夜間飛行

 ずっと気絶していたので、どれくらいの間もみくちゃされていたのかわからない。

 これまでにないほどに、高い高いところまで登ってしまったのだ。

 そびえ立つものが目の前にあると、どうしてもよじ登りたくなるのだから仕方がない。

 天辺には、しがみついているのがやっとというほどの強風が吹き荒れていた。

 

 天空の風に吹き飛ばされた僕は、わけもわからないまま飛ばされ続けた。

 そして、気がつくと真っ暗闇の穴の中を、真っ白い出口に向かって羽ばたいていた。


 ん?あれは穴の出口じゃない。優しく輝く白い明かり。でも、進む方向に間違いはない。

 僕の本能がそう告げた。


 眼下には、原っぱが広がっていた。

 キラキラと光り輝いている。

 もしかしたら、原っぱではなくて、「うみ」っていうものかもしれない。 いつか物知りの友だちから聞いた果てしなく大きな水たまりの話だ。

 

 僕の想像は膨らんでいく。さっきから聞こえていた風が草を揺らす音は、「なみ」。これも、物知りさんから聞いたことだ。「カイガラ」を耳に当てると歌ってくれるんだって言っていた。


 「うみ」という言葉を思い出した僕を、ふと不安な気持ちが襲った。もしかして、遠くに来すぎてしまったのではないか。もう帰れないほどに。

 もといた世界に引き返せないかもしれないと気づいてしまい、僕は二つ星の背中を思い出した。彼女が持つ美しい丸み。艶やかな黒に、少し端がにじんだ赤い楕円形が二つ。この世に二つとない背中。

 「君には色々な模様の友だちがいて、相手は選び放題だね」

 と嫉妬してみたこともあった。そしたら彼女は、

 「あなたみたいに素敵な七つ星は他に見たことがないわ」

 と言ってくれた。僕は舞い上がった。でも、次の一言で叩き落されてしまった。

 「でも、種が違うから交配はできないわ」

 難しい言葉はわからなかったけれど、もうダメだってことはわかった。

 6本の足がすべてもげてしまったかっていうくらい痛かった。この気持ちには「しつれん」っていう名前があるらしい。

 

 僕は、うみに映る光の道の上を飛んだ。

 光の道は、空に浮かぶ白くて優しく輝く丸に向かっていた。

 

 たどり着いたのは、辺り一面真っ白の地面だった。

 空は、反対に真っ黒だった。

 真っ黒の空の中に、青い丸が浮かんでいた。


 地面には、大きなくぼみや小さなくぼみがいくつも開いていて、僕は疲れていたから、大きなくぼみの一つを選んで、縁に腰かけてぼんやりとした。

 眠りそうになったとき、ふいにそれを邪魔するように、声が聞こえてきた。


 月にいきたいが

 きっと冷たいのだろう

 眩く照らされた白い地平と

 暗闇に煌めく青い地球

 クレーターの縁に腰かけて

 いつしか僕は欠片になり

 君の夜を穏やかに照らすのだ


 声の主は、すぐ隣にいつの間にか横たわっていた。

 大きな目と口、そして体の先に大きなひらひら。

 不思議と怖くはなかった。話しかけてみることにした。

 

 「さっきのは、いい詩だったね。よくわからないけれど、今の僕の気分にぴったりな感じだよ」

 「随分遠いところまで来てしまったんだね。僕の詩に共感するなんて、なかなかに憂鬱な気分なのかな。でも君は帰れる。君は、太陽に向かって飛ぶ者だ。ここにいるべきではないよ」

 「やっぱり、とても遠い場所なんだね、ここは。帰るなんて無理だよ。最後にもう一度、二つ星に会いたかったな」

 「感傷に浸っているようだが、君は帰るんだよ。次に出会ったら、食べてしまうからね」


 「かんしょう」という言葉の意味はわからなかったけれど、彼が急に怖い顔をしたので、僕は彼の言葉に従うことにした。つまり、僕に似合わない「ゆううつ」という気分を振り払って、帰ることを考え始めた。


 「もし、向こうの世界で、大きな甲羅に出会ったら伝えてほしいことがあるんだ」

 「知り合いにはいないよ。それにもし大きな甲羅の前に出たら、食べられてしまう」

 「巡り会ったらでいいんだ。僕の声を真似すれば食べられないから」

 「わかった。忘れないように気をつけるよ」

 「いつも見てる。いつか必ずまた会える。そう伝えてほしいんだ」

 「あなたも帰って、直接伝えればいいのに」

 「僕は役目があるから、帰れないんだよ」

 「わかったよ。伝える」

 「ありがとう。さあ、もう出発するんだ。君にも待っているものがいるんだろう」

 「こちらこそ、ありがとう。さようなら。さっきのは本当にいい詩だった」


 僕は、大きな目と口に別れを告げると、来た時と同じように光の道を辿った。今度は青い光だ。

 長い時間飛んで、僕はようやくいつもの原っぱに戻ってきた。


 寝床に潜り込んで、今日の出来事を思い出しながら、明日のことを考えた。

 明日は、まず二つ星に会いに行こう。

 それから物知りさんと話をしよう。確認したいことがたくさんある。

 誰かから誰かに伝言もあったような気がする。


 でも、きっと明日には忘れてしまう。

 不思議なぼんやりとした夢を見たとしか思えなくなってしまう。

 いつもそうなのだ。


 眠りの浅瀬を漂った後、僕は深く沈んでいった。

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短絡的短編集 テトラ @hikonar

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