猿の森の満開の下(下)
効果は劇的だった。
符が枝ごと、まるでロケットのように空にすっ飛ぶ。
嘴すれすれに符が掠めたことで、驚いた怪鳥は慌てて向きを変えて空に飛び上がった。
だけど、符が次の効果を発揮する方が早い。
火薬の弾けるみたいな気持ちの良い破裂音とともに、空には巨大で美しい炎の花が、七色の光を煌めかせながら舞い散った。
そう、気が付けば黄昏すらも終わりに近付き、橙色から藍色に移り変わる空を背景に一番星が煌めく時間になっていたのだ。
「たーまやー」
慌てて逃げ出す怪鳥の物悲しげな鳴き声を聞きながら、キラキラと零れ落ちては消えていく光の粒を私は眺める。逃げ惑っていた猿たちも、呆然と空を見上げていた。
爆発四散して死ぬなんてまっぴら御免だけれど、いつか私がこの世界を去る時にこんな綺麗な光の花を眺めることができるなら、それはそれで贅沢な話なのかも知れない。
「花火のもとにて夏死なん、なんつってね」
これでひとまず脅威は去ったのだろう。
あの怪鳥が鳥目かどうかは知らないけれど、空から獲物を探そうとしても夜の闇に紛れてしまえばそれも難しいに違いない。
まあ、私自身この山から下りるのが難しくなってしまったけれど、命の恩人として一晩くらいなら快くこの猿たちもここに泊めてくれるだろう。
さてでは寝床をどうしようかと周囲を見回していると、突如後頭部に強い衝撃を受けて、私は地面に突っ伏した。後頭部を押さえ「頭がぁ頭がぁ」とのたうち回る。だけど別に頭が悪い訳ではない。
よもや第三の敵が現れたかと、うっすらと目を開けて確認すると、そこにいたのは最強の敵――飾り杖を手に、絶対零度の眼差しでこちらを見下ろす神官長の姿だった。
「神官長っ!?」
私は驚きと、ほんの少しの喜びをもって声を上げ、そして身を起こそうとする。しかしそれよりも早く、私は顔面を神官長に踏まれ再び地面にカムバックした。
「いったい、どういう理由があって、お前がこんなところにいるのか、納得のいく説明をしてもらおうか」
普段より句読点多めの喋り方は、一切感情の高振りを感じさせない。
けれど、私は知っている。これは神官長が心底怒っている時の喋り方だ。
神官長の靴の裏で視界が遮られているけれど、もしかすると薄らと笑みすら浮かべているのかも知れない。な、なんて恐ろしい……!
「どうした? 言えないのか?」
ぐりっと靴底で踏みにじられる。
それは上級者向けのご褒美ですから! 私にはまだ理解できない境地の話です! とりあえず、鼻がもげしまうから許してえぇぇ。
「神官長だって、いったいどこに行っていたのさ」
どうにか足をどけてもらうことに成功し、私は身を起こしてふうっと息を吐く。
神官長が部屋にさえいれば、あの猿たちだって私のおまんじゅうを盗まず、結果私がこんなところに来る必要はなかったはずだ。
それを言われると弱いのか、神官長は僅かに視線を逸らしてばつが悪そうに答える。
「あの温泉街には、猿の仕業に見せかけた空き巣がいてな。たまたまその仕事現場に居合わせてしまった為、仕方なく駐在の元に引き渡しに行っていた」
なるほど、それではあの部屋の荒れ様は猿が暴れたからではなく、空き巣の物色跡だったという訳か。確かにまんじゅうは分かりやすいところに置いてあった為、食べ物目当ての猿にはそれ以上部屋を荒らす理由はない。
それにしても、神官長がいるのに気付かず泥棒に入るとはその空き巣もついていない。きっと世にも恐ろしい目にあったことだろうと、思わず合掌する。
「部屋に戻ればお前の服や入浴道具だけが落ちているし、それどころか山の中から万が一に備えて渡した自爆符が発動するのが見えるし。何があったのかと思ったぞ」
神官長はそこで深々と息を吐く。
どうやらかなり心配を掛けてしまったようで、私は謝ろうと口を開くが、それよりも先に神官長の指が私の頬を抓り上げた。
「いいかっ、どれだけ伝説的な死に様を晒そうと、それを見て後世に伝える人間がいなければなんの意味もないんだ! こんなところで符を発動して死んだとしても、まったくの無駄死になんだからな! 分かったか!」
分かりました! 分かりましたけど、神官長!
そう言う意味での心配だったとしたら、さすがに涙がちょちょ切れそうです!
私は両頬を捻り上げられた所為で、うーうーと唸りながら、せめてテレパシーでこの想いを伝えようと頑張った。
「そう言えば、神官長。ここの猿たち、ものすごくお腹が空いてるみたいなの。温泉街を襲ったのも、その所為だと思うんだけど……」
「まあ、順当な線だろうな。人間の方も、かなり万全に対策をとっている筈だ。それをかい潜ってなおやってくるとなれば、生き死にに直結する逼迫した理由があってしかるべきだろうな」
だけど、やはり問題はどうして猿の食べ物がなくなったかである。神官長もその理由までは思い当たらないようだった。
「ここの猿も可哀想だよね。ご飯は食べられないは、巨大な鳥には教われるは、踏んだり蹴ったりだ」
「巨大な鳥……? ロック鳥のことか?」
「あ、やっぱりロック鳥なんだ」
巨大鳥と言えば、ロック鳥かサンダーバードかジャイアント・モアくらいしか知らないけれど。
まあ、建築様式が和風でもこの国は日本じゃないし、さらに言えば地球でもないから何が出て来ても不思議ではない。
神官長の説明によるとロック鳥は魔物の一種ではあるものの、人間に敵意を持っていない数少ない種であるため、この近辺では特に討伐もされず繁殖しているらしい。
「だが、不思議だな。この地域のロック鳥は、雑食ではあるが大型のほ乳類は捕食対象から外れていた筈だ。……そちらにも、何かあったのか」
少し考えていた神官長は、ひとつ頷くとロック鳥の向かった先を私に尋ねる。夕闇の中でロック鳥が飛び去った方向を指差すと、神官長はすたすたとそちらに向かって歩き出した。私はそれを慌てて追い掛ける。
「別に少し様子を見てくるだけで、すぐに戻るぞ」
「じゃあ、別について行っても構わないでしょ」
いや、正直こんな山中に猿といっしょに放置される方が怖いですから。
※ ※ ※ ※
「大型温泉施設の建設を中断しろ、ということですか?」
「その通りです」
温泉街の温泉組合長や、その他諸々の責任者を前に神官長ははっきりと頷いた。
「いや、しかしですね……あの施設は温泉街の命運を賭けたものでして。新たな源泉までの掘削も完了し、順調に温泉も汲み上がっています。ここまで来るのに大変な費用が」
「なにも建設自体を取りやめろ、と言う話ではありません。そうですね……、三か月から長くても半年ほど余裕を見れば充分でしょう」
蒼褪めた組合長さんに、神官長はさらにそのあいだは温泉の組み上げも停止するようにと付け加える。その間の補償もある程度は融資できると言い足しもしたけれど、温泉地の人々は納得していないようだった。
神官長は淡々と話しているだけなんだけれど、むしろそれがインテリ系悪徳金融業者とそれに騙されて借金のかたに権利をはく奪された地域の人たちの図、のようにも見えなくもない。
ちなみに私は神官長の斜め後ろで、深々とフードを被ったままちょこんと控えていた、例によって一言も口をきくなと厳しく言いつけられている。
これを破ると神官長から物理的にお口にチャックを取り付けられてしまいかねないので、なかなか緊張が隠せなかったりもする。
「この地の災いは、新しい源泉の掘削により地脈が途切れたことに、土地神様がお怒りになったのが原因です。ですが、温泉地に招かれたことへの礼として、こちらにいらっしゃいます疫病の女神様が話を付けて下さいました」
はい、ちょっと待ったぁぁぁっ!
おもわずフードをかなぐり捨てて突っ込みたくなる。
知らないよ、私。土地神様なんて、会ったこともなければ見たこともないよ?
「三か月ほど時間をおけば、新しい地脈も安定するでしょう。温泉施設の建設は、それを待ってからが望ましいです。――それとも、この先もずっと災いに脅かされ続けるのを選びますか?」
ブリザードもかくやという絶対零度の視線に晒され、気炎を上げて反対していた人々もしおしおと意気消沈していく。
その姿は実に憐みをさそうけれど、その原因が偏に私のわがままである為に、私は黙って神官長の陰にこそこそと隠れるのだった。
山の中にぽっかりと空間ができあがっていた。
木々はなぎ倒され、重機で掘り返したかのように土が露出している。その中心には、まるで子供が砂遊びをしたかのようにこんもりと土の山が出来上がっていた。
「あ、神官長! あれ!」
土山の上には、あの怪鳥がどっしりと座り込み、こちらに気付くと甲高い鳴き声を上げて威嚇を始めた。
良く見るとその土山の中には何かが埋まっているようで、鮮やかな色がちらりと覗いている。
「あれって卵じゃない? あの鳥は卵を守っているのかな」
「そうだな、ここがロック鳥の巣のようだ。しかし、様子がおかしいな」
神官長はしゃがみこむと、掘り返されて土が露出した地面を軽く掘って、手のひらを当てる。
「あの形態は、地熱で卵を暖めるタイプの巣だ。しかしこんなに地面が冷え切っていては、逆に卵が死んでしまうぞ」
「だからああやって、自分の体で暖めてるのかな」
こちらを威嚇する鳴き声は喧しいが、あのふわふわの羽毛は確かに暖かそうである。
神官長はふむ、と小さく唸って頷いた。
「なるほど。猿の食糧が不足し、かつロック鳥から襲われている理由はこれだな」
「へ? どういうこと?」
私は首を傾げる。
「本来あのロック鳥は卵を、地熱を利用して孵化させる方法をとっていた。だが、何らかの理由から地熱は卵を孵すのに必要な温度に満たなくなり、ロック鳥自身が抱卵して温めざるを得なくなったんだ」
「でも、それがどうして、猿の食糧不足に関係するの?」
「お前の頭は鳥以下か? 考えてみろ。抱卵するということは、長く巣から離れられないという事だ。ロック鳥は餌を求めて遠出することができず、この付近の餌になるものをすべて食い尽くしてしまった」
あれだけの巨体を維持する為の餌となると、かなりの量が必要となるだろう。
そうなると、縄張りを近接する猿もまた餌となるものを奪われ、それでも飢え続けるロック鳥はこれまで捕食対象ではなかった猿すら襲うようになる。
それが、温泉街で起こる猿害の原因だったのだ。
「なるほど。でも、大本の原因が地熱が下がったことなら、すぐに解決させるのは難しいなぁ」
自然現象が要因ならば、人間にできることは限られてくる。そもそもどうして地熱が下がってしまったのかも、謎なのだ。
しかしそこまで考えたところで、私の灰色の脳細胞がピーンと光った。
「神官長。確かこの温泉街って、上流に新しい温泉施設を建設してるって言っていたよね」
「そうだったな」
「もし、新しく源泉を掘って大量の温泉水を汲み上げたことで、温泉の水脈の流れが変わってしまったとかないかな」
私の言葉に、神官長は顎を手で擦りながら頷く。
「そうだな。ここら一帯を温めていたのが、地表付近まで上がっていた熱い地下水脈の支流で、急激に水量が減ったことにより支流の一部が枯れてしまったと考えることもできなくはないな」
神官長のお墨付きを貰えたことで、私は目を輝かせる。
「じゃあ、温泉施設建設を中断して貰えば、問題は解決するよね!」
「それはどうだろうな」
あっさりと否定の言葉を返され、私はがくっとつんのめる。
「ええ~、そんな~」
「そう簡単に話が進む訳がないだろう」
源泉の掘削には莫大な金銭が必要になるのだと、神官長は言う。
「どこかから借財しているのか、貯金をはたいたのかどうかは知らないが、どちらにしても支払いや返済の計画も考えないといけない。もし温泉施設の始動が遅くなれば、その分余計に費用がかさむんだ」
自分たちも金銭的な部分には相当苦労している為か、神官長の意見はシビアである。
「猿害の原因がロック鳥の卵なら、それを割ってしまえばずっと話は早い。さもなければ、このままロック鳥や猿が飢え死にするか、卵が死ぬのを待つ方が楽だという意見も出てくるだろう」
「それは駄目だよ!」
私は思わず声を張り上げる。
ロック鳥がここで卵を温め始めたという事は、最初はちゃんと温泉の地熱があったということだ。
人間の都合でそれを枯らしてしまったというのに、さらには卵を壊したり、見殺しにしようだなんて、あまりに傲慢すぎるじゃないか。
私は神官長の袖の端をぎゅっと掴んで、彼を見上げる。
「神官長」
「……」
「ねえ、お願いだよ」
「……」
「神官長……」
「……」
「……やっぱりダメ、かな……」
私はきゅっと唇を引き結ぶ。
神官長は自分の髪をぐしゃりと指で掻き乱すと、深々と溜め息を吐いた。
「お前は俺を、便利屋か何かだと勘違いしていないか?」
「滅相もありません!」
私は満面に、ぱあっと喜色を浮かべる。
良かった、また呆れ果てさせるまで駄々を捏ねないといけなくなるかと思ったよ。
「ありがとう神官長! やっぱり神官長は頼りになるね!」
「その代わり、どんな方法を使おうと文句は受け付けないからな」
私は当然ぶんぶんと首を縦に振るけれども、よもやあんな胃の痛くなるようなとんでもない嘘を吐かれるとは、その時の私にはまったく予想だにしていなかったのである。まる。
※ ※ ※ ※
温泉旅館の布団も素晴らしいけれど、やはり自分のベッドの上が一番落ち着く。
自室のふかふかベッドに寝転がったまま、私は手紙をぺらりと捲った。
神殿に届いたその手紙は渓谷の温泉街からのもので、猿の襲撃が完全になくなったことへのお礼と温泉施設建設を来月あたりから再開させることへの報告が掛かれていた。
少し不安にもなったけれど、あれからすでに三か月が経っている。神官長の話ではすでにロック鳥の卵は孵っており、現在は子育ての真っ最中とのことだった。
完成の暁には、ぜひともまた泊まりに来てくれと招待券が同封されており、私はほくほく気分で完成の日取りを確認する。
次にあの地に訪れた時には、巨大なロック鳥の親子が優雅に空を飛んでいる所を見られるかもしれない。山に入ればたっぷりの餌を食べてまるまると太った子猿たちにも、再会するかもしれない。そう考えると、今からすごく楽しみだ。
あとはどうやって、神官長に次回の湯治についてお願いするかなどと考えていると、手紙の終わりの方に妙な記述を見つける。
山のあちこちで、これまで見かけたことのない蛍光ピンクのキノコを、大量に見かけるようになった、と。
何でいきなりそんなことに、と私は首を傾げたものの、直後にはっと思い出す。
そう言えば、私はあの時キノコを生やした枝に符を張り付けて、上空で爆発四散させなかったか。
もし、あのキノコの破片が山全域に散らばったのだとすれば、そこから大量のキノコが発生してもおかしくないかも知れない。
私は背筋にだらだらと、大量の汗が流れ落ちるのを感じる。
いや、でもほら、これも考えようによっちゃ一種の奇跡じゃない? このキノコは当地の産土神様と疫病の女神様との友好の証であると考え、大切に育てていきます、って書いてあるし……って、いやいや。それもどうかと!
あわあわと慌てふためいていると、ふいに部屋の扉がノックされる。
「……女神様? 少々お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
耳に馴染んだその声は、普段よりよっぽど丁寧な口調だし、かつ低く掠れているせいで甘ったるい色気がたっぷりだ。だけどよくよく聞けば、その響きの端々からは氷のように冷え切ったドSオーラが感じられる。
こ、これは神官長の怒りが最高潮に達した時の喋り方……っ!
私の顔が真っ青を通り越して、真っ白になる。
やばい! このままだと本気で爆死させられる!
私は適当な窓に駆け寄ると、慌てて外に飛び出した。
女神さんの冒険は、まだ始まったばかりなのだ!
私は全速力で戦略的撤退に努めた。
ところで万が一私が本当に、空中で爆発四散なんて憂き目にあったら、やっぱりそこら中からキノコが生えてくるのだろうか。
これって、トリビアになりませんかね?
死に掛け女のぐーたら疫神生活 楠瑞稀 @kusumizuki
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