて言った。ゲームのキャラクターは、ギルドの部屋で一人、ぐるりと大きな輪を描いて走る。
――「○」。
「じゃあ、これは俺の独り言。〝三以上の数字〟って見たことあるかい?」
「………………」
やはり少女は面をあげない。沈黙を守り、ゲームのキャラクターが動きまわった。
――「○」。
「…………」
「…………」
純也はしばし言葉を失った。同じように沈黙した。
「そう、か」
ぎりっと歯を食いしばる。胸が痛んだ。
「もうひとつ、独り言。〝数字〟が見える〝人たち〟を、不幸だと思うかい?」
「…………」
――「○」。
純也は事故に遭遇する前に、かつてこの少女が言っていたことを思いだした。
――私が望むのは、志賀純也が〝不幸を最小限に抑えた未来〟である。
――もし、不幸を最小限に抑えたら〝私はもう一度現れる〟。
(俺と同じ〝数字〟を、いや、もっと〝広範囲の未来〟を、君は見てるのか)
千紗の本当の力、そして発動の条件を知ってから、純也は自分が持っている力を、誤解している可能性に思いあたっていた。
(……俺は〝人の余命〟が見えるんじゃない。正確には、その人が亡くなる三週間前という条件付きで、その範囲にだけ〝未来〟が見えていたんじゃないか)
推測が正しければ、この少女もまた、純也と同じように〝特定の未来〟が見える。しかし彼女が見ている範囲は、そうした限定的な条件がもっと緩く、さらに広範囲に渡っているのだ。
(それこそ〝相手の顔を窺えば、人生のすべてが見える〟)
ある人の死を、三週間はやく感知できる。それだけで、純也は自分の生き方を変えた。少女はこれに加え〝千紗の能力〟も併せて持っている。
(先輩も、この世界がずっと、色あせて見えていたって……)
現在から過去へ自らを移動させる力。のみならず、このゴスロリ少女は、現在へと帰還し、未来へも移動できるのだ。
(双方向の時間転移能力。そして、他者の終わりを知る、未来視を所持した能力者)
異常。正しく異端だった。並ぶ者のいない、無類の〝力〟を秘めている。
(だけど俺たちは知っている。そんなものがあったところで、ありふれた現実を生きていくことに、余計でしかないんだって)
他者と違いすぎることは、特別じゃない。
それは『孤独』だ。誰にも理解されない『不幸』に過ぎない。
強い罪悪感が、心を埋めつくしていく。父親が死んだ時と、同じ気持ちがわきあがる。
「俺が生き残ったから……君が……」
缶をにぎりしめて呟いた。すると『Shiga_Sayaka』が、ぴょん、ぴょん、飛び跳ねた。
純也の注意を引いたのを確認すると、ゲームのキャラクターは、ギルドルームの端に移動した。そこから対角線に向かってまっすぐ走りぬける。壁にぶつかると、今度は別の壁に向かい、同じようにまっすぐ走った。
――「×」。
『Shiga_Sayaka』は、アクションコマンドの一覧を開き、言葉を選択した。
『――ありがとう――うれしい――すき――』
キャラクターが頭を下げる。また『うれしい』を選択して、飛びはねて喜ぶ。そのあとに手を唇にそえて投げキッスする。コミカルな動作を見て、純也は笑った。
「……俺の方こそ、ありがとう」
『うれしい』
会えてよかった。貴方に会えて、嬉しかった。
『ごめん』
だけど、もう時間がないの。
『急ぐ』
帰らなきゃ。
『手を振る』
さよなら、お父さん。
「待って。もう少しだけ、待ってくれ」
『○』
女の子は携帯ゲーム機をスリープモードにして、ポシェットの中に片付けた。相変わらず俯いたまま、じっと動かない。
「えっと、その……」
なにを言えばいいのか分からない。純也が言葉を探しあぐねていると、少女の方が、三本の指をたてた。
『3』秒か、『30秒』か、『3分』か。
いずれにせよ、もう時間はない。という意志表示だった。純也は珍しくあせり、とっさに浮かんだ言葉を口にした。
「頭を、なでさせてもらえないかな」
「…………」
少女は黙ったまま。代わりに指を使って、今度は自ら、ハートマークを作った。
「なるほど、君は照れると言葉が減るんだな」
「て、照れてないっ!」
顔を隠した長い前髪の下で、その顔が朱に染まる。ぷいっと顔をそらす仕草が、彼女のものとよく似ていた。
「じゃあ、なでさせてもらうよ」
「う、うん」
手を伸ばして、少女の黒髪に触れる。「ぴゃ!」と小さな悲鳴があがって、ぎゅっと肩をすぼめた。けれどそのままなでていると、ぎこちなく、純也の方に身体をよせてきた。
「……あなたと、話がしたかった、の」
「すこしだけ、顔を見せてもらっていいかな」
「うん」
面をあげる。形の良い顔の、縁まで伸びた前髪を指で払う。
現れた面影には、確かに純也の運命を変えた、恋人のものが重なった。
「……ぎゅ」
「え?」
少女が全身を寄せて、純也の胸に飛び込んだ。
「ぎゅって、するの。はやくっ、時間ないのっ!」
顔をぐりぐりして要求する。ハグハグせよ。
「あー、よし。わかった」
覚悟を決めて、空いた両腕を小さな背に回す。抱きしめた。
「……あたたかい」
「あたたかいな」
抱きしめた。自分だけが知っていたつもりの人の不幸。それをより強くしたものを、この小さな身体に引き継がせてしまったことを、謝罪しようと思ったが、
「この世には、正義も悪もない」
父の言葉を先んじるように、少女は言った。
「私のお母さんが〝いつだったか〟言っていた」
純也の胸に顔を埋めたまま、おでこを軽くぶつけてくる。
「だから、謝るのは違う。誰も悪くない。世界は今日も明日へ向かう。真実は、ひとつだけ」
「そうか……」
純也は心に痛みを抱えたまま、深い愛情をもって、もう一度少女の頭をなでた。
「君は強いな」
「うん。最強無敵のチートだよ」
「やばいな」
「やばいよ。だから、大丈夫なの。私はこれからも、生きていく」
たっぷり〝すりすり〟しながら、えへへ、と笑った。
「……時間きちゃった。バイバイ。志賀純也」
「あぁ。またな、志賀なんとかさん」
異世界との邂逅が終わる。
――ガシャ、コン。
切り離された世界が、日常に繋がる音がした。
「……」
純也は自販機の前で屈んでいた。でてきた缶コーヒーと、苺ミルクを拾いあげる。さっきまで座っていたはずの中庭のベンチを振りかえると、知らない男女の生徒が二人、談笑しながら昼食をとっていた。腕時計を見たが、時間はまったく進んでいない。
「戻ろう」
純也は歩きだす。これから先は生き方が変わる。
今までよりも、数多くの〝数字〟を目にする。それでも、
(俺より小さな子があんな事を言うんじゃ、泣き言もでないよな)
明日に向かって進んでいく。後戻りはせず、立ち止まらずに生きていく。
(生きている限り、俺は誰かを不幸にする。わかっていても、生きていたい)
強い情熱が咲いていた。
これから暑さを増していく太陽を見上げる。長く伸びた影は色濃く伸びる。
今後も絶えず付きまとう死の気配を感じながら、純也は彼女が待つ場所へ戻っていった。
君の顔色を窺って、生きていく。 秋雨あきら @shimaris515
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