猿の森の満開の下(中)
猿たちは温泉街を抜けて、どんどんと山の奥の方に向かっていく。私はそれにおいて行かれないよう、追跡をしていた。
これにはさすがの猿も、驚きを隠せないようである。
ふはははは。幼い頃は良く、友と書いて諸悪の根源と読む幼馴染と二人で学校の裏山を根城に暴れまわっては、山の暴虐コンビとして恐れられたものである。罠を仕掛けて回るのは、後で死ぬほど怒られたから止めたけど。
そうやって、必死で猿を追いかけていた私だけど、相手は野生の獣だし、場所ははじめて足を踏み入れた山中だしということで、とうとう撒かれて姿を見失ってしまった。
そしてついでに言うならば、帰る道すら見失い、私はすっかり迷子になってしまったのだ。
「あー、これは困ったかも……」
ぽりぽりと頭を掻いて、困惑する。
迷子になった時の鉄則は、その場から動かないことだけれど、温泉まんじゅうを奪われた怒りから、無我夢中で追いかけてしまったために書置きひとつ残して来ていない。
つまり私がこんな山中にいることを、誰一人として知るものはいないのだ。
今はまだ日は高い所にあるけれど、このまま見知らぬ山の中で夜を明かすのはぞっとしない。
「これはもう、女神の第六感に掛けるしかないね」
私は神経を集中し、眉間に指を当てる。
魂の声を聞け。己が精神を研ぎ澄ませ。私は、テエェイっと気合を入れると立てていた木の枝から指を離した。
何の変哲もない一本の枝は、ぱたんと倒れる。
「よし、こっちね」
別名当てずっぽうに従って、私はてくてくと山の中を進んでいった。
「おおう。女神の第六感、大暴投ぅ……」
こうなれば、乾いた笑いを浮かべるしかない。
私の目の前には十数匹の猿が、歯を剥き出しにしてこちらを威嚇している。どうやら私は、思いがけず猿軍団の本拠地に辿り着いてしまったみたいだった。
だけど腕っぷしがある訳でもなければ、魔術を使える訳でもない。さらに言うなら、女神的な奇跡を起こせる訳でもない私には、猿たちを殲滅することはできないし、そもそもそんなことをしたら寝覚めが悪い。
まあ、三十六計逃げるにしかずということで、このまま一目散に逃げ出す算段を立てた脳内会議の提案に異論はないものの、せめて温泉まんじゅうの一箱くらいは取り返せないかと視線を巡らせる。
しかし、辺りに散らばる大量の包み紙や箱の残骸を見ると、それもどうやら手遅れのようだった。
がっかりと肩を落とした私だったけれど、そこでもう一つ目を留まったものがある。
それは猿たちの集団のちょうど真ん中で身を寄せ合って団子になっている、痩せこけた子猿たち。そして良く見れば、他の猿たちも随分と痩せ細っていることが分かる。
「あんたたち、そんなにお腹が空いていたのね」
私はぽつりと呟く。
この山には以前から猿はいたと言う。また真冬という訳ではないので、この時期に山でなんの食べ物も採れないなんてことはないはずだ。
しかし、現実はこの通り。何らかの要因で猿たちは食糧不足に陥り、人里を襲うことを覚えてしまったのだろう。
ならばその食糧問題さえ解決できれば、猿は温泉街を襲撃しないのではないか。
「よしっ」
私は先ほどから持ち歩き続けていた、道しるべ兼ただの枝を握りしめ、全神経を集中させる。
そして己の中のもう一人の同居人に、呼びかけた。
そのままウンウンと唸り続ける事、どれくらい経っただろうか。突如ぽんという気の抜ける音がしたかと思えば、枝の先に眩しい蛍光ピンクの塊が付いていた。
トラウマを刺激され思わず枝ごと放り出しかけたが、危うい所で掴みなおす。どうやら私の目論みは成功したようだった。
私が死に掛けた原因であり、そして二百年かけて私と同化した胞子。その正体は蛍光ピンクのキノコである。
以前、仕事で赴いた村で偶然大量発生させてしまったそのキノコは、どうやら食用に適しており、しかも栄養価が高いらしい。
今回は、意図的に生やすことに成功したのだけど、その試みの訳はこれを猿たちの食糧にできれば問題は解決するのではないかと思ったからだった。だけど残念ながら、こんな少量では猿たちの食糧を賄うことは到底できないだろう。1UPがせいぜいだ。
さらに言うならば、食糧不足が一過性のものではなく、今後も続くようであれば今猿たちの腹を満たすだけでは意味がない。
猿たちはうんうんと唸り続ける私に警戒するのを飽きたようで、それぞれ毛づくろいをしたりじゃれ合ったりしてすっかりくつろぎムードになっている。
放置プレイをかまされてしまい、女神さんちょっと寂しい。
とりあえず今回は、現状を理解できただけでも良しとして、いったん帰るかと踵を返しかけた次の瞬間。
耳をつんざく鳴き声と共に、つばさが力強く空気を叩く羽音が、辺りに響き渡る。
猿たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う中、−−それは現れた。
その体躯で木々をなぎ倒し、つばさの一振りで落ち葉も小石も吹き飛ばす。地面すれすれを飛んで、また上昇したのは一羽の鳥だった。いや、鳥なんて可愛らしいものじゃない。
それは巨大な怪鳥だった。シンドバットの冒険に出てくるロック鳥というのは、これを指すのではないかと思うくらいの大きさだ。
その胴体だけでも軽自動車ほどあり、私はともかく猿くらいなら軽く丸呑みできそうである。
一度地表付近まで降りて来た鳥は、それで狙いを定めたのだろう。こんどは標的に向かって一直線に急降下してくる。
その目当ては一匹の猿。
団子になっていた群れから離れて、盗んで来た土産物を頬張っていた小猿だった。
小猿は食べかけのまんじゅうを手にしたまま、凍り付いたように動けない。
「危ないっ!!」
反射的に駆け出した私は、小猿を抱きかかえてそのまま地面を転がる。つい一瞬前まで小猿がいたその場所を掠めて、再び鳥は急上昇する。
獲物を取り逃がした怪鳥は、空を円を描くように周回しているけれど、恐らく諦めてはいない筈だ。どうすればいいのか、私は考える。
しかし怪鳥は甲高い鳴き声をあげ、再度獲物を狙う体勢に入る。
もう時間がないと、考えるよりも先に身体が動いた。
怯えたように私の身体にへばりつく小猿をそのままに、しつこく持ち続けていた枝を地面に突き立てる。
怪鳥は、まっすぐこちらに向かってきていた。私はそれを横目で見ながら、枝に一枚の符を貼付けた。
そして全速力で走り出す。
怪鳥はこちらを目がけて、一直線にむかってきている。
一度獲物に目をつけたら一途なのか、他にも狙いやすそうな猿はいくらでもいるのに、そちらに目移りする素振りもない。
だけど、今はそれが好都合だった。
私は振り返って怪鳥と向かい合うと、大きく息を吸い込んで元の世界では極めて有名な、滅びの三文字を口にした。
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