第14話 種明かしと写実絵

 長い夜が終わりを告げようとしていた。

 外は白み始め、鳥の声が聞こえる。

 そんな中で、料亭みとりの店内は静寂に包まれていた。

 

 もはやこの場に皇帝ケネンの姿はない。

 彼女は光となって旅立ったのだ。

 現世でやり残していたことを、全て終わらせて――

 

「……見送る間もなかったですね」

 

 ハルトは窓の外をぼんやりと眺めていた。

 皇帝ケネンが消えた途端、急に外が明るくなったように感じる。

 感慨の呟きをこぼすハルトに対し、ミトはくすっと笑った。

 

「店の外じゃなきゃ成仏しちゃいけない、なんて決まりはないよ」

「まあ、よくよく考えたらそうですけど」

 

 ハルトが亡霊を見送ったのは彼女が二人目だ。

 以前の亡霊は外で光となって消えたため、店にいるうちは昇天できないものと思っていた。

 

「……場所は関係なかったんだな」

「でも、最後を看取れたことに変わりないんじゃない?」

「そうだな」

 

 ロサリアの言葉に、ハルトはゆっくりと頷いた。

 料理を振る舞い、看取る。

 それがミトの使命であり、この店の本懐。

 その目標はしっかりと果たされたのだ。

 

「でも……意外だったな」

「なにが?」

「いや、国を導いていた人でも、ああいう未練が残るんだなって」

 

 最初にケネンを見た時。

 ハルトは『孤高の人』という印象を受けた。

 

 始祖にして終末の皇帝。

 そこに個人の情などなく、凝り固まった王の価値観で動く。

 未練があるとすれば、築き上げた国が滅びたことへの悔恨のみ。

 そんな人物像を思い描いていたのだ。

 

 しかし、本当のところは違った。

 兄弟との確執に苦しみ、絆を取り戻すための食事が実現しなかったことを悲しんでいた。

 言うなれば、私情に始まり私情に終わる未練。

 それが、ハルトからすれば意外だったのだ。

 

 しかし、それを聞いてミトは首を横に振る。

 

「皇帝も人間だよ。人の想いに貴賎は関係ない。苦しんで死ねば、未練に縛られてしまうこともある」

「そこは変わらないんですね」

「うん。そして人間である以上、未練から解放された時、輝かしい笑顔を浮かべてくれるのさ」

「……なるほど」

 

 女帝ケネンが最後に浮かべた表情。

 それは苦笑に見えたが、親しみに満ちた困り顔だった。

 今際の際で、自分の愛する人に会えたのかもしれない。

 

「少なくとも、彼女は君たちに救われた。それだけは確かだよ」

「ミトさんのお膳立てがあったからですよ」

「いや、完成させたのはハルトくんだし。そこは誇ろうよ」

「……どうも、お役に立てて光栄です」

 

 ストレートに褒められ、ハルトは照れざるを得ない。

 ロサリアはそんな彼を横目で見ながら呟いた。

 

「まあ、頑張ってたんじゃない? ハルトにしてはだけど」

「最後の一言が余計だ」

 

 どうやら素直に褒めたくはないらしい。

 それに加え、彼女は少し落ち込み気味のようだった。

 聞くか聞くまいか迷いつつも、ハルトはそれとなく尋ねる。

 

「どうした、なんか機嫌悪そうだけど」

「私は朝に弱いのよ。覚えておくことね」

「奇遇だな、俺もだ」

 

 どうやら眠気で神経が逆立っているらしい。

 その気持ちはよく分かるため、ハルトは全力で頷きを返す。

 しかし、虫の居所が悪いのは他にも要因があるようだ。

 

「はぁ……今回はほとんど役に立てなかったなぁ」

「え、そうか?」

 

 どうやらロサリアは、成仏への貢献度で引け目を感じているらしい。

 ハルトからすれば、彼女の接客は完璧だったように思うが。

 ため息を吐くロサリアの頭を、ミトがポンと叩く。

 

「いやいや。サリーがいなかったら今頃、店は更地になってるよ」

「え?」

「彼女は――ケネン皇帝は、一歩間違えれば悪霊になっていた。そんな気難しい彼女を大人しく待たせるなんて、少なくとも僕には無理だったね」

 

 ハルトも同意の頷きを返す。

 思い返してみると、ケネンは何かと険のある人物だった。

 

 会った直後から料理の即時提供を迫る気の短さ。

 そして、そんな彼女が災厄になりかねない亡霊だったこと。

 隣に立つだけで心臓に悪いはずだが、ロサリアはまるで怖気づく様子がなかった。

 

「そんな大げさな……普通にお話してただけです」

「まだ若いのに、君たちは本当に謙虚だね。僕の立つ瀬がないじゃないか」

「いや、ミトさんそんなに年離れてないでしょ」

 

 ハルトは突っ込みを入れる。

 仮面のせいで判別が難しいものの、ミトの風貌は間違いなく20代だ。

 年上であることには変わりないが、ハルト達に若さを感じるほどではないはず。

 まあ、いつもながらのジョークだろう。

 

「あ、そうそう、ハルト。ずっと聞こうと思ってたんだけど――」

 

 ここで、ロサリアが思い出したように声をかけてくる。

 

「どうした?」

「結局、どうやって調理したの?」

 

 ロサリアは空の器を指さして尋ねた。

 余ったスープも全て飲み干してしまった。

 それほどまでに美味で、コクのあるロールキャベツだった。

 

「いや、食べたら分からないか?」

「おいしい、スープも飲みやすい。それくらいしか分からなかったわよ」

 

 どうやら、肉の匂いをどうやって消したのか気になっているらしい。

 ハルトは調理していた時のことを思い出す。

 

「ロサリアも見てただろ? 普通に香辛料を使ったんだよ」

「香辛料ならミトさんも使ってたじゃない」

「フェンネルか。あれも匂い消しとしては優秀だけど、この手の風味とは相性が微妙なんだよ」

 

 フェンネルは魚特有の臭みを消すのに絶大な効果を発揮する。

 無論、肉にも使うことは可能だが、その場合は風味の種別に合わせねばならない。

 だからこそ、今回のような独特の匂いを持つ肉に対しては効果が薄かったのだ。

 

 しかしスパイスの中には、多くの風味に適合する品種が存在する。

 ハルトは厨房に置いていた小瓶を手に取り、ロサリアに掲げてみせた。

 

「俺が使ったのは”オールスパイス”だ」

 

 赤茶色のパウダー。

 ロサリアも見たことはあるようだ。

 彼女は首を傾げながら呟いた。

 

「それ……お菓子に使うやつじゃないの?」

「僕はニシンの酢漬けに用いるものだとばかり」

 

 二人の見識は間違いではない。

 マリネにも相性がよく、果実や甘い食材にも適合する。

 同時にこのスパイスは、肉や魚などにも絶大な効果を発揮する。

 あらゆる食材に対して有効な万能香辛料なのだ。

 

「他にも似た性質のスパイスはあるんですが、これを選んだ最大の理由は、トマトにあうことです」

「なるほど、肉だけでなくスープとの相性も考慮に入れたわけだ」

 

 今回指定されたロールキャベツは、トマトソースを用いたスープで煮込むものだった。

 それゆえ、トマトと相性抜群のオールスパイスを使ったのだ。

 ハルトの説明を聞いて、ミトは大いに感心していた。

 

「決まったスパイスしか使ってなかったし、勉強になるよ」

「まあ、いつもの料理の味が変わる方がまずいので、程々でいいですよ。ただ、既存スパイスの相性が微妙だった時はこれを使ってください。だいたいの匂い消しに使えますよ」

 

 オールスパイスは反則級に使い勝手のいい香辛料だ。

 ハルトも最初に出会った時、『もう全部こいつ一つでいいんじゃないか』と感じたほどである。

 もっとも、適合性には限界があるので、使い分けるのが一番大事なのだが。

 

「……そういえば」

 

 ふと、ここでミトが表情を曇らせた。

 彼女らしからぬ珍しい表情だ。

 心配になり、思わずハルトとロサリアも身構える。

 

「どうしました?」

「お代を頂いてなかったね」

「……あ」

 

 彼女は支払いをすることなく成仏してしまった。

 たいていの亡霊は昇天するまでの猶予で済ませるらしいが。

 今回は例外のケースだったようだ。

 

「まあ、大丈夫だよ。ここに残してくれてるから」

 

 ミトは床に落ちていたローブを拾い上げた。

 これだけは光になって消えず、残っていたのだ。

 

「亡霊は身につけたものと一緒に消えることができるからね。わざわざ置いていくってことは、そういうことだよ」

 

 そう言いながら、ミトはローブの中身をゴソゴソと探る。

 しかし、チャリンという音一つすらしない。

 金を持っていなかったと見るのが妥当か。

 ハルトがそう思った時――

 

「あ、なんかでてきた」

 

 ミトが何かをローブから引っ張りだした。

 それは古ぼけた紙きれ。

 ミトは無言でそれに視線を落とす。

 気になったのでハルトは後ろから覗き込んだ。

 

「なんですか、これ」

「地図だね。王朝の遺産の在り処じゃないかな」

「い、遺産!?」

「お宝じゃないですか!」

 

 ロサリアとハルトは驚きの声を上げる。

 滅亡したとはいえ、眠っているのは国家の遺産。

 尋常な額ではないだろう。

 

 しかし、ミトは興味がないのか表情一つ変えない。

 

「ただ、今の地図と照合すると危ないところにあるね。『煉獄山カウル』とは」

「どこです? それ」

「大陸の西部にある火山地帯だよ。魔力に侵された獣が跋扈してるし、国が立入禁止に指定してるはずだね」

 

 いわゆる魔物と呼ばれる存在が暴れまわっている地らしい。

 危険な匂いを感じ、ハルトはここが元いた世界と異なることを改めて実感した。

 

「なんでそんな場所に……」

「昔は人が住めたんじゃないかな? アジール西王朝があったとされる場所もその辺りだし」

「それじゃあ、在り処が分かっても仕方ないですね……」

 

 足を踏み入れれば生きて帰れないだろう。

 入手不可能な宝というのは存在しないのと同じだ。

 落胆するハルトの言葉に、ミトは頬をかきながら答える。

 

「うん、僕一人なら踏破できなくはないだろうけど。別にお金には困ってないからねー」

「え?」

「ん?」

 

 疑念の声を上げるハルトに対し、さらに疑問符を返すミト。

 なにか変なこと言ったかな、とでも言いたげな顔だ。

 

「一応聞きますけど、ミトさんって人間ですよね」

「失礼な。僕が魔物だとでも言うのかい?」

「いや、冗談ですって」

 

 先ほどの言葉は聞き間違いだったのだろうか。

 もっとも、金に困っていないというのは確かなようだが。

 慌てて撤回するハルトを見て、ミトはくすくすと笑う。

 

「僕は料亭みとりの主であって、冒険者ではない。それだけのことだよ」

「……そ、そうですね」

 

 深入りすると危なそうな話題だ。

 前世から受難を続けてきたハルトは、自分の中にある危機管理センサーが反応するのを感じた。

 

「さて、お喋りも楽しいけど、そろそろ片付けなきゃね」

「あ、手伝います!」

 

 ロサリアが率先して手を挙げた。

 威勢の良い返事を受けて、ミトも快諾する。

 

「ありがとう。なら、ハルト君は遺品を僕の部屋に運んでおいてくれるかな」

「いいですよ」

 

 ミトから皇帝が身に着けていたローブを受け取る。

 漆黒のローブは年季が入っていて、穴が空きそうなほど摩耗している。

 持ち主がどれだけ長い時を彷徨っていたかが、ひしひしと伝わってくる。

 

「鍵はこれね。机の上に置いといてくれればいいから」

「了解しました」

 

 部屋の鍵を受け取り、ハルトは早速階段を登っていく。

 ローブは全ての重荷から解放されたかのように軽かった

 

 階段を登り切ったところで、パサリと音がする。

 

「……ん?」

 

 ハルトが視線を落とすと、そこには地図とは違う紙が落ちていた。

 拾い上げて裏をめくると、一枚の絵が描かれていた。

 

 写実絵、というのだろうか。

 非常にリアルなタッチで3人の人物が描かれている。

 

 中でも目を引くのは、右端に立っている少女だ。

 非常に見覚えのある顔をしている。

 決して勘違いなどではない。

 

 少女は兄弟と思われる二人と並び、最高の笑顔を浮かべている。

 その笑顔は、”彼女”が成仏する直前に見せたものとよく似ていた。

 

 これを見て、ハルトは確信した。

 やはり彼女は、最後の最後で理想との再会を果たせたのだ。

 挨拶をすることなく消えたので心配していたが、この絵を見て安堵した。

 しかし、一つの疑問が頭をかすめる。

 

「これ……持って行かなくて良かったのか?」

 

 ローブに残っていたということは、意図的に置いていったのだろう。

 いったい彼女は、この絵で何を伝えたかったのか。

 ハルトはしばらく考えた後、ふっと笑った。

 

「……どうか、安らかに」

 

 絵をローブの中にそっと戻す。

 そしてハルトは、何事もなかったかのようにミトの部屋へと消えたのだった。

 

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